島の散策
翌朝、平穏で静かな朝を迎え、隼人たちは島の散策へと向かって行った。
*** 朝の集落***
翌朝、隼人たちは、朝食を済ませてから、ペンションを出た。
空は、昨日にも増して青く澄んでいる。
「今日は、どこから回る?」
隼人が尋ねると、夕子が地図を広げた。
「まずは灯台。それから、神社まで歩いてみましょう。」
「賛成!」
秀が、真っ先に歩き出す。
「新聞部らしく、ちゃんと写真も撮らないとな。」
隆が、カメラを構え直した。
集落の細い路地を歩いていくと、白壁の家々が、朝日を受けて輝いていた。
庭先で洗濯物を干している老婆と、目が合う。
「おはようございます。」
美優が、明るく挨拶をした。
老婆は、一瞬、驚いたような顔をした後、小さく会釈を返した。
だが、その視線は、すぐに五人の後ろ――彼らが歩いてきた方角へと逸れた。
まるで、何かを確かめるように。
「……何だったんだろう、今の。」
美優が、小声で呟く。
「気にしすぎだよ。」
秀が、軽く笑い飛ばした。
***灯台にて***
集落を抜けると、海沿いの道が続いていた。
白い灯台が、丘の上に建っている。
「わぁ、絶景……!」
灯台に登ると、青い海が、どこまでも広がっていた。
「写真、撮っておくか。」
隆が、シャッターを切る。
その時、隆のカメラの液晶画面に、一瞬、何かが映り込んだ気がした。
「……あれ?」
「どうした?」
隼人が覗き込む。
だが、画面には、青い海と空しか写っていない。
「いや、何でもない。見間違いかな。」
隆は、首を傾げながら、カメラを下ろした。
誰も、それ以上、深くは考えなかった。
風が、心地よく吹き抜けていた。
***神社への道***
灯台を後にした一行は、地図を頼りに、山の方へと向かった。
舗装された道は、次第に、木々に覆われた細い山道へと変わっていく。
「涼しくなってきたな。」
秀が、額の汗をぬぐいながら言う。
「木陰だからね。」
夕子が、答える。
しばらく歩くと、古びた鳥居が見えてきた。
「あれが、神社か。」
隼人が、足を止める。
鳥居をくぐると、苔むした石段が、山の中へと続いていた。
石段を上りきった先に、小さな社があった。
思っていたより、小さく、静かな神社だった。
「意外と、普通だね。」
美優が、少しほっとしたように言う。
「観光客も来る場所だって、健一さんも言ってたし。」
夕子が、社の前で、静かに手を合わせた。
隼人も、それに倣う。
その時、隆が、社の裏手を指さした。
「あれ、見て。」
社の裏、木々の間に、細い道が続いているのが見えた。
健一が言っていた、「古い参道」だろう。
道の入り口には、朽ちかけたロープが、申し訳程度に張られていた。
「……これが、あの奥に続く道か。」
隼人が、呟く。
昼間の明るい日差しの中でも、その道の先だけは、不自然なほど、暗く見えた。
***島の人々***
「今日は、これくらいにしておこう。」
隼人が、腕時計を見ながら言った。
午後三時を過ぎたところだった。
「もう帰るの?」
秀が、少し残念そうに言う。
「明るいうちに戻った方がいい。健一さんも、そう言ってたし。」
夕子が、冷静に答える。
集落へ戻る道すがら、五人は、何度か、島の人々とすれ違った。
だが、その誰もが、どこか、そわそわとした様子だった。
畑仕事をしていた老人が、空を見上げ、それから、少し急ぐように道具を片付け始める。
店先に座っていた女性が、時計を確認し、店の看板を早々にしまい込む。
「みんな、帰り支度、早くない?」
美優が、不思議そうに言った。
「そういえば。」
隆も、周囲を見渡す。
午後四時を過ぎる頃には、集落の通りから、人の姿が、ほとんど消えていた。
昨日の夕方は、こんなに静かではなかった。
