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人間の異世界転送実験

 ネズミの異世界転送実験から更に、1年が経過していた。

 そしてついに、人間の異世界への転送準備が整った。

 動物実験は、ネズミ、犬、猿等で行いいずれも成功し、健康的にも問題は認められなかった。

 それで、人類初となる人の異世界への転送を研究スタッフから選ぶ事になった。

 これが成功すれば歴史に名を残す栄誉が与えられるだろう。だが、危険を伴う事も確かだ。

 神藤自身が行ってみたい気持ちは多分にあるが、何かあった時に誰が指揮をとるのかという事で、皆に反対された。

 そこへ、志願者が現れた。20代前半の若き研究員である。名は持丸(もちまる)といい、陽気な男であり、ムードメーカー的なところがある。最近やや下腹が出てきたのを気にしている。

 なぜなら、最近江美という恋人が出来たようで、彼女と一緒にいる時、ついつい甘いものを食べてしまうからだ。

 その江美に先日会って、異世界転送実験の事を話した。

 「今度異世界へ行く事になったんだ。人類初なんだぜ。昔、ガガーリンていう宇宙飛行士が人類で初めて宇宙へ行ったんだ。それに匹敵するか、それ以上の事なんだ。驚いただろう」

 「持丸さん、本当に大丈夫! 絶対に安全だっていう保証は無いんでしょう。本当に生きて戻って来れるのかしら?」と言って、持丸を睨みつけた。

 「おいおい、そんな怖い顔をするなよ。安全性については色々と確めたんだ。飛行機に乗るより安全だと思うぜ」

 「そう、それなら良いけど。でも信じられないわ」

 「江美が心配なのも分かるが、とにかく行かしてくれ」

 「そうなの、私よりその実験の方が大切なのね!」と言って、プイっと横を向いてしまった。

 「そんな事をいううなよ。頼むから機嫌を直してくれよ」

 持丸には、異世界へ行って戻ってくる自信があった。『きっと、異世界へ行った自慢話でもすれば機嫌は直るだろう。しかし、激励の言葉が欲しかったなあ』

 しかし、江美はなんとなく不吉な予感を感じていたのである。


 こうして、人間の転送実験の当日を迎えた。

 転送室は人間を一度に五人程度転送出来るように広くなっていた。転送室の天井と、床には巨大な円形の消える粒子やダークエネルギーが放出される装置が設置してある。

 転送実験室には、スタッフが大勢集まっている。

 神藤はやや緊張していた。『何度も動物実験を繰り返し、全て成功してきている』と自分に言い聞かせ、不安を払拭しようとしていた。

 しかし、そんな不安な気持ちを表情に出さずに挨拶した。

 「おはようございます。昨夜は徹夜で準備された方も多くいます。それもこの歴史に残る実験を成功させるためです。皆さん、もうひと踏ん張りです。頑張りましょう。それでは持丸君、こっちに来てください」

