2章 第6話
ミハイルは、どこか地面から数センチ浮いているような感覚のまま、学生たちとすれ違いながら研究棟へ向かっていた。
会話の断片、笑い声、靴音――すべてが遠い。
昨夜の連続爆発。
情報は更新されているはずだ。
彼は立ち止まり、鞄からノートPCを取り出そうとした。
そのとき。
「——ミハイル」
横から声がした。
振り返る。
そこに“誰か”が立っていた。
顔の部分だけに、靄がかかっている。
白にも見える。黒にも見える。
輪郭はあるのに、個人を特定できない。
視線を逸らすように、彼は窓の外を見た。
そして、崩れ落ちた。
都市の上空に、炎と煙が絡み合った巨大な雲が立ち上っている。
それは不自然な形で、空を侵食していた。
息ができない。
再び“誰か”を見る。
靄が消えている。
そこに立っていたのは——
自分だった。
ミハイルは跳ね起きた。
暗闇。
自室の天井。
心臓が肋骨を叩き割りそうなほど暴れている。
全身が冷や汗で濡れ、寝衣が肌に張りついていた。
時計を見る。
AM 1:30
世界が最も静まり返る時間。
だが彼の神経は、まったく眠っていなかった。
ベッドを出ると、冷気が足元から這い上がる。
冷蔵庫を開け、ウォッカの瓶を掴む。
今回はグラスを使わなかった。
瓶の口をそのまま唇に当てる。
喉を焼く液体。
普段の自分なら、こんな量は飲まない。
そもそも酒に強くない。
なぜ——。
瓶をテーブルに置く。
体内がじわじわと熱を帯びる。
窓の外を見る。
雲が、あの夢の雲の形に似ている気がした。
その瞬間、思考が切り替わる。
最初の爆発。
雪の境界付近。威力は限定的。
人が吹き飛ぶ規模ではない。
だが二件目。
路地の樹木が二メートル以上移動する衝撃。
——威力が上昇している。
これは段階的実験だ。
このまま放置すれば、いずれ都市単位へと拡張する。
そのとき。
窓から、紙片が滑り込んだ。
ミハイルは凍りつく。
外を見る。
雪は積もっているが、人影はない。
足跡も見えない。
ゆっくりと紙を拾い上げる。
視線を落とした瞬間、心臓が跳ね上がった。
反射的に手を離す。
後退りした勢いでテーブルに後頭部を打ち、ウォッカの瓶が床に落ちて砕ける。
床に転がった紙。
そこに描かれていたのは、幼児のような稚拙な線画。
並んだ二棟の高層ビル。
そこへ向かう旅客機。
崩れ落ちる建物。
押し潰される小さな人影。
血は描かれていない。
だが意図は明白だった。
象徴的な“あの悲劇”を模した図。
呼吸が速まる。
視界が揺れる。
犯人は、ミハイルを見ている。
そして、接触してきた。




