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松浦党の菊王丸

 源平の昔から水軍として名高い松浦党という海の武装集団がいた。彼等の勢力範囲は、現在の長崎県から佐賀県、福岡県西部、更には壱岐、五島列島にまで及んでいた。

 そして、東アジア諸国との自由な交易と、上下関係の無い、並列的な組織運営は、一人一人の個性を伸ばし、闊達な性格を育んでいた。

 だが、彼等には悲しい歴史もある。

 1274年と1281年の二度に渡ってモーコ襲来があった。所謂、元寇である。

 この戦で松浦党は、奮戦したが、中央政府からの援軍も無く、大軍の前に屈せざるを得なかった。

 多くの人は、殺されたり、あるいは奴隷として連れ去られたりした上に、田畑も荒された。

 こうして、農業生産力は著しく低下し食べていく事さえ難しくなった。

 途方に暮れた彼等は、二度と再び大陸の人間に侵略という気を起こさせないように、復讐を誓い合った。

 これが、世に言う倭寇の生じた原因である。

 彼等は、東アジア沿岸ばかりでなく、東南アジア方面までを活動範囲として暴れまわった。

 しかし、松浦水軍の中には、単に荒し回るばかりではなく、東南アジア地域には、日本人街を作って、その地方に根を張り、現地の人達と交流し、歓迎された者たちも多くいた。

 さてこの倭寇、正確に言えば前期倭寇が下火になってから半世紀以上経った傾、松浦党に菊王丸という人物がいた。

 若い傾から暴れんぼうで、近隣の悪堂と喧嘩をしたり、戦遊びをして.大勢の怪我人を出した事もある。

 だがこの男は、松浦党の長老、龍慶に対しては一目置いていた。

 龍慶は若い傾、船団を組んで中国沿岸や東南アジア方面までを暴れまわり、または交易をしたりと自由奔放な生き方をしてきたのである。

 菊王丸にとっては、この龍慶の話を聞くのが大きな楽しみの一つであった。

 龍慶は常々菊王丸に言っていた。

 「おい菊王丸、海の向こうは危険もあるが、それ以上に面白味もある。男たる者、野望を持て。日本は小さい、世界に目を向けるんじゃ」

 これは、そこらにいる男の戯言ではない。

 並みの男が、こんな大口をたたいたら、菊王丸はー笑に伏したであろう。

 だが、この龍慶は違う。老いたりとはいえ、筋肉は末だに盛り上がり、目には人を圧倒する力が宿っている。体には生傷の跡が多く残っていて、幾つもの死線を乗り越えてきた事が窺える。

