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帰宅部のある沿線についての考察について

 ある日の放課後。

 三人は喫茶店でだべっていた。


「これは僕の従兄から聞いた話なのですが…」と山口は話し出した。


「え?なになに?」と興味津々のしおり。


 玖郎もコーヒーを飲みながら耳を傾けている。



 僕の従兄は、フリーの漫画編集をしています。

 以下、作中に出てくる地名や人物名や呼称などはすべて架空のものとしますね。


 従兄は締切と会議に追われる毎日でした。連載の進行管理、ネームチェック、修正指示、企画会議…。一つの仕事が終わる前に、次の仕事が机の上に積み上がっていく。それが当たり前で、疑問を抱く余裕もない日々を送っていました。


 フリーの編集者ですから、人と話すことも少ないそうです。いや…話す人が限られている。そんな日々に耐えられず、従兄は喫茶店に入りました。


 従兄は東京の大学に進学した後に帰郷しました。都会に住んでいた時の影響で車ではなく、電車で移動することが多いそうです。


 ちなみに皆さんはどちらの駅を利用することが多いですか?


「福山駅じゃけど」としおりが答えた。


「そう…これはそんな福山駅が舞台の話なのかもしれません」と山口は続けた。


 従兄は取材と称して喫茶店に入り、誰かの話に耳を傾け、使えそうな断片を拾い集める、ということをしていたそうです。編集者の仕事というより、どちらかといえば“物語を探す旅”に近いそうです。


 従兄は他人の噂話を聞くのが嫌いではなかった。人は、事実よりも「そう感じたこと」を大切にする。そこには最終的に残ったものがあり、それ以前の形はわからない。従兄はその歪みやズレの中にこそ、物語の入り口があると信じていたそうです。


 最近は、怪談や都市伝説を題材にした企画が流行っていますよね。いわゆる「モキュメンタリ―ホラー」というやつです。それに求められるのは派手な展開や、わかりやすい恐怖だそうです。理由が明確で、原因が示され、最後には何かしらの“オチ”がつく。明確に説明できないまま終わる話は、創作としては敬遠されがちだそうです。


 従兄は、その傾向に少しだけ違和感を覚えていたそうです。だって本当に怖い話というのは、たいてい説明がつかないじゃないですか。後から理由を付け足した瞬間、収まりは良いが、怖さは急速にしぼんでしまうような…。



 だから彼は、今も「説明できない話」を探しています。それが事実なのか、錯覚なのか、あるいは偶然なのかはさほど重要ではない。ただ、聞いた人の中に、説明しきれない感触だけが残る話。そういうものに、編集者としての勘が反応するそうです。


──そんなある日。


 従兄はいつものように喫茶店に入ったそうです。そう、今の僕たちと同じように…。喫茶店の隣の席で地元の大学生らしき男女グループが騒いでいました。彼らの顔をちらっと見た。男女のグループの中に一人女性が混じっている。何やら深刻そうな表情をしていました。


「…limeをブロックしたんだけど…」


 恋人との別れ話を相談しているのだろうか。


「それに、妊娠の事もあるけぇ…」


『妊娠』という言葉に従兄の耳が反応しました。彼女の表情から考えるに何やら深刻そうな話であったそうです。


「神塩線に乗ると、電波が入りにくくなる」

 話題を変えようとしたのだろうか、とある大学生男性が言った。


 そう、皆さんも普段つかっているあの沿線ですね。


 その言葉を聞いたとき、従兄はまだ、それを怪異だとは思っていなかったそうです。せいぜい、よくある通信トラブルの一種だろう、と。だが、その後に続いた彼の話が、従兄の中に小さな引っかかりを残しました。


「神塩線って、電波が入りにくい時ない?いつも乗るときはそうでもないけど。友達の家に遊びに行った帰りとか。圏外ってほどじゃないけど、なんか妙に不安定で」


 珍しい話ではないです。ローカル線なら、通信環境が悪い場所もありますよね。山に囲まれた場所も通りますよね。従兄はそう思いながら、彼らの会話にしばらく聞き耳を立てたそうです。


