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異世界が来る日

 放課後の黎進高校。

 夕焼けに染まる教室に、帰宅部三人だけが残っていた。


 机を一つ占領するように、しおりが勢いよくポスターを広げる。


「今年もあるんよ、フクヤマアニメ!」


 ぱん、と紙の音が響く。

 そのテンションに対して、帰野玖郎かえのくろうは椅子にもたれたまま、いかにも面倒そうに息をついた。


「……また町がコスプレで溢れかえる日か」


 向かいで覗き込んでいた山口が、思い出したように首を傾げる。


「去年、ヨマさんだらけでしたよね」


「そうそう。あと福山リベンジャーズも多かったんじゃけど……最近、ぜんぜん見んのよね」


 しおりが腕を組みながら言うと、玖郎はふっと視線を落とし、わずかに考え込む仕草を見せた。


「……なるほどな」


「なにが?」


「全員、タイムリープされた」


 即答だった。


 間を置かず、山口が肩をすくめる。


「平和になったんですよ。黎進も東京も」


「いや、スケールでかすぎるじゃろ」


 しおりは呆れつつも、すぐに気を取り直してにっこり笑った。


「じゃあ、今年の流行りはなん?」


 山口は指でポスターをなぞりながら答える。


「チェーンマンとか、原陣あたりですね」


「ほんなら、うちはパワーくんじゃね!」


 即決。

 迷いのない宣言だった。


 その横で、玖郎がぼそりと呟く。


「……今ならロゼだろ」


 しおりの動きがぴたりと止まる。


「は?」


 ゆっくり振り返るその目に、わずかな火が灯った。


 ──フクヤマアニメ当日 


 福山駅前は、人であふれかえっていた。

 色とりどりの衣装、行き交うカメラ、路肩には痛車がずらりと並び、ステージからは軽快なアニメソングが流れている。


 ――見慣れな日常が、非日常の顔をしてそこにあった。


 しおりは一歩踏み出した瞬間、ぱっと顔を輝かせると、そのまま人混みの中へ駆け出した。


「見てみぃ! 人いっぱい!」


 振り返りもせずに叫ぶ声に、山口が苦笑しながらついていく。


「はしゃぎすぎですよ……って、あっ」


 ふと、何かに気づいたように指をさした。


「あの人――」


 だが、その言葉の続きを聞く前に、玖郎の視線はすでに一点に固定されていた。


「待て……」


 低く、鋭い声。


「あの人……なんのコスプレだ」


「え?」


 しおりが首をかしげる。


「つまり?」


 玖郎はゆっくりと腕を組み、観察するように目を細めた。


「――正体不明のコスプレイヤーだ」


「いや、そんな大げさな」


 山口がすかさずツッコミを入れるが、玖郎は聞いていない。


「服装は黒のドレス。ヘッドドレスはなし。手には――バラが一輪」


 淡々と、しかし無駄に重々しく分析が進む。


「つまり……」


「つまり?」


 しおりがにやにやしながら続きを促す。


 一呼吸おいて玖郎は静かに言い放った。


「結論、わからん」


「なんなんそれ!」


 間髪入れず、しおりがツッコむ。


 山口も苦笑混じりに肩をすくめた。


「たぶん、不完全なキャラのコスプレだと思いますけどね……見たことある気はしますし」


 だが玖郎はなおも視線を外さない。


「“不完全”……それ自体がヒントかもしれないな」


「もうええて!」


 しおりの声が人混みに溶けた。



 その後も三人は会場を歩き回る。


 しおりはすでに“パワーくん”姿に着替え、撮影スペースでポーズを決めてはしゃぎ、

 山口は限定グッズの列に律儀に並び、

 玖郎は少し離れた位置から、相変わらず腕を組んで観察を続けていた。


 ――ただのイベントのはずだった。


 けれど。


 見慣れた駅前の風景が、どこか輪郭を変えて見える。

 現実と虚構が混ざり合い、境界が曖昧になっていく。


 まるで、この町そのものが。


 ひとつの“作品”に書き換えられているかのように。


 駅ビルに足を踏み入れた三人は、さっきまでの熱気を少しだけやり過ごすように、人の流れを縫って歩いていた。

 一般のお客さんたちが行き交い、フードコートからは油と甘い匂いが混ざって漂ってくる。


「……あれ?」


