外伝Ⅸ 少し変わった兄妹仲
パナサーが兄に直接会ったのは、約10年ぶりだった。
主な理由は、劇団の団長であるカミルが忙しすぎることだ。
パナサー自身も忙しいが、彼女は適度にサボったり息抜きするのがとてもうまい。
そのため会いに行こうと思えば会いに行くことはできた。
でも、兄の負担になるのは本末転倒だ。
カミルは幼い頃から、仕事詰めの両親の代わりにパナサーの面倒をよく見てくれた。
いい年してこれ以上迷惑かけることはできない。
そのため手紙でのやり取りは続けていたが、顔を合わせることは滅多にしなかった。
そんなことを考えていると、病院を訪れていたカミルがパナサーに寄ってきた。
アインツ達がカエデを探しに出かけた後なのに、カミルは凄く落ち着いている。
心配そうに窓を眺めているパナサーの肩に手を置くと、彼は懐かしい声色で話しかけてきた。
「久しぶりね、パナサー。
まさかこんな再会になるなんてね。
元気にしてた?」
「……そうね、いつも通りだわ」
パナサーが振り向くと、貴族の女性の恰好をした兄がいた。
その瞬間、思わず彼女の顔が引きつった。
「……ねぇ、いつからその格好しているの?」
「えっ? そうねぇ……8年前くらいからかしら?
そういえばあなたにこの姿を見せるの初めてだったわね♡
どう? 似合ってる?」
「……」
噂には聞いていた。
ストロベリークォーツ劇団の団長は、女装をした男であると。
だがパナサーが知るカミルは、普通の男性だった。
女装の趣味を持たない、短髪で少し筋肉質だったはず。
そのせいで、違和感が盛りだくさんな上に少し気持ち悪い。
これが彼の個性だと、到底受け入れられなかった。
だからこそ、最近ではカミルが自分の兄だと知られるのが少し恥ずかしくなってしまっていた。
「その顔、どうやら美しすぎて言葉が出ないようね。ウフフ♡
この格好だとね、子供達がすごく喜んでくれるのよー」
「……ああ、そういうことね。
確か8年前って、劇団と孤児院の両方を設立した時期だったわね。
一体何があったのかって心配していたけど、どうやら杞憂だったみたいだわ」
カミルは劇団の団長であり、彼が持つグッタス孤児院の医院長でもある。
実際カエデやルドルフ、他の劇団員も彼の孤児院出身の人達が多い。
そんな可哀想な彼らのために、カミルは一肌脱いだのだろう。
「――変わっていないわね、兄さん」
カミルは右手で口を隠し、クスクスと笑った。
癖や見た目、口調等何もかもが別人のようになっている。
でも、優しい兄の一面は全然変わっていない。
それだけでも、パナサーは嬉しかった。
「せっかくこうやって会えたんだし……
今度お互いの予定が合うときに、夕飯一緒にどうかしら?
最近美味しいレストランを見つけたのよ?」
「……いいの?」
カミルは優しく首を縦に振った。
「そもそも自分から誘うの遠慮していたでしょ? パナサー。
レディとして立派になったのに、その控えめすぎるところは変わらないんだから。
たまにはわがまま言っていいのよ?」
「はぁ……ふふっ。
やっぱりバレバレだったのね」
2人は久しぶりに笑いあった。
それは子供っぽいものではなく、大人びた上品なものだった。
結局兄妹は、1週間後にレストランで夕食を共にすることを約束した。
***
約束の日、パナサーは仕事を早めに片付け身支度を始めた。
相手は兄ではあるが、レディとしての最低限の礼儀というものがある。
彼女は箪笥の奥にしまっていた綺麗なパーティー用のドレスを着こみ、化粧も丁寧に行った。
そして香水、ネックレスをつけ、いつも肩に乗せている相棒の黒蛇を久々にケージに入れた。
「ごめんなさいね、クロちゃん。
さすがにこの格好であなたを連れて行ったら、みんなを驚かしちゃうもの。
代わりに帰ったら美味しいご飯をいっぱいあげるから、ここでお留守番していてね?」
パナサーは蛇の顎を優しくなでた。
クロちゃんは彼女の言葉を理解したのか、ゲージの奥で丸まってしまった。
それを見たパナサーはクスクス笑うと、小さなカバンを持ってレストランに向かった。
場所は都市の真ん中、上品な街並みの一角だった。
いかにもドレスコードのありそうな店で、紳士やマダムといった人が中にいるのが見える。
(予想はしていたけど……兄さんったら、こんな高級な店を選ぶなんて)
さすが団長といったところだろう。
今回はカミルの奢りという話になっているから、どれだけの金額がかかっているのだろうか?