「そうか?あの沿線、車で通ると、普通に繋がるけど」

 他の大学生らしき男性が言った。


 従兄は、そこで、少しだけ引っかかった。『鉄道に乗っている時だけ異変が起きる』という点です。


「うち、神家に住んでるから、神塩線で通学してるけど、別に、困るほどじゃないけど。動画が止まるとか。でもなんかノイズが入ることが多いんよね」

 先ほどの女子大生が言った。左耳に大きなピアスをしている。


 どうやら謎の電波障害は複数の人数が経験しているようです。


 女子学生が続けました。

「そういえば…この前、変なメッセージが入ってたんよ。神塩線に乗っている時に、電話がかかってきたんだけど、電車だから出れないじゃん。それで留守電になったんだけど。変なメッセージが入ってて」


「え?なにそれ怖いけど」

 大学生グループがざわめきだしました。


「子供の声で……『いけんよ』って。番号はうちのおばあちゃんからだったんだけど、後で『なんだったの?』って聞いてみたんだけど『そんなこと言ってない』って言うし、なんだったんだろう。その声、なんか……遠い感じで。録音や電波が悪いとかじゃなくて。水の中から聞こえる感じ、っていうか」


 従兄は、メモを取ったそうです。

 気になる点は謎の電波障害が、『神塩線の一部のエリアのみで起きている可能性が高い』、『目撃者が複数いる』、『子供の声』。それに、音声の質について、ここまで具体的に語るのは珍しいですよね。


 喫茶店を出たあと、従兄は駅前でしばらく立ち止まりました。彼らの話は、どれも決定的なものではない。偶然と片付けようと思えば、いくらでもそうできる。それでも、従兄の中には、妙な感触が残っていたそうです。


『いけんよ』


 あの言葉が、誰のものなのか。どういう意味なのか。

 その時の従兄は、まだ、それを確かめに行こうとは思っていませんでした。ただ、モキュメンタリーホラーのネタとしては、悪くない。その程度の感想を抱いていたそうです。



 大学生の話を聞いたあと、従兄はその足で駅前の書店にはいりました。特に用があったわけではないです。ただ、取材や調査の帰りに書店へ立ち寄るのは、昔からの癖でした。


 平台には、相変わらず怪談や都市伝説を扱った本が並んでいます。

 帯には「実話」「取材記録」「モキュメンタリーホラー」といった言葉が踊っています。

 どれも売れ線です。そして、どれも似た匂いがする。


――説明が多すぎる。


 編集者として、従兄はそう感じてしまったそうです。


 怖さの正体、原因、仕組み。それらを最後に丁寧に説明し並べることで、読者を安心させる構成。市場的には正しい。だが、その安心感と引き換えに、何か大事なものが削ぎ落とされている気もするそうです。


 神塩線の話は、その点で少し違っています。大学生ら自身、原因を求めていない。怖がっている様子もない。ただ、起きたことを、そのまま話しているだです。


「電波が入りにくい」

「留守電に子供の声が入っていた」


 それだけなら、よくある話です。実際、同じような体験談はいくらでも見つかるのではないでしょうか。


 従兄は、スマートフォンで簡単に検索してみたそうです。

「電車 留守電 非通知 声」

 似たような話は、やはりいくつも出てきます。どれも断片的で、結論のないまま終わっています。コメント欄では、電波障害だ、いたずらだ、気のせいだと意見が分かれていました。


 ──それでいい。むしろ、その程度の曖昧さの方が、作品には向いている。


 従兄は、頭の中で企画書の形を思い描いていました。取材者の視点で語る、調査記録風の短編。怪異を断定せず、最後まで正体不明のままにする。読者に「もしかすると」と思わせる余地を残す。最後にどんでん返しがあればなおよし。これは、流行りの言葉で言えば、モキュメンタリーです。


「電波の怪異」という切り口も悪くない。幽霊や呪いと違い、誰にでも起こり得る。スマートフォンという身近な道具を介している点も、今の時代に合っている。


 そう考えているうちに、女子大学生の言葉が、ふと頭に浮かびました。


 ――水の中から聞こえる感じ。


『神塩線』『電波が入りにくい区間がある』偶然で済ませるには、ほんのわずかだが、引っかかりが残ります。


「一度、乗ってみるか」


 従兄は、スマートフォンで神塩線の時刻表を開きました。明日。特に予定は入っていません。画面を閉じる直前、なぜかもう一度、あの留守電の言葉を思い出したそうです。


『いけんよ』


 それが、誰の声なのか?どこに“行けない”のか?


