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修学旅行(仮)  作者: 常居嗣子
第4章

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3.


 愚か者班・甲班の問題は、三階の連絡通路の途中にある古い掲示板だった。


 雫は最初に場所を聞いた時、嫌な予感がした。

 掲示板、という場所が嫌だった。

 昔の紙や、古い案内や、誰かが見向きもしなくなったものは、たいてい埃っぽく少し不気味だった。


 もちろん、今は違う。

 先生たちもいるし、班で動いている。

 それなのに、雫は問題文を見た瞬間から少し歩く速度が遅くなる。


 鷹宮の広い背中が前を塞ぎ、歩幅が大きい。

 雫はそれについていくしかない。柏木はその少し後ろ、成瀬は線の上を歩く人みたいに足元を気にしてまっすぐと歩いている。


「で、どこ」

 鷹宮がぶっきらぼうに言う。

「三階って広いんだけど」


 誰もすぐには答えない。

 雫は頭の中で、旧校舎の三階を思い出そうとした。

 中等部の頃、ここは普通に使っていた。食堂へ行く時も、研究棟へ渡る時も、何度も通っている。

 ただ、それを自分から言うのが怖い。

 目立つと、あとで面倒になる。

 そう思う癖が、先に言葉を止める。


「ねえ」

 成瀬が振り返る。

「分かる人いないの?」


 その問いに、柏木が一度だけ顔を上げた。

 だが彼も、場所の記憶より先に雫の方を見ていた。

 雫が知っているかもしれないと思っているのだろう。

 それが分かるだけで、胸の奥がひりつく。


「……連絡通路の」

 雫は小さく言った。

「途中だったと思う」


 鷹宮が振り返る。


「だったと思う?」

 声は低い。

 怒鳴ってはいないけれど、それだけで雫の喉が詰まる。


「その、前は……そうだった、から」

「前っていつ」

「中等部の時」


 鷹宮は舌打ちした。

 でも、それ以上は言わなかった。

 いま必要なのは、雫を黙らせることではなく、掲示板を見つけることだと分かっているのだろう。

 誰かの記憶だけが頼りだった。


 三階の連絡通路は長い。

 窓が塞がれているせいで、どこまで行っても同じ場所に見える。

 床は磨かれているのに、人の気配がない。

 足音だけが、ついてくる。


 雫は歩きながら、ふと去年の冬を思い出した。

 昼休みの終わり、食堂から教室へ戻る途中で、堂島たちが先生を見つけた時のことだ。

 先生は三階の通路で、連絡事項の紙を抱えていた。

 黒沢がその紙をひったくり、九条が笑いながら高く掲げる。

 先生は取ろうとするが、背が足りない。

 鷹宮が通路の真ん中を塞ぐみたいに立ち、堂島は壁に寄りかかったまま眺めていた。

 誰も助けなかった。

 雫も、少し離れた場所で立ち止まり、見ているだけだった。

 先生が「返してください」と言った声の細さまで、いま急に思い出す。

 思い出すのに、あの時の自分の足は一歩も出ていない。


「……あった」


 柏木が言った。

 掲示板は連絡通路の柱の陰に半分隠れるようにして残っていた。

 ガラス越しに、古い紙が何枚も貼られている。色は褪せているが、完全には読めないほどではない。


 問題は、最初に採用された制服規定の色。

 紙を順に見ていけば見つかるはずだ。

 はずなのに、掲示板の前へ四人が寄ると、誰が先に顔を近づけるかでまたぎこちない空気が流れた。


「読んで」

 成瀬が言う。

 雫へ向けている。


「私が……?」

「だってさっき場所知ってたじゃん」

「それとこれは別でしょ」

 柏木が珍しく言い返した。


 成瀬はすぐに口を尖らせた。

「じゃあ柏木やってよ」

「読むけど」


 柏木がガラスへ顔を寄せる。

 文字を追うのは早い。

 ただ声は小さい。

 雫はその横で、やっぱり自分も読んでいた。

 読めるけど発言はしたくないし率先して何かをする事には気が引ける。

 それが情けないと自分でも思う。


「これじゃない?」

 柏木が指さした紙の隅に、制服規定の記述があった。

 初期採用色。

 濃紺。


「濃紺」

 鷹宮がすぐに言う。

「戻るぞ」


 答えを見つけた瞬間だけ、班が少しまとまる。

 それがまた嫌だった。

 必要な時だけ一つの方向を向く。

 普段の教室ではあり得ないことが、ポイントのためなら起きる。


 戻る途中、雫は袖口を指で押さえた。

 さっき自分が場所を言わなかったら、この班はもっと時間を無駄にしていたかもしれない。

 でも、だから何だという気持ちもある。

 助けた、みたいに思いたくない。

 目立てば、そのぶんあとで返ってくるかもしれないからだ。


 その考えが、雫は嫌いだった。

 嫌いなのに、考える事をやめられない。


 美術室前の解答場所へ戻ると、すでに勝ち組・甲班が壁際で待っていた。

 由良がこちらを見る。

 雫はその視線を受けて、すぐに目を伏せた。


「解答を」

 榊原が言う。


 柏木が「濃紺です」と答えた。

 短い沈黙のあと、榊原が頷く。


「正解です。五ポイント加算」


 その瞬間、鷹宮が小さく息を吐いた。

 安堵、というより、ようやく余計な時間が終わったという吐き方だった。

 成瀬も目に見えて肩の力を抜く。

 雫はその二人を見て、胸の中に小さな棘が残るのを感じた。

 みんな、答えが出たことに安心している。

 でも、答えに辿り着くまで誰が何をしたかなんて、きっとすぐに忘れる。

 普段の教室と同じだ。

 必要な時だけ、誰かの存在を使う。


 廊下の向こうで、また扉の鳴る音がした。


 今度は、はっきり聞こえた。

 どこかで強く閉められた音。

 四階の空気が少し止まる。


 雫だけでなく、由良も、悠人も、白峰もそちらを見た。

 堂島だけは一瞬遅れて顔を上げる。


「何の音?」

 成瀬が訊く。


 誰も答えない。


 旧校舎は静かだ。

 静かだから、扉の音ひとつが遠くまで響く。

 教室で誰かが机を蹴る音とは違う。もっと重く、もっと建物の中へ残る。

 午後はまだ始まったばかりなのに、その音だけでもう、楽しい校外学習の続きではないことがはっきりした。

 ここでは、何かが鳴るたびに、誰かが先に身を固くする。

 それが日常になっていくのだとしたら、まだ初日なのにずいぶん早いと思った。

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