ここまでしなくてもいいのにと思いながらも、少し嬉しいような気がした。
ぎこちないながらも、パナサーは店の扉を開けて中に入った。
「……すみません、予約していたグッタスです」
「グッタス様ですね、お待ちしておりました。
こちらへどうぞ」
入口に立っていた若い店員はパナサーにお辞儀した。
彼はまるで召使のような仕草で、彼女を窓際のテーブルへと案内する。
そして椅子を引きパナサーを座らせると、いつの間にか水を持って来てくれた。
「お揃いになりましたら、コース料理をお持ち致します」
「ええ、ありがとう」
店員は再び頭を下げると、静かにその場を立ち去ってしまった。
こういった店に入るのは久しぶりだ。
パナサーは高級レストランのエチケットを少しの間頭の中で復唱していた。
有名人である兄の顔に泥を塗らないようにするためだ。
恐らくそんなことをしても大丈夫だろうが、唯一の問題は彼女が大食いであること。
少し落ち着いて食べるようにしないと、と自分に言い聞かせるようにした。
そんな中、後ろからコツコツと靴音が近づいてきた。
「待たせたね、パナサー」
「あっ、兄さ――え?」
振り返ったパナサーは、しばらく思考が停止してしまった。
そこにいたのは、女装をしたカミルではない。
貴族のような男性用のスーツを着て、長い髪を後ろに束ねた男性だった。
化粧は一切していないし、女性らしさが全くない。
しかも周囲の客が思わず振り返ってしまうようなイケメン。
こんな知り合いいたっけと、パナサーは困惑してしまった。
「……どちら様ですか?」
「? 僕だよ、カミルだよ」
「えぇ……うそ……」
口調と一人称が全然違う。
物腰がすごく柔らかくて、雰囲気も別人みたいだ。
そんな状態であのカミルですと言われても、脳が理解を拒否してしまう。
そのせいで、パナサーはただ首を傾げることしかできなかった。
「この場では、劇団の団長としてではなく君の兄としていたくてね。
だから久々にこういう衣装に袖を通してみたんだ。
ごめん……驚かせちゃった?」
「い、いえ……確かに、驚いたけど……
口調まで変える必要ないのに」
「それは、うーん……
一種の職業病だと思ってほしいな。
この服を着た時にこういう喋り方しないと、なんとなく落ち着かないんだ」
そう言うと、カミルはパナサーの向かいの席に座った。
そして慣れた手つきで置かれていたナプキンを取り、2つに折って膝に置いた。
その動作を、パナサーはポカンと眺めることしかできなかった。
(それでも兄さんって、元々「俺」とか言ってもっと刺々しかったのに……)
一体どれが本当の兄の姿なのだろう?
それが実の妹でも分からなくなってしまった。
そこからは少し戸惑いながらも、二人で料理を楽しむことができた。
カミルは最近どうとか、困ったことはないかとかパナサーを気遣いながら近況を聞いてきた。
それに応えるように愚痴をこぼすと、彼は楽しそうに話を聞いてくれる。
「この前ね、アインツちゃんがお金がなくて困っているところを見かけてね。
可哀想だから少し貸してあげたんだけど、全く返してくれないのよ!
催促しても『今は持ち合わせがない』って言われるし、本当に彼のポンコツぶりには脱帽しちゃうわ!
まぁ嘘はついてないし、悪気がないのは分かっているんだけど」
「ははっ、あの魔術師ってそんなに抜けているんだ。
……いや、天才だから日常にまで気が回らないのかな?
