表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

浦崎リグレット

「……よし、行き先はこれで決めよう。」


 そう言って帰宅部探偵・帰野玖郎かえのくろうは、どこからともなく取り出したダーツと福山市の地図を、放課後の黒板に広げた。


「ダーツで……?」

 助手・山口が戸惑い気味に呟く。


「明日は大切な日だからな。しおりの誕生日だ」


「え、なにその決め方。普通もっと計画するやろ?」


 福山しおりは呆れたように言いながらも、どこか楽しそうに笑った。


「ダーツは人生の縮図だ。偶然は必然を呼ぶ」


「はいはい。まあ誕生日やし、どこでも楽しめればええんよ」


 軽口が交わされたあと、玖郎は一度だけ息を吐き、ダーツを投げた。


 放たれた矢は、黒板の地図の上を一直線に走り──


『浦崎行きのバス停』に突き刺さる。


 一瞬の沈黙のあと、しおりがぱっと顔を輝かせた。



「まさかの浦崎!私、ここ行きたかったんよね!思い入れがある場所なんよ!」



「そうなのか?」

 玖郎が少し興味を示す。


「どんな場所なんだ?」


 しおりは嬉しそうに頷いた。


「懐かしいわ。子供の頃にやっとったゲームなんじゃけど、『風の後悔こうかい』っていう作品の舞台なんよ」


「それ、どんなゲームなんだ?」


 玖郎が首をかしげる。


 しおりは少しだけ言葉を選ぶようにして続けた。


「なんというか……音だけのゲームなんよ」


「音だけ……?」山口が小さく呟く。


「絵のないゲームじゃね。目に見えるものだけを信じとったらダメなんよ。そういうの捨てたときに、このゲームの良さがわかるけぇね」


「なるほど……?」


 玖郎は腕を組んだまま、少しだけ考える顔になる。


「小学校の頃の初恋とか、今思うとセピア色に見えるじゃろ? そういう感じなんよ、このゲームは」


「それが浦崎とどう繋がるんだ?」


 玖郎の問いに、しおりは即答するように笑った。


「いいかい、玖郎君。行けばわかる……はず。とりあえず予習しときんさい」


「うむ……興味はあるな。ただ浦崎は不便な場所だな。車がないと厳しそうだ」


 そのとき、山口が何でもないように口を開いた。


「あの、浦崎……親戚の別荘があります。自転車も用意できると思いますよ」


 一瞬、空気が止まる。


「……え、それ先に言えや!!」


 しおりのツッコミが、放課後の教室にきれいに響いた。


 玖郎は一拍遅れて、静かに目を細める。


「ふむ……これもまた、必然か」


「絶対偶然じゃけぇそれ!」



 こうして、帰宅部の誕生日旅行は、浦崎行きに決まった。


「いや〜、ええとこじゃね、浦崎。この空気、この海、この海岸……海沿いの町って、なんかインスパイアされるものがあるな」


 バスに揺られながら、やがて三人は浦崎の町に降り立つ。


 潮の匂いが、最初に迎えた。


 まず向かったのは山口の親戚の別荘だった。そこで自転車を借りることになる。


「親戚の家、勝手に使ってええん?」


 しおりが聞くと、山口はいつもの調子で頷く。


「はい。昨日連絡したら“どうぞどうぞ”って。自転車も使っていいって言われてます」


「ほー、それは助かる!」


 玖郎はサドルにまたがり、軽くペダルを踏んだ。


「運命が俺たちに、浦崎を駆けろと言っている」


「いや、普通に許可出とるだけじゃろ」


 しおりが呆れながらも笑う。


 潮風の中で、自転車のチェーンが小さく鳴った。


「浮いた交通費で、しおりの誕生日プレゼント探すか」


 玖郎が何気なく言う。


「……あ、ええやん」


 しおりは一瞬だけ目を丸くして、それから照れを隠すように前へ出た。


「じゃあ、さっさと行くで!」


 軽くペダルを踏み込むと、海沿いの風の中へと走り出す。


 三人の影が、浦崎の道にゆっくりと伸びていった。



「この先、スーパーとかコンビニないんで、今のうちに飲み物とか買っておきましょう」


 海沿いの町に、ぽつんと一軒だけある小さなスーパーに立ち寄る。

 この店が、きっとこの辺りの生活の中心なのだろう。


