episode3.5『動き出す者(ヤツ)』
俺はある日気がついた。
「俺の武器って何がある?」
原動機付自転車の運転免許
これだけだった。
本当に進化をしたいそう思い教習所で
普通自動車の運転免許を取得した。
職業紹介所の必須条件でもよくある『運転免許』
こいつを取得したことにより幅が広がったのだ。
そうしてこんな空白期間が目立つ俺が応募して
就職したのは、とある運送会社だった。
募集要項にはこう書かれていた。
営業職募集。
俺は人と話すのが得意だったわけじゃない。
もはや対人恐怖症でコミュ障だった。
でも、本気で自分を変えたかった。
だから飛び込んだ。
全く知らない未知の世界に。
⸻
初日。
上司に案内された場所は、
営業部ではなかった。
⸻
広い倉庫。
フォークリフトが走り回る。
荷物が積み上がる。
⸻
「今日から研修だけど先輩が不在だから事務所で勉強をしてくれ。」
それが1週間続いた。
そして、部長に質問をした。
「いつから営業の先輩と同行で教えていただけるのですか?」
部長は眉をひそめてポツリと言った。
「担当が飛んだからとりあえずフォークリフトの免許取って倉庫員に欠員が出るからそこを埋めてもらう。」
⸻
俺は一瞬止まった。
⸻
「営業じゃ……。」
⸻
「まずは現場覚えることも大切やで。」
⸻
その一言で終わった。
そうして俺はフォークリフトの資格を取得した。
だが、これが意味することをまだ知らなかった。
⸻
フォークリフトの資格を取得して直ぐに
現場配属になった。
その後は毎日、
荷物を運ぶ。
広い倉庫から荷物をピッキングをし
各ドライバーごとに仕分ける。
トラックに積む。
補充のために来た
大型トラックから荷物を降ろす。
またトラックに荷物を積む。
また降ろす。
⸻
朝から夕方まで。
ひたすら身体を動かす。
⸻
営業の話なんて、
誰もしなかった。
俺自身も言う度胸すらなかった。
⸻
一週間。
⸻
「そのうち営業行くやろ。」
⸻
一か月。
⸻
「まぁ、焦らんでも。」
⸻
半年。
⸻
「もうすぐちゃう?」
⸻
一年。
⸻
何も変わらなかった。
⸻
ある日。
勇気を出して聞いた。
⸻
「営業って、いつからですか。」
⸻
上司は書類を見たまま答えた。
⸻
「来月から。」
⸻
たった一言だった。
⸻
一年待った。
その一言だけで、
少し救われた。
⸻
翌月。
⸻
遂に営業部へ配属。
⸻
「やっと始まる。」
⸻
そう思った。
⸻
甘かった。
⸻
飛び込み営業。
⸻
自分で調べた町工場を中心に
仕上げたリストを片手に歩く。
知らない会社へ入る。
名刺を渡す。
頭を下げる。
⸻
「結構です。」
⸻
「間に合ってます。」
⸻
「営業お断り。」
⸻
ドアが閉まる。
⸻
また歩く。
⸻
また断られる。
⸻
雨の日。
⸻
営業だが作業着だった。
当然作業着は濡れる。
安全靴の中まで水が入る。
⸻
真夏。
⸻
汗が止まらない。
⸻
真冬。
⸻
手がかじかむ。
⸻
それでも歩く。
⸻
一件。
十件。
五十件……
⸻
契約は数件しか
取ることはできなかった。
⸻
帰社。
⸻
「今日は?」
⸻
「ダメでした。」
⸻
「もっと回れ。」
⸻
「はい。」
⸻
その繰り返しだった。
⸻
悔しかった。
⸻
「向いてへんのかな。」
⸻
そう思った夜もあった。
⸻
でも、
辞めようとは思わなかった。
⸻
辞めたら、
本当に「無理」になる気がした。
⸻
一年が過ぎた。
⸻
ある朝。
上司に呼ばれる。
⸻
「お前、ドライバー行け。」
⸻
「はい。」
⸻
営業は終わった。
⸻
次は、
トラックだった。
だが俺はトラックの免許は持っていなかった。
準中型免許。
これを取得することが必然的に決まった。
そしてすぐに会社から2年拘束という条件付きで
