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修学旅行(仮)  作者: 常居嗣子
第4章

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7.


 講堂へ戻る頃には、足の裏がじわじわ痛くなっていた。


 初日の午後なのに、もう一日ぶん歩いて、一日ぶん試験を受けたみたいだった。

 五階までの階段は、来た時よりも長く感じる。

 前を歩く由良の背中はまっすぐだ。

 白峰は顔に出さないが、さすがに少し苛立っているのが歩幅で分かる。

 堂島は相変わらず気だるそうに見える。だが、その気だるさのまま、誰より先に疲れを見せない。そういうところまで腹立たしい。


 講堂の扉が開くと、ひやりとした空気が流れてくる。

 冷房ではなく、広い場所に人の体温が足りていない冷たさだ。

 七百を超える席は相変わらず空いたままで、自分たちだけが前方へ固められる。

 何度座らされても、この配置には慣れない。

 舞台へ近すぎる。見られるための場所みたいで落ち着かない。


 足元へ荷物を置く音。

 椅子の背へ体を預ける音。

 少し遅れて、ほかの班も座り終える。


 負け組・甲班の空気はひどく悪かった。

 黒沢は座るなり肘掛けへ腕を乗せ、椅子を少しだけ鳴らす。

 美苑はその横へ座るだけで肩が固くなっていたし、宮部は最初から俯き加減だ。

 白萩だけが静かだった。静かだが、無関心には見えない。何も言わずに見ている人の顔だった。


 愚か者班・甲班では、鷹宮が脚を大きく開いて座り、雫はできるだけ端へ身を寄せている。

 柏木は疲れきった顔で前を見ていた。

 成瀬は表情を整えようとしているが、どこか失敗している。

 班で同じ五ポイントを取って戻ってきたはずなのに、まとまりより軋みの方が強い。


 舞台の上には、もう先生が立っていた。


 真面目な生徒にとっては先生。

 不良たちにとっては地味子。

 同じ人物のはずなのに、呼び方が違うだけで見え方まで違ってしまうのが、このクラスらしい。

 ただ、いま舞台の上に立っている人は、どちらの呼び方にも少し収まりきらない。

 気弱で、からかわれて、押し黙っていた担任とは、もう同じ人物には見えなかった。


 先生が口を開く。


「本日の夕食ランクを発表します」


 スクリーンに、白い文字が映る。


 二十一ポイント以上:高級ビュッフェ

 十三~二十ポイント:定食+デザート

 十二ポイント:パン・サラダ・おにぎり・スープ

 十一ポイント以下:コンビニパン

 失格班:水のみ


 講堂がざわつく。


 昼と違って、夜ははっきり“上”がある。

 ビュッフェ。

 パンフレットに載っていた、あの銀の蓋の並ぶ食卓。

 その言葉だけで、疲れていたはずの体のどこかが勝手に反応する。

 反応してしまうこと自体が恥ずかしい。


「班ごとの最終加算を含め、個人ごとに判定します」

 先生が続ける。

「名前を呼ばれた者から移動してください」


 班ごとではなく、個人ごと。

 その一言で、空気がまた変わる。

 同じ班で動き、同じ五ポイントを取ってきても、一ポイントや三ポイントの取りこぼしで、皿が変わる。

 それは昼食で一度経験している。

 だが夕食は、昼よりもっと露骨だ。

 ビュッフェに届く者と、届かない者が出る。


 最初に呼ばれたのは、堂島だった。


 それだけで、講堂の前方に細い緊張が走る。

 堂島は立ち上がるのが遅い。

 遅いくせに、周囲を待たせているようには見えない。

 当然そこへいるべき人間みたいに、椅子を離れる。


「堂島晴。高級ビュッフェ」


 その瞬間、何人かがはっきりと顔を上げた。

 黒沢。

 九条。

 白峰。

 由良も一瞬だけ、スクリーンではなく先生を見た。


 堂島は何も言わない。

 ただ歩き出す。

 後ろ姿にも得意気なところがない。

 それが余計に苛立たしい。

 当然の顔をされると、羨望すら口に出しづらくなるからだ。


「白峰結花。高級ビュッフェ」


 白峰はそこでようやく、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 嬉しいというより、“そうでしょうね”という顔だった。