商店のシャッターも、次々と下ろされていく。
まるで、何かの合図があったかのように。
「……なんか、変じゃないか?」
秀が、珍しく、真剣な声で言った。
誰も、それに答えられなかった。
その時だった。
一人の老人が、五人の横を、足早に通り過ぎていく。
老人は、何度も山の方を振り返りながら、小さく呟いた。
「……今日は、早いな。」
「え?」
隼人が、思わず聞き返した。
老人は、一瞬だけ足を止めた。
振り返ろうとして――やめた。
「……早く、帰りな。」
それだけ言い残すと、老人は家へ駆け込み、勢いよく雨戸を閉めた。
ガラガラガラ……。
乾いた音を立てて、雨戸が閉められる。
その音は、まるで合図のように、次の家、また次の家へと連なっていった。
静まり返った集落を、五人は、少し早足で通り抜けた。
ペンションの明かりが見えた時、隼人は、無意識に、安堵の息を漏らしていた。
その時だった。
港の方からも、同じように雨戸の閉まる音が、一軒、また一軒と響き始めた。
気が付けば、集落の窓という窓から、明かりが消え始めていた。
そして、気が付けば――。
さっきまで賑やかだった蝉の声が、ぴたりと止んでいた。
音という音が島から消えた。
誰一人、外にはいない。
ただ、波だけが規則正しく岸を打っている。
まるで島全体が、見えない誰かの帰りを待っているかのようだった。
だが、その安堵の裏で、一つの疑問が、頭から離れなかった。
――島の人たちは、何から、あんなに急いで、身を隠しているんだろう。
誰も、その答えを口にしようとはしなかった。
***鐘の鳴る刻***
ペンションに戻った五人は、夕食の席についていた。
だが、いつもの賑やかさは、どこか、鳴りを潜めていた。
「……なあ。」
秀が、箸を止めて口を開く。
「今日の集落、絶対おかしかったよな。」
「うん。」
美優が、小さく頷いた。
「あの老人も、『早く帰りな』って……。」
「誰かに、聞いてみる?」
隆が、提案する。
「健一さんなら、何か知ってるんじゃ……。」
その時、厨房から、健一が料理を運んできた。
いつもと変わらない、明るい笑顔だった。
「今日は、島を回ってきたんだって?」
「はい。」
隼人が、頷く。
「健一さん、聞きたいことがあるんですけど。」
「ん?」
「集落の人たち、みんな、午後四時を過ぎたら、急いで家に帰るんです。」
健一の表情が、一瞬、動いた。
だが、すぐに、いつもの笑顔に戻す。
「ああ、それは……島の昔からの習慣、みたいなものだよ。」
「習慣?」
「日が傾くと、涼しい家の中で過ごす、っていうだけさ。」
その説明は、明らかに、今日見た光景とは釣り合っていなかった。
誰も、それ以上、追及はしなかった。
だが、隼人は、健一の目の奥に、微かな怯えのようなものを見た気がした。
*** 灯りが消える時間***
夕食を終え、五人は、それぞれの部屋へ戻った。
窓の外は、夕暮れに染まり始めていた。
西日に照らされた海が、赤く輝いている。
「なあ、今何時?」
秀が、隣のベッドに寝転がりながら、隆に尋ねた。
「四時、五十分過ぎ。」
隆が、スマートフォンを確認しながら答える。
夏のこの時間なら、まだ日は高いはずだった。
だが、部屋の中に、静かな緊張が満ちた。
誰も口を開かなかった。
秒針だけが、静かに時を刻んでいく。
部屋の空気が、じわじわと重く沈んでいくようだった。
誰も、口には出さなかったが、全員が、時計の針を意識していた。
隼人は、窓際に立ち、外を見つめていた。
さっきまで赤く輝いていた海が、みるみるうちに、色を失っていく。
まだ日が沈むには早いはずなのに、空は、誰かが光を吸い取っていくように、急速に暗さを増していった。
集落の明かりは、今日もまた、一つ、また一つと消えていく。
