音楽室のピアノ
隼人たちは、校内である噂を耳にする。。。。
*** 最初の目撃者***
夕暮れ時、旧校舎の廊下を一人の女子生徒が歩いていた。
吹奏楽部の三年生、佐々木だった。
楽器の片付けを終え下駄箱へ向かう途中、ふと足が止まる。
音楽室の方角からかすかにピアノの音が聞こえてきた。
「……誰かいるのかな」
佐々木は少し不思議に思いながら音楽室の扉に近づいた。
だが扉の窓から中を覗いても誰の姿もない。
鍵もしっかりとかかったままだった。
それでも確かにピアノの音は聞こえていた。
ぽつんぽつんと途切れがちなたどたどしい旋律。
誰かが練習しているような音だった。
「気のせいかな」
佐々木はそう自分に言い聞かせその場を後にした。
***噂の広がり***
翌日、部室に隆が興奮した様子で駆け込んできた。
「聞いたか、旧校舎の音楽室の話」
「音楽室……?」
隼人が顔を上げる。
「夕方になると誰もいないはずの音楽室からピアノの音が聞こえるらしいんだ」
「本当に?」
美優が身を乗り出した。
「吹奏楽部の先輩が目撃したって」
隆はメモ帳を開きながら続けた。
「他にも何人か聞いたって証言してる」
「鍵はかかってたって?」
夕子が尋ねる。
「ああ。でも確かに音はしてたって」
部室に緊張が走った。
*** 調べる***
「行ってみよう」
隼人が立ち上がった。
「まだ明るいうちに音楽室見てくる」
五人は旧校舎へと向かった。
音楽室は普段ほとんど使われていない古い部屋だった。
吹奏楽部は別の新しい音楽室を使っているらしく、この部屋はピアノが一台置かれているだけの倉庫のような状態だった。
「鍵、確認しよう」
隆が扉に手をかける。
鍵は確かにかかっていた。
「窓から見てみるか」
秀が覗き込む。
薄暗い室内に古びたグランドピアノが一台佇んでいるのが見えた。
壁際の棚には、黄ばんだ楽譜が積まれたまま残されている。
その隣には、針の折れたメトロノームと、色あせた音楽祭の賞状が飾られていた。
黒板には、消し忘れたような五線譜がうっすらと残っている。
壁には、合唱祭の予定表が貼られたままだったが、その日付は明らかに何十年も前のものだった。
教室の隅、壁掛け時計は、午後五時十二分を指したまま静止していた。
窓際に置かれた鉢植えは、とうに枯れ果てている。
時代に取り残されたような、そんな空気が漂っていた。
「時計、止まってるな」
秀が呟いた。
「電池切れなだけかもしれないけど……」
隆がカメラを構え、窓の外から教室の隅々まで撮影していく。
旧校舎の廊下は、歩くたびに床がわずかに軋んだ。
窓ガラスは、長年の汚れでうっすらと曇っている。
古い木材の匂いと、かすかなワックスの匂いが混じり合っていた。
「この建物、日が沈むと急に暗くなるよな」
美優が窓の外を見ながら呟いた。
確かに、まだ夕方だというのに、廊下の奥は既に薄闇に沈み始めていた。
埃をかぶり蓋も閉じられたままだった。
「誰もいないな」
「当たり前でしょう」
夕子が答えた。
「今はまだ昼間だもの」
***自分たちで***
「今夜確認しよう」
隼人が言った。
「瑞希姉さんに連絡は……」
美優が尋ねる。
隼人は少し考えてから答えた。
「今回は俺たちだけでやってみたい」
「大丈夫か」
秀が心配そうに言う。
「今のところ危険な気配は感じないんだろ」
夕子が確認するように言った。
「うん」
隼人が頷いた。
「それに、これまで色々練習してきた。試すいい機会だと思う」
「賛成」
隆が頷いた。
「俺たちの力を試す時だな」
美優も少し緊張しながらも頷いた。
「みんなで行きましょう」
その日の夕方、五人はそれぞれの道具を手に旧校舎の音楽室前へ向かった。
#***準備***
隼人は懐から護符を取り出した。
美優はお守りを、夕子は塩の小袋を、秀はロープを、隆はカメラとボイスレコーダーを、それぞれ確認する。
「変な感じがしたら、すぐ隼人が合図を」
夕子が言う。
「分かった」