 ある風の強い日、沖を進んでいた船が風に煽られて転覆した時、この龍慶がいち早く海に飛び込み人を救出した事がある。

 肌寒い日であったが、悠然と泳ぐ姿は龍神を思わせる気迫を発散していた。

 この龍慶もまた、この無鉄砲な菊王丸を気に入っていた。それは若い傾の自分に良く似ていると思ったからだ。


 ある日の昼下がり、龍慶が菊王丸とその悪反たちを呼び集めた。全部で10人はいる。

 「よう来たな!」龍慶は、そう言いながら、一同の顔を一人一人丁寧に見ていく。

 龍慶に見られると、心の奥底まで見られているような気がして、悪堂どもも緊張した面持ちになる。

 だが菊王丸だけは、いつもの事だと平然としている。

 「どうじゃお前ら、勘合船の護衛だけじゃあつまらんだろう」

 龍慶は、みんなの心を揺さぶるような口調で言う。

 「龍慶さんよ、何を言いたいんだ!」と、菊王丸が問う。

 菊王丸は、龍慶を尊敬してはいるが態度には出さない。悪堂たちのリーダーとしての気負いもあるのだろう。

 「実はのう、わしは若い傾に南の果てにあるパラワン島という所へ行った事がある」

 パラワン島は、現在のフィリピンにある一つの島である。

 「わしらは、その島が気に入った。貿易商人として初めて島に上陸した時、わしは故郷に帰ってきたような気がしたもんじゃ」

 龍慶はキセルに、火を付け、気持ち良さそうに吸い、そして吐いた。

 煙が漂う、その様子を見ながら遠い昔を思い出しているようであった。

 そして、再び口を開く。

 「わしらの仲間に、平蔵という者がいた。奴は村の娘と恋に落ちた」

 龍慶を取り囲む悪堂たちの顔が、ニヤつく。

 「その娘の名は、パーラと言った。実はその娘の親は、島の部族の王様じゃったんじゃ」

 「平蔵さん、やるねえ!」と、一人が野次を飛ばした」

 龍慶が、その声のする方へ顔を向けると、別に威嚇している分けでも無いのに、男は目を伏せてしまった。

 そんな男の姿を見ながら龍慶は、何事も無かったかのように話を続けた。

 「そこで王は、王の娘の婿に相応しいかどうか、平藏の力量を試すと言ってきた」

 「おう、それでどうしたんじゃ!」菊王丸が、漸く興味を持ち始めたようだ。

 「菊王丸、相撲じゃよ」

 「おうそうか、それなら俺も得意だ」

 「フフン」龍慶は、鼻で笑った。

 「フフンとは、何じゃ」と、菊王丸が吠える。

 「怒ったか? まあ聞け。王が対抗馬として立てた人物は、名をザンボと言って、天を突くような巨漢じゃ。それに、牛を一匹軽々と持ち上げる事が出来るという。だから捕まったら終わりじゃよ」

 「なんじゃい、そんな男かい。ほんなもん、捕まらなければえーんじゃろう!」

 「それよ!だが奴はでかい割に素早かったんじゃ。王の気持ちとしては、早い話、嫁にはやりたく無かったのよ」

 「まさか、それで逃げたんじゃーねえんだろうなあ」

 「そうよ、平藏は逃げるような事は少しも考えん男じゃ。そう、試合当日は蒸し暑い日でのう。王が主催した対戦じゃから多勢の見物人が来た。だが、その全員が平藏の負けを予想していたがのう」

 龍慶は、キセルをうまそうに吸い煙を吐いた。そして、みんなの表情を見ながら満足そうに一人頷き、再びロを聞く。

 「会場のあっちこっちから歓声が上がる。ザンボへの声援じゃ。土俵へザンボが上がり、体に、はおっていた着物の脱ぎ、それを空高く放り投げた。その下から出て来た褐色の肉体は筋肉で引き締まり仁王像を思はせた。奴が観客に向かって両手を上げると、観客の声援や太鼓の音で、空気を揺さぶった。その時、奴の顔は自信満々でのう。そんな所へ兵児帯姿の平藏が現われた。土俵に上がると、ザンボの前では子供のようじゃった。見物人からは笑い声も聞こえて来るような有り様じや。だが本人は動じない」

