第十八話 遭遇
『 The flame is here. 』
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金属音と呼吸音だけが鳴り響く。
殆どの自然光が遮断された薄暗い小屋の中。
朱色の髪を持つ女性は独り溜息を吐いた。
その時、部屋の扉がガラガラと開かれる。
「!」
「シロンちゃん、根詰めすぎてないかい?」
「ユメハ、帰って来てたのか。」
「はいこれ、んしょ。」
『ユメハ』と呼ばれた青年は一つの中袋を床に置いた。
衝突の瞬間、袋からジャラジャラと心地良い音が鳴る。
どっさりとしたソレの結び目から顔を覗かせるのは、大量の貨幣だった。
「三十万くらいかな、あんま覚えてないや。」
「毎度言うが、全額渡す必要は…」
「いいのいいの、ボク使わないしね。
卯杖の仕事もなーんもやってないから。
日頃のお礼としてこれくらいはさせてよ。」
「私も何もしてやれてないがな…。」
「游蕩士っていう席をくれるだけで充分さ。」
ユメハはそう言いながらシロンに近づく。
そこで、シロンの前に置かれたサイズの違う三つの破片に気が付いたようだ。
「……これは、良い妖石だね。どこでこれを?」
「あぁそうか、お前は知らないんだな…。
メーセナリアを襲った龍人の妖石だ。」
「へぇ、そんなことが。」
「もう二か月前の話だがな。」
「時が流れるのは早いもんだねぇ。」
目を細め、しみじみと呟くユメハ。
時間感覚が鈍った老人のような口ぶりだが、
彼の見た目は十代後半という風にしか見えなかった。
ユメハは大小様々な妖石の欠片を手に取ると、
小突いたり透かしたりなどをして鑑定を行っていた。
「大剣、片手剣、短剣ってとこかな。
…んん、自分用の刀は作らないのかい?」
「私は大した活躍をしていないからな。」
かく言う彼女も龍人の右手を潰した多大な功労者だ。
本来ならば妖石が配分されて然るべき存在だが、
そこで一歩身を引くのがシロンらしいともいえる。
「それで、何を思い悩んでいるんだい?」
「…言っただろう? これを手にして二か月だ。
二か月間、全くと言っていいほど進展していない。」
「ふむ…。切り分けられているということは、
加工自体には成功しているようだけれども…、」
「あぁ、『風』で簡単に切ることが出来た。
ただ、どうしても私の『火』で熔かせないんだ。」
「…なるほど。」
「龍人本体に耐熱性は無かったんだがな…。」
「よくある話だね。それで、どうするつもりだい?」
「『どうするつもり』とはなんだ?」
「おや、ただの勘違いだったかい?
ボクには君の溜息が"諦め"に聴こえなかったけどね。」
軽快に笑うユメハに、シロンは図星とばかりに笑い返す。
けれども、その瞳には確かな野望の炎が宿っていた。
「お前は精霊についてどれだけ知っている?」
「ボクはいつも避けてるけどね、怖いし。」
「精霊との契約は、主に強大な力を齎すらしいな。
例えばの話、妖術の威力が激増したりだとか…。」
「…ぅははっ、相変わらずぶっ飛んでるね!」
既にユメハはシロンの未来設計を理解しているのだろう。
彼らはそれなりに長い付き合いで、関係も良好だから。
「一応聞くけど、標的は?」
性格が良いのか悪いのか。
既知の事実を敢えて訊いた青年。
不敵に笑うユメハに、シロンは淀むこと無く言葉を放つ…
「――無論、火の精霊だ。」
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「ほう! これが件の、」
「爬竜の残骸ですね。」
目の前に横たわるのは、巨大な白骨死体。
<鱗片の陰>の後に仕留めた爬竜の親玉の死体だ。
改めて見てもそのサイズは凄まじい。
神話の巨人が気紛れで製作した美術品のようだ。
この規模の幻妖を、俺が単独で仕留めたと云うのだ。
自分のことなのに何故かその事実が虚構に感じられた。
死体の横に転がるのは濁った紫色の妖石だ。
デコボコとしたその妖石は正に岩のように視えた。
ニュートは重たそうなソレを両手で持ち上げると、持参した大袋の中に入れた。
「残っててよかったねー。」
「えぇ。忘れてた俺が悪いんですけどね。」
「その通りですねぇ。では、帰りましょうか。」
リエル,ニュートに続き、俺は黄色の羽毛をよじ登った。
流れで頬を擦り付けてみると、最高峰の幸福を得られる。