 その問いに、今すぐ答えを求める気はなかったそうです。ただ、この話をネタとして扱うには、もう一段、材料が必要だと感じていました。そしてその材料は、おそらく、神塩線そのものの中にあるはずです。


 

 翌日。

 神塩線に乗ったのは、平日の昼過ぎでした。神山駅と塩上駅を結ぶ、全長の短いローカル線です。


 従兄は神山駅から塩上方面へ向かう電車に乗り込みました。通勤や通学の時間帯を外しているため、車内は空いていました。学生が数人、買い物帰りと思しき年配の女性、作業着姿の男性が一人。特別なことは何もない。地方のローカル線として、ごくありふれた光景でした。


 車両は二両編成で、年季は入っているが、清掃や整備は行き届いています。従兄は窓際の席に腰を下ろし、スマートフォンを取り出しました。


 地図アプリを開き、現在地を確認しました。発車直後の通信状態に、特に問題は見られなかったそうです。電車が動き出すと、駅前の街並みはすぐに途切れ、住宅地と神山川沿いの景色が交互に流れていきます。高い建物はなく、視界は開けています。電波を遮るような地形には見えないです。


 車内は終始静かでした。誰かがざわつく様子もなく、会話も聞こえてきません。乗客たちは、それぞれスマートフォンを眺めたり、窓の外に視線を向けたりしています。その中で、なぜか自分だけが、少しだけ場違いな位置にいるような感覚を覚えていたそうです。


 通信状況に大きな変化はないまま、電車は淡々と走り続けます。特別な出来事は何も起こりません。そうして一時間ほど揺られたのち、終着駅の塩上駅に到着しました。


(この話は、ガセだったのか……?)


 従兄は塩上駅で、折り返しの電車を待つことにしたそうです。発車まで、まだ30分ほどあります。ベンチに腰を下ろし、昨日、喫茶店で聞いた大学生たちの会話を思い返していました。


 ――何か、見落としている点はなかっただろうか。


 そのとき、ある言葉が引っかりました。


『いつも乗るときはそうでもないけど。友達の家に遊びに行った帰りとか』

『うち、神家に住んでるから、神塩線で通学してる』


 男性学生は普段は他の駅を利用していて、電波障害に遭遇していないが、友達の家に遊びに行った帰りに電波障害に遭遇している。女学生は神家から通学して電波障害に遭遇している。つまり、『神家駅から乗った際』に電波障害に遭遇する可能性がある。女学生は「神家」に住み、男性学生の友達も「神家駅」の最寄りに住んでいるのだろう。従兄はそう考えました。


 ──なぜ、この場所なのか?なぜ、この駅から電車に乗っている時だけなのか?


 従兄はスマートフォンを取り出し、地図アプリを開きました。画面を眺めながら、女子大学生の言葉が、再び頭をよぎります。


『水の中』。


 電波が弱い、という感覚ではないです。何かに遮られているようでもなかった。むしろ、一度どこか別の場所を経由して、遅れて戻ってきているような――そんな印象だったそうです。


 従兄はすぐに、その考えを打ち消しました。現象に意味を与えすぎるのは、編集者の悪い癖です。理屈のつかない違和感を、無理に物語に仕立ててしまう。


 ──それでも。


 気づけば、行き先を決めていました。従兄は「神家」に向かうことにしました。


 電車は、ほどなくして到着しました。先ほどと同じ、二両編成の車両です。従兄は特に考えもせず、進行方向に向かって左側の席に腰を下ろしました。


 車内の様子は先ほどと変わりません。数人の乗客が、黙ってスマートフォンを見ています。誰も、この路線に何か異変があるとは思っていないようでした。


 30分ほどして、神家駅に到着しました。従兄はそこで下車しました。神家駅やその周辺を散策してみることにしたそうです。目の前に小学校があります。それ以外に目立った建物はありません。田舎の駅なので次の発車まで一時間はあります。「この地に一体何か眠っているのだろうか…」。と従兄は考えたそうです。


 そんなことを考えていると、一時間ほどして神山駅方面の電車が来ました。従兄は電車に乗ります。発車してしばらくの間、通信状態に問題はありません。地図アプリは正常に現在地を示しています。メッセージも、ニュースも、途切れることなく表示されています。


