橋の向こう
隼人と瑞希は、異世界へと迷い込んでしまった様だった。。。。
*** 目覚め***
白い霧が、ゆっくりと晴れていく。
隼人は地面に倒れている自分に気づく。
「……瑞希、姉さん」
隣を見ると瑞希も同じように倒れていた。
「隼人君……」
瑞希が、ゆっくりと身を起こす。
「大丈夫ですか」
「ええ、多分」
瑞希は周囲を見渡した。
そこには確かに先ほどの橋があった。
だが何かが決定的に違っていた。
***違う世界***
「……橋は同じなのに」
隼人は辺りを見渡しながら呟いた。
欄干も街灯も川も――形は、確かに同じだった。
だが空を見上げると夜なのに月がなかった。
星も一つも見えない。
ただ灰色の空がどこまでも広がっている。
「川の流れが……」
瑞希が橋の下を覗き込んで息を呑んだ。
川の水は確かに流れていた。
だが、その流れは――上流から下流ではなく。
下流から上流へと逆向きに流れていた。
「ここは……」
瑞希の、声が、緊張を、帯びる。
「現世じゃない」
***遠い声***
どこからかかすかに音が聞こえてきた。
最初は風の音かと思った。
だが耳を澄ませると――それは子どもの笑い声だった。
「今の……」
隼人が振り返る。
だが誰の姿もなかった。
続いて足音が聞こえた。
パタパタ、パタパタ、と軽い足取りでどこかを駆け回るような音。
だが、それも姿は見えない。
「誰もいないのに……」
隼人の声が掠れる。
「聞こえるのは音だけ」
瑞希が静かに答えた。
「多分、ここには、たくさんの記憶が残ってる」
「記憶……?」
「この場所を通り過ぎていった色々な魂の」
***少女、再び***
「――コッチ」
か細い声が聞こえた。
振り返ると、あの少女が少し離れた場所に立っていた。
昼間の庭で会った時よりも、その輪郭は、はっきりと見えた。
「あなたが私たちをここへ……?」
瑞希が、尋ねる。
少女は小さく頷いた。
――ミセタイ、モノガ、アル、ッテ、イッタ
「見せたいもの……」
隼人が繰り返す。
少女は静かに橋の向こう側を指差した。
橋の向こうには――霧に包まれた古い集落のようなものが見えた。
「あそこに……?」
「行けば分かる事があるのか知れない」
瑞希は少し迷ってから答えた。
「危険を感じたら、すぐ引き返すわ」
「はい」
隼人が頷く。
二人は少女に導かれるように橋を渡り始めた。
***一方、現実では***
春樹の家、リビング。
老婆の霊が去ってからしばらく経っていた。
だが、隼人と瑞希は、まだ戻ってきていなかった。
「どうしよう……」
美優が不安そうにスマートフォンを握りしめている。
「何度電話しても繋がらない」
夕子は冷静を保とうとしながらも、その表情には焦りが滲んでいた。
「二人が消えた場所……確か、橋だったよな」
秀が思い出したように言う。
「行ってみるか」
「待って」
夕子が止める。
「向こうがどうなってるか分からない状態で無闇に近づくのは危険よ」
「じゃあ、どうすれば……」
隆が焦った様子で尋ねる。
夕子は少し考えてから口を開いた。
「まず、あの老婆について調べましょう」
「今、この状況で……?」
秀が驚いたように尋ねた。
「敵の正体が分からないままじゃ対処のしようがないわ」
夕子は真剣な表情で続けた。
「幸い、あの新聞の切り抜きがある。あそこから手がかりが掴めるかもしれない」
***図書館へ***
春樹の両親に事情を伝え優花を任せると四人は、急いで地域の図書館へと向かった。
「郷土資料の、コーナーは……」
隆が館内を見渡しながら探す。
「あそこね」
夕子が指差した方向へ全員が向かった。
古い地域史の資料を片っ端から開いていく。
「あった」
しばらくして夕子が声を上げた。
「これ、見て」
古い記録に目を通した四人の表情が次第に強張っていく。
そこには、何十年も前――この地域で起きたある出来事が記されていた。
「……これって」
美優の声が、震える。
「あの橋で昔……」
夕子は記録の続きを読み進めながら静かに呟いた。
「何人もの子どもが行方不明になってる」
夕子は、さらに記録の日付を指で辿った。
「最初の記録は……昭和三十年代」
「その後も十年おきくらいに同じ橋の周辺で子どもの失踪事件が繰り返されてる」
「十年おき……」
隆が掠れた声で繰り返す。
「それで……その子たちは……」
美優が恐る恐る尋ねる。
夕子は記録の最後の一文を静かに読み上げた。
「行方不明になった子どもたちは……一人も発見されていない」