だらしなく口元が緩んだ俺を横目に、ニュートが"彼女"の背中を一撫ですると…
『 Pii! 』
妖石が入った鞄の持ち手を掴んだファイは、
大きく羽ばたきながら雲一つ無い空へと飛び出した。
◇
俺達は十分と経たずメーセナリアへと帰還した。
到着するやいなや、二つの馬車を確保したニュート。
彼は片方の馬車に爬竜の妖石を積み込むと、
何やら長めの手紙を書いた後、それを御者に手渡した。
行き先はユルドースだそうで、そこで幻妖の妖石を買い取ってもらえるらしい。
「――化物の種族が不明でも値が付くんですか?」
「えぇ。希望通り、君の名前もちゃんと伏せましたよ。」
ユルドース行とは別の、リソルディア行の馬車の荷台で。
荒めの道によって身体を揺られながら、言葉を交わす。
「大体いくらくらいで売れるの?」
「そうですねぇ、幻妖の妖石は貴重ですから。
あのサイズですと数十万はいきますねぇ。」
「へぇ、ヒシさん大金持ちだね!」
リエルはここ最近で随分とフランクになった。
元々明るく話しやすい性格はしていたのだが…
なんというか、物怖じしなくなったような気がする。
ニュートやベイドなど相手に、緩く話すようになったのが一番の変化だろうか。
「では、交渉タイムといきましょうか。」
腕利きの商人のように、ニヤリと笑うニュート。
彼は、無償で妖石売買の仲介を務めた訳では無い。
あくまで今回の件は俺からニュートに対する依頼だ。
当然、彼には報酬を受け取る権利が在るし、俺には支払う義務が発生する。
とは言え、今回は固定給では無く歩合給だ。
つまり、妖石の落札金額によって彼の報酬量が増減する。
そうなると火種になりがちなのは配分比率の問題だが…。
「5:5でどうですか?」
「…ヒシ君、君はもう少し貪欲に生きてはどうですか。」
「これくらいが妥当なラインだと思いますよ。
ニュートさんが居ないと売れませんでしたから。」
「交渉する気満々だった私が図々しい感じになっちゃいましたねぇ…。」
ニュートはそう言って苦笑した。
彼の表情を見るに、特に不満は無いのだろう。
ならば、売上金を半々にするという話で円満決定だ。
「分かりました。では、売れたときにまた連絡しますね。」
「はい、お願いします。」
彼は手元のメモに何かを書き込んでいく。
こういった話をすぐに記録する所がマメだなと思う。
俗に云うインテリヤンキーというやつだろうか。
――その時、ニュートはパッと俺の方へ顔を向けた。
「あぁ、話は変わるのですが…。
ヒシ君は"学校"には通わないのですか?」
「本当に急な話題転換ですね。」
「ふと気になりまして。」
学校というのはユルドースに在る教育機関の名前だ。
大抵の子供は、そこで最低限の教養を身に付けるらしい。
俺の年齢でも入学は出来るだろうが、……うーん…、
「学校ですか…、」
「えぇ、通って損は無いと思いますよ。」
「そもそもどんな場所かあんまり知らないんですよね。」
「おや、そうでしたか。
確かリエル君は経験がありましたよね?」
「……うん、游蕩士になる前ねー。」
リエルは何故か苦々しい表情で頷いた。
これ以上の追及の拒絶を言外に示している。
「私も二年間ほど通っていたことがありまして。
一度見に行ってみるのも良い経験になると思いますよ。」
「…正直、そんなに学びたいことも無いんですよね。」
「ヒシさん字も書けるし、計算も出来るもんねー。」
「えぇ、幼い頃に一通り教わりました。」
生きていく上で必要な学は持っているつもりだ。
その点で云えば、母は優秀な教育者だったのだろう。
「ユルドースは研究業が盛んでして。
学校とは言いつつも、年齢問わず多くの研究者が
そこに在籍していて、日々研究に励んでいます。
君もご存じのクランズさんはそこの学長なんですよ。」
「! それは初耳です。」
『クランズ』とはユルドースの街長の名である。
爺ちゃん繋がりで何度か会ったことがあるが、
…正直、俺個人からの印象は"苦手な人"止まりだ。
何を考えているのか、常人ではあの人を理解できない。
「それで、何故この話を?」
「競売の結果次第ですが…、妖石の買い手が
その学校に在籍する誰かになるでしょうから。
君にも無関係の機関では無いという事ですよ。」
なるほど。研究材料に使われるのか。
幻妖の妖石を解析できる機会など稀だろうし、
