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マゼランと、秘書モスカーニャ

 翌朝、菊王丸が再び散歩に出ようとしている所へ、マリがやって来た。

 「あら、出かける所なの? 随分と元気になったわね」

 「あたりめえだ。いつまでも寝ていたらコケが生えちまわあ」

 「相変わらず威勢がいいわね。聞いたわよ、サルクイワシのこと。一刀両断しちゃったんだって、本当凄いわ!」

 「なんだもう知ってるのか? 自慢にもならねえがな」

 「そんな事言って。まあ、それはこっちに置いといて、今日はポルトガルの偉い人に会ってもらいたいのよ」

 「おうそうか、待っていたぜ。ところでその偉い人ってのは、マゼランの事だろう!」

 「えっよく知ってるわね。最近マゼランさんはその実力が認められて船長代理を務めているそうよ」

 「ああ、昨日清十郎から聞いた。それにあの船は、すげえもんだ」

 「そうそう、今日はその船で会ってもらうのよ」

 「おう、そりゃあいいね」菊王丸は、子供のように喜んでいる。

 「そうね、だから新しい着物を持って来たのよ。男映えするわよ」

 「おう、そんなものを持ってきてくれたのか。有難く頂くぜ」

 「それに、これもあなたにやるわ」

 「おっ、その刀はどうしたんだ。俺が貰っていいのか?」

 「その刀はね、龍慶さんのものなのよ」

 「なんだって、これが龍慶の爺さんの物だって!」

 「そうよ、これは、龍慶さんが、昔また直ぐ戻って来るからって言って、私のお爺さんが預っていた物よ。龍慶さんが亡くなった今、これを持つに相応しいのは貴方だわ」

 菊王丸は、その刀を抜き中空にかざして見る。

 その刀から、何となく龍慶の気迫を感じた。そして、菊王丸に対し、"存分に生きよ”と言っているようにも思った。

 「分かった。俺が貰い受けようぞ」

 菊王丸は、ニヤリと笑い、刀を鞘に収める。

 暫くして、マリが持って来た衣装を身に付けて現われた。

 それを見て、マリはにっこりとする。

 「まあ、ほれぼれするわ」

 「へへ、そうかい」菊王丸も、照れくさそうに笑う。

 中味はともかくキリっとした若待姿となった。

 「いいわよ、これでマゼランとも、堂々と会えるわね」

 こうして、二人は連れだってマゼランの待つガレオン船に向かって歩いて行った。

 その途中、黄色の花を咲かせた数本の木を見つけた。

 「おい、あの花の名は何か分かるか?」

 「ええ、もちろん知ってるわ。モクセンナと言うのよ。花に興味があるなんて、以外だわ」

 「いーや、そうじゃあねえ。この刀の切れ味を試して見たいのさ」

 以外な返答に「えっ」と言った時には、空を斬る音と、一瞬キラリと光る眩しさを感じていた。

 菊王丸の方を見ると、既に刀を鞘に収めて平然としている。

 「菊王丸さん、な、なにをしたの?」

 「あれを見ろ!」

 見ると、花を2輪つけた小枝がふわふわと落ちてきて、菊王丸の手の中に収まった。

 「いい斬れ味だ。花も斬られた事さえ知らんだろう」そう言いなが、それをマリに渡す。

 「まあ、凄い」と言ったきり、次の言葉が出ない。

 「おい、いつまで見てるんだ。日が暮れちまうぞ!」

 「えっええ」マリは少し戸惑いながら、モクセンナを自分の髪に刺す。

 「おう、良く似合ってるぜ!」

 という菊王丸の声に少し顔を赤らめる。

 「そう、さあ行きましょう」

 自分の心の動揺を隠すように、わざと素っ気なく言う。

 暫く歩いた。

 そして、漸く入江に浮かぶ巨大な船が見える所までやって来た。

 「おう、やはりでかい」

 この船が、遠く大海原を渡って来たかと思うと心が沸き立った。その一方で、日本の船はかなわんなあ、とも思っていた。


 近くまで来て、船を珍しそうに見ていると、船のデッキから声がして来る。