隼人は頷いた。
「無理はしない。危ないと思ったらすぐ撤退する」
全員が頷いた。
音楽室の扉の前で、五人は静かに待機を始めた。
#***ピアノの音***
時計の針が進んでいく。
やがて夕日が廊下の奥まで差し込む時間になった。
その時だった。
鍵のかかった音楽室の奥から――。
ぽつんと一音だけピアノの音が響いた。
「……来た」
隆が小声で告げる。
全員が息を潜めた。
ぽつんぽつんと途切れがちなたどたどしい旋律が続いていく。
一音鳴るたびに、校舎全体へ、静かに響き渡る。
音が止むたび、校舎は水を打ったような静けさに包まれた。
子どもが初めて鍵盤に触れているような音だった。
「どう思う」
隼人が小声で尋ねる。
夕子はしばらく耳を澄ませてから答えた。
「敵意は感じない」
「私もそう思う」
美優も頷いた。
「怖い感じじゃない」
「よし」
隼人は懐から護符を取り出した。
「少しだけ近づいてみよう」
***声をかける***
隼人は扉にそっと手を触れた。
「こんばんは」
隼人が静かに声をかける。
ピアノの音がぴたりと止んだ。
「怖がらなくていい」
隼人は落ち着いた声で続けた。
「俺たちは君を傷つけたりしない」
しばらく沈黙が続いた。
やがてまた一音だけピアノの音が鳴った。
まるで返事をするかのように。
「今の……」
美優が息を呑む。
「もしかして応えてくれてるのかな」
「かもしれない」
夕子が静かに言った。
***引き上げ***
その日はそれ以上何も起こらなかった。
ピアノの音はしばらくして、また静かに止んだ。
「今日はこれくらいにしておこう」
隼人が言った。
「無理に踏み込むより少しずつ距離を縮める方がいい」
「賛成」
秀が頷いた。
部室へ戻る道すがら、隆がふと思い出したように言った。
「そういえば、ボイスレコーダー、回しっぱなしだった」
「聞いてみようぜ」
秀が興味深そうに言う。
隆はその場で録音データを再生した。
スピーカーから、あのぽつんというピアノの音が流れ出す。
全員が聞き入っていた、その時だった。
ピアノの音のすぐあとに――。
小さなかすれた声が、確かに録音されていた。
「……ありがとう」
「今の……」
美優が思わず隼人の腕を掴んだ。
「もう一回聞かせて」
隼人が掠れた声で頼む。
隆が巻き戻し、もう一度再生する。
やはりピアノの音の直後に、同じ小さな声が聞こえた。
「……ありがとう」
現場では誰も気づかなかった声だった。
だが録音には確かに残されていた。
「返事、してくれたんだ」
夕子が静かに呟いた。
「本当に俺たちのこと、分かってくれてるのかもしれない」
旧校舎を後にしながら隼人は振り返った。
音楽室の窓には夕日が赤く反射していた。
「今日、俺たちだけで対応できたな」
隼人が少し誇らしげに呟いた。
「うん」
美優が笑顔で頷いた。
「瑞希さんがいなくても、ちゃんと判断できた」
「これも練習の成果だな」
隆が満足そうに言う。
「まだ正体は分からないけど……」
夕子が続けた。
「少しずつ近づいていきましょう」
隼人たちはこの新しい謎に――。
自分たちの力で向き合っていくことを、静かに決意していた。
*** 二度目の訪問***
翌日の放課後、新霊体験隊は再び音楽室前へ向かった。
「今日も来てくれるかな」
美優が呟く。
「昨日と同じ時間に来てみよう」
隼人が答えた。
五人は昨日と同じように扉の前で待機を始めた。
夕日が差し込む時間になると、またぽつんとピアノの音が響き始めた。
「今日もいる」
隆が小声で言う。
隼人は扉に手を触れた。
「こんばんは、また来たよ」
ピアノの音が一瞬止まり、それからまたぽつんと鳴った。
だが、今日はそれだけでは終わらなかった。
ぽつん、ぽつん、と。
二つの音が続けて鳴った。
「二音、続いた……」
夕子が耳を澄ませながら言った。
「昨日は一音だけだったのに」
「少しずつ増えてる、ってこと?」
美優が驚いたように言う。
