第3話「始まりの噓」
中学生のあの日。
僕と涼那が戦うことになったのは、単純な理由だった。
学校ランキング。
僕たちの通っていた中学校では、在籍する異能者の実力を順位として記録していた。
もちろん、学校内の順位がそのまま世界ランキングに繋がるわけじゃない。
けれど。
同じ学校に通う生徒同士であれば、その順位は一つの目安になる。
そして。
当時の僕は、そのランキングで一位だった。
……正確には。
一位になったばかりだった。
そのすぐ下にいたのが。
高嶺涼那だった。
僕と涼那は、同じ学年だった。
そして。
僕たちは、同じくらいの時期から学校内でも名前を知られるようになっていた。
僕が一位。
涼那が二位。
だから。
自然と、周囲から期待されるようになった。
いつか二人が戦うんじゃないか。
どちらが本当に強いのか。
そんな話が少しずつ広がっていった。
そして。
正式に決闘が組まれた。
学校ランキング一位を懸けた決闘。
そして決闘当日。
僕たちは学校に設けられた決闘場へ向かった。
校舎から少し離れた場所にある、円形の施設。
周囲を高い壁が囲み、観客席との間には防護設備が設けられている。
決闘場の中央には、広い戦闘スペース。
その周囲には、異能による攻撃から観客を守るための設備が並んでいた。
すでに観客席には多くの生徒が集まっていた。
僕たちの試合を見るためだ。
僕は開始位置へ向かいながら、観客席を一度だけ見やる。
知っている顔がいくつもあった。
その視線が。
妙に重かった。
期待されている。
そう思った。
ここで勝てば。
僕は学校ランキング一位を維持できる。
負ければ。
涼那にその座を譲ることになる。
だから。
絶対に負けたくなかった。
そんなことを考えながら。
僕は、反対側の開始位置に立つ涼那を見る。
当時の涼那は、今より幼かった。
髪も。
顔つきも。
今ほど大人びてはいない。
けれど。
あの目だけは今と変わらなかった。
静かで。
真っ直ぐで。
こちらをじっと見つめている。
「……」
僕は小さく息を吐いた。
正直。
嫌な予感しかしなかった。
僕だって、それなりに強かった。
学校ランキング一位になれる程度には。
けれど。
涼那も、当然その順位にいるだけの理由がある。
特に。
彼女の氷雪操作は、当時からかなり精密だった。
氷を出す。
それだけじゃない。
形。
速度。
角度。
状況に合わせて、それらを瞬時に変えてくる。
僕は事前に何度も対戦映像を見ていた。
対策も考えた。
それでも。
実際に向かい合ってみると。
映像で見るのとはまるで違った。
開始の合図を待つ。
観客席が静まる。
そして。
開始のブザーが鳴った。
その瞬間。
僕は、まず自分の異能を発動させた。
身体の内側から、何かが弾けるような感覚。
全身の筋肉が一気に引き締まり、視界が僅かに鮮明になる。
脚に力を込める。
地面を踏みしめた瞬間。
身体能力そのものが、一段階引き上げられていた。
腕を握る。
さっきまでとは明らかに違う。
力がある。
速さもある。
そして。
僕の異能は、それだけでは終わらない。
さらに一度。
もう一度、異能を重ねる。
二段階目。
身体の奥から、さらに大きな力が湧き上がった。
呼吸が変わる。
心臓の鼓動が一気に速くなる。
脚に力を込めるだけで、身体が前へ弾き出されそうになる。
これが僕の異能。
自分自身を「変身」させる能力。
変身するたびに10倍身体能力が強化されていく。
ただし。
僕が使えるのは、二段階まで。
それでも十分だった。
涼那の足元から氷が走った。
「――っ!」
僕は地面を蹴った。
直後。
さっきまで僕が立っていた場所を、氷の槍が突き抜ける。
速い。
けれど。
見える。
僕は身体を捻り、氷槍を紙一重で躱した。
そのまま一気に距離を詰める。
涼那の目が僅かに動いた。
その視線の先に氷が生まれる。
けれど。
僕はそれを予測していた。
横から迫った氷槍を拳で弾き飛ばす。
そのまま懐へ入り込む。
拳を振り抜いた。
涼那が腕を上げる。
薄い氷の壁が間に生まれた。
拳が氷を砕く。
「――っ!」
そのまま押し切る。
二撃。
三撃。
氷の壁が次々と砕けていく。
涼那が後ろへ下がった。
初めて。
彼女が明確に距離を取った。
観客席から声が上がる。
僕は追う。
けれど。
その瞬間。
足元が冷えた。
「しまっ――」
地面から氷がせり上がる。
僕は跳んだ。
その直後。
氷の柱が何本も突き出した。
