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私の話  作者: M
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中学生時代 第一章

中学校は1つしかない為、保育園で一緒だった同級生や顔や名前は知らないが幼稚園に通っていた同級生が通う為、一気に同級生が増える。

入学式、2年生が数人玄関で新一年生に祝新入生と書いてある花を制服につけてくれて、教室までの行き方を案内してくれた。

私は人数の多さに目が回りそうだった。

自分の教室を見つけ入室すると席の多さに圧倒された。

教団に名前が書かれた紙が貼ってあったが、私は意味が分からずどこに座ったら良いのかわからず、立ち尽くしていた。

田舎ながらに一応中心部にあたる部分にある小学校から中学生になった子が殆どで、みな席に座らずクラスが分かれてしまって残念と言った内容を話す女子や、各クラスの名簿を見て、自分達が知らない名前の女生徒が何人いるかを調べて楽しそうにしている男子生徒ばかりだった。

しばらく様子を見ていると数人席に座った。

私は勇気を出して座っている子に話しかけた。「席は決まっているの?好きな所に座って良いの?」

話しかけられた子は戸惑いながら「教団に貼ってある名簿が座席表になっるよ」と教えてくれた。

私はお礼を言い仕組みが分かりホッとしながら、もう一度教団に向かう。

初めての座席表で前後の見方が分からず四苦八苦したが何とか自分の席を見つけ、座る事が出来た。


数分で担任と副担任が来て、出席確認をとり、入学式の段取り説明を始めた。

入学式を終え、明日からの時間割や連絡簿などを配布され下校となった。


そして入学2日目私は中学校は異世界だと思った。

小学校は農村地帯の子供しかいない為、農家をしている家庭の子供しかいなかった。

しかし、中学には飲食店、美容室、スナック、公務員、公務員の転勤族、母子家庭、田舎のヤクザと様々な家庭の子供がいた。

そして男子女子は性に関して進んでいるようで、小学校から付き合っている子もいた。

同じクラスになった数人の女子が話しかけてくれた。

「こっちにおいでよ」私は呼ばれた席に行くと、「Mさんが好きなアイドルは誰?」と聞かれて私はアイドルって何?と聞き返してしまう。そうすると集まっていた女子が小さなメモ帳をいっせいに取り出し、そこには推しであるアイドルの切り抜きがびっしりと貼ってあった。

私はメモ帳のようなノートを全て見せてもらったが、どの人も見たことあるような気もするが、家でテレビを見る時間もなく部屋にもテレビがなかった私には名前を知っている芸能人が一人もいなかった。

そして1人の女子が私に「私が推してる○○君一番かっこいいと思わない?」と言ってきた。

私は「綺麗な顔をしているね」と答えるのが精いっぱいだった。

そして更にもう一度聞かれる「Mさんは誰が好きなの?」

私は困って正直に言う「家であまりテレビ見てなくてよく知らないの」

私の回答を聞いた女子生徒は一気に冷めてしまったようで、話しあわなさそうだねと言われてしまい、私は自分の席に戻った。

私が中学生になると不良グループはなくなっていたが、兄弟が不良グループに入っていた下の兄弟や、不良グループにあこがれていた子、親がヤクザで何をしても怒られない子の素行不良が目立っていた。

それは男子だけではなく、親がヤクザの女子生徒もいて、現在になった今でも私の代は歴代最大級の最悪世代と呼ばれる程の荒れた学年だった。


私は中学校にスクールバスで通学していた。

学校が終わると、1店舗しかないカラオケに行かない?や、今日も○○家に集合する?といった会話が飛び交い私にもありがたい事に声をかけてくれる子がいた。

しかし、帰りのスクールバスとは名ばかりで1日4便しかなく学校の時間に合わせた運行時間ではなく、老人会に合わせた時間の為、ホームルーム終了後すぐにバス停に向かわないと、その後は1時間半以上待たなければならなかった。

