嵐との遭遇
こうして、中国人との楽しい一時を過ごした彼らは、新鮮な水をいっぱい貰い船に積み込んだ。
更に驚いた事には、多勢の中国人たちが見送ってくれたのだ。あれ程に、倭寇憎しで日本を恨んでいたのに、胸襟を開けばこの通り親しくなれるのだ。
再び海の旅へ戻る。
晴れて、それなりの風があれば最高だ。だが、そんな日ばかりではない。風が止んでいる時は、海の上に漂うだけで、全く進まない。
そんな時は釣りをしたり、囲碁、将棋などをして、暇な時間をやり過ごす。
中には、刀を振り上げて剣術の訓練をする者もある。悪堂とはいえ、彼等も武士なのである。
血気盛んな若者であるだけに、船という狭い空間に長くいるという事は、かなりのストレスになる。
そんな分けで些細な事でも殴り合いの喧嘩になる事もある。だが、余程の事が無い限りは、みんなそのままやらせたいようにさせていた。
そんな毎日が続いていたがある日の事、次第に雲行きが怪しくなってきたのである。
雨が降り出し、風も強くなってくる。
「帆を降ろせー!」
突然ライオンが吠えたような声が響く。
船室にいたはずの龍慶が、いつの間にか舳先に立って、皆に、適格な指示を与えている。
暫くすると、風は益々強くなり、雨も横なぐりに降ってくる。
つい先程までは、青空が見えていたのだ。それが今では真っ暗な雲で覆われている。
船は、海にもてあそばれた。
風に煽られ、大きな波が襲ってくる。
船は、ギシギシと軋み、今にも粉々に砕け散りそうである。
さしもの悪堂たちも、この嵐の中では平常心を保てない。
強い風と大きな波で、揺らされる度に投げ落とされないように、必死で何かを掴んでいる。
何度も何度も大きな波に洗われ全身ずぶぬれになっている。
ブルブル震えながら神仏に祈る者もいる。
激しい稲光も、大きな音を伴って襲ってくる。
暗闇の中で、時々光る明かりの中で浮かび上がる顔はどれも必死の形相をしている。
再び大きな波が襲って来た時、「うわー!」と言う男の叫び声が聞こえた。
激しい波が、男をさらっていったようだ。
「おーい、誰かが落ちたぞー!」
「くそー、これじゃあ、どうにもならんぞ」
次の瞬間には、再び鋭い光と、“ゴロゴロゴロ"という音が鳴り、マストがへし折れた。
マストに雷が落ちたようだ。
マストの真下付近にいた男二人が倒れて動かなくなった。
「大丈夫かー!」と、菊王丸が駆け寄るが、二人は虫の息だった。
そこへ再び大きな波が襲い、その二人をさらって行く。
菊王丸も、すんでの所で海に吸い込まれそうになるが、何とか踏ん張った。
「龍慶さーん!、龍慶の爺さんは何処だー!」
菊王丸は、強風の吹きまくる嵐の中を這いながら龍慶を探した。
雨粒が痛い程に顔に当たる。しかも船は大きく揺れ、その上暗闇である。
さすがの菊王丸も、悪い方へ悪い方へと考えがめぐる。
『まさか、龍慶の爺さんもやられちまったんじゃあねえんだろうなあ』
悪友どもの悲鳴や、叫びが、あっちこっちから聞こえて来る中で、そんな思いが脳裏をかすめたが、直ぐに否定した。
『あの爺さんに限ってそんな事はあるめー』
そう思い直して、歯をくいしばりながら進んで行く。
再び雷鳴が、轟く。
その時、菊王丸は見た。
菊王丸が生まれてこの方、見た事も無いような恐ろしい形相を!
その姿を見て、ハッと息を飲んだ。
『こりゃあ鬼神か化物か?』
その化物が口を開く。
「菊王丸よ、狼狽えるな」
その声は紛れもなく龍慶である。
「おお、龍慶の爺さんなのか?」
「おうさ、菊王丸か?」
「ちっ爺さん、俺たちは、もうダメか?」
「わしに聞くな、天に聞け!」
「ってこたあ、運任せって事だな!」
「死ぬのは怖いか?」
「怖かあねえが、生きていればもうちっとやりてえ事があった」
「そうか、やりたい事があるか」
「そうだ、悪いか?」
「悪い事は無い。天が役立つと思えば生かしてくれるだろう」
「ふん、爺さんは、ええのう。やりたい放題やってきたからのう」
「人生とは、不公平なもんじゃ」
「ちっと、早く死ぬか、遅く死ぬかの事じゃろう」
「潔よいのう」
そう言いながら、龍慶は嵐の中で、豪快に笑った。
ひとしきり笑ってから、菊王丸に鋭い眼光を浴びせた。
「な、なんだ、爺さん!」
「おぬし、生きて見るか?」
「何だと、生きるも死ぬも運任せだろうが!」
「わしの命をくれてやろう」
「なにを言って….」と、菊王丸が言いかけた時、再び雷鳴が轟く。
その光で、龍慶の顔が浮かび上がった。
その顔を見て、菊玉丸は度肝を抜かれた。
『こ、これは、人間の顔じゃあねえ!』
そう思った瞬間、龍慶は海へ飛び込んだ。
「リゅうけいー!」と、大声で叫ぶが、波と風の音で、かき消えた。
暫くすると、海の水が、渦を巻いてくる。
それに合わせて、船も回転を始める。
次第に、渦の回転が速くなり、船もギシギシと軋みながら海底に引き摺りこまれていく。
やがて海水にもまれながら、その力に耐えきれなくなり、ついに船は、粉々に破壊された。
菊王丸をはじめ、悪堂たちは、渦に飲み込まれていく。
悪堂たちの叫び声も、あっという間に消え去った。
菊王丸も、観念した。
『俺の命運も尽きたな』
強い渦の力で海底に引き込まれながら、意識が混濁していく。
龍慶の顔や悪友の顔が浮かんで来る。それらの顔を見ながら、なぜかニヤリと笑う。
自分でも、もう死んでいるのか、生きているのか分からなくなる。
その時、何か巨大な物が動めく気配を感じた。
巨大な光だ。光が動いている。
菊王丸は、意識が薄れ行く中で思った。
『あ、あれは龍だ。黄金の鱗を持つ龍だ!』




