ケツァルコアトル派
「テトラナ様、大変です。王の治安部隊がケツァルコアトル派の神官や貴族達を捕えています。テトラナ様も早くお逃げ下さいませ!」
「モクテスマめ、何を血迷ったか。そんな事をすれば、アステカは滅びるぞ!」
「王は、捕らえた者達を太陽神テスカポリトカの生贄に捧げるつもりですぞ!」
「ばかな、余計に反発を買うだけだ。とにかく今は逃げた方が良さそうだ」
彼は、自分に落ち着けと言い聞かせながら、妻のマリナパネラに向かって言った。
「よし、トラコパン国へ行こう。あそこは、ケツァルコアトル派の有力者が大勢いる。アステカの王も、手出しはできんはず」
「分かりました。それでは、私はモスカーニヤを起こしに行きます」
「分かった。急いでくれ!」
暫くして、マリナパネラが血相を変えて戻って来た。
「あなた、モスカーニヤがいません!」
「何だと、まだ夜明け前だというのに何処に行ったんだ!」
「テトラナ様、私が必ずお嬢様を見つけてトラコバンまで連れて行きます。ですから早く逃げて下さい」
「まあ、あなた、娘を置いて逃げるなんて、どうしましょう」
「う一ん」と、唸ったきり、テトラナは、腕を組んで考えている。
「テトラナ様、考えている余裕は、ありません。さあ、早く!」
その時である、ドアが勢いよく開いた。
3人は、治安部隊が入って来たと思い、フリーズした。
だが、それは娘のモスカーニヤであった。
「お父様、早く逃げましょう。治安部隊がすぐそこまで来ています」
「お前、いったい何をしてたんだ?」
「それは、私達の仲間を逃がしていたのよ。みんな無事だから安心して!」
その時、外で何人かの足音が響いて来た。
「さあ、早く逃げましょう。裏から出て」
モスカーニヤは、両親と一緒に裏戸を聞けて飛び出した。ところが、何を思ったのか両親には気付かれないように、その場から消えた。
「うん、ここは神官テトラナの家だ。さあ、入るぞ」
治安部隊の面々は、鍵の掛かっているドアを無理矢理に押し開けた。
「なんだ、香の匂いがするぞ」
「これは何かの罠か?」
暗闇の中で、人の気配を探った。
「何でもなさそうだ。行くぞ!」
彼等は家の中を物色しはじめた。見た目よりも、かなり広い事に驚いている。
「待て、静かにするんだ。何か聞こえるぞ!」
彼等は耳を済ました。
「何だ、これは笑い声だ」
微かな笑い声のする方向へ向かって歩を進める。
「こっちだ、付いて来い!」リーダーらしき男が言った。
暫く進むが突然声が止んだ。
「くそ、そこにいるんだろ、出て来るんだ!」暗闇に向かって叫んだ。
「そこじゃあないわよ、こっちよ、フフフ」
別の方向から声がする。若い女の声だ。
再び笑い声。
「この屋敷はどうなっているんだ?」
次第に男達に恐怖心が湧いて来る。
「俺達は王の治安部隊だ。怖れるな!」再び、リーダーの声。
「行くぞ、必ず捕まえる!」
「ウフフ、ホホホ!」
声の後を追う。
通路の行き止まりにドアがある。
「ふん、漸く追い詰めたぞ!」
男達がドアを開ける。
そこには、ボーっと鈍く光っている巨人が立っている。
「お、お前はテトラナか?」
男達は、突然現われた光る巨人の前に、萎縮している。あるいは、何かの罠が仕掛けてあるのではと、容易にには動けない。
「おい、こいつはケツァルコアトルの石像だ。後ろを調べるんだ」、リーダーが勇気をふりしぼって言った。
しかし、部下達も、怖れて容易に動けない。
「しかたがない、俺が行こう!」
リーダーは、慎重に石像の背後を窺った。何者かの気配を感じた。
「もう逃げられんぞ、早く出て来い!」
だが、誰も出て来ないし、返事も無い。
リーダーが、不信に思い、ついに背後に回った。
「うん、こりゃあなんだ?」
石像の背後に、ビッシリ白く光る蝶がついていたのだ。
石像が光って見えたのは、この蝶のせいなのである。
「くそ、騙されたか、出るぞ!」
一人がドアに向かって走る。
「ド、ドアが開きません。閉じ込められました」
その時、石像の後にいた蝶が舞い始める。
淡い光を発しながら、ヒラヒラと舞う。
最初は、神秘的な美しさに見とれていたが、それが際限無く続き、部屋中に一杯になっていく。
