11
その日の夜。
ユートは机に向かっていた。
目の前には、これまで書き続けてきた鍛錬の記録が並んでいる。
一〇〇〇回の素振り。
五キロの走行。
薬草採取。
ゴブリンとの戦い。
灰狼からの逃走。
そして今日。
身体鍛錬蓄積が二・〇に届き、身体成長値が一から二になった。
そこまでは分かっている。
問題は、その先だった。
「……どうすれば、もっと効率よく鍛えられるんだろう」
ユートは紙に書いた。
『鍛錬量』
『有効鍛錬量』
『身体鍛錬蓄積』
『身体成長値』
四つの言葉を並べる。
鍛錬量は、実際にどれだけ身体を動かしたか。
有効鍛錬量は、その中で成長に意味があったと判断された量。
身体鍛錬蓄積は、それが積み重なったもの。
そして身体成長値は、これからの成長の効率に関係する。
ここまでは理解できた。
だが。
「同じことをずっと続ければいいわけじゃない」
ユートは今日の五キロ走を思い返した。
ただ五キロを走っただけではない。
途中で速度を変えた。
負荷を確認した。
自分の身体がどこまでなら無理なく動けるのかを考えながら走った。
結果として、有効鍛錬量は0.6。
昨日までの1.4に加わり、2.0になった。
「じゃあ、もっと速く走ればいいのか?」
そう考えて、すぐに首を振る。
速く走れば走るほど効率が上がるとは限らない。
無理をすれば疲労が増える。
疲労が増えれば、その後の鍛錬の質が落ちる。
怪我をすれば、そもそも鍛えることができなくなる。
「……難しいな」
ユートは椅子にもたれた。
これまでの自分は、努力すればするほど強くなれると思っていた。
朝早く起きる。
素振りをする。
走る。
できるだけ続ける。
それだけだった。
けれど、身体成長値というものを知った今、その考え方は少し変わった。
努力には量がある。
だが、量だけではない。
質もある。
そして。
努力した身体を、どう回復させるかも関係しているのではないか。
「食事……」
ユートは呟いた。
今日の夕食を思い出す。
パン。
野菜。
肉が少し。
水。
いつもと変わらない。
冒険者になってから、食事量は少し増えた。
それでも、鍛錬のために食事を考えたことはなかった。
「食べるものが身体に関係するなら……」
紙に新しい項目を書き足す。
『食事』
その下に、
『睡眠』
『休息』
『鍛錬の時間』
さらに、
『鍛錬の内容』
『鍛錬の順番』
と続ける。
書けば書くほど、考えることが増えていった。
今までなら、ここで面倒になって終わっていたかもしれない。
だが、ユートは紙を片付けなかった。
「一つずつ確かめればいい」
分からないなら、試す。
試して、記録する。
変化があれば残す。
変化がなければ、それも残す。
そうすれば、少しずつ自分に合った方法が分かるはずだ。
ユートは明日の予定を書いた。
『朝――走る』
『昼――剣術』
『夜――休む』
そして少し考えてから、走る距離の横に、
『五キロ』
と書いた。
すぐには増やさない。
今まで五キロを走ってきたからといって、六キロ、七キロと増やしていけばいいとは限らない。
まずは五キロを基準にする。
そこから身体の状態を見る。
それが今の自分にできることだった。
最後に、
『睡眠時間――七時間以上』
と書く。
「これでいい」
ユートは筆を置いた。
明日から試してみる。
そう決めると、布団に入った。
◇
翌朝。
いつもより身体が重かった。
「……昨日、少し疲れたか」
ユートは起き上がり、腕を回す。
痛みはない。
ただ、昨日までより身体の動きがわずかに鈍い。
窓を開ける。
冷たい空気が頬に触れた。
いつもの木剣を手に取る。
そして、すぐには振らなかった。
身体の状態を確認する。
肩。
腕。
腰。
脚。
昨日の鉄剣を使った練習で、どこかに強い疲労が残っていないか。
「……大丈夫」
そう判断してから、鍛錬を始めた。
一振り。
二振り。
三振り。
今日は回数だけを追わない。
足が乱れたら止まる。
肩に力が入りすぎたら直す。
腰が遅れたら、一度構え直す。
百回。
二百回。
三百回。
以前なら、そのまま一〇〇〇回まで続けていた。
だが今日は、三百回で一度止まった。
「……まだできる」
それでも続ける前に、身体の状態を確認する。
疲れている。
けれど、動きが崩れるほどではない。
もう一度始める。
四百。
五百。
六百。
七百。
八百。
九百。
一〇〇〇。
最後の一振りを終えた。
息を整える。
視界の端に文字が浮かんだ。
【鍛錬内容――剣術】
【鍛錬量――1000回】
【剣術鍛錬としての適合度――高】
【有効鍛錬量――算出中】
ユートは表示を見つめた。
やがて。
【剣術経験への反映――確認】
それだけだった。