 ふいに、しおりの足が止まった。

 視線の先にある光景に、目を丸くする。


 コスプレ姿のままの人たちが、当たり前の顔で買い物をしていた。


 黒ドレスにバラを胸元に挿した“あの人”も、

 どこかで見たようなヨマ風の衣装も、

 刀を差したままの刃乱舞系のレイヤーも――


 カートを押し、サンドイッチやドリンクを手に取り、

 何事もないようにレジに並んでいる。


 完全に、“日常の中”に溶け込んでいた。


「……町、完全に異世界化しとる」


 しおりがぽつりと呟く。


 山口も思わず目を丸くしたまま、小さく頷いた。


「でも、普通に会計してますね……割り込みもないですし」


「ルール守っとる侵略ってなんなん」


 しおりは笑いながら肩をすくめる。


「でも、ええよね。うちの町、今日だけ非日常が日常に混ざっとるんじゃね」


 その言葉に、玖郎は軽く息をついた。


「“日常に潜む非日常”か。深い言葉だな」


「いいこと言ったじゃろ?」


 しおりが軽く肘でつつく。


 そのとき。


「あ、見てみぃ!」


 しおりが、今度は楽しそうに指をさした。


「あの人……ポテトにマヨネーズめっちゃかけとる!」


 視線の先では、確かにコスプレ姿のまま、異様な量のマヨネーズをかける人物がいた。


 玖郎が目を細める。


「……あいつ、前も見た気がするな」


「え?」


「バラ祭りにもいた」


「そんな伏線いらんのよ!」


 山口はくすっと笑う。


「もしかして、“マヨネーズ王”かもしれませんね」


「ただのマヨラーじゃろ…」


 三人は思わず顔を見合わせ、声を抑えて笑った。



 コスプレのまま買い物をする人々。

 それを自然に受け入れている街。


 見慣れたはずの風景が、ほんの少しだけ異質に見える。


 けれど、それが妙に心地いい。


 しおりはふっと目を細めた。


「……今日の駅前、ほんまに異世界みたいじゃね」


 玖郎は答えず、ただその光景を見つめる。

 山口も静かに頷いた。


 非日常は、どこか遠くにあるものじゃない。


 こうして――

 気づかないうちに、すぐ隣に紛れ込んでいる。


 夕方。

 さっきまでの喧騒が嘘のようにほどけはじめ、会場のざわめきも少しずつ遠ざかっていく。

 三角の公園のベンチに腰を下ろした。


 街中の喧騒だけが、静かに耳に残る。


「……地元なのに、地元じゃないみたいじゃね」


 しおりがぽつりとつぶやく。


 玖郎も、同じ景色を見つめたまま言葉を落とす。


「異世界転移、か」


「うちらが転移したんじゃなくて――異世界のほうが転移してきたんよ」


 しおりはくすっと笑う。


 その言葉に、山口が少しだけ寂しそうに目を細めた。


「でも、あと少しで……戻っちゃいますね。いつもの町に」


 沈みかけた夕日が、ゆっくりと色を変えていく。


 しおりのツノが、その光を受けて赤く透ける。

 三角の公園には、人影はもうまばらになり、風に舞う木の葉だけが静かに踊っていた。


 やがて三人は、美術館前の公園へと足を運ぶ。


 芝生に腰を下ろした瞬間、ちょうど野外ステージの音が立ち上がった。

 地元アニソンバンドの演奏が、夕暮れの空気をやわらかく震わせる。


 音楽は風に乗り、遠くの笑い声と混ざり合って、どこまでも広がっていく。


「……今日、ずっと人多かったですね」


 山口がぽつりとこぼす。


「でもさ」


 しおりは、空を見上げたまま微笑んだ。


「町が、みんなの夢みたいになっとる感じじゃったね」


 玖郎は少し考えてから、静かに答える。


「正しく夢、だな。俺たちにとっては日常の風景でも――町そのものが、今日だけ別の顔をしていた」


 しおりが小さく笑う。


「町がコスプレしとるんよ」


「でも……明日には元通りですね」


 山口が空を見上げる。


 薄く残った光の向こうに、夜がにじみはじめていた。


「ええんよ。それで十分」


 しおりも同じように見上げる。


 音楽が、やわらかく途切れる。

 拍手が、遠くで波のように広がる。


 玖郎は、目を細めた。


 ――夢みたいな一日。


 論理も、推理も、すべてどこかに置いてきたような時間。


 心の中で、静かにつぶやく。


(……こういう日くらいは、悪くない)