 海が近づくと、景色は一気に変わる。


 海の中に立つ赤い鳥居。

 規則的に並ぶ常夜灯。

 細く伸びる海沿いの道。


 浦崎の潮風は思っていたよりも柔らかく、遠くでは造船所が低い音を立てながら静かに稼働している。


「この海に立っとる赤い鳥居、宮島のやつと同じ感じじゃね。地元にもこういうのあるんじゃろうな」


 玖郎は自転車を走らせながら、ふと海の方を指さした。


「……あの造船所。たぶん裏では極秘の巨大船を作っている」


「いや、どう見ても普通の造船所じゃけ!」


 しおりの即答に、玖郎は一切ひるまない。


「油断するな。静かな町ほど、情報は隠される」


「もう推理始めとるし……」


 その横で山口は、風に目を細めながら黙々とペダルを踏んでいた。


 時折、ふっと思い出したように呟く。


「ここ……昔、親戚に連れられて来たことあるかもしれません…」


 誰にともなく落とされたその言葉は、潮風に混ざってすぐに消えていった。




 玖郎は細い路地へと入り込み、ふと足を止めた。


「この道は……異世界への入り口かもしれん」


「ただの生活道路じゃろ!」


 間髪入れず、しおりに引き戻される。


 浦崎の海は、驚くほど静かだった。


 潮の香りはやわらかく、海岸沿いには常夜灯がぽつりぽつりと並んでいる。


「……おー、ええ雰囲気じゃな」


 しおりはペットボトルを片手に、港町を見渡した。


 その少し後ろで、山口はスーパーで買ったアイスを嬉しそうに食べている。


 それぞれが、それぞれの速度でこの場所を受け取っていた。


 そんな中、玖郎がふいに足を止め、海沿いの常夜灯を指さした。


「なあ、しおり、山口……あの常夜灯、なんであんなに点在しとると思う?」


「へ? そりゃ船が夜でも帰ってこれるように――」


「違う」


 即座に否定する。


 玖郎の目が真剣になる。


「あれは異世界の入り口だ」


「出たー!」


 しおりは思わず吹き出すが、玖郎は一切ブレない。


「よく見ろ。浦崎には必要以上に常夜灯がある。どこまでも続くように配置されとる。まるで“異世界への道しるべ”だ」


「たまたま漁港が多いだけじゃろ!」


 しおりのツッコミが、潮風の中にきれいに溶けていった。



「いや、常夜灯の配置が不自然だ。途中だけ間隔が狭くなっている。つまり……あそこに“ゲート”がある」


 玖郎が言い切った瞬間、山口の目が少しだけ輝いた。


「異世界……行ってみたいです!」


「だろう? よし、探検に行こう」


 玖郎は当然のように自転車にまたがる。


 しおりは深いため息をひとつ吐いてから、諦めたようにペダルを踏んだ。


「しょうがないのう……付き合ったるわ」


 海沿いの道を離れ、常夜灯を左に折れると、少しずつ山の方へと入っていく。


 潮風はわずかに冷たくなるが、不思議とペダルは軽い。


「しおり、恐れてはならん」


「いや別に怖くないけど。玖郎が勝手に盛り上がっとるだけじゃけ」


「ここから先、常夜灯の間隔が一気に狭くなる……見ろ、やはり」


 玖郎が指さした先では、確かに灯りと灯りの距離がわずかに詰まっている。


「これが“入り口”だ」


「いやいや、ただの港の曲がり角じゃろ!」


 しおりの即答にも、玖郎は一切揺らがない。


 自転車を止め、静かに降りると、足音を殺すように歩き出す。


「慎重に行くぞ……異世界の門は、音に反応する可能性がある」


「その情報、どこから出てきとるん?」


 山口が小さく笑いながらも、その声には少しだけ期待が混じっていた。


 潮風の音だけが、やけに大きく聞こえていた。



「あの、多分この道進むと岬に出ますよ。その近くに温泉もあるみたいなんです。せっかくなんで、そこまで行ってみませんか?」


 しおり、玖郎、山口の三人は、自転車で細い山道へと入っていた。


「この先にほんとに岬があるん? しかも温泉? ええやん、それは行きたいわ」


 しおりが前のめり気味に笑う。


「だろ? こういうのは思いつきで行くのが一番面白いんだ」


 玖郎は何の迷いもなくペダルを踏み込む。