 従兄は、少し肩の力を抜いたそうです。やはり、気にしすぎだったのかもしれない…。


 そのときでした。


 画面の表示が、一瞬だけ止まりました。完全にフリーズしたわけではないです。読み込み中の円が、ほんの一拍遅れて回り出しただけです。従兄は、無意識のうちに周囲を見回していました。しかし、誰も気にした様子はありません。乗客たちは、相変わらずそれぞれの画面を眺めています。


 再び通信は回復しました。地図アプリも、何事もなかったかのように動き出します。


 ――今のは、ただの通信の遅れだ。


 そう思おうとした、その直後でした。


 現在地を示す青い点が、わずかにずれていました。線路の上ではなく、神家駅の北側の池に表示されていそうです。


 従兄は一度アプリを閉じ、もう一度立ち上げました。青い点は、正しい位置に戻ります。見間違いか。あるいは、GPSの誤差だろう。理屈はいくらでもつきます。従兄は、自分にそう言い聞かせました。


 しかし、妙な感覚だけが残っていました。自分が「電車に乗っている」のではなく、

 なにかが、少しだけ別の経路を通って「運ばれている」ような──。


 突然、電話が鳴りました。


 従兄の知り合いの若手の女性の小説家からです。彼女はしばらく休みが欲しいと言っていたそうです。彼女は普段はメールでやり取りするこが多いため、電話をしてくるのは珍しということでしたで。従兄は電車で移動中です。電話に出ることはできません。やがて、発信が切れ、留守番電話の通知がひとつ、表示されていました。


 胸の奥で、小さく、嫌な音がしました。思わず、再生を押します。子供の声で「…いけん…」という声が聞こえました。


 神山駅に向かう電車の中、従兄は考えていました。通信障害という現象は、切れるか、繋がるかの二択でなく、多くの場合、その間に曖昧な状態が存在することを…。


 神塩線で起きているのは、まさにその「間」でした。


 通信が「完全に失われる」ことではない。むしろ、どこかと繋がろうとしています。

 切断ではなく、滞留。遮断ではなく、遅延。その性質は、どこか留守番電話の声と重なっていました。


『水の中』


 大学生が使った言葉を、従兄は思い返していました。電波が弱いのではない。雑音が多いわけでもない。ただ、距離がある。距離とは、本来、空間的なものです。


 だが、電波においては、それが必ずしも物理的な距離を指すとは限りません。中継、経路、混雑。回り道をすれば、遠くなります。


 従兄は、ふと、ある考えに行き着いたそうです。もし、この区間では、電波が“別の経路”を通っているとしたら。別の場所に寄せられて「何かが向かっている」のだとしたら…。この声の主がどこかに行きたくて「行けん」と言ってるのだとしたら…。


 そうなのだとしたら、次に調べるべきなのは、電波ではありません。この線路が、どこを通っているのか。この街が、どういう形をしているのか。そう思いながら、従兄は電車を降りました。


 

 神塩線での観察を終えたあと、従兄は自宅で地図を広げました。紙の地図ではなく、ストリートビューのようなWEB上のマップのものです。拡大と縮小を繰り返し、視点を変えながら街の輪郭を確かめていきます。


 神山市は、どこにでもある地方都市です。新幹線が停まり、駅前には商業施設が集まり、高速道路が走り、大きな川が流れ、少し離れれば住宅地が広がります。それでも、この街にはひとつ、特徴的な点があります。新幹線の停まる駅のすぐ北側に、城がある。駅を出て、振り返れば城が見えます。


 城の周囲を見渡して、従兄はあることに気づきました。寺が多い。特に、城の北側から北西にかけて、目立って集中している。大きな寺の数は少ないが、小さな寺の数が多い。寺の名前をいくつか調べてみました。由来はまちまちで、共通点は少ない。古いものもあるが、城が建立された時期以降に建てられたものが多い。