「まずいぞ、ドアを蹴破るんだ!」
彼等は必死にドアを開けようとするが、開かない。
そうしている間にも、どんどん蝶が増えていく。
やがて、彼等は次第に呼吸が苦しくなって来る。
ついに意識が朦朧となり、気絶する。
数時間が経過した。
リーダーが、息を吹き返す。
耳に小鳥の囀りの声が聞こえてくる。
頬に感ずる微風。
薄目を開けると、太陽の光を感じた。
漸く上半身を起こし、辺りを見回す。
部屋の中ではない。
野原の真ん中で倒れていたのだ。
自分の部下達が、そこここで倒れているのが見える。
「くそ、妖術を使ったのか?」
彼が衣服に付いた埃を払いながら立ち上がると、そこに古びた石像があった。
何処から見ても、ケツァルコアトルの像には見えない。
その像は、苔があり、ところどころ欠けている。
「なんて事だ。全員取り逃がしてしまった」
太陽の光を感じながら、目の前が真っ暗になった。
「モスカーニヤは、どうした?」
「テトラナ様、あの方は大丈夫ですよ!」
「お前に何が分かるか?」
「あの方には、ケツァルコアトルの御加護があります。そのお陰で未来が見えるようです。事前に王の動きを知り、皆を非難させたのは、彼女ですから」
「未来が見えるだと、なぜ知っている?」
「私は、モスカーニャ様とは小さい傾からの遊び仲間ですから」
「何故私に話さなかったのか?」
「彼女は自分の能カを怖がっていましたから。しかし、この度は、大勢の人の命がかかわっていましたから、そんな事は言えなかったんでしょう。恐らく彼女はそのカを使って治安部隊を足止めしているんでしょう。だから大丈夫ですよ!」
「う一ん」テトラナは、その話を聞いて、腕を組んで考え込んだ。
妻のマリナパネラもまた、心配そうにテトラナの顔を覗き見る。
「今更どうする事もできん。今は先を急ごう!」
テトラナは心配する妻の手を取り、再び歩き出した。
テトラナは、歩きながら考える。
『そう言えばモスカーニヤには、昔から不思議な所があった。真夜中に娘の部屋で話し声がしていた事があり、不思議に思って部屋を開けて見ると、モスカーニヤ以外誰もいなかった事が何度もあった。あれは、神様と会話でもしていたのだろうか?』
漸く、テトラナ一行はトラコバンへ入る。すると、知人のサナテクトが、従者を引き連れて歩いて来るのが見えた。
サナテクトが、テトラナを見付けたのか、手を振っている。
「オーイ、待っていたぞ!」と、サナテクトが、叫ぶ。
「やあ、サナテクト、待っていたのか? 私達が行く事が何故分かった」
漸く両者は近付いて、抱擁する。
「なんだって、君の娘のモスカーニヤだよ。モスカーニヤが知らせてくれた。決まってるだろ!」
「そうなのか、で、いつ私達が逃げて来る事を聞かされたんだね?」
「ああ、昨日の事だよ!」
「うーん、モスカーニヤは、こうなる事を昨日から知っていたというのか!」
「まあ、あの娘ったら!」マリナパネラも驚いた。
「なるほど分かった。昨日聞いていれば私は頭から否定していただろうからなあ!」
「ええ、あの娘は、神様から選ばれたのね、きっと」
数時間後、サナテクトの家で今後の事を話し合った。
「私は、ケツァルコアトル派の神官ではあるが、占星術もやる。それによれば、今後10年以内にアステカ帝国は存亡の危機に遭遇すると出ている。モクテスマ二世のケツァルコアトル派の弾圧は、その徴候の一つだろう」とテトラナ。
「それだけじゃあない。太陽神への生贄を求めて勢力拡大しようとする遣り方は、諸国民の反発を買っている」
「そうだ、あれはいかん。国内でも反発する者が増えている。ケツァルコアトル派が政権を握らなければならんだろう」
話が盛り上がって来たところで、ドアをノックする者がいる。
「誰だね?」
「モスカーニヤです」凛とした声が戻って来た。
「おおー、無事だったか」と、テトラナ。
「早く入って姿を見せておくれ!」、マリナパネラは、娘の声を聞いて、見違えるように快活な表情を見せながら言った。
ドアを開けて入って来た娘に、テトラナも、マリナパネラも駆け寄り、お互いの無事を喜び合った。ほんの数時間の別れであったが、彼等には永遠のように感じたのだろう。
