1.
「近くの人間と、二人組を作ってください」
講堂に響いたその一言で、空気がざらりと逆立った。
「……人間?」
九条がすぐに笑う。
「なにそれ。俺ら猿かなんか?」
「感じ悪」
白峰が眉をひそめる。
「近くの人でいいでしょ、普通」
「わざとだろ」
黒沢が吐き捨てるみたいに言った。
舞台の上の純美子は、それに何も返さなかった。
返さないまま、伊吹がリモコンを押す。スクリーンに白い文字が浮かび上がる。
近くの人間と二人一組を作ってください。
一戦目の勝者は勝ち組、敗者は負け組。
あいこの場合は再試行。
再試行の勝者は生き残り班、敗者は愚か者班。
再度あいこの場合は余物班。
一瞬、講堂の空気が止まった。
勝ち組。
負け組。
生き残り班。
愚か者班。
余物班。
ただの組分けにしては、名前が悪すぎる。
ふざけているのかと思うくらい露骨で、露骨なのにじわじわと重くのしかかる言葉だった。
「は?」
黒沢が立ったまま笑った。
「喧嘩売ってんのか?」
「余物ってなに」
宝泉の声は小さいが、怯えより先に嫌悪がにじんでいる。
「小学生でももうちょいマシな名前つけるでしょ」
由良が吐き捨てた。
それでも舞台の上の大人たちは、空気を読む気配すら見せない。
榊原は通路脇に立ったまま動かず、新庄も表情を変えない。伊吹だけが、文字の並ぶスクリーンを面白くもつまらなくもなさそうに見ていた。
反発も、悪態も、全部あらかじめ予定に入っているみたいだった。
「はやくしろよ」
天津が苛立った声を上げる。
「どうせ決まってんだろ、次」
「だる……」
「つか、近くの人間ってなんだよ」
湊がまだ笑う。
「先生も人間扱いされてないんじゃないの、これ」
その言葉に、前方の何人かがくすりと笑った。
けれど純美子は、やはり何も返さない。
その無視の仕方が、悠人には少し気持ち悪かった。
教室での純美子なら、こういう言葉を向けられた時は、困ったように目を伏せるか、聞こえないふりをして流すか、そのどちらかだった。
でも今の彼女は違う。
聞こえているはずなのに、まるで価値のない雑音みたいに受け流している。
怯えて飲み込むのではなく、最初から相手にしていない沈黙だった。
「では」
純美子の声だけが、講堂の隅まで薄く伸びた。
「二人組を作ってください」
今度は命令の形をしていた。
短く、逃げ道がない。
客席のあちこちで椅子が鳴る。
生徒たちは立ち上がるが、その動きは決して素直ではない。舌打ち、悪態、睨み合い、押しつけ合い。近くの者同士と言われても、誰と組むかだけで小さな上下が露わになる。
堂島は迷わなかった。
隣列へ半歩だけずれて、当然のように黒沢を見る。黒沢も頷きもせずにそちらへ寄る。
中等部からずっとつるんでいる者同士の距離だった。
白峰はまず、自分のすぐ隣にいた宝泉ではなく、一歩前にいた早瀬美苑へ目を向けた。
美苑は一瞬だけ戸惑う。けれど断れるはずもない。
白峰の横に立つだけで、自分の立場がひとつ下に見えると分かっていても。
京極雫は立ち上がるのがわずかに遅れた。
袖口へ触る癖が出ている。ああいう時の雫は、自分の身体の端から順に気配を消していこうとする。
でも講堂の中では、それがかえって目立った。
悠人は立ち上がりながら、周囲を見た。
誰と組むか。
たったそれだけなのに、講堂のあちこちで足取りが露骨だった。声をかける者、目を逸らす者、近くにいるのにわざと一歩ずれる者。
修学旅行の班決めなら、まだもっと軽く笑えたはずだ。
なのに今は、誰もが“誰と一緒に沈むのがましか”を測っているように見える。
「水城」
呼ばれて、悠人はそちらを向いた。
由良が顎を少しだけ上げていた。
相変わらず、目の強い人だと思う。白峰たちを嫌っていることも、堂島たちを軽蔑していることも、隠そうとしない目だった。
