第三章:満開の温室
温室のガラス屋根を激しく叩く雨音が、二人の間に落ちた沈黙を重く塗りつぶしていく。
むせ返るような蘭の甘い香りと、湿った土の匂い。咲の真っ直ぐな視線に射すくめられた周は、パイプ椅子に腰を下ろしたまま、目の前の年下の青年が放つ静かで熱い気配に身動きすら取れなくなっていた。
「咲、くん……ふざけ、ているなら……」
「ふざけてなんかいませんよ。ずっと、こうして触れたかったんですから」
周の微かに震える声を遮るように、咲の長い指が周の首元へと伸びた。雨の冷たさとは無縁の、酷く熱を帯びた手が、濡れて重くなったネクタイの結び目にそっと指をかける。
スルリと音を立ててシルクが解かれ、きっちりと閉まっていた第一ボタンが外された。
たったそれだけの行為なのに、まるで「エリート」としての分厚い鎧を剥がされたような錯覚に陥り、周は小さく息を呑んだ。
「いつも隙のない完璧なスーツ姿、すごく綺麗でした。でも……俺の店に現れるたび、その完璧な仮面を外して、俺だけの熱で溶かしてしまいたいと願っていたんです」
露わになった周の首筋に、咲の指先が這う。肌をなぞるその手つきはひどく優しく、大切に花びらを扱うかのようでありながら、「絶対に逃がさない」という仄暗い支配欲に満ちていた。
普段は部下を従え、すべてを完璧にコントロールしている周が、年下の青年の静かな熱情にすっかり呑み込まれ、微かに肩を震わせている。その無防備な姿が、咲の胸の奥で燻っていた感情を満開にさせた。
「上北さん。……周さん」
咲は周の頬を両手で包み込み、自分の額を、周の額にそっとすり合わせた。
至近距離で絡み合う視線と、混ざり合う吐息。
「や、まっ……咲くん、これ以上は……っ」
「拒否するなら、本気で突き飛ばしてください。いくら仕事で疲れているとはいえ、大人のあなたが、俺から逃げられないわけがないでしょう?」
その言葉に、周は息を詰まらせて目を伏せた。
突き飛ばすことなど、できるわけがなかった。雨とトラブルで芯まで冷え切り、限界だった自分を迎え入れ、この温室の甘い熱で満たしてくれているこの青年を――周自身も、心の奥底でどうしようもなく求めてしまっているのだから。
周の瞳から明確な抵抗の光が消え、しな垂れるように力が抜けたのを悟ると、咲は満足げに、ひどく美しい笑みを浮かべた。
「……賢くて、綺麗な人だ」
そのまま、咲は周の唇に、自分の唇を静かに押し当てた。
激しく奪うわけではない。ただ、触れ合った唇の熱から、互いの感情がドロドロと溶け合っていくような、深く、優しく、けれど逃げ場のない重い口づけ。
「周さん……あなたはもう、俺の根に囚われた。もう二度と、元の冷たい世界には帰しません」
唇を離した咲の詩的で重い告白に、周はただ熱い吐息をこぼし、安堵と切なさに瞳を潤ませながら、その若く逞しい腕の中へと完全に墜ちていった。