なので、授業後に委員会などの集まりがあると、教室で時間がたつのを待たなければならなかったし、同級生の誘いも断らないといけなっかた。

兄達がいたので、親も帰りのバス時間は知っていた。

だが、1本遅いバスで下校し農作業に向かうと両親に叱責された。

委員会があったなど原因を説明しても両親は許してくれなかった。

なので私は早い便で下校するために、何かで長引いたりすると帰りのホームルーム前に下校し、委員会には出席しないという選択肢しかなかった。

これが原因で上の学年からは委員会に来ないヤツと嫌われてしまい、同級生からも掃除当番でも時間が来たらホームルーム前に帰ってしまうし、放課後に遊びに誘っても断ると少しずつ嫌わていってしまった。


そして不良がかっこいいと思い込んでいる中学生が大多数を占めていた当時の学校内では「いじめ」が多発し登校拒否や他の地域の学校に転校する生徒がどの学年も頻繁に出ていた。

私の学年も例外ではなく、イジメに飽きたら標的が変り無口で告げ口をしないような子が男女関係なく次々にターゲートにされ一通り終わるとまた最初の子にターゲットが戻るというようなルーレットのような勢いでイジメが盛んだった。


だがある時、ターゲットにされた同じクラスの男子生徒の親が、私の親の長男の時のような対応をする子だった。体の痣を見つけ、次の日には職員室ではなく教室に両親が揃って怒鳴り込んできたのだ。

先生たちが大勢駆けつけ、親を静止し校長室で話すように諭していたが、私たちクラス生徒に名乗り出ろと怒鳴り続けていて、たくさんある中のイジメで親が騒いだこのイジメだけが大問題として学校も動かなくてはならない状況になった。


この事件をきっかけにイジメをしているグループは無差別におとなしそうな子を選ぶ事をやめて、イジメても親が騒がない子を狙うようになった。

のちに聞いた話によると、この事が原因で商売をしている子の親はお客が来なくなり、経営が傾き危うくなったり、借金するほどまで追い込まれたと聞いた。さすが小さな田舎である。


私は相変わらずキラキラした流行りの会話やテレビの会話についていけず、せっかくできた同級生だったのに、1人だけバス通学という事もあり学校にも学年にもクラスにも馴染めずにいた。

そして、ついにイジメの順番が私に回ってきてしまうのだ。

教室の壁に貼ってある1年間の目標などクラスメイト一人ひとりが書いた物にいたずら書きをされたり破かれたりしたのが始まりだった。

次第に授業中にゴミをぶつけられるようになったり、先生に教科書を読むように言われ大きな声で読んでも「聞こえません」といろんな場所から声がして、先生も教団まで聞こえているのだから、聞こえているでしょ。周りが大人しくするようにと注意をしてくれたが「聞こえません」攻撃は止まらず、次第に先生も私に当てなくなっていった。

そして、お昼休みに体育館で遊ぼうと誘われ無理やり連れ出され、体育館倉庫で数名から罵声と暴力を受けた。

私は


軽い…


と思った。

言っても中学1年生の暴力だ、家族からの拳や蹴りと比べると衝撃を受けた後に長引く痛みが短かったのだ。

その日を境に罵声と暴力が教室でも廊下でもトイレでもどこでも行われるようになった。

私は私が犠牲になれば他の子が無事でいられるなら良いかと思っていた。

いじめっ子達は泣かず動じない私に苛立っていった。

暴力が次第に過激になり体が小さかった私を高身長の2人が私の手首を持ってブランコのように空中に浮かせブラブラし回転力をつけ、その勢いを使って階段の上から投げたのだ。

私は階段の踊り場にいて、落ちたのか転がったのかわからないが、着地する時に両手をついていた。

階段から落ちた痛みではなく、両手首が燃えるような熱さと痛みで悶えていた。

その時に他のクラスの担任が階段を上ってきていた。

イジメっ子達は、また大事になるのを恐れて、私に早く立ち上がって教室に戻るように叫んでいたが、先生が近づいてくると自分たちの犯行とバレないようにバラバラの方向に分かれ教室に戻って行った。