教習所に行きまた新たに準中型免許を取得した。
⸻
初めて3t車の
トラックの運転席へ座る。
⸻
エンジンをかける。
⸻
ハンドルを握る。
⸻
不思議だった。
⸻
営業で運転していた時より、
心が静かだった。
⸻
仕事内容を聞く。
⸻
「二十五キロの粉袋。」
⸻
「一日四百袋。」
⸻
「専属便や。」
⸻
会社で担当しているのは、
俺と、
6年以上走り続けている先輩。
たった二人だけだった。
⸻
初日。
⸻
先輩が笑う。
⸻
「逃げるなら今日やぞ。」
⸻
周りも笑う。
⸻
「三日持ったらええ方や。」
⸻
「腰壊すで。」
⸻
「この便は人が定着せえへん。」
⸻
俺は荷物を見る。
⸻
パレットに満載積まれた
粉袋。
⸻
一袋あたり二十五キロ。
⸻
持つ。
⸻
歩く。
⸻
降ろす。
⸻
また持つ。
⸻
ただ、それだけ。
⸻
昼休み。
⸻
先輩は汗だくで座り込む。
⸻
「今日は多いなぁ。」
⸻
先輩は腕を回しながら呟いた。
⸻
「腰終わった。」
⸻
「あと半分もある。」
⸻
そんな声が時折先輩の口から漏れた。
⸻
先輩が俺を見る。
⸻
「大丈夫か?」
⸻
俺は缶コーヒーを開けながら答える。
⸻
「はい。」
⸻
「無理すんな。」
⸻
「いや……。」
⸻
少し笑って言った。
⸻
「まだ全然余裕でいけます。」
⸻
トラックの中が静かになる。
⸻
「強がんな。」
⸻
「ほんとです。」
⸻
嘘じゃなかった。
⸻
疲れる?
汗もかく。
⸻
でも、
身体も。
心も。
⸻
最初から余裕だった。
⸻
苦しいと思わなかった。
⸻
限界まで身体を使う感覚が、
むしろ心地よかった、
ワクワクした。
楽しかった。
幼い時にお菓子を楽しみにする
そんな感覚に近かった。
⸻
翌日も。
⸻
一週間後も。
⸻
一か月後も。
⸻
何も変わらない。
⸻
新人は辞めていく。
⸻
「無理です。」
⸻
「腰痛めました。」
⸻
「もう続けられません。」
⸻
何人見送ったか分からない。
⸻
部長が煙草を吸いながら笑う。
⸻
「お前。」
⸻
「はい?」
⸻
「ほんま何者や。」
⸻
「え?」
⸻
「あの仕事で毎日ケロッとしてる奴、お前しか見たことない。」
⸻
俺は笑った。
⸻
「そうなんですか?」
⸻
「そうなんですかちゃう。」
⸻
「ネジ飛んどる。」
⸻
俺は否定しなかった。
⸻
昔からそうだった。
⸻
人が避ける場所。
⸻
人が嫌がる仕事。
⸻
そこへ行くと、
なぜか心が落ち着いた。
⸻
苦しさより、
「どこまでやれるんやろ。」
その方が気になっていた。
⸻
昔の俺は働くことが
嫌だった。トラウマもあった。
でも今はすごく楽しい。
⸻
辞めたいなんて、
一度も思わなかった。
⸻
だが、
人生は仕事だけでは決まらない。
⸻
少しずつ。
⸻
周りの空気が変わり始める。
⸻
何気ない一言。
⸻
小さな理不尽。
⸻
飲み込んできた違和感。
⸻
⸻
仕事は順調だった。
少なくとも、
俺はそう思っていた。
⸻
時間も守る。
身体も壊さない。
先輩との関係も上手くいっていた。
⸻
毎日同じような道を走る。
同じ客先、現場。
同じ荷物、それと部材。
見慣れた景色。
⸻
その毎日が、
嫌じゃなかった。
⸻
俺は、
働くことが好きになっていた。
⸻
だからこそ、
理解できなかった。
⸻
仕事は好きなのに、
会社へ帰るのが嫌だった。
⸻
原因は、
仕事じゃない。
⸻
人だった。
⸻
倉庫へ戻る。
⸻
何気ない一言。
⸻
「早く終わったのなら自分の専属先の荷物を片付けろ。」
⸻
「お前が悪い。」
⸻
確認もせずに決めつける。
⸻
飲み込む。
⸻
また飲み込む。
⸻
「仕事や。」
⸻
そう思って、
何度も飲み込んだ。
⸻
でも、
人には限界がある。
⸻
ある日。
⸻