「慣れてきてるのかもしれないわね」
「俺たちのこと、覚えてくれてるのかな」
美優が嬉しそうに言った。
#***図書室で***
その週末、隼人たちは学校の図書室を訪れた。
「音楽室の昔の記録、残ってないかな」
隼人が司書に尋ねる。
「郷土資料じゃなくて、学校の記録なら事務室の方かしら」
司書が答えた。
「古い卒業アルバムなら、ここにも少しあるけれど」
「見せてもらえますか」
夕子が尋ねた。
司書に案内され、五人は書庫の奥にある古い卒業アルバムの棚を調べ始めた。
「何十年分もあるな……」
秀がため息をつく。
「手分けして探そう」
隼人が提案した。
それぞれがアルバムを手に取り、音楽室や吹奏楽部に関する記述を探していく。
***見つかった写真***
「あった」
しばらくして隆が声を上げた。
「これ、見て」
古いアルバムのページに、音楽室で撮られたと思われる写真があった。
ピアノの前に一人の少女が座っている。
「この子……」
美優が写真を覗き込む。
写真の下には小さく名前が記されていた。
「田中、由美」
夕子が読み上げる。
「昭和の終わり頃の卒業生みたいね」
「ピアノが得意だったのかな」
隼人が写真を見つめながら言った。
その写真の脇には、担任らしき先生のコメントが添えられていた。
「いつもピアノを弾いていました」
夕子がそれを読み上げる。
「静かな生徒でしたが、ピアノの時だけはいきいきとしていました」
「本当に好きだったんだろうな」
隼人が静かに呟いた。
隆が写真のページを持ち上げると、保護紙との隙間に小さな文字が見えた。
鉛筆で書かれた、かすれた文字だった。
「由美、最後の演奏会」
隆がそれを読み上げた。
部室に静かな緊張が走った。
「最後、って……」
美優が不安そうに呟く。
***集合写真***
「これも見て」
夕子が別のページを指差した。
吹奏楽部の集合写真だった。
部員たちが皆、楽しそうに笑っている中――。
一人だけ少し離れた場所に、由美が写っていた。
その笑顔だけが、どこかぎこちなく見えた。
「一人だけ……」
美優がその写真をじっと見つめた。
「馴染めなかったのかな」
「分からない」
夕子が慎重に答えた。
「でも、何かあったのかもしれない」
#***さらに調べる***
「この人についてもっと分かることないかな」
隼人が言った。
「別の年のアルバムにも載ってるかもしれない」
夕子が提案する。
五人はさらに前後の年のアルバムを調べ始めた。
「あった、次の年のも」
美優が見つける。
だがその年のアルバムには、田中由美の名前がなかった。
「卒業してないのかな」
秀が首を傾げる。
「それとも……」
夕子が言葉を濁した。
「転校とか」
隆が付け加える。
誰もその先をはっきりとは口にしなかった。
夕子はさらに、当時の学校新聞の綴りをめくっていった。
やがて一つの記事に目を止める。
「音楽祭……ピアノ独奏、田中由美」
夕子が静かに読み上げた。
その記事の日付から、しばらくあとのページには――。
「一部生徒、長期欠席」
という短い記述だけが残されていた。
「これって……」
隼人が掠れた声で呟いた。
名前までは書かれていない。
だが時期は、あまりにも一致していた。
#***帰り道***
図書室を出た後、隼人たちはそれぞれ考え込んでいた。
「もし、あのピアノの音の主が、この人だったら……」
美優が呟く。
「まだ断定はできない」
夕子が冷静に言った。
「でも可能性はあると思う」
「もっと詳しいこと調べてみよう」
隼人が言った。
「事務室にも聞いてみるか」
「今度、健一さんにも相談してみようか」
隆が提案する。
「学校のことなら詳しいかもしれない」
「そうだな」
隼人が頷いた。
夕暮れの空の下、五人はそれぞれの帰り道についた。
まだ何も確かなことは分からない。
だが少しずつ音楽室の謎に近づいている。
そんな確かな手応えを感じながら――。
購読、ありがとうございました。