先生が私を見つけると駆け寄ってきて「どうした?大丈夫か?階段から落ちたのか?」と聞かれ私は「階段から落ちて両手首を痛めた」と伝えた。

すぐに救急車を呼ばれ私は病院に運ばれた。その間手首は見たことのない太さに腫れあがっていった。

私は手首の処置だけしてくれれば他は大丈夫ですと伝えたが、医師から「脳を打っている場合症状が遅れて出るから、先に脳から検査をして最後に手首を見る」と言われ全身を検査された。

結果私は念のため48時間は入院し絶対安静を告げられた。両手首は骨折していた。

退院日、医師が呼んだようで母が病院に来た。

医師からは体に痣が複数見受けられ、家庭か学校どちらかで受けた外傷の可能性が高いと言われた。

自分ではつけらない場所にも強い衝撃によってできる痣を確認し、古いものと新しいものがあるため今回階段から落ちた際にできたと説明できないと言われた。

医師は私に痣の説明をするように言ってきたが、母の目線が怖すぎて私は「すぐ転ぶだけ」としか言えなかった。

母は医師に「両手首を骨折してギブスをしているがどの程度日常生活を送れるのか」を聞いていた。

私は心の中で、家事仕事と農作業どちらも手を使うもんねと思って聞いていた。

医師は骨折しているのだから、安静にするのが大前提で難しい作業は家族のサポートが必要と言った。

母は納得しなかった。

「共働きでずっと見ている事は出来ない。ギブスを他の固定具に変更するなどして自力である程度の日常生活をできるようにして欲しい」と言った。

母の強い願いによって、ギブスを一度外し、神経は傷ついていなかった為、指は動くので指をある程度使えるよう固定しなおす事になった。

医師は部分麻酔をかけて処置するので1時間以上かかると説明すると、母は「麻酔をかけなかったら、どのくらいの時間で終わりますか?」とすかさず聞き返し、医師は驚きながら両腕なので半分の時間になると思いますが、麻酔をかけずに固定しなおす場合かなりの痛みがあるため、おすすめしないと言ったが母は麻酔せずに最短時間で終わらせるように伝えた。

私は処置室に案内され、入室すると医師と看護師が心配そうに「お母さん麻酔しなくていいって言っているんだけどすごく痛いよ。怖かったら麻酔するから今言ってもらえるかな?」と言ってきたが私は「話している時間がもったいないので、すぐに取り掛かって下さい。母がわがままを言ってすいません」と謝罪した。

私の言葉に医師も看護師も無言になり、テキパキとギブスの変更をしていった。

固定具の変更作業を終えた医師から

「痛みに弱い人なら大人でも失神するくらいの痛みなんだけど、意識はずっとあるように見えたけど、大丈夫かい?」と聞かれ、私は問題ないと答えた。

かなりの痛みがあったが私は泣くことも声を上げる事もなかった為聞かれたのだと思う。

帰りの車で母は激怒し、「両手を折るなんて迷惑をかけるためだけに生まれてきたのかよ」と怒り続けていた。

帰宅すると母は指は動くから、家の事できるよな?といい、家の事して様子を見て、出来そうなら農作業に来い。足手まといになるなら邪魔だから農作業には来るな。中学生なんだからそれぐらい自分で判断しろ。と言い出て行った。