 次に、視線を西へ移します。城の南西側、神山川を渡った先に、大きな神社がある。街の総鎮守と呼ばれている。祭りの時期には、人が集まります。


 地図を眺めているうちに、従兄は妙な感覚を覚えました。従兄は、試しに、城とその神社を線で結んでみました。すると、自然と、別の方向にも線を引きたくなります。


 東側です。城の南東にも、もう一つ、神社がある。正確には神社の跡だ。規模は小さいが、歴史は古い。本殿を移転したらしく、あまり目立たない存在です。


 従兄は、三つの点を結みました。北側の神社。南西の神社。南東の神社。画面の上に浮かび上がった形を見て、従兄は思わず指を止めます。


『正三角形』です。誤差はある。完璧な図形ではない。それでも、偶然とは言い切れない程度には、整っている。城は、その中心に位置していいました。従兄は、しばらくその図形を見つめていました。言葉が出てこない。理由も、説明も、まだわからない。


 だが、ひとつだけ確かなことがあります。神塩線は、その内側を通っています。城を中心とした三角形。その中を、神塩線が南北に近い形で縦断している。さらに、新幹線が、ほぼ真横に、東西へ横切っている。まるで、囲われた空間を、二本の線が切り裂いているようだった。


 従兄は、画面を閉じました。考えすぎだ、と自分に言い聞かせて…。

 地図を見れば、意味のありそうな形はいくらでも見つかります。だが、神塩線のあの区間が、調度この内側に重なっていること。そしてその沿線上に神家駅がある。それだけは、どうしても無視できませんでした。


 偶然が、重なりすぎています。従兄は、再び地図を開き、表示を切り替えました。今度はストリートビューではなく、航空写真にします。


 すると、鳥瞰されて線路の形が、よりはっきりと見えます。更に、あることに気づきます。それは、高速道路が、城の北側を通っていることです。城を中心に三角形があるとして、それを切り裂いている線は、2本ではなく3本でした。従兄は地図上でその3本の線をなぞります。


 ──そうすると見えてきたものがありました。


 3本の線が神山市を跨ぐ神山川と合わさり、その様子はまるで蛇が立ち上がり鎌首をもたげ、神山市のある地点を飲み込もうとしているかのように見えます。


 そして、その地点に位置するのが「神家」だったのです。


 電波が乱れるのは、たまたまではない。この町のこの構造の中で、何かが起きている。そう考えた瞬間、背中に、薄い寒気が走ります。それは…怖さというより、居心地の悪さに近いものでした。


 従兄は、大学生の顔を思い浮かべた。彼らは、この構造の中を、毎日、通っている。学生時代は従兄もこの沿線を利用していたことを思い出します。


『いけん』


 あの声が、どこから来たのか。まだ、わからない。だが、少なくとも、それは、無関係な場所からではない。従兄は、そう感じていました。


 取材というものは、不思議なものだそうです。

 最初は単なる噂話だったはずが、資料を集め、地図を広げ、人の話を並べていくうちに、「偶然では済まされない何か」が、ゆっくりと輪郭を帯びはじめる…。


──翌日。

 神山城跡の麓にある図書館で、従兄は古い郷土史を何冊か借りました。城の築城年代、廃城の経緯、戦火の記録。どれも教科書的で、怪異に結びつくような話は見当たらなかったそうです。


 ただ、一点だけ、気になる記述がありました。

――神山城初代藩主・水山成勝は、度重なる災いを鎮めるため、十六歳の少女・お鯉を人柱として捧げたという。ここまでは知っています。僕も学校で地元の歴史について習ったことがありますから。


 しかし──。お鯉には恋人がいて、お鯉が人柱になった後、同じ場所で身投げしたという…。このことは知りませんでした。


 お鯉が沈められたとされる場所は、現在では池となって残っています。その池から川が流れていて、それが神山市を跨ぐ神山川へとつながっている。そして、その池に最も近い駅が「神家駅」です。


 水山成勝が神山藩を治め、神山城の城主となったのは、一五〇〇年代後半のことです。城の北側に点在する神社群が建立されたのも、その直後だとされています。


 従兄は次に、鉄道路線図を広げました。在来線、新幹線、高速道路。現代の都市を貫く直線的な構造物が、無機質に重なり合っている。その中心に、やはり神山城はありました。


 城の北側にある神社群を結ぶ。そしてその線の下に神山城。


 従兄は確信しました。さらに城の真南には神社があると。やはりあった。そして、神山城を中心とした逆三角形が浮かび上がります。


 そこに、北側、南西、南東の神社が描く正三角形を重ねてます。すると、線はわずかに歪みながらも、神山城を中心とした「六芒星」の形を描いていたのです。


 もし――お鯉の人柱の怨念を恐れた成勝が、この六芒星の結界によって城を守ろうとしたのだとしたら。その四百年後、神塩線が敷かれ、六芒星を縦に分断したとしたら。さらに、新幹線がそれを横に切り裂き、さらに高速道路が、神山川を跨ぐように、その上を通っているとしたら…。結界は、縦にも、横にも、そして上からも、幾重にも断ち切られていることになります。