研究者達にとっては垂涎ものの一品なのだろう。
そう考えると数十万というのも妥当な値の気がしてきた。
「あとこれは君に対する警告なのですが…
是非とも、クランズさんには充分な注意を。」
「その心は。」
「攫われて解剖される可能性が――」
「ぜっったいに会わないようにします。」
「えぇ、それが最善ですねぇ。」
わざわざ具体的な犯行まで添えて忠告をするとは。
ニュートもそういう目に遭ったことがあるのだろうか。
いやまぁあの人だし、裏で何やってるか分かんないしな。
『ヤンキーの脳細胞が欲しいです!』とか言いかねない。
◇
二日後、無事リソルディアへ辿り着いた。
前回来たのは迷宮攻略前だから…、一か月ぶりか。
当時と変わらず、物作り職人特有の活気に満ちた街だ。
街についてすぐにリエルと別れた。
彼女は自身が所属するギルドの本部に行くようだ。
そんな少女の背中を見送りながら、俺はニュートと共に歩みを進める。
今回俺達がリソルディアに来た目的は
ここの街長にサミット迷宮攻略を報告することだ。
一か月越しの成果報告。…正直億劫で仕方が無い。
――ニュートさん一人でやればいいじゃないですか。
と、二日前に口を尖らせて年相応の文句を垂れてみた。
――妖石売買の口利きをしてあげたのは誰ですかねぇ。
と言われれば何も言い返すことが出来ない。大人は汚い。
それに、引越しした後の孤児達の様子も気になっていた。
片道二日の旅は、そう気軽に決行出来るものでも無い。
一度くらいは顔を出したかったから、丁度良い機会だ。
「………ん。」
着いたのは、立派なお屋敷だった。
周りの民家に比べても、一際大きく一際綺麗だ。
質素で古びれた我が家とは比較行為すらおこがましい。
同じ街長の家でもここまで違う物なのか…。
別に爺ちゃんの家に不満がある訳では無いが。
「ヒシさんとニュートさんですね。…こちらへ。」
『シアン』という同い年くらいの少年に出迎えられ、
彼に付いていくような形で客間までの廊下を歩く。
…上品で厳かで、静かな屋敷だ。少し表情が強張る。
「ヒシ君は会ったことがありますよね?」
「えぇ、何度かは。直接話すことはありませんでしたが。」
「ふふっ、そんなに緊張しなくても良いですよ。
お説教を受けに来た訳では無いんですから。」
ニュートは全く気負うことなく、俺に微笑んだ。
長い廊下を経て辿り着いた一室。
シアンが扉を叩くと、中から入室の許可が出た。
『失礼します』という声と共に扉を開ける――。
「――よくぞ、来てくれた。」
正面に座る男性はしわがれた声でそう言った。
男性とは言うが、歳はもう老人に近い。
爺ちゃんよりも少し年上くらいだろうか。
白色混じりの髭は、貫禄と威圧感を示していた。
鍛え上げられた筋肉が衣服越しでも確認出来る。
口元を一切緩めぬ彼に向けて、軽く会釈をする。
「お久しぶりです、ダイダロさん。」
「ヒシという名に聞き覚えはあったが。
やはりザウロスの孫だったか。…成長したな。」
「ご息災のようで。」
老人――『ダイダロ』は俺から視線を外し。
ニュートにその目線を向け、強く睨みつけた。
「ニュート、迷宮を攻略したらすぐに報告するようにと、
何度言ったら分かる?こちらにも事後処理があるのだ。」
「いやぁ、申し訳ないですねぇ。失念しておりました。」
「戯け、煩わしいという顔をしてるぞ。」
「地の精霊関連で立て込んでましてねぇ。」
「ほんの十数分報告するだけだろうが。」
「猛省しております。」
「……はぁ、もういい。」
……お説教受けてない?
聞いていた話と違うし、10:0でニュートが悪い。
流石は根からの不良少年だ。ダイダロが気の毒になる。
「事の顛末を話せ。」
「えぇ、一部を抜粋しますが――。」
◇
「――……。…つまり、お前は…。
『新人游蕩士二人に幻妖討伐を丸投げした挙句、
自らの弟子に危険性が極めて高い契約を強要した』と?」
「大雑把に言えばそうですねぇ。」
「……お前という奴は…、」
結果、捻じ曲がった形でダイダロに伝わった。
ニュートが捻じ曲げたと言う方が正しいだろうか。
きっとこの老人をからかって遊んでいるんだろう。
口出しするのも面倒なので、沈黙を貫くことにする。
「幻妖との契約は街に話を通してからだと言っただろう?」
「あぁ! すっかり忘れてました!