 持丸は自信たっぷりの顔をして、神藤の隣に立ち、ペコリとお辞儀をした。

 「やあ、皆さん! こんな若造が人類初の異世界へ行く人間になるとは光栄です」、そう言ってニコニコしながらVサインをした。

 持丸の明るさで、その場の雰囲気も盛り上がり「いいぞ、千両役者!」とか「ガンバレー」という声が上がった。

 こうして、持丸は手を振りながら転送室へ入って行った。そして、円形の装置の真下に立ち、ニッコリと笑った。

 一瞬、持丸の顔に陰りがさした。江美の怒った顔が脳裏をよぎったのである。『ふふ、江美! 楽しみに待っているんだぞ』と、その怒った顔に囁いた。

 神藤は、持丸の準備が整ったのを見て、転送のための起動ボタンを押す。転送先を映し出しているモニターには、いつものように草原が表示されている。

 操作盤に転送OKの表示と同時に音声で、転送準備完了です、というアナウンスが流れる。神藤は転送ボタンを押した。

 持丸が、ふっと消える。神藤が転送先のモニターを見る。しかし、そこに持丸の姿は無かった。

 直後、転送室でパンという音がして持丸が現れた。

 不測の事態が発生した。

 神藤の額から汗が吹き出る。

 持丸はというと、何か気分でも悪いのか、膝をつき、床に倒れてしまった。

 神藤はじめ、スタッフ数人が転送室へ入る。口々に持丸と叫ぶが動かない。

 神藤が、持丸の手首を掴み、脈拍を観た。やや早いようだったが正常のようである。

 「体は特に異常は認められない。気絶しているだけのようだ」

 そんなことをしながら数分経つと、持丸が眼を開けた。

 「あれ、俺どうなっちゃったんですか? 転送出来なかったんですか?」

 「ああ、残念ながらそのようだ。詳しい原因を調べなければならない。それにしても持丸、お前の体を検査してもらうんだぞ。何かあったら大変だからな」

 スタッフの一人が言った。「お前、手に握っているものは何だ?」

 「ああ、これはペンダントさ。中には江美の写真が入っている」

 「なるほどなあ、それはそれはお熱い事で。しかしお前、さっきそんなもの持っていたのか?」

 「えっ、これですか? 何時だって持っていますよ」

 「お前にそんな趣味があったなんて初耳だぜ」

 「そうですかね。ところで神藤先生、何かスッキリしてますね!」

 「なに、いつもと変わらないが。ということは、普段スッキリしていないとでもいうのかね?」と、笑いながら答えた。

 「いやあ、そういう訳ではないんですが。ただ、きょうは特別ダンディーな顔をしていると思っただけです」、そう言って先生の鋭い突っ込みをかわした。

 「おい持丸、立てるのか?」

 「大丈夫だと思いますよ」と言って、立ち上がりはしたものの、ややふらついた。

 それを見て、「やっぱりな、無理するな。おい長谷川、付属病院まで付いていってやれ!」

 「いや、大丈夫。一人で行けますから」、そう言って持丸は研究所付属の病院まで行った。

 血液検査、尿検査、CTなどの検査を受けたが特に異常は無かったので、午後五時になって漸く無罪放免となった。

 眼がショボショボして、スッキリしなかったので、自分のロッカーに目薬が置いてあるのを思い出した。

 ロッカー室へ行き、目薬をさそうとしたが、目薬の液体が入っていない。

 『あれ、まだ半分以上はあったはずなのに変だなあ。俺も頭がボケたかなあ。まだそんな年では無いんだが』

 仕方なく目薬は諦めて、家に帰る事にした。

 東京の山手線に乗る。『何となく普段の雰囲気と違うような気がするが? とにかく今日は疲れているようだ。あまり詮索しないことにしよう。恐らく転送実験のせいだろう。妙な気分だ』