港の方角も、山の方角も、闇に沈んでいく。
だが、一つだけ――。
山の中腹、木々の隙間から、小さな灯りが、ぽつんと見えた。
揺れながら、ゆっくりと、動いている。
「……あれ。」
隼人の声に、他の四人も、窓際に集まってきた。
「灯り……?」
美優が、目を凝らす。
「誰か、いるのか?」
隆が、カメラを構えた。
その灯りは、山の斜面を、ゆっくりと、上へ上へと登っていくように見えた。
「まさか、あそこ……。」
夕子が、地図を思い浮かべるように、目を細める。
「神社の、奥の参道の方角だわ。」
***五時の鐘***
その時だった。
部屋の窓の外、遠くから――。
ゴォーン……。
鐘の音が、響いた。
「……来た。」
秀が、掠れた声で呟く。
五人は、無言のまま、山の灯りを見つめ続けた。
ゴォーン……。
二つ目の鐘。
山の灯りが、一瞬、止まった。
まるで、鐘の音に応えるように。
ゴォーン……。
三つ目。
灯りが、再び動き出す。
だが、その動きは、先ほどより、明らかに速くなっていた。
ゴォーン……。
四つ目。
灯りは、参道の奥――木々の深いところへと、吸い込まれるように、消えていった。
ゴォーン……。
五つ目の鐘が鳴り終わると、島は、完全な静寂に包まれた。
誰も、言葉を発せなかった。
「今の……誰か、山に入ったってこと……?」
美優が、震える声で言う。
「多分。」
隼人は、窓の外を見つめたまま、頷いた。
「でも、誰が、こんな時間に――。」
言いかけて、隼人は、はっとした。
健一の言葉が、頭をよぎる。
――港にも、木札があっただろ? 午後五時以降、山道立入禁止。
その禁止事項を、たった今、誰かが破った。
いや――。
破ったのではなく。
呼ばれて、応じたのかもしれない。
***消えた灯り***
「追いかけなくていいのか?」
秀が、腰を浮かせる。
「駄目だ。」
隼人が、鋭く制した。
「健一さんも言ってた。夜になったら、山には近づくなって。」
「でも、誰かが……。」
「今、俺たちが行っても、何もできない。」
隼人の声には、抑えきれない緊張が滲んでいた。
夕子が、静かに言う。
「健一さんに、報告しましょう。今、確実に言えるのは、誰かが山へ入った、ということだけ。」
全員が、頷いた。
五人は、部屋を飛び出し、階下の健一の元へと駆けた。
だが――。
食堂の明かりは、すでに消えていた。
「健一さん?」
隼人が、声を掛ける。
返事はなかった。
厨房の奥、健一の私室と思われる扉の隙間から、かすかな灯りが漏れている。
隼人が、そっと扉を叩いた。
「健一さん、いますか。」
しばらくして、扉が、細く開いた。
健一の顔は、夕食の時とは、別人のように、青ざめていた。
「……見たのか。」
その声は、震えていた。
「山の、灯りを。」
隼人は、頷くことしかできなかった。
健一は、深く、長い、ため息をついた。
「……今夜だけは、部屋から出るな。」
「健一さん、あれは、一体――。」
「今は、話せない。」
健一は、扉を閉めようとした。
だが、その手を、隼人が、思わず止めた。
「教えてください。」
隼人の声は、真剣だった。
「俺たちは、逃げるつもりはありません。でも、何も知らないまま、怖がることしかできないのは、もっと嫌なんです。」
健一は、しばらく、隼人を見つめていた。
やがて、諦めたように、小さく息を吐いた。
「……明日の朝、話す。今夜は、もう遅い。」
それだけ言うと、健一は、静かに扉を閉めた。
廊下に取り残された五人は、しばらく、動けなかった。
窓の外、山の方角は、もう、何の灯りも見えなかった。
ただ、暗闇だけが、そこにあった。
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