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修学旅行(仮)  作者: 常居嗣子
第4章

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12/18

2.


 音はそれきりだった。


 玄関の方へ響いていった重い音は、二度、三度と続くこともなく、旧校舎の中へ吸い込まれるように消えた。

 由良は足を止めたまま、廊下の奥を見ている。

 白峰は眉をひそめ、堂島は壁にもたれたまま視線だけを動かした。


「……行かないの」

 白峰が言った。

 声は小さいが、警戒は隠れていない。


「時間ない」

 由良がすぐに返す。

「問題先」


「だよね」

 白峰は唇を引き結ぶ。

「変な音したからって、わざわざ見に行って減点されたくないし」


 堂島は何も言わない。

 ただ、さっきの音の方向を一度だけ見て、それで終わりにした。

 知っているのか、興味がないのか、その顔だけでは分からない。


 悠人は銘板へもう一度目を落とした。

 磨かれた金属板に、改修年が確かに刻まれている。数字を間違えなければそれで済むはずなのに、四人ともすぐには動かなかった。

 旧校舎の一階は静かすぎた。

 昼過ぎの学校にあるはずの音が何もない。

 窓の向こうは板で塞がれ、その隙間から漏れてくる光だけが白く壁を照らしている。誰かが立ち止まってしまうと、その靴音の止んだぶんだけ建物の気配が近くなる。


「書くよ」

 由良が言って、メモ帳へ年を写した。

 字が速い。迷いがない。

 こういう時、由良は強い。考えたことを言葉や文字へ落とすのが早いから、足が止まりにくい。


 悠人は時間を確認した。

 まだ余裕はある。

 だが、余裕があると思った時の方が危ないのかもしれない、とも思う。午前のクイズからずっと、そういう意地の悪さがここにはあった。


「戻ろ」

 由良が言う。


 四人は来た道を引き返した。

 玄関ホールの石床に靴音が短く返る。

 窓の白さは近くで見るほど不気味だった。向こうが見えないのではなく、見せる気がなく少しの隙間だけ開けているように窓はふさがれている。


外の景色は完全に奪われているのに、昼の明るさだけはきちんと分かる。

 その明るさのせいで、閉じ込められている感じがいっそう強くなる。


 階段へ戻る手前で、別の班と鉢合わせた。


 負け組・乙班だった。

 九条が先にこちらを見つける。


「は? もう終わったの?」

 声が高い。

 いつもの調子に戻したいのだろうが、どこか空回りしている。


「見つけたから」

 由良が短く返す。


「勝ち組、地図あって楽だね」

 戸川が言った。

 嫌味だが、声は低い。

 九条みたいな軽さではないぶん、余計に刺さる。


「そっちは?」

 悠人が訊くと、九条が顔をしかめた。


「三階の旧掲示板。『この校舎で最初に採用された制服規定の色は何か』だって。意味分かんない」

「掲示板なんて残ってる?」

「知らないし」


 その言い方に、戸川が横から鼻で笑う。


「知らないじゃなくて、探すんでしょ」

「うるさ」


 言い返しながらも、九条は階段の方を見た。

 早く行かないと時間がないのだろう。

 昼食のランクが低かったせいか、さっきよりずっと余裕がない。軽口で空気を和らげるよりも先に、答えを見つけたい顔になっている。


 すれ違いざま、九条が白峰の取り巻きである蘭の事を思い出した

 だが何も言わない。

 ここでわざわざ刺激しても自分の得にならないと分かっているのだろう。

 そういう損得の判断は早く、興味を失くしていく顔がわかりやすい。


 四階へ戻る途中、悠人はまた、どこか遠くで扉の鳴る音を聞いた気がした。

 今度は一回だけだ。

 気のせいかもしれない。

 それでも廊下を歩く全員の足が、ほんの少しだけ速くなる。


 解答場所は四階の美術室前だった。

 教卓代わりの長机が置かれ、その向こうに榊原が立っている。

 後ろの教室では、石膏像の白い顔が並んでいた。誰もいない美術室の石膏像は、昼休みの笑い声を失った人間の顔みたいに見える。


「勝ち組・甲班」

 榊原が顔を上げる。

「解答を」


 由良がメモ帳を見て、年を答えた。


 榊原は短く頷く。


「正解です。五ポイント加算」


 その一言だけで、班の空気が少し変わる。

 昼の食事はもう終わっている。

 それでも五ポイントは重い。夕食が変わる。夜のカジノで持てる数字が増える。

 結局みんな、頭のどこかで計算している。


 由良が小さく息をつく。

 白峰もほんのわずかに表情を緩めた。

 堂島は変わらない。だが、その変わらなさ自体が、こういう時ほど目につく。勝っても浮かれず、安心した顔も見せない。そういうところが、周囲に「この人は自分たちより上だ」と思わせるのだろう。


「次の班を呼びます」

 榊原が言う。


 その無機質な声から逃げるように、四人は廊下へ出た。

 戻った先は、まだ食堂ではない。いったん待機。次の指示を待てと言われている。

 午後はまだ終わっていない。


 廊下の窓から差す白い光の下で、由良が言った。


「さっきの音」


 その一言で、悠人も白峰も堂島を見る。

 堂島は壁にもたれたまま、返事をしない。


「知ってる音だった?」

 由良が重ねる。


 堂島は舌打ちした。

 大きくない。けれど、はっきり聞こえる舌打ちだった。


「知らない」

「でも“前からじゃない”って言った」

「壁のことだろ」


 そこで会話は切れた。

 切ったのは堂島だ。

 話したくないのか、話す価値がないと思っているのか、そのどちらにしてもこれ以上は拾わせない声だった。


 白峰が小さく肩をすくめる。

「感じ悪」


 その言い方も、少しだけきつさが戻っていた。

 五ポイントを取ったことで、自分がまた安全な側へ戻れた気がしているのかもしれない。

 ポイントは、空腹だけでなく、態度まで影響が出るのだと悠人は息を飲み込んだ。

 白い窓と堂島の横顔を見比べた。


 旧校舎に入ってから、この男の機嫌が少しずつ読みづらくなっている気がする。普段の教室では、退屈そうにしていても、何に苛立っているかくらいは分かった。

 ここでは違う。

 堂島ですら、この校舎の不審な音に警戒している。

 それが嫌だった。


 外進生には旧校舎での記憶がないからだ。


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