まぁ上手くいったので結果オーライですねぇ。」
「眷属が街中で暴れ出したらどうするつもりだ。」
「そこはクリモ君がなんとかしますよ、
飼い犬の世話は飼い主がするべきですから。」
「部下の責任は上司が取るべきだろう。」
「相変わらず前時代的な考え方ですねぇ。
権利と義務は表裏一体。そこに私が関わる余地は無い。」
「……その勝ち誇った顔は何だ。」
ニュートはにんまりと口角を上げている。
口論で変に強いのがこの人の悪いところだろう。
屁理屈をあたかも正道であるかのように語る技術。
統率者に求められるのは結局それだ。…或いは詐欺師。
とは言え、ニュートの思想には俺も賛同したい。
妖術が反動を伴うように。自由が責任を兼ねるように。
プラスが在れば、何処かしらでマイナスが生じる。
大切なのは、その両方を自分自身で完結させること。
マイナスだけを他者に押し付けるのは筋違いという物だ。
何はともあれ、用件は済んだようだ。
満足気なニュートは退出の支度を始めた。
対し、疲れた表情のダイダロは再び溜息をつく。
「シアン、記録は取れたか。」
「はい、不足無しです。」
「では、私達はお暇させてもらいましょうかねぇ。」
「失礼します。」
「待て。」
ダイダロの声に退出を止められた。
振り返ると、彼の視線は俺に向けられている。
「ヒシ。お前に聞きたいことがある。」
「…なんでしょう?」
話の見当がつかない。爺ちゃん関連だろうか?
いや、二人は少し前にも街長会議で会っているはずだ。
わざわざ俺を通して情報の伝達は行わないだろう。
…ぐるぐると回る思考に投げ込まれた問い掛けは、全く意想外の物であった。
「お前は、何故游蕩士を志した?」
「……何故、というと?」
「思ったままに答えてくれればいい。」
束の間、部屋に流れる沈黙。
原因は俺が固く口を閉ざしたからだ。
見兼ねた様子で、ダイダロは言葉を続けた。
「お前の祖父と兄は防衛士だろう。
民を守りたいというならば防衛士になるべきだ。」
「防衛士にあんまり興味は無かったですね。」
「人助けをしたいのならば、医者が手っ取り早い。
九年前、この街で流行した壊死病。
その治療に尽力したのはユルドースの医者達だった。」
「人助け…、というのも少し違うかもしれません。」
「化物と戦うことに生き甲斐を覚えているか?
確かに游蕩士ならば自由に狩りが出来る。」
「それが目的という訳ではないです。」
防衛も救命も戦闘も、俺は嫌いじゃない。
依頼の一環で行うことはあるし、出来ないことも無い。
ただ、それを主業にするという選択肢は最初から頭の中に無かったように思う。
「…だとすれば、何故だ?
いつ死ぬかも分からない。
緊急時には前線に駆り出される。
死と恐怖、その両方と隣り合わせの職を。
数多ある職業の中から、お前は何故それを選んだ?」
真っ直ぐなダイダロの視線が注がれている。
責めているようにも、試しているようにも思えるが…。
ただ純粋に、好奇心が籠っているような気がした。
「…………。」
俺は、游蕩士になる前から狩り自体はしていた。
幼い頃に母親から自然での生存術を教え込まれたし、
爺ちゃんにも剣の振り方や妖術について叩き込まれた。
だからそれを活かせる職を考えた時に
"游蕩士"が挙がるのはごくごく自然な話で。
街に縛られることなく動ける職業というのは、
胸に秘めた俺の目的からしても物凄く都合が良かった。
問題は、それをこの老人にどう伝えるか。
正直に答えれば、即行で"化物"だとバレるだろう。
…別に、デタラメな回答で躱してしまうことも出来る。
ただ、それは少し気が引けた。
この老人が求めているのはそんな答えではない。
まるで人生最大の疑問に臨んでいるかのような瞳だ。
その意気を踏みにじるような真似はしたく無かった。
「――自由になりたくて。」
だから、笑いながらそう答えた。これが本心だから。
「………そうか。」
長い沈黙の後、ダイダロは口を開いた。
彼は満足したように頷くと、柔らかく告げる。
「引き止めて悪かったな。
迷宮についての報告、ご苦労だった。」
◇
ニュートと別れ、姫萩本部へと足を進める。
難しい道では無く、大通りを直進すれば着くらしい。
リソルディアの地理には詳しくないから、有難い話だ。
さて、事前に聞いていた場所的にはここら辺なのだが…、…もしかして、これ?
