繋いだ手
調査を続けるほど、怪異は恐ろしくなる。
だが、本当に恐ろしいのは、忘れ去られることなのかもしれない。
新霊体験隊が辿り着くのは、怪異の正体ではなく、一つの悲しい記憶だった
*** 踏み出された一歩***
白いものが、踏み出した、その、一歩。
誰も、声を、出せなかった。
だが――。
それ以上、近づいては、来なかった。
まるで、何かを、待っているように、そこに、立ち止まっていた。
「……ミズキ、オボエテ、イル?」
もう一度、その声が、響いた。
瑞希は、震える唇を、開いた。
「……覚えて、ない。」
瑞希の目に、涙が、滲んでいた。
「ごめんなさい。私、思い出せない。」
白いものは、答えなかった。
ただ、じっと、瑞希を、見つめている、気配が、あった。
***手を繋いだ記憶***
瑞希は、深く、息を、吸い込んだ。
目を、閉じる。
「――思い出して。私。」
瑞希は、自分自身に、言い聞かせるように、呟いた。
しばらくの、沈黙。
やがて、瑞希の瞼が、震え始めた。
「……思い出した。」
瑞希は、目を、開けた。
「小さい頃、私、ここで、迷子になったの。」
瑞希の声が、震えている。
「一人で、泣いてた。そしたら――。」
瑞希は、白いものを、まっすぐ、見つめた。
「あなたが、来てくれた。」
「手を、繋いでくれて。一緒に、参道を、下りてくれた。」
瑞希の頬に、涙が、伝う。
「あなたが、いなかったら、私、あの日、戻れなかった。」
***迎えの理由***
「でも……。」
瑞希の声が、続く。
「あなたは、私を、送ってくれた後、戻らなかった。」
白いものは、動かない。
だが、その、逆光の中の、輪郭が、わずかに、揺らいだ、気がした。
――カワリニ。
短い、声が、聞こえた。
「代わりに……?」
瑞希の、顔から、血の気が、引いていく。
「まさか……。」
瑞希は、震える声で、続けた。
「私を、帰すために……あなたが、代わりに……。」
「あなたが、代わりに――。」
瑞希は、そこで、言葉を、詰まらせた。
「私の、代わりに、五つ目に、なったの……?」
長い、沈黙。
そして――。
小さな、頷きのような、動きが、あった。
部屋にいた、誰もが、その意味を、理解した。
瑞希は、幼い頃、この島で、迷子になり。
そして、目の前の、この存在に、助けられた。
だが、その代償として――。
この存在自身が、「五つ目」として、山に、留まることになった。
***何十年もの孤独***
「ずっと……。」
瑞希の声が、震える。
「ずっと、一人で、ここに、いたの……?」
白いものからは、答えは、なかった。
だが、その沈黙こそが、答えのように、思えた。
「誰にも、気づかれず。誰にも、数えられず。」
瑞希は、両手で、顔を、覆った。
「ずっと、待ってたのね。誰かが、来てくれるのを。」
夕子が、静かに、口を、開いた。
「『カゾエテ』は……。」
「助けを、求める、悲鳴じゃ、なかった。」
夕子は、ゆっくりと、続けた。
「『私が、ここにいたことを、忘れないで』っていう、願いだった。」
誰も、それを、否定できなかった。
*** 選択***
「瑞希姉さん。」
隼人が、静かに、声を、掛けた。
「どうすれば、いいと、思いますか。」
瑞希は、涙を、拭い、白いものへ、向き直った。
「私に、できることが、あるなら――。」
瑞希の声は、もう、震えていなかった。
「教えて。」
その時、祠の奥から、風が、一筋、吹き抜けた。
白いものの、輪郭が、その風に、溶けるように、揺らめいた。
そして――。
瑞希の頭の中に、直接、何かが、流れ込んでくるような、感覚が、あった。
光景が、次々と、浮かんでは、消えていく。
幼い日の、参道。
繋いだ、小さな手。
そして――。
何十年も前、この島で、行われていた、本当の「迎え火」の、儀式の、光景。
瑞希は、その、すべてを、受け取った。
目を、見開いたまま、瑞希は、しばらく、動けなかった。
「……分かった。」
やがて、瑞希は、掠れた声で、呟いた。
「これを、終わらせる、方法が、分かった。」
窓の外――いや、木々の隙間から見える空は、いつしか、茜色に、染まり始めていた。
午後五時は、もう、すぐそこまで、迫っていた。
***最後の迎え火 方法***
「瑞希姉さん、方法って……。」
隼人が、急いた声で、尋ねる。
瑞希は、深呼吸を、一つしてから、皆を、見渡した。
「この子は、『五つ目』として、ずっと、ここに、留められてた。」
瑞希は、白いものを、見つめながら、続けた。
「でも、それは、正式な、儀式で、選ばれたんじゃない。」
「じゃあ……。」
「私の、身代わりに、なっただけ。」
瑞希は、静かに、続けた。
「本当は、この子は、とっくに、山を、下りて、いいはずだった。」
「じゃあ、どうして……。」
夕子が、尋ねる。
「誰も、それを、知らなかったから。」
瑞希は、首を、振った。
「そして――誰も、この子を、正しく、送り出さなかったから。」
***送り出す***
「迎え火は、迎えるだけの、儀式じゃない。」