 やがて夜が降りる。


 町は何事もなかったかのように、いつもの顔へと戻っていく。


 けれど――


 今日見た“もうひとつの顔”は、きっと、しばらく消えない。



 夕暮れの光が三人をやわらかく包む。

 町は、ほんの二日間だけ夢を見た。

 そして何事もなかったかのように、またいつもの日常へと帰っていく。


 けれど――その夢を見届けた人たちは、ほんの少しだけ、この町を好きになれるのかもしれない。


 しおりにとって、福山の町並みは空気と同じだった。

 駅前の映画館も、商店街のアーケードも、見上げる福山城の無骨な石垣も、すべてが昨日と同じで、明日もきっと変わらない。


 当たり前すぎて、意識することすらない“背景”。


 けれど年に一度、そのキャンバスに、鮮やかな色が一気に塗り重ねられる。

 ――『フクヤマアニメ』の二日間。


 いつもの宮通りを歩けば、白衣の天才科学者が足早に通り過ぎる。

 その足元では、巨大な翼を広げた堕天使が、まるで当然のように場所を占めている。


 日常と非日常の境界は、

 熱に溶けたアスファルトみたいに、あいまいににじんでいく。


「……あの人ら、どっから来たんじゃろ」


 しおりは、ふと立ち止まって思う。


 コスプレイベントは、本来“非日常”に会いに行くものだと思っていた。

 遠くの夢の国へ、わざわざ足を運ぶようなもの。


 けれど、フクヤマニメは違う。


 彼女たちは――やって来る。


 日常の中へ。


 まるで、季節の変わり目にだけ姿を見せる、ハロウィンの精霊のように。

 気づいたときには、そこにいて。

 気づけば、どこかへ消えている。



 だからきっと――


 この町は、ほんの少しだけ異世界になる。


 いつもと同じ景色のまま、

 ほんの少しだけ、物語に近づく。


 この二日間だけは、普段住んでいる福山が、ふと別の場所にすり替わる。

 どこか遠い惑星の基地か、魔法の国の玄関口みたいに。


 けれど、その“変化”をいちばん近くで味わっているのは、観光客じゃない。

 ここで日常を生きている、しおりたち自身だ。


 夕暮れの美術館前公園。

 芝生に腰を下ろした三人の前で、最後のアニソンライブが始まる。


 聞き覚えのあるイントロが流れた瞬間――


「♪ウィーアー!」


 しおりが、迷いなく声を張り上げた。


「え、まさか大声で合唱する気か?」

 玖郎が呆れたように眉をひそめる。


「せっかくだけぇ!」

 しおりは両手を振り上げて、周りの観客を巻き込もうとする。


 山口も、つられるように小さく口ずさむ。


 そのとき。


 しおりの視線が、ふと横に逸れた。


 芝生に座り込み、フライドポテトにこれでもかとマヨネーズをかけている人物。


「……あの人、またマヨネーズ食べとる!」


 ぱっと目を輝かせる。


「……間違いない、あの人はやはり『マヨネーズ王』じゃあ!」


「……この町、非日常と謎称号が入り混じりすぎだな」

 玖郎が、小さくぼやく。


 しおりはそんなことお構いなしに、さらに声を張る。


「♪ウィーアー!帰宅部!ウィーアー!マヨネーズ王っ!」


 一部の観客がきょとんと振り向く中、玖郎はつい吹き出しそうになる。


「……今日の町は、夢を見るだけじゃなくて――」


 ふっと、息を漏らす。


「ギャグまで満載らしい」


 笑い声と音楽が、夕暮れの空に溶けていく。

 少しずつ色を深める空の下で、いつもの町は、ほんの少しだけ別の顔を見せていた。


 音楽と笑い声が、夕暮れの空にゆっくりと溶けていく。

 町は、二日間だけ夢を見る。

 そしてまた、いつもの午後に戻っていく。


 けれど――その夢を見届けた人たちは、少しだけ現実も好きになれるのかもしれない。


 オレンジ色に染まった、美術館前の公園。

 三人は芝生に座り、ライブの余韻に身を委ねていた。


「今日の町、ちょっと……ええ感じじゃね」


 しおりがぽつりとつぶやく。


「うん……いつもなんとなく過ごしてるけど、今日だけは少しこの町を好きになった気がします」


 山口もやわらかく微笑む。


 玖郎は何も言わず、ただ空を見上げた。


――日常が非日常に変わる瞬間。

 それは、町そのものが夢を見た証拠だ。


 僕らは、ほんの少しだけ夢を見た。

 そして、その夢の終わりを見届けた者は、少しだけこの場所も愛せるようになる。


 風が吹く。

 音楽の余韻と、遠くの笑い声が、静かに混ざり合って流れていく。


 今日という一日は終わる。

 明日になれば、またいつもの日常が戻ってくる。


 それでも――


 この町が、ほんの少しだけ好きになれた。そんな一日だった。


 ふと見上げれば、夕焼けに染まる福山城。

 その手前を、フリーミンの魔法使いのコスプレが横切っていく。


 石垣と魔法。

 現実と物語。


 その取り合わせが、妙にしっくりくるのが、今日という日の不思議さだった。


 玖郎は目を細める。


 ――こういうの、最高だ。


 そう思った理由を、あえて言葉にはしなかった。


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