「! ヒシさん! 早かったね!」
「意外と早くに終わったので。それで、この建物が…、」
「あ、うん! 姫萩の本部。というか家?」
「家というか、小さめの城というか…、」
姫萩の本部は引くくらいデカかった。
ダイダロの屋敷も立派だったが、正直別次元だ。
「これ、何人住んでるんですか?」
「うーん、ギルドメンバーが五十人くらいで、
子供とかお世話の人とか含めると、三百人くらい?」
「想像以上の大所帯ですね。」
「私みたいに別の街で宿借りてる人もいるから、
普段の人数はもうちょっとだけ少ないかなー。」
「――おや、ヒシ君。」
元孤児院長――ティーラさんが遠くから歩いてきた。
抱えられた鞄の中にはどっさりと食材が入っている。
相当な重さがありそうだが、彼女は何でもないという風に笑顔を浮かべていた。
「荷物、持ちましょうか?」
「大丈夫。そんなに重くないからね。」
「流石ですね。どうですか? 姫萩は。」
「文句ひとつ無しだよ、子供達も生き生きしてる。
……ヒシ君、早く帰った方がいいかもしれない、」
「え、どういう」
感じたのは明確な殺気。…気を引き締めろ。
瞬時に指輪へ『光』を込め、宙に光壁を展開する。
直後、鋭い爪と固い壁が激突し…、俺の妖術は真っ二つに割られ、崩壊した。
「――いや! そんな弱い壁じゃ無かったんですけど!!」
「家の前にゴミが転がってるなんて、掃除不足かしらね。」
「この光景前も見たよ…?」
呆れ半分困惑半分の表情を浮かべたリエル。
これに慣れて来てる時点で彼女もかなり変になっている。
そんな少女を優しく抱きながら、モファは訊いてくる。
「それで、何の用?」
「…よく普通の会話に入れますね。
殺されかけた側からすると恐怖でしか無いですよ。」
「ごちゃごちゃうるさいわね。」
「…………。」
「ヒシ君は一体何をしたんだい?
モファちゃんが年下の子にこんな態度取るなんて…、」
「俺が一番聞きたいですよ…。」
弁明の余地すら無いんです。
「用事ついでに寄っただけです。すぐに帰りますよ。」
「え、ヒシさん帰っちゃうの? ゆっくりしていけば…、」
「リエルちゃん止めなくていいのよ。早く帰らせましょ。」
モファはリエルの目を塞いだ。
親が子供にする『見るんじゃありません』のやつだ。
まさか、自分がされる立場になるとは思わなかった。
早々に立ち去るべきだと判断し、リエルに手を振る。
「リエルさん、また今度。」
「うん、気を付けてねー。」
「今度があると思わないことね。」
「……………。」
見事に最後まで毒々しい。
もしも俺が死ぬとしたら、死因は暗殺だろう。
爪のような武器で喉を裂かれた死体が発見されるはずだ。
今の内に『犯人はモファ』って遺書でも残しておくか。
「…リエルちゃん守ってくれたことは感謝するわ。」
いや、…その必要は無いのかもしれない。
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更に三日経ち、一人で草原を歩いている。
此処はエフ森林跡地。今となっては面影が無いが…。
エフ森林が消滅してすぐ、樹根は移住したようだ。
一度顔を見たかったが、行き先が不明では仕方が無い。
まぁ、大丈夫だ。…またいつか、会える気がするから。
「――にしても、なんも居ないなぁ…。」
現状、この土地を支配する化物は存在しない。
つまりは無法地帯で、凶暴な化物が蔓延り放題――
…だと思っていたのだが、その予想は見事にも外れた。
ここに到るまで、俺は一匹も化物の姿を視ていない。
エフ森林には強者がうじゃうじゃ居たはずが、
実は温厚な化物が大多数だったのかもしれない。
「無駄足だったかなぁ…。」
半日かけてここに辿り着いた訳だが、ただの徒労か。
…いや、平和だということを確認出来ただけで充分だ。
ガイアを引き込んだことによる最大の懸念が晴れた。
それにしても、通常七日掛けて歩く道のりを
『光』を使えば半日で超えれるというのは驚きだった。
最近の狩猟で、保有妖力量が激増した恩恵だろう。
「……帰るかぁ。」
話し相手のいない寂しさを改めて感じる。
ここ最近は誰かと旅することが殆どだったから。
孤独感からか、思わず独り言も零れるというものだ。
早めに帰宅しようと思い、靴に『光』を込めた時…。
―――ソイツは、目の前に居た。
緑一色の草原に似合わない、白っぽく染まった体毛。
二つの尖った耳、四本の短い脚、ふさふさした尻尾。
犬にも狼にも似た風貌だが、もっと相応しい動物が在る。
その狐は、何を言うでも無く俺をジッと見つめていた。
…ソイツからは、敵意が感じられない。
抱える妖力の量はそこまで多くないようだ。
だが、数瞬の内に目の前で現れたのが気になる。
一体なんの妖術だろうか。オミナスと似た類のものか?