 道は進むほどに細くなっていく。

 軽自動車がようやくすれ違えるかどうかの幅しかない。


「ほんまに岬まで行けるん?」


「大丈夫、大丈夫」


 根拠のない自信に押される形で、しおりも山口も後に続いた。


「一応スマホで確認したんですけど……岬までは行けるっぽいです」


 山口の冷静な補足が、少しだけ安心材料になる。


 舗装は途切れ、タイヤが砂利を踏む音だけがやけに響いた。


 ジャリ、ジャリ、と一定のリズムで夜に吸い込まれていく。


「結構奥まで続いとるんじゃな……」


「この先に、岬の端があるはずだ」


 言い切る玖郎の声だけが、妙に明るい。


 やがて道はさらに狭くなり、草がハンドルに触れ始めた。


「なんか……だんだん不安になってきたんじゃけど。これ、ホラーゲームのダンジョンみたいじゃない?」


「平気だ。これは冒険だ」


 玖郎は笑いながら、先頭を走り続ける。



「ほんとに大丈夫なん?なんか壊れた祠みたいなのもあるし……」


「この坂を下ったあたりが岬のはずです。ナビではそうなってます」


 山道の先は、だんだんと細く、曖昧になっていく。


 そしてふいに。


「……行き止まりだ」


 玖郎の声が、静かに落ちた。


 山道の一番奥。

 そこには最後の常夜灯がひとつだけ立っていて、その先は低いフェンスで塞がれていた。


 その向こう側には、ただ黒い海が広がっている。


「えっ……ここで終わり?」


「終わりだ」


 あっさりとした返事だった。


 しおりはすぐに玖郎へ詰め寄る。


「……異世界の入り口、なかったな」


 玖郎はフェンスに手を置いたまま、しばらく黒い海を見つめていた。


「そもそも最初から無いって言うとったじゃろ!」


 しおりは笑いながら、その背中を軽く叩く。


「まさに後悔リグレット


「そういう後悔リグレットはいらんのよ!もっとこう、初恋とか、小学校の思い出とか、そういうやつ!」


 言い合いの中で、空気だけが少しずつ静かになっていく。


 山口はフェンス越しに、ただ海を見ていた。


 波の音だけが、遠くから規則的に寄せては返す。


「でも……なんか、ちょっといいですね。こういうの」


 ぽつりと、山口が言う。


「こういうの、って?」


 玖郎が振り返る。


 山口は視線を海から外さないまま、少しだけ間を置いた。


「目的地があったわけじゃなくて……でも、ここまで来てしまった感じです」


 言葉はそこで途切れる。


 でも、それで十分だった。


 しおりは小さく息を吐いて、夜の海を見た。


「……まぁ、悪くはないかもね」


 風が一度だけ、三人の間を通り抜けていった。



「行き止まりとは知らずに、ここまで走って来て、目的地じゃなくて、ここでみんなで海を見て、また戻る……そういうのが、なんかええなって思ったんよ」


 山口の言葉に、玖郎は少しだけ目を細めた。


「『知らない』っていうのは、一度知ってしまうと、もう二度と体験できんものだな。この景色も、多分もう同じ形では見れない」


 玖郎が笑い、しおりもつられて小さく笑う。


 しばらく誰も何も言わず、ただ波の音だけが続いた。


 寄せては返す、その繰り返しだけが時間を刻んでいく。


「誕生日なのに、なんも特別なことなかったなぁ」


 しおりが、ぽつりと呟いた。


「いや、これが特別だ」


 玖郎は即座に言った。


「ダーツで決めた行き先、山口の別荘、自転車での寄り道、道に迷いながらここまで来た時間……全部が繋がって、今ここにある」


「……まあ、そうかもしれんね。なんか、無駄じゃなかった気はする」


 潮風が、三人の間をやわらかく抜けていく。


「ところで温泉は? 岬って結局ここなん? 行けんかったじゃん!」


 空気を壊すようでいて、いつものしおりだった。


「いや、こういう“行き止まり”もまたロマンだ」


 玖郎はフェンスの向こうの海を見たまま続ける。


「考えてみろ。もしこの先に“異世界”があったとしたら」


「越えたらただの海じゃけどね」


 しおりが即答する。