 漸くマンションの一室にたどりつく。

 ドアも部屋も異常なし。なんとなく転送実験に失敗してからというもの、妙に違和感を感じていたが、いつも通りの部屋を見て安心した。

 珈琲を入れて、ソファーに座り、オーディオのスイッチを入れ好きな音楽を聞く。持丸にとって、至福の時間である。

 一日の疲れを癒す音楽を聞きながら、うとうとしていると、玄関のベルが鳴った。

 『誰だ、こんな時間に?』

 面倒くさそうに立ち上がり玄関へ向かう。

 「どちらさんですか?」

 「私よ!」、聞き覚えのある声がした。

 「まさか、江美なのか?」持丸は、眼を丸くして驚いた。『なぜ?』

 持丸は、急いで玄関のドアを開ける。

 「まさかはないでしょ。本当に心配していたんだからね」

 「しかし、お前大丈夫か?」

 「何がよ! 私があなたの事を心配してここに来たのよ。異世界転送なんて、飛行機に乗るより安全だって言っていたでしょ!」

 「俺がそんな事を言ったのかい?」

 「なに寝ぼけてんのよ! 確かに言ったじゃあないの」

 「そっ、そうかなあ」持丸は江美のあまりの勢いに気をのまれた。

 「結局、異世界転送は、失敗した。あなたの自信なんて本当にあてにならないって事が分かったでしょう」

 「ああ、それは悪かったよ。しかしそれにしてもお前、なんでそんなに元気なんだ?」

 「元気だけが取り柄ってことよ」

 「うーん、変だなあ」

 「何が変よ、私が元気だったら悪いのかしら」、そう言って持丸を睨みつけた。

 「いやいや、そうじゃあないんだ。だって君は安静にしていなければならないはずだ」

 「何言ってんの、安静にしていたのは二日酔いの時だけよ」

 「うーん、益々おかしい」

 「だから、何でなのよ?」江美は、訝しそうな顔をして、持丸の顔を覗きこんだ。

 持丸は言いにくそうに「いやあ、俺の知っている江美は、再生不良性貧血という難病にかかっていたんだ」と言った。

 「なんですって! その再生なんとか貧血って?」

 「本当に知らないのか?」持丸は真剣な眼差しで江美を見つめた。

 こんどは江美の方が戸惑う番だ。

 「何よ、そんなに真剣な顔をして。あなたこそ変よ」

 「うーん、待てよ」持丸は腕を組んで考えた。

 「どうしちゃったの、私は正真正銘元気なんだからね!」

 「そうだよな、君はとても元気そうだ。もし、俺の頭がおかしくなっていないのなら、ひょっとして・・・・」

 「さあさあ、勿体ぶらないで言ってみて」

 「俺は俺であって、俺ではない・・・」

 「はあ、やっぱりあなたおかしいわよ!」

 「ちょっと待て! 頭の中を整理するから」

 持丸は転送実験に失敗してからの事を色々と考えた。

 持丸自身、失敗して目覚めた時から妙な違和感を感じていたのだ。

 『まず、第一に神藤先生の顔だ。何かスッキリしていると思ったら、顎髭を剃っていたんだ。それにロッカーにあった目薬だって空になっていた。うーん、そうそう電車に乗った時の違和感は韓国人の会話が全く聞こえなかった。なるほどなあ!』

 持丸は自分の体に何が起きたのか、次第に分かってきた。

 「なあ、江美! 去年の事だが日韓トンネルは開通しているか?」

 「日韓トンネルですって! そんな話は聞いた事がないわ」

 「ああ、やはりそうか」

 「まあ、どういう事なのよ?」

 「さっき、俺が俺ではない、と言ったのは当たっていたな。つまり俺は異世界の人間だ!」

 「まあ、何を言ってるの。あなたは何処から見ても持丸さんじゃあないの」

 「うん、実はこの世界と瓜二つの世界があるんだ。非常に良く似ているが、微妙に違う所がある」

 「えっ、うそでしょ!」江美は疑わしそうな眼を持丸に向けた。

 「信じられないだろうが、恐らくそれが真実だろう。さっき、日韓トンネルの話をしたけど、俺の世界では去年そのトンネルが開通したんだ。いわば、日本は大陸と結ばれたんだ。それで韓国人のビジネスマンや観光客が大勢来ている。だから電車の中では韓国語で会話している人が多くいるようになった。俺が感じた違和感はそれだったんだ」

 「信じられないわ。あなたは私の知っている持丸さんじゃあないっていう事なの、本当かしら?」

 「俺だって信じられん。明日、神藤先生に言ってみるよ。それに、俺の知っている江美は病気なんだ」

 「・・・・」、江美も持丸の言葉を本当かもしれないと思うようになってきた。

 「一昨日、俺は江美に会ってきた。顔面蒼白で、非常にだるそうだった。色々治療をしてみたが、上手くいっていない。最後の手段として、骨髄移植なんだが、ピッタリ合う骨髄が見つかっていないんだ」

 「まあ、かわいそうに」、江美は異世界にいるその女性の事を思った。

 「そういう事だ。この世界の持丸が羨ましいよ。君は元気なんだからね!」

 「それで、私の知っている持丸さんは大丈夫なのかしら?」

 「恐らく俺と入れ替わっているんじゃあないか?」

 「そうね、きっと無事よね!」

 「大丈夫、心配いらないよ。この通り俺が元気なんだから・・・」

 「そうよね」と、江美は言ったものの心配顔となった。

 持丸も、異世界にいる江美の事を思い、急に無口になった。

 「ところで持丸さん、私の血液型とか、色々全て医学的に向こうの江美さんと同じなのかしら?」

 「多分同じだと思うよ。詳しく調べて見なければ本当のところは分からないがね」

 「そう、もし同じなら、向こうの江美さんに私の骨髄を移植しても良いわよ」

 「えっ、本当なのか? なるほどそれはすごい話だ。でも本当にいいのかい」

 「勿論よ、私だけ健康だなんて不公平よね。だから協力させて下さい」

 「ああ、ありがたい。思いきってこの異世界転送実験に志願して良かったよ」

 「ふふ、世界は違っても人間の心は通い合うものね!」


 翌日、研究室にて持丸は神藤と対面していた。神藤は腕を組み、持丸の話に聞き入っていた。

 「すると持丸君、君は異世界の人間だというんだね」

 「はい先生、恐らくこの世界と私の世界はシンクロしているんだと思います。だから非常に良く似ているんだと思います。でも微妙に違う所はもちろんありますが。だからこの世界も、向こうの世界もほぼ同時に異世界転送装置の開発に着手したんだと思います。そしてたまたまか、必然的かは分かりませんが、同時に人間の異世界転送実験を行ったんじゃあないでしょうか?」

 「なるほど、あり得ない事じゃあないな。向こうとこちらで同時に異世界へのトンネルを開けた時、それが途中でかち合い、持丸が入れ替わったということか。なるほど、それなら我々が設定した場所へ転送出来なかったのも頷ける」