 「ほう、そりゃあたいしたもんだ」

 「ふん、すぐに負けちまったんだろう」

 「君子、危うきに近寄らず、だよなあ!」

 「なーに、平藏が君子かよ!」

 悪堂たちが口々に言いたい放題の事を言う。

 「お前らの頭じゃあ、そんなもんだろう」

 龍慶の、その一言で、悪堂たちは黙った。

 再び龍慶が口を開く。

 「平藏の体を見ると、何故か汗で全身ずぶ濡れじゃ。それを見て見物人は、平藏に勝ち目は無いと思っただろう。それでいよいよ行司の合図で、取組が始まったのよ」

 龍慶は、そこでー呼吸置いた。

 「おい、唯か酒を持って来い。俺の家に酒樽があるから、お前らも、一緒に飲め!」

 それを聞いて、悪堂仲間の2人が喜んで走って行った。


 暫くすると、2人が荷車に乗せて酒樽を運んできた。

 「酒だ、酒だー」と言う声がすると、待っていた男達の観声が上がる。

 「よーし、飲んでいいぞ!」龍慶が、そう言いながら、酒樽を自分の拳で割った。

 自然に拍手が沸き上がる。

 「龍慶さん、ごっつぁんです」

 「さあ、さあ、いきますよー」

 いっきに、その場の雰囲気が明るくなり、奇声を上げる者、顔を真っ赤にしながらニコニコしている者、わめき散らす者など色々だ。

 暫くすると、菊王丸が不機嫌そうに吠えた。

 「おーい、話はどうなっているんだ」

 「そうカッカするな。漸く酒が体に回って来た所じゃて。このくらいの方が、ロが良く回るからのう。そろそろ始めるとするか」上機嫌で龍慶が応じる

 「おーい、みんな静かにしねーか!」と、菊王丸が、怒鳴る。

 龍慶は、そんな菊王丸を見ながら『奇妙な奴よ。人一倍、酒が好きな癖に?』と思った。

 「ならば話の続きといこうか! 行司の合図で立ち合ったはいいものの、平藏はとにかく捕まらないように逃げ回った。相手の動きを予想して、上手くかわしていた。しかし次第にザンボもその動きを理解し平藏の裏をかくようになった。そしてついに平藏の腕をガッチリと掴んだ。それで、誰もが平藏は投げ飛ばされると思った。だが、アイツは、にやっと笑いやがったのさ。次の瞬間、平藏はザンボの手からすぐに腕を抜き取り、驚いているザンボの股ぐらをかいくぐって背後から背中を強く押しやがった。そうしたらザンボは、もんどり打って、土俵へ転げ落ちたって分けさ。喜んで見ていた見物人は、何がなんだか分からず、ただロをあんぐりとして、黙っちまった」

 「そりゃあー、どういうこっちゃ?」

 「いかさまだ、いかさまだ一!」

 「そんなもん、どうでもええ、もっと酒くれー!」

 かなり酒が回っている者もあり、思考回路がプツンと切れてしまった者もいる。

 そんな中で、菊王丸だけは、酒をあおりながらも、平然としている。

 「ふん、龍慶さんよ、そりゃあ油じゃろう」

 「ほほう、さすがわ菊王丸じゃ。そうよ油よ。油を体中に塗りたくっておったんじゃ」

 「それで、どうだと言うんじゃ?」

 「それでじゃ、その話を王にした所、王は怒るどころか平藏を大そう気に入っての、娘との結婚を許したんじゃ。しかも我々に、広い土地をくれたのよ。そこに日本人街を作る事が出来たんじゃ。回りの住民も俺達を観迎してくれた。時が経つにつれて、そこの女と家庭を持つ者も出てきた。わしもそこに住みついても良いと思った。だが、日本に帰りたいという者もおってな。だからわしは、責任者として、日本に帰りたい者といっしょに帰って来た。すぐに戻るつもりでの」

 「ふーん、そんな事があったんかい」

 「ああそうじゃ。だが、日本に来てから色々とあって、この年になるまで戻ってはおらん」

 「そうか、それは分かった。しかし、そんな話をするために俺達を集めたんか?」

 「ふん、そうではない。ここからが肝心の話じゃ。お主ら、わしといっしょに冒険に出るつもりはないか?」

 「冒険だと、まさかその、何とか言う島へ行こうってんじゃあね―よなあ!」

 「そうよ、そのバラワン島じゃ」

 「ハア、本気か? 第一船はどうすんじゃ?」

 菊王丸は半ばあきれ顔で、うそぶいた。

 「おめえら、よーく海の方を見てみな!」

 悪堂たちが、一斉に海の方へ顔を向ける。

 「入り江の方じゃ」

 夕日に照らされた、入江を目を凝らして見つめる。

 「わっわっわ! あるぞあるぞ」

 「でっでっけー」

 「なんじやあれは遣明船か?」

 「おお、まさか盗って来たのか?」

 龍慶は、その言葉を聞いて、カチンときた。

 「バカモン、それはわしが船大工に作らせたんじゃ。全財産を使っての。これはわしの最後の航海になる。バラワン島で、昔の仲間と暮らすんじゃよ。無事、島に行ったら、その時は、、その船を菊王丸にくれてやる。どうじゃ、この話に乗らんか?」

 「なんじゃと、船をくれるのか?」

 「そうじゃ、わしに二言は無い」

 菊王丸は、龍慶の顔をじっと覗きこんだ。

 「よっしゃ、その話に乗ろうじゃあないか」

 菊王丸は、そう言いながら不敵に笑った。

 更に悪友たちに顔を向けると「おめえたちも、異存はねえな!」と大声で、同意を求めた。

 大きな船と夢を聞かされて、酔いも覚めていた彼らは、菊王丸に大声で、応えた。

 「意義なし」

 「よし、やろうぜ!」

 菊王丸は、みんなの声をバックに「どうだい、龍慶さん、これで決まりだ」

 「よし分かった、あさっての未明に出航するぞ。それまでに準備をしておけ」

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