「組む?」
「……うん」
悠人が寄ると、由良はそれ以上何も言わなかった。
その無愛想さに、かえって少し救われる。由良は優しいわけではない。けれど、少なくとも誰かを踏んで笑う側ではない。
そんなふうに思ったところで、悠人は自分がもう“安全そうな相手”を探していることに気づいて、少しだけ嫌な気持ちになった。
講堂の各所で二人組が固まっていく。
仲の良い者同士。
近くにいた者同士。
余りたくない者同士。
そこにはきっと、性格も打算も見栄も全部混じっていた。
「一戦目を始めてください」
純美子の声が落ちる。
講堂のあちこちに、小さな輪ができた。
それは遊びの輪というより、品定めのための輪に見えた。
「最初はグー、じゃんけん――」
声が重なる。
数が多いぶんだけ、異様だった。
たかがじゃんけんなのに、音だけが無駄に揃っていて、講堂の大きさと噛み合わない。
悠人と由良も手を出した。
由良がグー。
悠人がパー。
一瞬遅れて、悠人の勝ちだと分かる。
「……勝ち組」
由良が小さく言う。
嫌そうな顔だった。
「最悪」
「勝っても嫌だね」
悠人は苦く笑った。
「名前がもう」
「ほんとに」
“勝ち”なのに、まったく気分が上がらない。
むしろ、こういう名前を嬉しいと思う人間だと見なされる方が気味悪かった。
少し離れたところでは、堂島が黒沢に勝っていた。
黒沢はすぐに舌打ちする。堂島は何も言わず、片方の口角だけを薄く持ち上げる。
白峰も美苑に勝っていた。当然そうなると思っていた人間の顔だ。
篠宮和平は白萩琥珀に勝ち、神宮寺太陽は湊に勝った。
湊は「は? まじかよ」と大げさに騒いだが、その声の端にわずかに苛立ちが混じっている。
あいこになった組もいくつかあった。
神代健吾と京極雫。
坂井瑛人と柏木創悟。
一条鈴華と成瀬暖。
久我松司と真壁桃仁。
牧瀬朔夜と奥平杏奈。
それを見て、スクリーンの表示が切り替わる。
再試行してください。
「だから言い方」
九条が笑う。
「人間とか再試行とか、全部ムカつくんだけど」
「マニュアルで喋ってんの?」
天津が吐き捨てる。
「ロボットかよ」
純美子はやはり返さない。
その代わり、伊吹が一度だけ顔を上げた。
何か言うかと思ったが、結局何も言わず、また視線を落とす。あの無口さは、相変わらず読めない。
「最初はグー、じゃんけん――」
二戦目。
今度は、さっきより空気が悪かった。
生き残り班。
愚か者班。
余物班。
名前が悪いせいで、たかが二回目なのに妙な重みがある。
雫は明らかに緊張していた。袖口を触る指の動きが速い。
神代はそういう雫を見ているのか見ていないのか分からない顔で、あっさり勝った。
坂井も柏木に勝った。
一之瀬朋は宝泉に勝ち、野々宮春人は柴崎利久に勝つ。
再度あいこになったのは二組だけだった。
久我と真壁。
牧瀬と奥平。
スクリーンに、今度は間を置かず文字が出る。
余物班
「うわ」
誰かが小さく漏らす。
笑っていいものか分からない空気だった。
余物。
ただの組名にしては、響きが悪すぎる。
講堂のどこかでくすりと笑いが洩れたが、それも長くは続かなかった。笑った本人すら、何がおかしいのか分からなくなったのだろう。
やがてスクリーンへ、大きく一覧が映し出される。
勝ち組
負け組
生き残り班
愚か者班
余物班
その下へ名字が並ぶ。
悠人は自分の名前を見つけた。
勝ち組。
たったそれだけなのに、胸の奥がざらりとした。
嬉しくない。
でも“勝ち組”と書かれた自分の名前から目を逸らしにくい。
学年順位でも成績表でも、こんな直接的な言葉で人を分けられたことはなかった。最下位クラスの中でさらに名前をつけられると、座っている椅子ごと少し浅くなるみたいだった。
「勝ち組とかダッサ」
由良が吐き捨てる。