『 Kyaun…. 』
俺が思考を巡らす最中、狐は小さな声を上げた。
憂うような、嘆くような。奇妙な感情が含まれた響きだ。
意図は、思惑は。俺がそんなことを考え始めた瞬間…
――小柄な狐は、幽鬼の如くふらりと消失した。
「!!」
どういう原理だ。
妖力の反応は完全に消えている。
透明化している訳では無さそうだ。
瞬間転移…? そんなことが出来るのか?
いや、出来ないことは無いのだろう。それが妖術と――
「ごふっ…」
……………?
真っ赤な液体が地面に零れた。
血はポタポタと滴り続けている。
その発生源を辿ると、俺の体が在った。
体には、四,五本の刃が突き刺さっている。
鋼の刃ではない、黄色く光り輝く半透明な刃だ。
見覚えがあった、――あぁそうか、光壁と同じ色だ。
いつ、誰が? そんなのはもう、分かりきってる。
知ってるから、理解しているから、困ってるんだ。
俺には、その速過ぎる攻撃を視れなかったから。
相手は、圧倒的なまでの格上だ…。……眠気が…。
止まる思考、閉じる瞳。
自然な身体の働きは抑えられず。
赤黒く汚れた草原に倒れ込んだところで、
俺の意識はどこか遠くの方へと落ちていった。
知らない天井があった。
夢か。そう思ったが、意識ははっきりしている。
だとしても、こんな木の天井に覚えはないのだが。
体を動かすと、薄い布の感触を得ることが出来た。
病院か? いや、俺が倒れた場所は街から距離がある。
意識の無い身体を病院まで搬送するのは不可能だろう。
そもそも、街の外で生活を送る人間は限られている。
少なくともエフ森林付近に村は無かったはずだが。
上体を起こすと、胸から腹にかけて痛みが生じた。
そうだ、刺されたんだ。謎の妖術に。抵抗出来ずに。
傷口は…、――包帯が巻かれている。正確な処置だ。
ベッドの脇には、俺の片手剣が置かれていた。
介抱してくれた人が拾っておいてくれたらしい。
その横には水の入った桶とタオル、大きな包帯。
少し離れた場所にあるテーブルには木のコップ。
床も壁も天井も、全て木で作られた建物のようだ。
ただ、職人が作ったにしては少し歪んでいる気がした。
辺りを観察していると、足音が聞こえた。
この部屋の外からだ。…草を踏みしめる音か。
ゆっくりとした、力強い歩調。数は一つのみ。
俺を救助してくれた人だろうか。
…木の扉がギィィと音を立てて開かれる。
『――目を覚ましたのか。』
「――――!」
現れたのは、壮年の男だった。
無愛想な顔に、少し掠れた声、白髪の混じった髪。
腰に差さった一本の刀が、威厳ある風貌に似合っている。
特徴的なのは、頭部に生えた二本の角だ。
直線的に伸びたそれが示すのは、揺るがぬ信念だろうか。
残念なことに左の角は折れているが、間違いない。
――男は、鬼人だった。
古くから最強として語り継がれる化物の一つ。
人類を模した姿に生まれ、知能も人並みかそれ以上。
桁外れの身体能力に、規格外の妖術操作能力を持つ種族。
曰く、たった一本の細い枝木で山脈を叩き割ると。
曰く、相対した敵手に千年は癒えぬ切傷を負わせると。
様々な伝承と共に語り継がれ、人間に畏怖される存在。
……だが………、
「貴方が、助けてくれた人ですか?」
『…あぁ、死にかけてたからな。』
「助かりました、ありがとうございます。」
俺は座りながら頭を下げる。
少なくとも、この人から敵意は感じられない。
化物だろうが何だろうが、恩人には変わりないのだ。
その程度の噂話で礼儀を欠かすのは無意義だろう。
稀で貴重な巡り合わせ。交流を閉ざすつもりは無い。
特筆すべきは、この男の持つ妖力量が何故か一般人程度の微弱な物だという点。
「それで、ここは…」
『俺の家だ。傷はどうだ。』
「おかげさまで大分良くなりました。」
『そうか、かなり酷い怪我だったが。』
普通の人間ならば死んでいた出血量だろう。
俺が眠りに付いてからどれだけ時間が経ったのか。