部屋に重い沈黙が落ちた。
橋の向こうで隼人たちが何を見ているのか――。
この時、四人にはまだ知る術がなかった。
***集落の記憶***
橋を渡りきると、そこには古い集落が広がっていた。
藁葺きの屋根。
土壁の家々。
どれも今にも朽ち果てそうな姿で霧の中に佇んでいた。
「……時代が違う」
瑞希が周囲を見渡しながら呟いた。
「江戸か明治の頃の集落かもしれない」
「こんな場所が……」
隼人が息を呑む。
少女は迷うことなく集落の奥へと進んでいく。
隼人と瑞希はその後を慎重に追った。
***空き家***
「――ココ」
少女が一軒の家の前で足を止めた。
他の家々と同じように朽ちかけた小さな家だった。
だがその家だけ、窓の奥にかすかな灯りが見えた。
「入っていいの……?」
瑞希が尋ねる。
少女は小さく頷いた。
二人が恐る恐る戸を開けると、中には囲炉裏を囲むように何人もの子どもたちの影が見えた。
だがその姿は皆、輪郭が薄く透けていた。
*** 記憶の再生***
子どもたちは隼人たちに気づく様子もなく、その場に留まり続けていた。
まるで時間が止まったままループしているようだった。
「これは……」
瑞希が静かにその光景を見つめる。
「あの子と同じ。ここにいる子たちも、みんな……」
少女がその子どもたちの輪に、そっと近づいた。
――ミンナ、ココニ、イル
少女の声が静かに響いた。
――ズット、ズット、マエカラ
「みんな、この集落からいなくなった子どもたち……?」
隼人が震える声で尋ねる。
少女は答える代わりに囲炉裏の奥、暗がりの方角を見た。
***老婆の記憶***
その暗がりからゆっくりと、あの老婆の姿が浮かび上がった。
だが今は赤い目もなく、ただ静かに佇んでいるだけだった。
「……あなたは」
瑞希が慎重に声を掛ける。
老婆は答えなかった。
代わりに、その周りに別の光景が浮かび上がり始めた。
まだ若い頃の老婆――いや、一人の女性の姿。
その腕の中には小さな赤子が抱かれていた。
だがその赤子は間もなく儚くなったようだった。
女性は泣き崩れた。
それから女性は毎日のように橋へ立ち帰らぬ我が子の名を呼び続けた。
「きっと帰ってくる」と信じ、橋のたもとで何日も待ち続けた。
その姿は次第に幾度となくこの橋に来ては、子どもたちを見つけて話しかけるようになっていった。
*** 悲しみの果て***
「……子どもを亡くしたのね」
瑞希が静かに呟いた。
「それで、他の子どもたちを……」
光景の中で女性の姿は次第に変わっていった。
優しかったその顔つきが少しずつ歪み、老いていく。
悲しみが執着へと変わり、執着がやがて憎しみにも似た何かへと変わっていった。
――ワタシノ、コハ、カエッテ、コナイ
初めて老婆の声が聞こえた。
それはこれまでの憎々しげな響きとは違う、ただ深く哀しい声だった。
――ダカラ、カワリニ
――ダレカ、ソバニ
「それで子どもたちを集めて……」
隼人が掠れた声で続けた。
「引き止めてしまったんですね」
老婆は答えなかった。
だがその沈黙がすべてを物語っていた。
***救いの糸口***
「瑞希姉さん、これって……」
隼人が瑞希を見る。
「悪霊じゃない。ただ深い悲しみに囚われたまま……」
瑞希は静かに頷いた。
「ずっと時間が止まったままなのね」
瑞希は老婆に向き直った。
「あなたのお子さんは、もう、とっくに安らかな場所にいるはずよ」
――ドウシテ、ソレガ、ワカル
「だって……」
瑞希は少し目を伏せてから続けた。
「子どもは、いつまでも親の悲しみに縛られたくはないもの」
老婆の輪郭が大きく揺らいだ。
――ウソダ
――ウソニ、キマッテル
「嘘じゃない」
瑞希ははっきりと言った。
「あなたが本当にしなきゃいけないのは、この子たちを抱きしめることじゃなくて」
「送り出すことなの」
***崩れる集落***
その言葉に、老婆の姿が激しく揺れ動いた。
――ヤメロ
――ソレイジョウ、イウナ
集落全体が大きく揺れ始めた。
家々の輪郭が崩れ、霧が渦を巻き始める。
「まずい、感情が暴走してる……!」
瑞希が叫んだ。
「隼人君、あの子を守って!」
隼人は咄嗟に少女を庇うように抱き寄せた。
少女の身体は驚くほど軽く、冷たかった。
「大丈夫、俺が守るから……!」
隼人が震える声で言う。
崩れゆく集落の中で、瑞希は老婆に向かって、まっすぐに歩み寄っていった。
その瞬間――老婆の赤い瞳が、ゆっくりと開いた。
購読、ありがとうございました。