瑞希は、祠を、見つめた。
「本当は、送り出す、儀式でも、あったはず。」
瑞希は、記憶の中の光景を、思い出すように、目を、細めた。
「昔は、迎えた後、必ず、送り火を、焚いていた。」
「送り火……。」
「でも、儀式が、途絶えてから、誰も、それを、しなかった。」
瑞希は、白いものへ、一歩、近づいた。
「だから、あなたは、ずっと、ここに、留まったまま、だったのね。」
白いものは、静かに、瑞希を、見つめていた。
「今から、送り火を、焚くわ。」
瑞希は、はっきりと、告げた。
「あなたを、ちゃんと、送り出す。」
***準備***
「隆、乾いた枝を、集めて。」
瑞希の指示に、隆が、すぐに、動いた。
「夕子さん、あの祠の周りに、この塩を、撒いてもらえる?」
瑞希は、鞄から、小さな、塩の包みを、取り出した。
「秀君、美優さん、火を、熾す準備を。」
全員が、それぞれの、役割へ、動き出す。
健一は、青ざめた顔で、その様子を、見守っていた。
「瑞希ちゃん、本当に、大丈夫、なのか。」
「分からない。」
瑞希は、正直に、答えた。
「でも、このまま、何もしなければ、この子は、永遠に、ここに、留まり続ける。」
瑞希は、健一を、まっすぐ、見た。
「それだけは、もう、させたくない。」
健一は、しばらく、瑞希を、見つめた後、静かに、頷いた。
「……手伝う。」
***送り火***
乾いた枝が、祠の前に、積まれた。
塩が、周囲に、撒かれ、簡単な、結界が、作られる。
瑞希は、懐から、火打石を、取り出した。
「これは、師匠から、預かった、道具なの。」
瑞希は、静かに、それを、打ち鳴らした。
火花が、散り、枝に、火が、灯る。
炎が、ゆっくりと、大きくなっていく。
その、時だった。
突然、強い風が、参道の奥から、吹きつけた。
炎が、ほとんど、消えかけた。
赤かった、火は、一瞬、青白く、縮み、あと一息で、闇に、飲まれようとしていた。
「……っ!」
美優が、思わず、手で、風を、遮ろうとする。
「まだ、駄目!」
瑞希が、鋭く、叫んだ。
「消させないで! ここで消えたら、終わる!」
「俺が、支える!」
秀が、体で、風を、遮るように、炎の、前に、回り込んだ。
隆と、隼人も、両側から、体を、寄せる。
風は、なおも、強く、吹きつけ続けた。
だが、五人と、健一が、囲んだ、炎は、消えなかった。
やがて、風が、ふっと、止んだ。
炎は、揺らめきながらも、しっかりと、燃え続けていた。
「……今の、うちに。」
瑞希は、額の汗を、拭い、再び、祠へ、向き直った。
「――迎え、火に、応え、今、送り、火を、灯す。」
瑞希は、静かに、唱え始めた。
「――永く、留まりし、者よ。今こそ、還れ。」
白いものの、輪郭が、炎の、光に、照らされ、初めて、はっきりと、見えた。
それは――幼い、子どもの、姿だった。
優しい、微笑みを、浮かべているように、見えた。
「――あなたの、名は、もう、忘れられない。」
瑞希は、涙を、堪えながら、続けた。
「みんなが、覚えてる。あなたが、ここに、いたことを。」
炎が、一際、大きく、燃え上がった。
そして――。
子どもの姿が、光の中に、溶けていくように、少しずつ、透けていった。
***五時***
その時、山の奥から、鐘の音が、響いた。
ゴォーン……。
一つ目。
だが、今度は、恐怖ではなく、まるで、見送るような、静かな音だった。
ゴォーン……。
二つ目。
子どもの姿は、さらに、薄くなっていく。
ゴォーン……。
三つ目。
幼い、子どもは、小さく、微笑んだ。
その、笑顔だけで、瑞希には、十分だった。
「ありがとう」と、聞こえた、気が、した。
しかし、それが、風の音だったのか、本当に、声だったのか、誰にも、分からなかった。
ゴォーン……。
四つ目。
瑞希の目から、涙が、こぼれ落ちる。
「さようなら」と、瑞希は、小さく、呟いた。
ゴォーン……。
五つ目の鐘が、鳴り終わると同時に――。
子どもの姿は、完全に、消えていた。
瑞希は、その、消えていった、場所を、しばらく、見つめていた。
「……今度は、一人で、帰れるね。」
瑞希は、小さく、そう、呟いた。
その声には、涙と、そして、確かな、安堵が、滲んでいた。
祠の前には、炎だけが、静かに、燃え続けていた。
そして、その炎も、やがて、静かに、消えていった。
健一が、ふと、空を、見上げた。
「……軽い。」
「え?」
隼人が、振り返る。
「山の空気が……子どもの頃から、ずっと、重かったのに。」
健一は、深く、息を、吸い込んだ。
「今日は、なんだか、軽い、気がする。」
さっきまで、吹き荒れていた、風は、いつの間にか、止んでいた。
その静寂の中で、社の、切れかけていた注連縄だけが、ゆっくりと、揺れた。
黒く、焼け跡のように、なっていた、祠の周りの地面には――。
小さな、緑の、草が、一本、芽吹いているのが、見えた。
後には、ただ、穏やかな、夕暮れの、静寂だけが、残された。
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