窓から差し込む陽光は、まだ少し眩しいぐらいだが。
『ここの近くに巨大な川がある。
流れと逆向きに歩けば人間の街に着くはずだ。』
「! パームネマ川ですか?」
『…あぁ。』
食い付くように反応した俺に、男は少したじろいだ。
実際、パームネマ川付近という情報を得れたのは大きい。
メーセナリアとユルドースを隔てるように流れる大河だ。
人間の街というのはそのどちらかを指しているのだろう。
つまり、此処は俺が倒れた場所からはそう離れていない。
『容態が良くなったら勝手に出ていけ。』
彼はぶっきらぼうにそう言い、踵を返そうとした。
「――少し聞きたいことがあります。」
だから、そんな彼を引き止める。
『なんだ。』
「『光』を操る狐に、心当たりはありますか。」
『あぁ、ある。…まさかアイツにやられたのか。』
「えぇ、白みがかった毛を持つ狐型の化物に。」
『…………。』
鬼人である彼は、しばらくその場で黙りこくった。
何を考えているのか、表情から読み取ることは出来ない。
緊張感を孕んだ長い沈黙の後、彼は再び口を開く。
『…俺から話しておく。次から襲われる事は無いだろう。』
「いえ、そうじゃないんです。」
『なら、なんだ。』
「その狐について、情報が欲しくて。」
『……何の為にだ。』
眉を顰めた男は、怪訝そうに訊いて来た。
その瞳をしっかり見据え、淀むこと無く告げてみせる。
「――倒す為に。」
彼は俺の言葉を聞くと、再び黙り込んでしまった。
その表情はさっきよりも幾らか険しいように見える。
『……復讐ならやめておけ。
お前を襲ったのは、大方ただの勘違いだ。』
「その狐の様子に、少し違和感があったんです。
それに、何故か曖昧な懐かしさを感じられた。」
『なら、討伐の必要性は無いだろう。』
「まずは対等な立場を築く所からです。
現状、俺の一敗なので。まずは一勝が欲しくて。」
『……呆れる話だ…。』
鬼人は一度大きく息を吐いた。
彼にすれば、俺が酷く愚かに視えたのだろう。
理屈を捏ねても、結局敗北が悔しかっただけなのだから。
命知らずな負けず嫌いに現実を教えるつもりだったのか…
――刹那、彼の体から妖力が溢れ出た。
触れれば裂かれるような、鋭い妖力だ。
先程までの微弱な反応とは比べ物にならない。
それこそ龍人に軽く匹敵してしまう程の。
地の精霊に手が届きそうな程の圧倒的な妖力量。
『…よく聞け、人間。』
空気が震えるまでの殺気が俺の身に浴びせられる。
心臓の活動が停止し兼ねない重圧が全身を包んでいる。
これが、大陸をも断ち切ると云われる幻妖の本来の力か。
『一つ、俺に関わるな。
見たら分かるだろう、相手は化物だ。
軽い気持ちで話しかける存在では無い。』
『二つ、精霊に関わるな。
地の精霊を降したことは知っている。
だが、他の精霊をヤツと同列に見るな。
決して、手が届く存在などとは思わないことだ。』
『三つ、自惚れるな。
お前はまだ未熟すぎる。発展途上もいい所だ。
強くなりたいのならば、もっと時間を掛けろ。』
『最後に、命令だ。――早くここから立ち去れ。』
鬼人は重々しい動作で刀を引き抜いた。
その刀におぞましいほどの妖力が注ぎ込まれていく。
妖しげな緑色の粒子が部屋を照らし始めた。
妖力が光るのは、活性化している証拠だとされる。
輝きが強ければ強いほど、大量の妖力がより活動的になっているということだ。
ならば、現在の状況はどうだ。
星の末端で、夜空に表れる幻想的な発光現象のように。
俺の瞳を惹き付けて離さない、眩い翠緑の輝き。
それが顕現した理由は、この幻妖の『風』が尋常でないレベルで優れてるから。
――素直に、凄いと思ってしまった。
この男が妖術を放てば、俺は恐らく死ぬ。
超人的な再生能力など関係無く、即死するだろう。
数秒後に俺の意識は途絶えているかもしれないのだ。
そんな崖っぷちの状況で、俺は感動を覚えていた。
