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明治~昭和? リノベーション記  温和な実務家のお節介が、国家をニコニコに変えていくまで  作者: ふじやん
第5章:飛躍の盤面 知の要塞

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第13話:職人の熱と、繋がる海路

 明治四十四(一九一一)年、秋。

 陸軍幹部との息詰まる会談を終えた翌日の日中。康政と瑞月は、煉瓦(れんが)造りの重厚な建物が並ぶ官庁街を背にし、帝都の下町へと足を踏み入れていた。

 大通りから一本路地に入ると、そこにはむき出しの土間を持つ長屋や小さな工房がひしめき合っている。規則正しく金属を打つ槌の音、ヤスリが擦れる甲高い響き、そして鼻を突く機械油と真鍮の匂いが、秋の乾いた風に混じって漂っていた。

 康政はある一軒の錺職人かざりしょくにんの工房の前で足を止め、薄暗い土間の奥へ静かに視線を向けた。

 作業台に向かい、背中を丸めて黙々と小部品を削り出している十八歳の青年がいる。彼の周りには、のちに穴を開けずに帯を固定できる画期的なバックル「徳尾錠(とくびじょう)」の原型となる金属細工が転がっていた。

 青年の名は、早川徳次。

 康政が数ある帝都の職人の中から、迷うことなくこの名もなき青年を訪ねてきたのには、明確な理由があった。康政の(うち)にある、令和という遥か未来の記憶が、彼の真の価値を告げている。

(早川徳次。のちに早川式繰出鉛筆を発明し、さらには世界的規模の電機メーカーを一代で築き上げる男……。彼の凄みは、ただ手先が器用なことではなく、緻密な機構を理解し、それを規格化して量産に結びつける『技術者としての目』を持っていることだ)

 これから瑞長財団が建造していく特殊な艦船や機材には、従来の日本の造船技術では到底賄いきれない、高度な精密部品や電気系統が不可欠となる。その中枢を担えるのは、既存の造船技師ではなく、まったく新しい発想と類稀な精密さを指先に宿す、若き日の天才しかいなかった。


「お仕事中、失礼いたします。早川徳次さんですね」

 康政が穏やかな声で尋ねると、青年はヤスリを動かす手を止め、訝しげに顔を上げた。康政は自ら台湾の瑞長財団の者だと名乗り、懐から丁寧に折り畳まれた一枚の図面を取り出して、作業台の空いた場所へ静かに広げた。

「突然の訪問をお許しください。我々が将来造ろうとしている船の、電気系統を司る配電盤や、微細な接点機構の構想図です。今の日本の造船所でも頭を抱えている分野ですが、あなたの手先の緻密さなら、これを形にする糸口が掴めるのではないかと見込みました」

 早川は手ぬぐいで油まみれの手を無造作に拭うと、おもむろに図面へ目を落とした。

 そこに描かれているのは、彼が普段扱っている装飾品とは次元の違う、幾何学的で緻密な構造だった。早川の目は戸惑うどころか、次第に図面の細部へ吸い込まれるように見開かれていく。

「なんだこりゃあ。こんな微細な噛み合わせ、今の旋盤じゃ無理だ。手で削り出して合わせるしかねえが、少しでも公差ズレが出たら、熱を持って焼き切れちまう」

 誰にともなく呟くその声には、未知の難題に対する警戒と、それ以上に、職人としての血が騒ぐような静かな熱が入り混じっていた。

 康政は、少額の紙幣を包んだ封筒を図面の傍らにそっと置いた。

「今すぐどうにかしてほしい、という話ではありません。これは試作のための材料費です。我々は気の長い計画を進めています。まずはこの図面を手元に置き、ご自身の指先でどこまで挑めるか、試してみていただけませんか。またいずれ、お顔を拝見しに参ります」

 康政はそれ以上言葉を重ねることはしなかった。ただ、極上の難題だけをその場に残し、静かに背を向ける。

 早川は置かれた封筒には目もくれず、食い入るように図面を見つめ続けていた。彼の技術者としての本能に、消えることのない火が灯った瞬間だった。



 その夜。赤坂の静かな料亭の奥座敷。

 秋の夜風が障子を細かく揺らす中、着崩した海軍の軍服姿で、小皿の炒り豆をぽりぽりと噛み砕いている男がいた。

 海軍中佐、秋山真之。先の戦で連合艦隊の作戦参謀を務めた彼は、陸軍の将校たちのような張り詰めた威圧感を出すこともなく、どこか飄々とした、掴みどころのない空気を纏っていた。

