橋の向こう
翌日隼人たちは原因を解明する為、再び春樹の家に訪れた。
*** 再びの夜***
翌日の夜、隼人たちは、再び、春樹の家の庭にいた。
「今夜も、あの子は来るでしょうか」
美優が、庭を見つめながら呟く。
「多分ね」
瑞希が、静かに、答えた。
夜の九時を過ぎた頃、昨夜と同じように木の陰から白い影が姿を現した。
「今夜も来た」
隆が小声で皆に知らせる。
少女は庭の中央で立ち止まるとじっと隼人と瑞希を見つめた。
――キテ
か細い声が、風に乗って、聞こえた。
――ミセタイ、モノガ、アル
「見せたいもの……?」
瑞希が、少女に、向き直る。
少女は答えずただ庭の外――住宅地の外れの方角を指差した。
***誘い***
「どこか行きたいところがあるのね」
瑞希が静かに尋ねる。
少女は小さく頷いた。
「瑞希姉さん行くんですか」
隼人が心配そうに尋ねる。
「様子を見てくる」
瑞希は少し考えてから答えた。
「隼人君、一緒に来てくれる?」
「はい」
隼人は迷わず頷いた。
「みんなは、ここに残って。何かあればすぐ連絡する」
「気をつけて」
夕子が緊張した面持ちで見送る。
少女に導かれるように隼人と瑞希は夜の住宅地を歩き始めた。
***橋***
少女は迷うことなく住宅地の外れへと進んでいった。
やがて小さな川に架かる古い橋の前で足を止める。
欄干は錆び付き街灯も一つしか灯っていない寂しい場所だった。
「ここが……」
瑞希が周囲を見渡す。
その瞬間だった。
急に空気が冷たくなった。
さっきまで賑やかに鳴いていた虫の声がぴたりと止んでいる。
聞こえるのは橋の下を流れる川の音だけだった。
その川の音が次第に大きくなっていく気がした。
唯一灯っていた街灯がジジ、と、音を立てて点滅を始めた。
「街灯……」
隼人が思わず見上げる。
「何か感じますか」
隼人が尋ねる。
瑞希は橋の欄干にそっと手を触れた。
「この橋……」
瑞希の表情が、わずかに強張る。
「霊道になってる」
その言葉が終わるより早く――。
少女の姿がふっと揺らいだ。
「……瑞希姉さん」
隼人の声が掠れる。
隼人は手にしていた懐中電灯を少女の方へ向けた。
だが光は少女の周りだけ、まるで霧に吸い込まれるように届かなかった。
次の瞬間。
懐中電灯の光そのものがふっと消えた。
「……電池、切れ……?」
隼人が慌ててスイッチを確認する。
だが、それどころではなかった。
橋全体を白い霧のようなものが覆い始めていた。
「まずい……境界が開く……!」
瑞希が短く叫んだ。
「この橋は……」
瑞希の言葉は最後まで続かなかった。
瑞希が欄干から手を離そうとした瞬間だった。
橋の奥から――。
コツ……コツ……。
誰かが歩いてくるような足音が聞こえた。
だが霧の向こうには誰の姿もなかった。
「隼人君、下がって……!」
だが遅かった。
白い霧が二人を包み込む。
視界が真っ白に染まった次の瞬間――。
橋の上には、誰もいなくなっていた。
***何かが来る***
同じ頃、春樹の家では――。
「……何か、変」
美優が突然、身体を震わせた。
「どうした」
秀が尋ねる。
「空気が……重くなってる」
夕子が周囲を見渡しながら言う。
「隼人君たちからの連絡は」
「まだ、ない」
隆がスマートフォンを確認しながら答えた。
その時だった。
庭の奥、木々の間からずるり、と、何かが這うような音が聞こえた。
「今の……」
秀が、身構える。
最初に、見えたのは――赤い、目だけだった。
木々の暗がりの奥に二つ、ぽつんと赤い光が浮かんでいる。
その、赤い目がゆっくりと瞬きをした。
一歩、近づくたびに――。
その、赤い光は少しずつ高い位置へと、動いていく。
まるで、何かが身体を伸ばしながら、こちらへ近づいてくるようだった。
やがて木の影がゆっくりと伸びるように蠢いた。
その、影の中から――。
腰の曲がった老婆の姿が滲み出るように現れた。
***老婆の霊***
――ユカハ、ドコダ
しわがれた声が、辺りに響いた。