私は言われた通りに家事をしたが、洗濯物を取り込む作業や洗い物の中にある重たい鍋やフライパンなど、どうしても手首に負担がかかる作業は痛みとの闘いだった。

夜に家事仕事を終え布団に入る頃には痛み止めは効かないくらい痛みが強くなっていた。

この骨折はなかなか治らず医師も本当に安静に出来ているのかと疑い母を病院に呼ぶぐらい長引いた。


退院した翌日登校すると、玄関で男性教諭の担任が待っていて進路指導室に呼ばれた。

担任「いつからだ?」

私は意味が分からず首をかしげる

担任「今クラスでイジメにあっているんだろう?病院の先生から学校に連絡が入っている」

私「転んだだけです。」

担任「自分で言わないなら、今回は階段で転倒して怪我をした。学校生活は問題ないと報告してしまうが、Mは本当にそれでいいのか?」

私「良いです。教室に行っても良いですか?」

担任はわかった。いいよと言い会話は終了した。

私はギブスが重いのと家事仕事をした反動で痛み止めが効きにくく、ゆっくり、とぼとぼと歩いて教室に向かっていた。

担任は後ろから私を追い越して職員室に戻って行った。

私が職員室の前を通った時に他の先生達との会話が聞こえてくる

「また親が学校にくるよな事態にならないように適切に処理しないとなぁ~」

「昨日伝えたがあいつの兄貴の担任だった頃、両親揃って学校に来たから、一旦隠すのはやめて、親の出方を見た方がいい」

といった内容が聞こえてきた。

私は心の中でお兄ちゃんと私では家での立場が違うから先生達警戒なんてしなくていいのに…それは無駄な時間だよ。と思って歩いていた。


教室に到着すると、いじめっ子達が私を指さし盛大に笑ってきた

「ドラえもんかよ」「両手骨折とかウケる」「まだ学校に来るのかよ」

といった内容を言ってきたが私は気にせず席に着こうとした。

席に到着して椅子に座ろうとすると、机も椅子も光っているように見えたので、指で触って確認すると大量の木工ボンドが塗りたくられ、乾いていない状況だった。

私は急いで控室の机と椅子を運んできて入替えなければ、朝のホームルームに間に合わなくなってしまう…と思ったが今の手首で木製の重い机を運べるだろうか…と考え動けないでいた。

いじめっ子達は「なんだよ~座る前にバレちゃったじゃん~失敗~」と言ったような事を言っていた。

私の様子を確認しに来たのか何故か副担任の女性教諭が教室に来て、「朝から騒がしいね」と言って私の所に来た。私に話しかけるより先に机と椅子の状況を察知したようで、教室に響く声で「机と椅子は学校が生徒に貸し出しをしている物なので、壊したりこのようないたずらをしていい物ではありません」と言った。

いじめっ子達はすぐに笑いながら私に向かって「学校の物になんかするなよ~」と言ってきた。

副担任はそれ以上何も言わず私に「机と椅子を交換するから待ってて」と言い交換してくれて無事に朝のホームルームを迎える事ができた。


当時の中学校は荒れに荒れていて、生徒同士の殴り合いや、いたずらで防火シャッターを閉める、非常ベルを押すなど日常茶飯事でその度、救急車が学校に来たり、消防に連絡が入っていた為、学校は私の件より学校の現状が外に漏れないようにすることに必死だった。