 康政と瑞月が部屋に入ると、瑞月はいつものように流れるような所作で茶器に手を伸ばした。急須から湯呑みへ、静かに緑茶が注がれ、芳醇な香りが座敷に広がる。

 秋山は豆をかじる手を止め、その無駄のない所作に感心したように目を細めた。

「見事な作法だ。だが、俺にはあまりそういう手妻は必要ないよ。伊藤公の知恵袋殿、今日は海軍とどんな線を繋ぎに来たのかな?」

 和やかな口調の中に、実務家としての鋭い刃が見え隠れする。康政は瑞月を静かに下がらせ、自らも姿勢を正した。


「秋山先生。本題に入る前に、まずは昨年の春に起きた第六潜水艇の悲劇……佐久間艇長をはじめとする乗組員の方々の殉職に対し、心より哀悼の意を表します」

 康政の言葉に、秋山の顔から笑みがふっと消えた。

 絶望的な海中の密室で、最後まで持ち場を離れず、自らの死の直前まで計器の記録を書き残していた乗組員たちの姿は、海軍関係者の胸に今も深い痛みを残している。秋山は目を閉じ、低く息を吐いた。

「……我々も海で生きる者として、あの痛ましい事故を二度と繰り返してはならないと考えております」

 康政は、声を一段落として言葉を継いだ。

「現在、我々は内地にて二万トン級の病院船の建造を進めております。ですが、それとは別に、沈没した潜水艇を海中からいち早く引き揚げ、乗組員の命を救うための特殊な『潜水艇救助艦』の建造計画を、台湾で独自に進めているところなのです」

「……救助艦、だと」

 秋山が身を乗り出した。艦隊の武力や火力を誇る船ではなく、命を救うことに特化した船の構想。兵の命を重んじる秋山にとって、それは決して聞き流せない言葉だった。

「海中からの引き揚げ機構や水圧への対策など、我々民間の知恵だけでは乗り越えられない壁がいくつもあります。だからこそ、海軍の技術廠ぎじゅつしょうの方々と我々の技師とで知見を共有し、潜水艇そのものの共同研究も含めて、互いの技術を高め合う関係を築きたいのです」


 康政が共同研究や視察のパイプ作りを提案すると、秋山はしばらく思案するように顎を撫でた。

「構想は立派だ。非常に理にかなっている。だがな、新城君」

 秋山は鋭い眼光を康政に向けた。

「救助艦の巻き揚げ機は蒸気で動かせるだろうが、君たちが造るという病院船の高度な設備や、肝心の潜水艇の内部機構はどうだ。水圧に耐え、わずかな狂いも許されない精密な部品や配電の技術が要る。今の日本の職人や工業力では、欧米の模倣すら四苦八苦しているのが現実だぞ。構想は立派だが、足元がついてこないのではないか」

 秋山の率直で俯瞰的な指摘に、康政はわずかに頷き、その言葉を真っ直ぐに受け止めた。

「おっしゃる通りです。我々も、今の日本の基礎工業力の不足は痛感しております。だからこそ、大工廠の出来合いの技術に頼るのではなく、自らの足で街を歩き、見込みのある職人に直接『難題』を蒔いて回っているのです」

 康政は、秋山の目を静かに見据えて言葉を紡いだ。

「今日も昼間に一人、下町の小さな工房で、途方もない才能を持つ青年に図面を預けてきたところです。我々は気の遠くなるような時間をかけてでも、ゼロから人と技術の土台を育てていく覚悟です」

 都合の良い解決策を提示するのではなく、泥臭く地道な行動ですべてを補おうとする少年の眼差し。

 秋山は、眼の前に座る十六歳の少年が、ただの理想家でも商人でもなく、国家の百年先を見透かすような視座を持っていることに、静かな感銘を受けたようだった。

「……なるほどな。出来合いの果実をもぐのではなく、自ら種を蒔きに行くか。面白い男だ」

 秋山は再び炒り豆を一つ口に放り込み、腹の底から愉快そうに笑った。

「海軍の技術廠と繋ぐ手筈を整えよう。俺の権限で、頭の柔らかい技師を見繕ってやる。……いずれ俺も、台湾の南風に吹かれに行きたいものだな」

 夜の赤坂。料亭の奥座敷に、前向きで確かな協調の空気が満ちていた。海と陸、そして職人の熱。帝都で打つべき布石は、ここに深く、静かに根を下ろした。

読んで頂きありがとうございます。

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