いつも通りの朝。
⸻
たった一言。
⸻
その一言が、
積み重なっていたものを壊した。
⸻
売り言葉に、
買い言葉。
⸻
倉庫の空気が止まる。
⸻
周りが止めに入る。
⸻
俺も、
相手も、
引かなかった。
⸻
何を言ったのか。
⸻
何を言われたのか。
⸻
今ではもう、
細かくは覚えていない。
⸻
覚えているのは一つだけ。
⸻
「もうここでは働けない。」
⸻
その感覚だけだった。
⸻
退職届を書く。
⸻
悔しかった。
⸻
三年間。
⸻
営業も。
倉庫も。
ドライバーも。
⸻
全部やった。
⸻
身体は強くなった。
⸻
心も、
少しだけ強くなった。
⸻
でも、
ここが俺の居場所じゃない。
⸻
そう思った。
⸻
会社を出る。
⸻
振り返らなかった。
⸻
次の会社。
⸻
また運送会社だった。
⸻
「結局トラックか。」
⸻
古くからの腐れ縁のダチに笑われた。
⸻
俺も笑った。
⸻
「結局好きなんやろな。」
⸻
仕事内容は、
長尺物。
⸻
鉄。
配管。
建材。
⸻
積み方も違う。
降ろし方も違う。
⸻
一から覚え直しだった。
⸻
それでも、
苦じゃなかった。
もはやそれさえも楽しかった。
⸻
身体を動かす。
運転をする。
⸻
卸先で
荷物を運ぶ。
⸻
走る。
⸻
その繰り返しが、
俺には合っていた。
⸻
ただ、
理不尽は、
どこへ行ってもあった。
⸻
荷待ち。
⸻
無茶な時間指定。
⸻
無茶な配車
⸻
「待っといて。」
⸻
その一言で、
一時間。
二時間。
⸻
誰も悪びれない。
⸻
「ドライバーやから。」
⸻
その言葉だけで、
全部終わる世界。
⸻
納得できなかった。
⸻
ある日。
⸻
専属先で、
いつものように理不尽を押し付けられる。
⸻
俺は黙らなかった。
いや、黙ることができなかった。
⸻
「それは違います。」
⸻
静かな口調だった。
⸻
でも、
相手は怒鳴る。
⸻
俺も引かなかった。
⸻
結果だけ言えば、
俺は出禁になった。
⸻
会社から連絡が来る。
⸻
「専属先、出禁や。」
⸻
俺は、
少しだけ笑った。
⸻
「そうですか。」
⸻
怒りはなかった。
⸻
後悔もなかった。
⸻
言うべきことを言った。
⸻
それだけだった。
だが、会社は俺の言い分を
信じるどころか聞き入れてくれることもなかった。
⸻
しばらくして、
大型免許を取ろうと思った。
⸻
誰かに勧められたわけじゃない。
⸻
自然だった。
⸻
「まだ先へ行ける。」
⸻
そんな気がした。
⸻
またまた教習所。
申し込みをして予約を取る。
⸻
適性試験も終えて
初めて大型トラックへ乗る。
⸻
運転席は今まで乗ってきた
営業車よりも、3tトラックよりも高い。
⸻
見える景色も違う。
何もかもが違う。
⸻
エンジンをかける。
運転席には一定のリズムで
トラックのエンジンの振動が伝わる。
⸻
ギアを入れ、
コースに向けて
ゆっくり発進する。
⸻
その瞬間、
胸の奥で何かが動いた。
⸻
「これや。」
⸻
言葉にはできなかった。
⸻
でも、
分かった。
⸻
俺は、
まだ終わっていない。
⸻
そして卒検も合格し
書き換えを終えた
大型免許を受け取る。
⸻
たった一枚の免許証。
⸻
だけど、
俺には、
未来への扉に見えた。
⸻
あの日、
営業として入社した俺は、
未来に期待していた。
⸻
そして今。
⸻
営業でもなく。
倉庫員でもなく。
粉袋専属でもなく。
長尺ドライバーでもない。
⸻
新しい俺が始まろうとしていた。
⸻
俺は免許証を財布へしまう。
⸻
空を見上げて
タバコを吸いながら
頭の中で考えた。
⸻
「次は。」
⸻
小さく笑う。
⸻
「もっと上へ。そして頂へ。」
⸻
その一歩が、
後に俺自身も想像しなかった景色へ繋がっていくことを、
この時の俺はまだ知らなかった