 一日に、いったい何人の人が電車を利用し、何人が新幹線に乗っているのでしょうか。もし、お鯉の怨念が、池から溢れ、神家駅から神塩線に乗り、新幹線の通る神山駅へと向かっているのだとしたら。そして、そのまま全国へと「向かっている」のだとしたら――。


 ……もちろん、ここまで考えておいて言うのもおかしな話だが、従兄は自分の推論を、すぐに信じたわけではありませんでした。歴史的な逸話と、地形と、路線図。それらを重ね合わせれば、意味ありげな形はなんとなく浮かび上がります。線を引けば、図形はできる。だって、意味は、後からいくらでも付け足せるのですから…。


 従兄は編集者として、そういう意味のないものに「それらしく見える瞬間」を、何度も見てきました。ましてや、人柱の怨念が、電車の中の電話に乗って移動するなど、冷静に考えれば荒唐無稽もいいところです。


 従兄はスマートフォンを伏せ、深く息をつきます。頭の中で組み上げていた六芒星を、意識的に解体します。


 ――考えすぎだ。そう結論づけるのは、簡単でした。この街で起きているのは、ただの電波障害と、音声の混線。偶然の重なり。それ以上でも、それ以下でもない…。


 しかし、その直後、ひとつの事実が、どうしても引っかかります。先ほど従兄に電話をかけてきた小説家は、連絡は普段はいわゆるコミュニケーションアプリだ。


 緑や黄色のアイコンで、文字や通話ができる、今では当たり前になったあの手のアプリです。連絡手段は、今もほとんど「アプリ」だけ。大学生が言っていた「おばあちゃんからの電話」という表現が、妙に現実味を帯びて思い出されます。


 確かに、あの世代には、いまだにアプリではなく、電話でしか連絡を取らない人も多い。そして、先ほどの小説家からの「電話」。


 もし仮に――お鯉の怨念のようなものが、“電波に残る”ことで、かろうじて留められている存在だとしたら。そして、最近主流のアプリには、そもそも留守番電話という仕組みが、存在しないのだとしたら…。


 その考えに行き着いた瞬間、胸の奥で、何かが静かに軋みました。


 都市は、常に何かを置き去りにしながら、形を変えていきます。再開発。統廃合。効率化。名前を失った場所。記録されなかった人。語られなくなった出来事。取り壊された建物。もしその中に、祭られたあとに消された「何か」がいたとしたら…。


 それは消えたのではありません。ただ、「行き先を失った」だけです。

 線路は、人を運びます。同時に、行き場を失ったものも、区別なく運びます。電車が通り、新幹線が通り、高速道路が走る。

 昔と今で、変わってしまった地形。そのことで本来の持つべき意味が失われてしまったのだとしたら…。


 今日もアナウンスが流れ、電車がホームに入ってきます。


 人の流れに押され、従兄は車内に乗り込みました。ドアが閉まり、列車が動き出す。その瞬間、スマートフォンが、わずかに震えました。赤ん坊の泣き声が聞こえました。車内には子連れの妊婦さんがいました。


 そこで、従兄はある戦慄すべき仮説に辿り着いたのです。これまで、この地に渦巻く怨念の正体は、十六歳で人柱となった少女「お鯉」本人だと思い込んでいた。お鯉には恋人がいた。これは史実として残っています。


 だが、もし——その時、彼女の身体に「もうひとつの命」が宿っていたとしたら?