身体鍛錬蓄積についての表示は出ない。
ユートは少し考えた。
「……身体を鍛えるための運動じゃなくて、剣術を覚えるための鍛錬だからか」
昨日の表示と同じだった。
同じ一〇〇〇回でも、目的が違えば意味が変わる。
ユートは木剣を置いた。
次は走る。
いつもなら、すぐに五キロを走り始める。
だが今日は少しだけ待った。
水を飲む。
呼吸を整える。
それから走り始める。
最初の一キロはゆっくり。
二キロ。
三キロ。
身体が温まってくる。
四キロ。
最後の一キロだけ少し速度を上げる。
五キロ。
昨日と同じ距離。
だが、身体の感覚は違った。
走り終えたユートは、膝に手をつかず、そのまま立っていた。
息は上がっている。
それでも、以前より回復が早い気がする。
表示が浮かぶ。
【鍛錬内容――走行】
【走行距離――5.0km】
【身体負荷――中】
【鍛錬内容の適合度――高】
【成長効率――計測中】
しばらく待つ。
【今回の有効鍛錬量――算出完了】
その数字を見て、ユートは眉を寄せた。
昨日と同じとは限らない。
同じ五キロでも、身体の状態によって有効な鍛錬量は変わる。
「やっぱり……」
鍛錬量と有効鍛錬量は同じではない。
五キロ走った。
それは事実。
だが、五キロ分すべてが成長につながるわけではない。
身体の状態。
負荷。
内容。
そして、今までどれだけ鍛えてきたか。
それらによって変わる。
ユートは紙を取り出した。
今日の結果を書き込む。
『同じ五キロでも、毎回同じ効果とは限らない』
さらに、その下に、
『身体の状態を確認してから鍛える』
と書いた。
◇
その日の昼。
ユートは武器屋で買った鉄剣を腰に下げ、町の外れへ向かった。
昨日買ったばかりの剣だ。
まだ身体に馴染んでいない。
だからこそ、今日は実戦ではなく基本を確認する。
構える。
踏み込む。
斬る。
戻す。
また構える。
木剣より重い。
鉄の重さが腕だけではなく、肩や腰に伝わる。
「腕だけじゃ駄目だ」
昨日、店主に言われた言葉を思い出す。
足。
腰。
肩。
全部を連動させる。
一振り。
もう一振り。
今度は足の動きを意識する。
さらに一振り。
今度は腰。
すると、同じ剣でも振りやすさが変わった。
「……面白い」
剣が軽くなったわけではない。
身体の使い方が変わっただけだ。
ユートは何度も繰り返す。
だが、しばらくすると動きが崩れ始めた。
足が遅れる。
肩に力が入る。
剣先がわずかにぶれる。
ユートはそこで止まった。
「今日はここまで」
以前なら、ここからさらに続けていた。
回数が足りないと思っていたからだ。
けれど。
今は違う。
崩れた状態で続けても、良い鍛錬になるとは限らない。
むしろ悪い癖を覚えるかもしれない。
ユートは剣を鞘に戻した。
疲れている。
だから休む。
それも鍛錬の一部なのだと、今は思える。
◇
夕方。
宿に戻る。
夕食を食べながら、ユートは今日の身体の感覚を振り返った。
いつもより少し多く食べる。
肉を残さず食べる。
野菜も食べる。
水もしっかり飲む。
これまでなら、腹が減っていれば食べる。
満腹になれば終わり。
それだけだった。
だが今日からは違う。
身体を作る材料も必要だ。
まだ、それがどれほど影響するのかは分からない。
だからこそ記録する。
部屋に戻ると、紙を開いた。
『今日の鍛錬』
『木剣一〇〇〇回』
『走行五キロ』
『鉄剣による剣術練習』
『食事――昨日より少し多め』
『睡眠――七時間以上』
最後に、
『明日の身体の状態を確認する』
と書いた。
ユートはそこで筆を止めた。
「……鍛えるだけじゃない」
身体を鍛える。
食べる。
休む。
眠る。
そして、また鍛える。
その一つ一つが繋がっている。
なら。
強くなるということは、ただ努力することではない。
自分自身を観察して。
考えて。
試して。
修正することなのかもしれない。
その夜。
ユートはいつもより少し早く布団に入った。
目を閉じる。
今日のことを思い出す。
剣。
走り。
食事。
休息。
どれも特別なことではない。
それでも。
昨日までとは、見え方が違っていた。
しばらくすると、視界の奥に淡い文字が浮かんだ。
【鍛錬記録――更新】
【身体状態――確認中】
【次回成長判定――継続】
ユートは目を開いた。
「……明日、どうなるんだろう」
表示はすぐに消えた。
そして翌朝。
ユートが目を覚ましたとき。
昨日までにはなかった、小さな変化が身体に現れていた。
それは数字ではなかった。
いつものように起き上がっただけなのに。
身体が、昨日よりわずかに軽かった。
ユートはまだ、その意味を知らない。
だが。
これまで積み重ねてきた努力が、少しずつ身体そのものに返り始めていた。