「ユカ……優花ちゃんの、こと……?」
美優が青ざめる。
――アノ、コハ、ワタシノ、モノダ
――ミンナ、ワタシノ、コニ、ナル
――ニゲラレナイ
老婆の途切れ途切れの言葉に部屋の空気がさらに重くなった。
誰もその意味をすぐには、口にできなかった。
老婆の姿が、じりじりと家に近づいてくる。
「まずい、家に、入られる……!」
夕子が、鞄から、結界石を、取り出した。
「みんな、手伝って」
四人は急いで、リビングの四隅に結界石を配置した。
夕子が手際よく塩を撒き、隆がお香に火を灯す。
「南無阿弥陀仏……!」
秀が瑞希から教わった念仏を必死に唱え始めた。
「南無阿弥陀仏……!」
美優も続く。
優花と、その両親も部屋の隅で身を寄せ合いながら震えていた。
***侵入を防ぐ***
老婆の影が窓の外まで迫っていた。
結界石の光る、薄い膜が老婆を阻んでいる。
――ジャマヲ、スルナ
老婆の声が憎々しげに響いた。
――アノ、コハ、ワタシノ、モノニ、ナルンダ
「そうは、させないから」
夕子が震える声で、しかし、はっきりと言い返した。
「優花ちゃんは、あなたのものじゃない」
老婆の姿が一瞬、大きく揺らいだ。
窓ガラスにヒビが走る。
「結界が……!」
隆が青ざめた声を上げる。
「もっと強く念じて……!」
夕子が叫んだ。
四人の念仏の声が一つに重なっていく。
「南無阿弥陀仏……!」
その瞬間だった。
窓の外の老婆の姿が急に苦しげに揺らぎ始めた。
――ぐ……ぐぐ……
***もう一つの声***
その老婆の揺らぐ姿の背後――。
ふと、小さな白い影が見えた。
あの少女だった。
だが、その姿は透けるように薄く何かに押さえつけられているように見えた。
「あの子……」
美優が息を呑む。
――タスケテ
少女の、か細い声が聞こえた気がした。
――ワタシモ、コノ、オバアサンニ……
少女の首が苦しそうに後ろへ引っ張られた。
まるで見えない糸に操られているようだった。
その言葉の途中で老婆の姿が少女を覆い隠すように大きく広がった。
――ウルサイ
老婆の怒りに満ちた声が響く。
――オマエモ、ワタシノ、モノダ
「あの子まで囚われているのか……」
秀が驚いたように呟いた。
「じゃあ、あの子は悪霊なんかじゃなくて……」
美優が震える声で続けた。
「あの老婆に支配されてた被害者……」
***隼人たちの行方***
だが四人には、今、目の前の危機に対応する以外術がなかった。
結界は、まだ辛うじて持ちこたえている。
念仏の声は続いていたが老婆の圧力は増すばかりだった。
「隼人君と、瑞希さん……無事、なんでしょうか」
美優が不安そうに呟く。
誰も答えられなかった。
橋の上で二人が忽然と姿を消したことを、この場の誰もまだ知らなかった。
窓の外で老婆の姿が、ゆっくりと後退していく。
――マタ、クル
その、一言を残して老婆の影は、闇の中に溶けるように消えていった。
部屋に崩れ落ちるように、四人は、へたり込んだ。
「……何とか、しのいだけど」
隆が荒い息を整えながら話す。
「隼人たち、まだ連絡、ないよな」
秀が、スマートフォンを確認する。
画面には、何の通知もなかった。
「電話、してみる」
夕子が震える手で隼人の番号に掛けた。
だが、呼び出し音が虚しく、鳴り続けるだけだった。
窓の外、夜の闇は、まだ深く静まり返っていた。
橋の向こうへ、消えた、二人の、行方は――。
誰にも、分からなかった。
◇ ◇ ◇
夜風が、橋の上を、吹き抜ける。
誰もいない、橋の中央で街灯が一度だけ、チカリと光った。
そして霧の奥から――。
小さな少女の笑い声とも泣き声とも、つかない声が静かに響いた。
その声を、聞いた者は、誰一人、いなかった。
ただ、欄干だけが、ゆっくりと、きしむ音を立てていた。
まるで、誰かが、今も橋を、渡り続けているかのように――。
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