「センス終わってる」
「でも負け組よりマシって思わせたいんでしょ」
悠人が言うと、由良は小さく鼻を鳴らした。
「そういうのが一番腹立つ」
その通りだった。
名前が悪いのは、侮辱のためだけじゃない。人に勝手に比較を始めさせるためだ。
どれがましか。
どれならまだ耐えられるか。
そんなことを考えた時点で、もう相手の土俵に乗っている。
「これ、ほんと趣味悪い」
白峰が言った。
勝ち組に入りながら、その顔は露骨に安心していた。口では嫌がっても、底では落ちたくなかったのが見える。
「余物だけは無理」
宝泉は愚か者班へ落ちた自分の名前を見つめて、何も言わない。
由良は勝ち組。
白峰も勝ち組。
堂島も勝ち組。
黒沢は負け組。
湊は負け組。
雫は愚か者班。
奥平たちは余物班。
たった二回のじゃんけんで、講堂の中へ妙な段差ができていた。
「続いて、各組を四人前後の小班へ分けます」
その一言で、客席の空気がまた荒れる。
「まだあんのかよ」
「めんどくせえ」
「つか、なんでそこまで決められなきゃなんないんだよ」
黒沢がはっきり苛立ちを声に乗せた。
「修学旅行だろ?」
「そうですよ」
純美子は落ち着いた声で答えた。
「修学旅行ですから、班行動をしていただきます」
正しいことを言っている。
言っているのに、何ひとつ正しく聞こえない。
小班分けは、副担任たちが通路へ入り、半ば強制的に進めた。
勝ち組も負け組も、前列から順に四人ずつ切っていく。余物班だけは四人そのままだ。
選ぶ自由はほとんどなかった。
悠人は勝ち組・甲班に入れられた。
同じ班には、由良、白峰、堂島。
その並びを見た瞬間、胸の奥で何かが嫌な形に沈んだ。
由良も同じことを思ったらしい。
堂島を見たあと、露骨に顔をしかめた。
「は?」
それはもう反抗というより拒絶だった。
「最悪なんだけど」
堂島は椅子に深くもたれたまま、肘掛けへ片肘を置いた。脚は組まず、長い足を少し前へ投げる。気だるそうにしているのに、視線だけが静かだ。面倒そうなのに、目の奥では全部を測っている時の顔だった。
白峰は頬杖をつき、興味がないふりをしながらもスクリーンを見ている。退屈ではないが、まだ本気でもない、そういう顔だ。
他の班にも、露骨な組み合わせがいくつもできていく。
黒沢のいる負け組・甲班。
湊のいる負け組・乙班。
京極雫のいる愚か者班。
余物班に固められた奥平たち。
スクリーンに、最終一覧が無機質に映る。
勝ち組・甲班
堂島、白峰、篠宮、荒木
勝ち組・乙班
神宮寺、桜庭、西野、南雲
負け組・甲班
黒沢、早瀬、白萩、水城
負け組・乙班
九条、戸川、宮部、久住
生き残り班・甲班
天津、神代、坂井、一条
生き残り班・乙班
一之瀬、杉浦、藤代、野々宮
愚か者班・甲班
鷹宮、京極、柏木、成瀬
愚か者班・乙班
宝泉、仁科、瀬戸、柴崎
余物班
久我、真壁、牧瀬、奥平
……と画面が一度揺れ、修正される。
「雑」
誰かが笑った。
その笑いも、もう長くは続かない。
班分けは終わった。
なのに、終わった感じがしなかった。
ここから先、誰と一緒に動き、誰と一緒に失格し、誰と一緒に沈むのかだけが、妙に生々しく残る。
悠人は膝の上のパンフレットを見下ろした。
高級ビュッフェ。豪華景品。ポイント制クイズ大会。
表紙に並ぶきらびやかな単語の上へ、別の言葉が重なっている。
勝ち組。負け組。生き残り。愚か者。余物。
たった二回のじゃんけんで、人はこんなにも簡単に言葉で沈むのだと初めて知った。
舞台の上で、純美子が言う。
「これより、午前のクイズへ移ります」
その声は静かだった。
けれど、さっきまでよりずっと逆らいにくく聞こえた。
講堂の空気が変わったのではない。
もっと先に、生徒たちの顔つきの方が変わり始めていた。