 あの大学生が耳にした声。もしその聞き手が、人知れず悩みを抱える若い女性だったとしたら、符合が一致しすぎるのだ。女子大学生が放った、現代的で無機質な言葉。「limeブロックした」。今の若者たちは、恋人の電話番号を知らないとしても不思議ではありません。「妊娠」。従兄のもとへ電話を寄越したあの女性作家。彼女から、従兄は出産のことで深刻な相談を受けていました。彼女たちは、お鯉の悲劇をなぞるように、その命を「なかったこと」にしようとしていたのではないか…。


『いけん』。それはどこかに「行けない」という意味ではなく、地元の方言で「拒絶」を意味する「いけない」だとしたら…。その声はお鯉の叫びではない。母の腹の中で、暗い泥に沈められた「産まれ落ちることができなかったモノ」の呪詛だったのではないか。


「水の中」から聞こえるというような留守電の声は、お鯉が生き埋めにされた、池の水のことではなく、母親の胎内の「羊水」の事なのではないだろうか。


 かつて、成勝が作ったお鯉の呪詛から守護する「六芒星」は時代を追うごとに、縦にも横にも上からも切り裂かれたのだとしたら。もはやその効力は失っているだろう。


 線路はつながっている。全国へと。お鯉が生き埋めにされた池から、川を伝い、神家駅で乗り、神山駅経由で新幹線に乗る。一日に何人の人が駅や新幹線を利用するのだろうか。



 ……ここで改めて伺いしてもよろしいでしょうか。


──あなたは今日、どちらから電車に乗りましたか?


 山口はそこで話を終えた。


「…」 


 三人の間に、しばらく沈黙が落ちた。



「……ちょっと待ってや」


 最初に口を開いたのは、しおりだった。


「え、普通に怖いんじゃけど今の」


 腕をさすりながら、肩をすくめる。


「“どこから電車乗った?”とか聞くの、反則じゃろそれ」



「いや、まあ……」


 山口は苦笑いを浮かべる。


「モキュメンタリーって、そういう“巻き込み方”が大事らしくて」



「巻き込まれたくないんじゃけど!」


 しおりはテーブルを軽く叩いた。


 玖郎は、カップを持ったまま、少し考えるように視線を落としていた。


「……ひとつ、いいか」


 静かに口を開く。



「今の話、全部が事実だとして」



「はい…」


 山口がうなずく。


「“いけん”が拒絶だとしても、それが“外に出るな”なのか、“中に入るな”なのかで意味が変わる」


「……え?」


 しおりが目を丸くする。



「お前、さっきの話、全部“出てくる側”で考えてたろ」


 玖郎は淡々と言った。



「でも逆に、“入ってくるな”って意味だったらどうなる?」



「……」


「電車に乗るな、線路に近づくな、そこに来るなっていう——警告かもしれない」



 一瞬だけ、空気がひやりとした。


「……やめてや、それ」


 しおりが小さく言う。


「余計怖いわ、それ……」


「いや、でもその場合さ」


 玖郎はあっさり続けた。


「もう手遅れだろ」


「は?」


「俺ら、今まさに“例の駅前の喫茶店”にいるんだし」



 沈黙が走った。


 しおりが、ゆっくりと周囲を見回した。


「……なあ」


「この店、最寄り駅どこなん?」


「福山駅ですけど」


 山口が答える。


「……」


「……帰り、歩きで帰らん?」


「遠いだろ」


 玖郎は即答した。


「遠くてもええわ!!」


 そのとき。


 テーブルの上に置かれていた、しおりのスマートフォンが、短く、震えた。


「……っ」


 しおりの動きが止まる。


「……な、なんの通知ですか?」


 山口が恐る恐る聞く。


「……」


 しおりは、画面を見ないまま、固まっている。


「……見ろよ」


 玖郎が言う。


「……いやじゃ」


「見ろって」


「いやじゃ!!」


 数秒の押し問答のあと。


 しおりは、恐る恐る、画面をのぞいた。


「……なん?」


「……何だ?」


「……ただの、ニュース通知じゃった」


 ふぅ、と三人同時に息を吐く。


「……ビビらせんなや」


 玖郎が小さく言う。


「ビビっとるのはそっちじゃろ!」


「いやお前が一番ビビってただろ」


 だんだん声が大きくなっていく。


──その時。


「いけんよ」


 はっきりとした声が、すぐ隣から聞こえた。


「……っ」


 三人が一斉に振り向く。


 隣の席。


 年配の女性が、じっとこちら見ていた。


「……ここ、静かにする場所じゃけぇ」


「……す、すみません!」


 三人は慌てて頭を下げた。


「失礼しました……」


 そそくさと席を立ち、会計を済ませたのだった。


──喫茶店では周りのお客様のご迷惑にならないようにお気をつけください。



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