episode8.『敗北』
「……辞めます。」
その一言は、あまりにも冷たく、静かだった。
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そう言ったのは新人だった。
あの日、
「一緒に走ります。」
そう笑った新人だった。
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「何でや。」
俺は聞いた。
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新人は笑う。
でも、
その笑顔は初めて会った頃と同じ純粋な笑顔だった。
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「俺、やっぱり向いてないです。」
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「怒られてばっかりで。」
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「家族にも反対されて。」
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「彼女にも振られて。」
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「もう『無理』です。」
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『無理。』
またその言葉だった。
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俺は何も言えなかった。
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あれだけ話した。
あれだけ励ました。
あれだけ一緒に走った。
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それでも、
俺の言葉は届かなかった。
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会社を出る。
空は降ってるのかさえ分からない
微妙な雨。
傘は差さない。
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帰り道。
頭の中で、
あの日の言葉が何度も流れる。
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「希望とは立ち上がる理由。」
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「……嘘や。」
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俺は笑った。
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立ち上がらん奴は立ち上がらん。
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どれだけ手を伸ばしても。
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どれだけ言葉を尽くしても。
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届かない。
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「俺じゃ救えへん。」
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初めてそう思った。
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家へ帰る。
ノートを開く。
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今日も書く。
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……だが1文字も書けない。
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ペンが止まる。
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「俺は無敵。」
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その『仮面』であり
『誓いの言葉』も書けない。
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「希望。」
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書けない。
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全部、
小さく、軽く見えた。
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俺はノートを閉じる。
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そして、
初めて床へ投げた。
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バサッ…
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雑に開かれたノートが落ちる。
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何年分もの努力。
何年分もの言葉。
何年分もの覚悟。
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全部、
床に転がった。
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俺は壁にもたれかかる。
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「……何やってんねやろ。」
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静かな部屋。
時計の音だけが響く。
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その時だった。
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ふと一枚の紙が目に入る。
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何年も前のページだった。
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そこには、
汚い字で、
たった一行だけ書いてあった。
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「今日も生きた。」
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その下には、
もっと小さい字。
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「今日は死なへんかった。」
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俺は固まった。
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こんなこと、
書いてたんか。
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完全に忘れていた。
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昔の俺は、
『最強』なんて考えてなかった。
『神』なんて考えてなかった。
『希望』なんて考えなかった。
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ただ、
今日を生き延びることだけを必死に考えていた。
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その紙を見つめながら、
また涙が落ちた。
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「そうや。」
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「俺も。」
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「何回も立ち上がれんかった。」
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「何回も逃げた。」
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「何回も負けた。」
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「それでも…」
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「今日だけは生きよう。」
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それだけを支えに立ち続け、
その積み重ねが、
今、ここに居てる俺だった。
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だが、新人は辞めた。
これは変わらない事実。
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俺の手で救えなかった。
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でも。
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あいつの人生は、
まだ終わってない。
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あいつの道は
俺が決めることじゃない。
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いつか。
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十年後でも。
二十年後でも。
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また立ち上がるかもしれない。
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その時、
あの日の言葉を思い出してくれたら。
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それでええ。
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ノートを拾う。
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新しいページを開く。
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ゆっくり書く。
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「『希望』は、結果じゃない。」
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「信じて待つ覚悟や。」
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その一文を書いた時、
『 』は初めて理解する。
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「救う」と「変える」は違う。
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人は、
無理やり変えられない。
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立ち上がるのは、
最後は本人なんや。
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だから今の俺にとっての『希望』とは、
引っ張り上げることじゃない。
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立ち上がれると信じ続けること。
そう思い、タバコに火をつけたのだった。
episode9.『無敵』へ続く……