 「ヘイ、マリ!」

 大柄な男たちが数人、船の上から手を振っている。

 上半身裸の男もいる。その胸には立派な胸毛が生えている。そして、髪の毛は、金髪だ。

 菊王丸は、その姿を見て、アジアの人間とは、まるで違う事に驚いた。

 しかし、笑いながら、手を振っている男達を見て、その緊張も和らいだ。

 『案外、陽気な奴らのようだ』菊王丸は彼等に対し、組みし安しと思った。

 「マリ! 早く上がって来いよ!」

 マリの知り合いなのだろう、気軽に声を掛けてきた。

 「あら、ミゲルじゃないの、すぐ行くからね!」マリも笑ってポルトガル語で答える。

 菊王丸は、言葉が分からないので、苦笑するしかない。

 「さあ、菊王丸さん、行きましょう!」

 マリが、菊王丸の心を察して、優しい笑顔を向ける。

 「よし、行くぞ!」マリの気持など分かる筈もない菊王丸は、仏頂面で言った。

 2人は、タラップを上がって行く。

 菊王丸は、表面的には、面白く無さをうに見えるが、内心はこの船のあらゆる物に興味を持っており、目だけは、生き生きとしている。

 タラップを登りきると、そこに2メートル程もありそうな巨人が笑っている。

 「あら、ミゲルお久し振りね」

 「ああ、君も元気そうで何よりだ」

 そう言いながら、ミゲルとマリは握手をしている。

 菊王丸は、その仕草を不思議そうに見ている。

 「フフ、これが彼らの挨拶の仕方なのよ」

 「そ、そうなのか」

 ミゲルは、今度は菊王丸を見ながら右手を差し伸べている。

 「さあ、菊王丸さんも右手を出すのよ」

 マリから言われて、菊王丸も、ぎこちなさそうに手を差し出した。

 「おう、君が菊王丸だね」ミゲルが、たどたどしい日本語で喋った。

 「そうだ、俺が菊王丸だ」身長では負けているが、気迫では負けていない。

 「マゼランが待っている、彼の部屋まで案内しよう」

 「そうミゲル、頼んだわよ」

 「おう、任せて下さい」と、おどけたように、日本語で答える。

 3人が、歩いて行くとデッキをブラシで掃除している者や、マストの上から下を覗いている者、数人がデッキに座って、賭け事をしている者などがいる。

 だが、菊王丸が、近くを通ると、やはり気になるのだろう、手を休めて、ニヤニヤして見つめる。

 そんな中で、菊王丸が気になった物がある。

 「おい、あれは何か分かるか?」

 「えっ、あの黒い筒のような物?」

 「そうだ幾つもあるぞ!」

 「あれはねえ、確か大砲という物だと思うわ。ちょっとミゲルに聞いてみるわ」

 「そうだ、カルバリン砲と言って、18ポンド程の鉄の球を飛ばす。射程は、500m程もあるだろう」

 『なーるほど、こんな武器を持っているのか。大した奴らだぜ。これを日本に持ち帰りゃ、天下を取れるぞ』

 菊王丸は、考えれば考えるほど、ガレオン船が欲しくなってきた

 「さあ、マリ、着いたぞ船長室に。じゃ俺は失礼するよ。また後で会おう」

 「ミゲル、ありがとう。菊王丸様、入るわよ」マリは、そう言いながら、ドアをノックする。

 「誰だ!」ドアの向こうから声がする。自信に満ちた声だ。

 「マリです。菊王丸様と一緒です」

 「おう良く来てくれた。入ってくれ」

 ドアを開けて入って行くと、テーブルに海図を広げている男が座っている。顎髭を生やし、やや鉤鼻で額の広い男だ。

 壁には、ふくよかな女性が赤ん坊を抱いている絵が飾ってある。

 実際にそこに生きている人がいるかのように描かれているので、菊王丸は、思わず見入ってしまった。

 「はっはっは、その絵が気に入ったかね、菊王丸」

 マリが通訳する。

 「なに、そんなこたあねえ。この絵はなんだ、マゼランの奥さんか?」

 以下、通訳を介しての会話とする。

 「その絵はマリア様とイエス様だ。わしは、クリスチャンだからな」