暫くして落ちついてから、モスカーニヤが静かに話し出した。
「お父様、お母様、それにサナテクト叔父様も聞いて下さい。私は、ケツァルコアトル様から夢でお告げを聞きました。それによると、ケツァルコアトル様は、ーの葦の年に必ず復活する。そして、その時には、生贄を好む神を信ずる者達には不幸が訪ずれるであろう、と」
「うん、やはりそうか」
「それだけではありません。海から巨大な敵が現われるとも言っています」
「なんだって、その巨大な敵とは?」
「それは、私達とは異質の文明圏からの者で、強力な武器を持っています。このままでは、勝ち目は無いそうです」
「何だと、滅びるしかないと言うのか?」
「アステカが減びない為には、2つの条件が必要だそうです」
「ほほう、その2つの条件とは?」テトラナは、娘に鋭い視線を向けた。
「はい、一つはケツァルコアトル派が政権を握る事です」
「ふん、それは当然の事だな。それは、私達に考えがある。それでもう一つの条件は?」
「ある男を探して、アステカへ連れて来いと!」
「ある男だと、何処にいる?」
「アステカにはいません。海を越えて行けと。そして、その男は剣技に優れ、黄金の生き物と共に現われると」
「それでは、雲を掴むような話ではないか?」
「お父様、それは大丈夫です。ケツァルコアトル様は、選ばれし者には、必要な時に、必要な助言を与えると言っています」
「お前は、本当に行くつもりなのか?」
「選ばれし者は、私しかいませんから。私がやらなければ、アステカが滅びるというのですから!」
「うーん……」
「あなた」マリナパネラも、混乱して、どのように判断して良いか迷っている。
「ちょっといいかな」、今まで黙って聞いていたサナテクトが口を開いた。
「親としては、可愛い娘をどんな危険が待っているか分からんような所へ送り出すのは、抵抗があるだろう。だがな客観的に見て、あなたの娘さんは、どんな人間よりも賢いし、度胸もある。それは今度の働きで証明された」
「親が思っている以上に成長していると言いたいのかな?」
「ああそうだが、何よりも君はケツァルコアトル派の神官だ。そして娘さんは、行くと決意を固めているようだ。ここで行かなかったらー生の間、悔やみ続けなければならんだろう」
「うん、お前の言う事は分かった……」
テトラナは、そう言いながらも、重苦しい表情をしたままだった。理屈では分かるが、苦しい決断だ。
そうしている内に、モスカーニヤの様子がおかしくなった。
椅子に座っていながらも、体が前後左右に揺れている。
「モスカーニヤ、どうしたの?」、異変に気付いたマリナパネラが、呼び掛ける。
だが、モスカーニヤには声が届いていない。
突然、モスカーニヤが、立ち上がる。
体全体から、光を発している。
やがて、そのモスカーニヤが、口を開いた。
「私はケツァルコアトルである」
その声は、モスカーニヤの声ではない。威厳のある男の声だ。
―同、唖然として、その発光体を見つめる。
「テトラナよ、お前の娘の助けが欲しい。信じろ、私の力を信じるんだ!」
テトラナは、その眩しいばかりの光と、その威厳の前に決断せざるを得なかった。
「窓の外を見よ!」
テトラナは、ふらふらと立ち上がり、窓の外を見る。
何と、その空には、今まで見た事もないような巨大な船が浮かんでいる。ガレオン船であるが、彼等は、まだその名を知らない。
「東海岸に、その船が現われる。先ずは、その船を探せ」
やがて、その船が消え、テトラナがモスカーニヤの方を振り向く。
モスカーニヤから光が消え、膝から崩れ落ちた。
マリナパネラが駆け寄る。
モスカーニヤの顔には、笑みが浮かんでいた。
テトラナは、可愛い娘を送り出した昔の出来事を懐かしく思い出していた。
「早いものだな、モスカーニヤを送り出してから15年になるなあ」
テトラナは、マリナパネラが差し出した器を手に取り、ーロ飲んだ。
「そうね、もう少しの辛抱ね」
テトラナは、窓の外から聞こえる民衆の歓喜の声に目を細めた。
この歓喜の声は、ケツァルコアトル派の王、アウテモックが即位したためだ。