 「そうすよ先生。異世界転送実験は成功したんですよ」

 「完全な成功とは言えんが、とにかく出来たようだな。ただし、解決しなければならない課題も増えたがな」

 「先生、私がいた世界の映像を映し出して下さい。そうすれば、きっと分かりますよ」

 「そうだな、やってみるか」

 2時間後、全ての準備を整え、異世界にある研究所の内部を映し出す試みをした。

 「よし、これで良いはずだ。持丸君、モニターのスイッチを入れてみたまえ」

 「はい分かりました。スイッチを入れますよ」

 直後、持丸は驚きの声を上げた。「あっ、何て事だ。私の顔が映っている」

 まるで鏡を見ているように、持丸の姿がそこにあった。

 「先生! やはり向こうでも、こちらと同じように考えたに違いありませんよ」

 「これは驚いた」、向こうの世界でも顎髭を生やした神藤が、持丸の背後からモニターを覗きこんでいたのである。

 向こうとこちらで、同時にガッツポーズをして喜びあった。


 人間の転送実験は概ね成功した。ただし、両世界で同時に転送を行った場合の課題は残ったが、そのタイミングをずらすための方策が検討された。そして、その課題も二ヶ月後には解決し、好きな時に好きな場所への転送が可能になった。

 さて、こうして安全に転送が行えるようになった時点で、異世界にいる持丸の恋人江美の事が話題にのぼった。

 神藤は、再度江美に骨髄移植の意志があるかを確認した。

 「当然です。異世界にいる江美は私の分身のようなものです。一刻も早く彼女の命を救ってあげたいです」

 江美の意志は固かった。

 「そうか分かった。向こうにいる江美の状態はかなり悪い。転送に耐えられるかどうか分からない。だから君が異世界に行く事になるが、それで良いんだね?」と神藤が尋ねた。

 「もちろん、そのつもりです」

 「そうか、頑張ってくれ。江美!」、江美の後ろから持丸が心配そうに言った。


 二日後、江美は異世界へ旅立ち、自分の分身である江美に骨髄移植を行った。分身というだけあって、骨髄移植はスムーズに行われ元気を回復した。

 このニュースはせかいじゅうにセンセーションを巻き起こした。この世界に瓜二つの異世界の存在、そして異世界の人間に行った骨髄移植の話。これは異世界を越えた美談として、世界中の話題をさらった。

 異世界転送装置は、マスメディアでは、異世界交流装置として紹介され、それ以降、その名が定着した。

 神藤博士とともに、持丸と江美も時の人となった。そして、マスメディアは彼らを放って置かなかった。

 ニュースショーやワイドショーへの出演依頼や、取材等もひっきりなしにあった。

 そして、神藤は異世界転送の第一人者として世界が注目した。

 また、異世界を越えて行われた骨髄移植は、同じような難病で苦しむ人達に希望を与える事になった。

 事実、神藤の元には多くの難病患者やその家族から、何とか救って欲しいという切実な声が届いている。

 だが、事はそう簡単ではない。異世界とは細い一本の線で繋がっているだけである。しかも事情は向こうの世界でも同じで両世界の意思の疎通が必要であった。

 これは神藤一人が担うにはあまりにも責任の重い事であった。

 元々、この研究は国家プロジェクトとして発足している。神藤は、そのプロジェクトのリーダーにすぎないのだ。その為に政府がその窓口となった。

 具体的には異世界交流省という省が新設される事になった。

 評論家は言う。「異世界交流装置などという装置が、まさか実現出来るとは思わなかった。しかし、手放しで喜んでばかりもいられないだろう。CTやMRIで人体に影響が無かったと言っているが、それでは見る事の出来ない何かがあるかも知れない。10年あるいは20年という長いスタンスで見ていくべきだ。また、異世界に通じる穴を開けるという事は、他にも何か深刻な影響を及ぼす可能性がゼロとは言い難い。慎重に事を進めるべきだ」

 また、別の評論家は「これは画期的な技術だ。しかし、悪用されたら大変な事になる。しっかりと管理すべきだ」

 このように、薔薇色の未来を語る人ばかりではなく、慎重論も根強くある。

 更には、世界中の宗教界からも強烈な批判の声が上がっているのは言うまでもない。

 政府も、このような意見を無視する事が出来ず、難病患者に対してもその条件を厳しくした。

 また、その技術が流出しないように監視体制も強化された。

 当然このような政府の処置に対し、不満を抱く者達も多く出た。特に難病患者たちとその支援者である。

 また、大企業でもその技術を喉から手が出るほどに欲しかった。その技術を使って新しいビジネスが展開出来るからだ。

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