この鬼人が立っているのは、正に未知の領域だ。
…知りたい。どうすればそこに辿り着けるのか。
二度続けての格上との遭遇。
彼らは俺よりも数歩先の世界を歩んでいる。
心の底から、化物としての欲望が溢れるのを感じた。
追いつきたい、横に並びたい。その境地に行きたい。
「…………っ……。」
ベッドに立てかけられた片手剣を掴む。
柄では無く、その鋭く砥がれた刀身をだ。
そんなことをすれば手の肉が裂けるのは当然で。
血がぼたぼたと地面に零れるが、…それで良かった。
『……何をしている。』
「今の忠告と警告は、人間に対するものですよね。」
血で濡れた右手を勢い良く振って血液を払い落とし…
露わになった傷口を、挑戦的に鬼人へと見せつける。
「――なら、俺には関係ない。』
『………、……奇妙な奴だ…。』
既に手の平の傷は塞がっていた。
普通の人間ならばありえない速度で。
それを見た鬼人は察したように、妖力を鎮めた。
『……何が目的だ。』
「ソレです。」
『…………?』
鬼人は困惑しているようだ。
表情に殆ど差異は見られないが、何となく分かった。
話を聞いてくれそうだと判断し、言葉を紡ぐ。
「どうやって、妖力を抑えてるんですか?」
オミナス、あの狐、そしてこの男。
彼らは本来の妖力を隠して生きている。
間違いなく幻妖に達しているであろう彼らが、
街中を平然と歩いていたとて、俺は気付けないだろう。
つまり、全く気付けぬうちに殺される可能性がある。
根拠はある。今回の敗因がそれだったから。
こちらは感知できずに、相手には居場所が筒抜け。
情報戦で大敗している相手に、勝てる訳が無い。
勝つためには、同じ土俵に上がる必要がある。
だが、その方法を0から模索するには時間が足りない。
もっと手っ取り早く、確実に習得する為には…。
……先駆者に学ぶのが最も早いに決まっている。
『…一朝一夕で会得出来る技術では無い。』
「はい、そこで相談なんですけど…。」
視て、真似て、物にする。
技術の獲得というのはこれが基本だ。
さぁ。游蕩士らしく、化物らしく、貪欲に。
「――弟子にしてもらえませんか?」
俺の放った言葉は、再び沈黙を巻き起こした。
考え始めると黙ってしまうのは彼の癖なのだろう。
ならば、返答を辛抱強く待つのが彼との付き合い方だ。
『…弟子にするのは、問題ない。』
「!」
彼は、しっかり応えてくれるのだから。
たった十数秒の静寂。苦痛でも何も無い。
次に繋がれた言葉は、少し不安な物ではあったが。
『だが、…お前は巻き込まれることになる。
お前を、俺達の戦いに、巻き込むことになる。
訊かせてくれ。その覚悟が、本当に出来てるか?
…俺に関われば、大切な物を失うことになるぞ。』
何を失うかの具体例までは挙げてくれなかった。
家族、友達…。確かに失いたくない物は沢山在る。
けれど、ちょうど数分前。新たに失いたくない物が増えたばかりだ。
「今この機会を逃すことが、一番の損失だと思うので。」
はっきりと言い放つ。
強くなる為に、ここで退いてはいけない。
その手段が多少強引だろうが構わなかった。
守る為には強さが必要だ。
この三ヶ月で、身に染みて分かった。
この男の言う通りだ。俺はまだ未熟すぎる。
こんな場所に突っ立って、満足はしていられない。
『……ガドだ。』
「――!」
『お前の名前は。』
「ヒシです、よろしくお願いします。」
『ガド』は握手も会釈も受け付けなかった。
ただ一言。訓練に行くから俺に付いて来い…と。
冷淡な性格だが、底に沈んだ温もりは微かに感じ取れた。
◇
『お前を下した狐の名前は、リフィ。
数百年不動とされる光の精霊だ。
生半可な覚悟で勝てる相手ではない。
――俺を師匠に持ったのだ、敗北は許さんぞ。』
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