一体彼の家って、どんな感じなんだろうね?」
「……」
パナサーは手を止めてしまった。
悲しそうに手元を見る彼女の様子に、カミルは申し訳なさそうな顔をした。
何かまずい話題に触れてしまったのかと、そう思ったらしい。
でも、パナサーは口を開いた。
「……アインツちゃんはね、元々孤児だったの」
「――えっ?」
彼女は下を向いたまま続けた。
「露頭に迷っていたところをルイ君が拾ったのよ。
当時のアインツちゃんを見たことがあるんだけど、手癖は悪かったし喧嘩なんてしょっちゅう。
注意しても『それ以外に生きる方法を知らないから』って言っていたの。
それでもルイ君はあの子と向き合って、あそこまで育て上げたのよ?」
カミルも持っていたナイフとフォークを皿の上に置いた。
そして目を伏せながら、しばらく黙り込んでしまった。
やってしまった。
彼なら話してもいいかと思い、つい暗い話になってしまった。
特に孤児院を経営しているカミルにとっては、思うところが多いだろう。
久々の兄との時間なのに、これでは台無しだ。
そうパナサーが反省していると、カミルは突然ぼそっと呟いた。
「ねぇ、どうして僕が孤児院を始めたか知っている?」
「いいえ……」
そういえば、聞いたことがない。
手紙では経営を突然始めたことと、子供たちの近況しか書かれていなかった。
優しい兄のことだから、可哀想な子供に手を差し伸べたかったのかと勝手に考えていた。
そんなパナサーの考えを見透かしたかのように、カミルは優しく微笑んだ。
「この都市パライバトルマリンは、とても平和な場所に見えるでしょ?
でも、全体がそういうわけじゃない。
中にはスラム街になっていたり、犯罪が横行しているところだってある」
カミルはワイングラスを手にした。
そして中の赤ワインを少しだけ口に含んだ後、グラスを揺らして水面を眺めた。
その顔は、俯き加減で悲しそうに見える。
「特にかわいそうなのが、そんな場所に生まれた子供達だよ。
彼らは普通の幸せが何なのか知らないまま大人になり、生涯を終える。
下手をすると、誰かに愛されることすら知らないままね。
……そんなの、いくら何でもかわいそうじゃない?」
「だから孤児院を作ったのね」
カミルは小さく頷いた。
彼はグラスをテーブルに置き、ナプキンで口のついた部分を拭いた。
そして真っすぐパナサーを見つめ、少し困ったかのように口角を緩めた。
「劇団と冒険者活動って、実は僕が始めたわけじゃないんだよね。
孤児院の子達がさ、僕の資金繰りを危惧して勝手にやり始めたんだ。
あまりに無計画で危なっかしかったから、リーダーは僕が引き受けたけど。
でもおかげで子供達は楽しそうにしているし、中にはルドルフ君みたいに才能が開花した子だっている。
その点は僕は全く後悔していないかな。
でも……」
突然、彼は黙ってしまった。
パナサーはその間、暗い顔をしている兄をずっと見守っていた。
カミルは今、心を整理している。
だから再び言葉を発するのを、何も言わずに待っていたのだ。
「……やっぱり、全員を救うのは無理なんだね。
アインツ君はルイ君がいたから救われたけど、まだ僕が知らないところで苦しんでいる子達が大勢いる。
頭では理解していたつもりだったけど、こうして現実を見るとやっぱりショックは大きいね。
……ああ、ごめん。こんな時に暗い話をしちゃって」
カミルは無理やり明るく笑うと、料理を食べるのを再開した。
パナサーも置いていたフォークに手を伸ばそうとしたが、それを止めた。
そして思っていたことを言葉にして、漏らすように口からこぼれ出た。
「それでも、兄さんは全力で頑張っているんでしょ?」
「……?」
カミルの手が再び止まった。
「確かに、全員を救うのは無理かもしれない。
でも兄さんはベストを尽くすように努力しているのよね?
だったらそれでいいんじゃないかしら?
救われた子供達も少なくないってことなんだから」
「……」
カミルはしばらく固まっていた。
その間、パナサーはメインの肉料理を切らずにそのまま口に運んだ。
そして一口でそれを頬張った直後、はしたない行動をとってしまったことにハッとしてしまった。
口を動かしながら恥ずかしそうに手で顔を覆うと、カミルは面白くて噴き出した。
「ふふっ、全く……
いつの間に大人になったんだなと思ったら、食欲旺盛なところは変わらないんだね。
やっぱり成長していないね、パナサーは」
「……レディを怒らせるのは紳士としてどうなのかしら?」
2人はやり取りがおかしくて、思わず笑ってしまった。
そしてそのまま、つつまじく食事を再開したのだった。
<<ルドルフからの一言メモ>>
僕が知っているだけでも、団長は10個の性格のパターンを持っているよ!
仲間が言うにはもしかすると20個もあるとか。
衣装が変わる度に性格がコロコロ変わっちゃうけど、根は優しい僕達の”親”そのものだよ!
アハハッ、だからこそ僕達はあの人に一生ついていくって決めているんだ。




