騙し打ち
その後、菊王丸はマゼランの側近として活躍した。
当時ポルトガルは、インド洋の覇権をめぐってイスラム勢力と争っていた。
1508年、インド西部にあるディウ島沖でイスラム勢力の200隻の大艦隊を発見した。
対するポルトガルは、19隻の艦隊である。明らかに劣勢であるにもかかわらず、果敢にも功撃を仕掛けていった。
当時ポルトガルの軍艦は小回がきき、大砲による火力も強力であり、数において劣勢ではあっても互角に戦い勝利に導く事が出来た。
しかし、危ない場面も幾つもあった。
イスラム教を奉じる彼等は、叩かれても叩かれても前に進んで来る。
大砲や小銃で傷つきながらも、ついにマゼランのいる船に乗り込んで来た事があった。死を覚悟しての彼等の奮戦ぶりには凄まじいものがある。
マゼランも剣を持って戦わざるを得ない状況に陥った。
その時、菊王丸は鬼神の如く戦い、マゼランは負傷したものの何とか守りきった。
ただマゼランの負った傷は以外に深く、五ヶ月間の入院を余儀なくされた。
更に1509年には、ポルトガル遠征隊はマラッカへ行き、マラッカ王に交易と商館の建設の許可を得た。
その為、ポルトガル人の多くがマラッカに上陸し歓待を受けた。その夜は酒を飲み、歌い、踊った。
モスカーニャは、危ないと言って止めたのだが、マゼランは、この時ばかりはその忠告を受け入れなかったのである。
そこでモスカーニャは菊王丸を呼び、警戒を怠るな、マゼランの命を守れという指示を受けていた。
この時には、菊王丸もモスカーニャの不思議な力を信じるようになっていた。
皆が騒いでいる中で、一人菊王丸だけは冷静だった。
マゼランも、陽気に振るまっている。
暫くすると、酔いつぶれる者も出てきた。
菊王丸に、絡んでくる者も出てきたので、外の空気を吸おうと建物から出る。
夜空を見上げながら深呼吸する。
『モスカーニャよ、何も起こらんじゃあないか!』、そう思いながら再び建物の中へ入ろうとする。
だがその時、風に乗って、遠くの方から大勢の声が聞こえたような気がした。
その為、念のため地面に耳をつけて確認してみる事にした。
菊王丸の顔色が変わる。
この建物の周囲から、おびただしい数の足音と武器の音を確認したのだ。
『くそっ、包囲されるぞ』
菊王丸は、急いで建物の中へ入りマゼランに危険を知らせた。
陽気にしていたマゼランの顔が、戦闘モードに変わる。決断すれば彼の行動は素早い。
そこにいた者達に大声で号令を発し、建物の外へ飛び出る。
「こっちに行こう。こちらの方が幾分手薄になっている」菊王丸が叫ぶ。
「そうか、お前が先頭を走れ!」
「任してくれ!」
暫く走ると、多くの人影が見えてきた。松明を持っている者も大勢いる。
向こうも、こちらを認識したのだろう無数の矢が飛んできた。
「マゼラン、俺の後にいてくれ。矢を防いでやる」
菊王丸は、刀を抜くや飛んでくる矢を切り伏せていく。
だが周りを見ると、多くの仲間が矢の餌食となり、傷つき倒れる者も多い。
やがて矢の功撃が止むと、剣を振り上げながら突進してきた。
「中央突破するぞ!」マゼランも剣を抜き放って言った。
菊王丸達は、混戦になりながらも、前へ前へと突き進む。
敵は、倒しても倒しても後から後から湧いてくる。
菊王丸も、体力が続くかどうか心配になってくる。
それでも力の限り戦い、マゼランを守っていく。
味方もまた散り散りになっていく。
菊王丸も、ここが死に場所と覚悟した。次第に息も荒くなってくる。
菊王丸も、マゼランもついに足が止まった。
彼等の周りを敵が囲む。
「どうするマゼラン、降参するか、最後まで戦うか?」
「俺は降参などしない。名誉の戦死を選ぶ」
「分かった、最後まで付き合うぜ!」
二人は、最後の力を振り絞り、突進する。
その時である、多数の鉄砲の発砲音が響き、続いてポルトガル兵の突撃ラッパの音が轟いた。
「援軍が来たぞ!」マゼランが叫ぶ。
二人を囲んだ敵兵は、浮き足立ち、退却を始める。
「へへ、やったなマゼラン。助かったぜ」
「はっはっは、命運は尽きていなかったな」
散り散りになっていた仲間も手傷を負いながらも二人の周りに、集まって来る。
みんな酷い姿をしていたが、一様に安堵した顔をしている。
「さあ、船に戻るぞ!」
彼等は、疲れた体を引き摺りながら、海へ向かう。
だが、不思議な事に援軍に出会う事も、すれ違う事もない。
霧が出て来ている。
「おかしい、援軍は何処にいる。気配も感ずる事もない」マゼランの顔に疑問の表情が浮かんで来る。
「静かに、誰かいるぞ!」菊王丸が、注意を促す。
「敵か?」皆に緊張が走る。
「いや違うだろう、一人の気配しか感じないからな」菊王丸が言う。
「だが油断するな」
菊王丸が霧を透かして見る。
「いるぞ、あそこに誰かいる」
その者は、静々とこちらに向かって歩いて来る。
まるで雲の上を、滑っているかのように。
「お、お前は誰だ!」誰かが叫ぶ。
暫くの静寂が続く。
「ふふふ」女の笑い声が聞こえてくる。
「そ、そこで止まれ」怯えた兵士が叫ぶ。
「ふふふ、何を怖れているのですか? マゼラン様」不思議な抑揚を持った女の声だ。
マゼランの顔に笑みが浮かぶ。
「なんだ、モスカーニャだな」
「マゼラン様、お迎に参りました」
「援軍は何処に行ったんだ?」
「援軍ですって、そんなものはいません」
「なんだと、確かに鉄砲の発報音と我が軍の突撃ラッパを聞いた」
「ふふふ」女は笑うだけだ。
「なにがおかしい。……まっまさか、あれはお前がやったのか?」
「ふふふ、マゼラン様が私の忠告を聞かないものですから、仕方ありませんわ」
「なっなんと、あれはお前の幻術なんだな」
「ふふふ」女は笑うだけでまともに答えない。
「お前という奴は……」そう言いながらマゼランも笑った。
「ふふ、とにかく助かったよモスカーニャ!」
この戦いでポルトガルは、60人前後が戦死し、24人が捕虜となっている。
マゼラン達の素早い行動がなければ、被害はもっと大きくなっていただろう。
この功績が認められ、遂に正式に船長の位を与えられたのである。
2年後ポルトガルは、再び16隻の艦隊を投入し、マラッカを陥落させている。