防火シャッターや非常ベルを押すと消防に自動的に連絡が行ってしまうため、学校は通知をオフにして、行内は常に防火シャッターで封鎖され日差しが入らず暗かった。

そして、煙草を吸うのがかっこいいと思っていた生徒が殆どで、胸ポケットから常に煙草の箱が見えていた。

なので男女関係なく殆どの生徒が煙草とライターをセットで常に持ち歩くのが日常となっていた。


私は骨折したまま、日常の学校生活を送っていたが、ある日2つ隣のクラスの女子生徒が教室が燃えていると言い走りながら、全部のクラスに伝えていた。

私が廊下に出てみると、真っ黒な煙が2つあるドアから廊下に大量に出ているのが見えた。

殆どの生徒が避難するために外に出ようと走っていたが、私は逃げ遅れた人がいないか心配になり、煙が出ている教室に向かった。

中には4人の女子生徒が肩を寄せ合って座っていた。

私は学校で始めて大声を出した「教室から出て!!煙を吸ったらダメだよ!!」

取り残された生徒は震えて足が動かないようだった。

私は教室に入り、骨折の痛みも忘れて4人を立たせて手を繋いで教室から逃げるように諭し、何とか避難させる事が出来た。

そして、黒煙で視界が悪い教室内を見渡し出火場所を探した。

教室の後ろのドアから入った為、見つけにくかったが教室の前方、教団の近くにある、ごみ箱が燃えていると目視出来た。

手洗い場にホースがある為、消火しようと手洗い場に向かい蛇口にホースをつけようと思ったが、手首を骨折している為、蛇口に捻ってホースを装着するのに時間がかかってしまっていた。

ここで、遅れて教師たちが走ってやってきた。

全員いるか外で点呼を取るように指示して、私の所にも他の教師が来て外に出るように伝えてきた。

私は「〇組のゴミ箱が燃えています。ホースで消火しようと思ったのですが、上手く装着できません。」と伝えるとバケツを持った教師達がいっせいに手洗い場に来た。

そして、私の言葉を聞いた教師がバケツを持った教師に出火元を伝え消火は終わった。


しかし、燃えた教室の生徒の殆どがスクールバックなどが焦げ臭くなり使用できなくなってしまった。

そして、被害を受け我慢できなかった女生徒が父親の職場に連絡し、職場経由で娘の連絡を受けた父親が動いた。

この父親は役職もちの消防士であった。


警察と一緒に大量の消防車と共に父親が登場し、なぜスプリンクラーが作動していないのか、防火シャッターが閉まっているのに消防に連絡が入っていないのか、娘が連絡しなかったら、学校は隠ぺいするつもりだったのかを強く抗議し日常的にいたずらがあった為、通知をオフにしていた事実を公にしなくてはならなくなってしまった。

警察は出火時刻空き教室になっていた為、犯人特定は難しいと言い一通り現場検証のようなものを終えると切り上げていった。

殆どの消防も引き上げたが、連絡を受けた父親は火災現場で同僚を失っている過去もあったようで、通知オフ事件は生徒を大量に死なせる可能性があり、許せる事ではないと、田舎で知らない人はいない程の大問題として扱われ、地元紙にも掲載される事となった。


私は、いつも通りにバスで下校したが、火災教室に入った事もあり制服が焦げ臭くなっている事に気づき、急いで洗濯したが、翌朝に乾かず仕方なくジャージ登校する事にした。

中学校は学校が指示した場合以外、ジャージでの登下校は禁止となっていた。

朝練や夜まで練習をした部活生徒も例外なく、みな制服で登下校をしていた。

私の姿を見るなり、いじめっ子達は教師にいっせいに噛みつく。

「なんでジャージ登校しているMさんはお咎めないんですか?」と。

登校時、教室に向かわず職員室に行き理由を話していた為、教師は

「Mさんは昨日の火災教室に取り残された生徒を助けるために、〇組に入ったので制服はクリーニング中です。学校も許可しているので問題ありません」

と強気で反論した。これがいけなかった。

いじめっ子達は

「自分も制服が臭いのに我慢して制服で登校した」

「自分も制服をクリーニングに出したいから無期限でジャージ登校OKにしろ」

「制服が臭いので早退したい」

などといっせいに噛みつく。

教師は勢いに負け私に明日から制服で来るようにと注意する形で何とか納めるしかなかった。


骨折が治り、私は中学校・家・農作業・家と健康な頃の日常に戻った。

そして、固定具が外れた事と骨折させても親が一度も騒がなかった事により、イジメは更に過激になり、ターゲットは変わる事なく私に定着した。


私はいじめっ子達に骨折はしないようにしてほしい。家が農業をしているから、また農作業をできなくなると家が困るとお願いをした。

いじめっ子達は私の家族より私の話を聞いてくれたと思う。

イジメは酷くなったが、イジメで骨折したのは手首だけで骨折するほどの事はしてこなかった。


かわりに人格否定のような罵声が日に日に増していった。

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