 「イエス様は、神の子で、マリア様はその子を生んだ聖母様よ。キリスト教の信仰の対象って事よ」

 マリが菊王丸にも分かるように説明してくれた。

 「ほうそうか、我々の八幡大菩薩のようなものか」

 「う、うーん、まっそんなものね」マリが小首を傾げながら言う。

 「ところで菊王丸、これが何だか分かるか?」

 マゼランは、引き出しからキラキラ光る物を取り出し、テーブルの上に置いた。

 それは長さ10センチ程の平たい物でやや湾曲し、色は黄金色をしている。

 菊王丸は、テーブルの上の物を眉間に皺を寄せて見てみる。更に手に取って見ると、ずっしりと重い。

 暫く見ていて、ハっとした。

 『これは鱗だ。あの時俺が見た黄金の龍のーーーー? あれは夢では無かったのか?』

 「ほほう、やはり知っているようだな」

 マゼランは、菊王丸の微妙な表情の変化を見逃さなかった。

 「お前が浜に打ち上げられていた時、その周辺に3枚落ちていた」

 「なに、やはりあの龍が俺を助けてくれたのか?」

 「菊王丸、今、龍と言ったな」

 「こんな話を信じないかもしれんが、確かに俺は海の中で黄金の龍を見た」

 「ほほう、黄金の龍。そりゃあ面白い」

 マゼランは、顎髭をさすりながら、ニヤリとする。

 その時、マゼランとは別に部屋の隅に静かに座っている女性がいた。東洋風の女性のような顔立ちをしている。その女の目がギラリと光ったように感じた。

 その女は、なぜか、そこにいないかのように気配を消していたが、今は神秘的な雰囲気を強裂に漂わせている。

 「ふふ、菊王丸、その女性が気になるようだな。その娘はわしの秘書じゃ。挨拶をしてくれるかな」

 「モスカーニャと言います」その女は静かな口調で語り、静かにお辞儀をした。しかも、驚いた事に綺麗な日本語である。

 「あんた、日本人なのか?」

 「いいえ、そうではありません」

 「じゃあ中国人か?」

 モスカーニャは神秘的な笑みを浮かべながら首を横に振った。

 「はっはっは、モスカーニャは語学の才能があって、何処の国の言葉であろうと、直ぐに覚えてしまうからな。それに、この娘は、アジアの人間ではない。もっと遥かに遠い国の者だ」

 「マゼラン様、この菊王丸様を3年間だけ貴方の側近として置いて下さい。貴方を敵の刃から救う事になるでしょう」と、モスカーニャは以外な提案をした。

 「なに、菊王丸をわしの側近にしろだと! わしの側近になる者は、武芸に秀でなければならんぞ」

 「それは心配ございません。剣の腕は確かでございます」

 二人の会話をマリが通訳して菊王丸に伝えた。

 すると、菊王丸は烈火の如く吠えた。

 「おいおい、勝手に俺を側近にするとは何事だ。そんなこたあ頼んじゃあいねえ!」

 「菊王丸様、これは貴方にとっても好都合な話しでございますよ。貴方は、この船の事を良く知りたいはず。出来れば、この船で世界を見聞したいと、そう思っているのではありませんか?」

 『この女、人の心を読めるのか!』菊王丸はモスカーニャを睨みつけながら額から汗が吹き出る。図星だ。

 「この船の構造、航海法について学べますよ。いいですね、マゼラン様」

 「ふっふっふ、面白い。だがな剣のテストに合格したらの話しだ。さあどうする菊王丸?」

 「菊王丸さん、どうするの?」マリもまた以外な展開に戸惑っていた。

 菊王丸は菊王丸で、頭の中で目まぐるしくあれこれ考えている。簡単に結論が出るような事ではない。

 「菊王丸よ、断っても良いのだぞ」マゼランが菊王丸の表情を見ながら面白そうに言う。

 その時、菊王丸の頭の中で声が響く。

 『やって見ろ!』それは龍慶の声だ。得体の知れぬモスカーニャの言葉を信用する気は無かったが、龍慶の声で決意を固めた。

 「ようし、やってやろうじゃあないか」

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