 そういう顔が似合ってしまうこと自体が、この女の立ち位置を物語っている。


「荒木由良。定食+デザート」

「水城悠人。定食+デザート」


 由良が、小さく鼻を鳴らした。

 安堵とも不満ともつかない音だった。

 悠人も立ち上がる。

 昼と同じランク。

 落ちなかっただけましだと思う自分と、堂島と同じ班だったのに届かなかったことを少しだけ意識してしまう自分がいる。

 その両方が悔しくて嫌だった。


「ふーん」

 白峰が、通り過ぎる悠人へ向かって小さく言う。

「一緒の班でも違うんだ」


 悪意がある。

 だが、わざとらしいほどではない。

 それが白峰のいやらしさだ。事実をなぞる形にして、人の神経を逆撫でる。


 由良が振り返る。

「いちいち言わなくていいだろ」

「感想なんだけど」

 白峰は肩をすくめた。


 堂島はそれを聞いていても何も言わない。

 この二人の間の小さな摩擦を、止める価値のあるものだと思っていない顔だった。


 次々に名前が呼ばれる。


 神宮寺太陽。高級ビュッフェ。

 柏木創悟。定食+デザート。

 神代健吾。定食+デザート。

 京極雫。パン・サラダ・おにぎり・スープ。

 九条湊。コンビニパン。


 九条の時、講堂の空気がほんの少しざらついた。

 昼に続いて、夜も下のランク。

 本人が一番分かっているからこそ、あの男は平気な顔をしようとして失敗する。

 九条は立ち上がりながら、口元だけで笑おうとした。

 だが、その笑いはすぐに消えた。

 講堂みたいに広い場所でコンビニパンの名を呼ばれると、さすがに誤魔化しがきかない。


「……うっわ」

 どこかで、誰かが小さく言った。

 誰の声かは分からない。

 でも九条には聞こえたはずだ。


 黒沢の名前が呼ばれた時、空気はまた別の意味で張る。


「黒沢櫂。パン・サラダ・おにぎり・スープ」


 昼より上がってはいる。

 だがビュッフェでも定食でもない。

 黒沢は一度だけ、舞台の先生を睨んだ。

 その視線はかなりあからさまだった。

 普段の教室なら、その睨みだけで先生の方が先に目を逸らしただろう。

 けれど舞台の上の先生は逸らさない。

 見下ろすでもなく、ただ読み上げるための目で次の名前へ進む。


 それが黒沢には我慢ならないのかもしれない。

 怒鳴らない。立ち上がらない。

 その代わり、座ったまま机の下で何かを蹴ったような鈍い音がした。

 堂島が、そこで一度だけ横目をやる。

 たったそれだけで、黒沢の動きが止まる。

 やはりこの二人は、普段の教室のままなのだと思う。


 雫は、自分のランクが呼ばれた時にほんの少しだけ目を伏せた。

 おにぎりとスープ。

 悪い方ではない。

 それでも、舞台の上からランクとして読み上げられると、食事ではなく格付けみたいに聞こえる。

 雫のような生徒は、そういう“見られ方”に慣れてしまっている分だけ、余計につらいのかもしれない。


 神代は定食だった。

 呼ばれた瞬間、誰にも見えないくらい小さく喉が動いた。

 昼より上がったわけではない。

 でも落ちてもいない。

 そういう位置を、神代はきっと悪くないと思っている。目立ちすぎず、でも惨めでもないところ。

 それが神代の生き方に合っているのだろう。


 全員のランクが出揃う頃には、講堂の中の見えない段差がさらにくっきりしていた。

 昼より上がった者。

 そのままの者。

 落ちた者。

 そして、最初から上にいた者。


 夕食への移動が始まる。


 ビュッフェ組、定食組、その次。

 順番まで分けられる。

 その並びを見ているだけで、修学旅行の初日の夜というより、別の学校の列に紛れ込んだ感じがした。


 悠人はトレイを受け取る列へ並びながら、少し先を歩く堂島の背中を見た。

 静かだ。

 騒がない。

 勝った顔もしない。

 それでも、あの背中だけで“上”へ立つ人間だと分かる。

 そのことが、どうしようもなく教室そのものだった。

 旧校舎へ来ても、舞台へ上げられても、食事のランクが変わっても、堂島たちは結局、いつものクラスの上にいる。

 そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ冷えた。


 夕食の匂いが、三階の食堂へ近づくにつれて濃くなる。


 肉を焼いた匂い。

 ソースの甘さ。

 温かいスープ。

 焼き菓子のような甘い匂いまで混じっている。


 修学旅行の夜らしい、豪華な食事だった。

 それなのに、足取りは誰も浮かない。

 浮かれようとすると、すぐ前の列とその先の皿が目に入るからだ。

 食べる前から、食堂の空気に序列が混ざっている。


 初日の夜は、まだ始まってもいなかった。

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