空中で身体を捻る。
一本。
二本。
三本。
ぎりぎりで躱す。
着地。
その瞬間には。
涼那の手元に巨大な氷の塊が生まれていた。
「……!」
横へ飛ぶ。
轟音。
氷塊が地面を抉った。
砕けた氷が飛び散る。
その隙に僕は再び距離を詰めた。
今度は涼那も逃げない。
氷の刃が迫る。
僕は腕で受け流す。
次の一撃。
身体を沈める。
三撃目。
後ろへ跳ぶ。
互いの攻撃が何度も交差する。
一瞬でも判断を間違えれば終わる。
けれど。
どちらも倒れない。
僕の拳が涼那の肩を掠める。
同時に。
涼那の氷槍が僕の脇腹を掠めた。
「っ……!」
痛い。
けれど。
まだ動ける。
僕は笑った。
涼那も。
ほんの僅かに目を細めた。
初めて。
互いに相手を認めたような気がした。
僕は再び踏み込む。
異能によって強化された身体で、一気に間合いを詰める。
氷が迫る。
避ける。
砕く。
踏み込む。
拳を振るう。
涼那が氷の壁を作る。
それを破壊する。
その向こうにいた涼那へ手を伸ばす。
――届く。
そう思った。
けれど。
涼那の足元から氷が爆発した。
「――っ!」
咄嗟に腕で防ぐ。
だが吹き飛ばされ地面を転がる。
「ぐっ……!」
立ち上がる。
涼那も息を乱していた。
髪には細かな氷の粒が付着している。
肩も僅かに上下している。
僕だけが疲れているわけじゃない。
涼那も消耗している。
まだ。
まだいける。
僕は再び走った。
今度は真正面から。
涼那も氷を展開する。
氷の槍と拳がぶつかる。
一撃。
二撃。
三撃。
互いに譲らない。
僕が一歩踏み込めば、涼那が一歩下がる。
涼那が氷を伸ばせば、僕がそれを破壊する。
攻撃を受ければ、反撃する。
避けられれば、さらに追う。
決着がつかない。
観客席のざわめきが大きくなっていく。
そして。
気づけば。
僕の呼吸が荒くなっていた。
「……はぁ……はぁ……」
身体が重い。
二段階の変身によって強化された身体能力。
その代償として。
身体への負担も、少しずつ蓄積していた。
それでも。
涼那もまた、最初の頃のような余裕はなくなっていた。
息を整えながら。
こちらを見ている。
僕は拳を握った。
まだだ。
まだ終わっていない。
そう思った。
けれど。
次の瞬間。
足に力が入らなかった。
「……っ」
ほんの僅かに。
身体が遅れる。
その一瞬を。
涼那は見逃さなかった。
氷が走る。
僕は横へ飛ぶ。
けれど。
完全には避けきれない。
氷の刃が肩を掠めた。
「ぐっ……!」
血が滲む。
それでも。
僕は立っていた。
涼那も立っている。
お互いに。
次の一撃で決まってもおかしくない。
そんな状態だった。
涼那の周囲に。
再び氷が集まり始める。
僕はその光景を見ながら。
自分でも驚くほど自然に、口元を上げた。
「……ふっ」
声は震えていた。
けれど。
笑ってみせる。
余裕があるように。
まだ何か隠しているように。
僕は涼那を見つめ返した。
本当はもう何もない。
身体は限界だった。
足に力が入らない。
次に攻撃を受ければ、立っていられる自信すらない。
それでも。
ここで怯えた顔を見せるのだけは、嫌だった。
負ける。
その現実を。
せめて最後の瞬間まで認めたくなかった。
だから。
ほんの少し残っていたプライドをかき集めるように。
僕は、余裕たっぷりの声を作った。
「ふっふっふ、僕はまだ変身を一回残している」
涼那の動きが止まった。
僕は笑みを崩さない。
心臓は、うるさいくらいに鳴っていた。
頼む。
これで止まってくれ。
そんな願いを、表情の裏に押し込める。
そして。
最後の一言を。
いかにも余裕があるように付け加えた。
「そしてその形態になると抑えが効かなくてね」
言い切った。
決闘場が静まり返った。
僕は笑顔のまま、涼那を見つめ続けた。
もう。
これ以上は何もできない。
そのことを知っているのは。
たぶん、この場で僕だけだった。
しばらくして。
審判がこちらと涼那を交互に見た。
そして。
「……そこまで!」
決闘終了の宣言が響いた。
観客席がざわめく。
審判自身も、少し困惑したような顔をしていた。
今の僕の状態を見れば、戦闘続行が不可能なのは明らかだった。
だが。
あの言葉が本当なら。
まだ戦える可能性もある。
少なくとも。
審判には、それを無視して試合を続けさせることはできなかった。
結果。
決闘はそこで終了。
学校ランキング一位は――
僕のままになった。