「そう。つまり……異世界の入り口は、実は海の底に沈んでいるのだ」


 一瞬の間のあと、しおりは小さく吹き出した。


「はいはい、また始まった」


 でも、その笑いはさっきよりも少しだけやわらかかった。


「……まあ、今日はええ思い出になったかも」


 波の音が、やけに耳に残る。


「……温泉なかったけどね」


「いや、これが答えだ」


 玖郎はゆっくりと振り返る。


「異世界は“ここにない”と、証明できた」


「え、行けんかっただけじゃろ。汗かいたし、普通に温泉入ってすっきりしたいんじゃけど……」


 しおりはそう言いながらも、どこか楽しそうに笑っていた。


「まさに『風邪の後悔リグレット』だな」


「そういう意味の“風邪”じゃないんよ!」


 即座に返す声も、もう怒ってはいなかった。


 山口が小さく頷く。


「来た道……引き返しますか」


「異世界への道は、今は閉ざされているのか」


 玖郎の冗談に、しおりは肩を揺らして笑った。


「じゃあ……次は“開いとる時間”に来よか」


「ふふ、約束だ」


 山口は少し安心したように息を吐いた。


「でも、三人でこうやって走るの、なんか楽しいですね」


 その言葉に、玖郎は一瞬だけ黙る。


 そして、しおりへ視線を向けた。


「しおり。今日の誕生日、どうだった?」


 しおりは少しだけ目を丸くして、それから小さく笑った。


「……うん。まぁ、悪くなかったよ」


 波音の向こうで、潮風が三人の間を静かに抜けていった。



「うん。……まぁ楽しんどるかな」


 しおりの言葉に、玖郎は小さく息を吐いた。


「ふっ、なら作戦成功だ」


 そしてふと、夜道の常夜灯を見上げる。


 規則的に並ぶ光は、どこか終わりのない道みたいにも見えた。


「でもな……もし、全部の常夜灯が灯ったら――」


「ん?」


「本当に異世界に行けるかもしれん」


 一瞬、風が止まったような気がした。


 しおりは少しだけ背筋に冷たいものを感じながらも、すぐに笑う。


「……でも、夜にこの道はもう通らんとこ。絶対」


 玖郎はふっと笑い、そのままペダルを踏み出した。


 常夜灯の光が、三人の影をゆっくりと長く伸ばしていく。


 来た道を戻るその足取りは、行きよりも少し軽かった。


 三人は引き返す。

 何事もなかったように、そして少しだけ満足そうに。


 その背中を、常夜灯が静かに見送っていた。


 やがて山道を抜け、分岐の常夜灯まで戻る。


「右に行ったら岬やったんですね」


 しおりが肩の力を抜いて言う。


 潮風が、妙に心地いい。


「温泉、楽しみじゃな」


「うむ。今日の締めにはちょうどいい」


「温泉、早く入りたいです!」


 山口も珍しく弾んだ声を出す。


 そして、三人の前に看板が現れる。


「みらくの温泉、こちら」



 そのまま意気揚々と進む三人。


 やがて、岬へ着いた。


 ……しかし。


「温泉? ああ、潰れたよ」


 地元のおばちゃんの一言で、すべてがあっけなく崩れた。


「え!? でも看板にはしっかり書いとったで!」


「そりゃ、外すの面倒じゃけぇ、そのままにしとるだけよ」


 玖郎はしばらく黙り込んだあと、真顔で言った。


「……温泉、神隠し事件だな」


「いやいや、誰も隠してないけぇね」


 おばちゃんのツッコミはあまりに自然だった。


 帰り道、再び海沿いを走りながら、玖郎はぽつりと呟く。


「温泉は消えたが……この時間は、確かに残った」


 しおりは前を向いたまま、少し笑う。


「ほんま、今日は楽しかったわ。ありがと。前から行きたかった場所じゃし。なんか……聖地巡礼した気分じゃね」


「ふっ、誕生日旅行、成功だな」


 山口は満面の笑みで振り返る。


「次は誰の誕生日ですか!」


 その無邪気な声に、しおりはクスクス笑った。


 潮風の中で、三人の影がゆっくり伸びていく。


 目を閉じれば、今日の風景がまだ鮮やかに残っている。


 バラ、海、常夜灯、そしてどうでもよくて大事な時間。


「温泉は入れんかったのは残念じゃったけど……」


 しおりがそう言いかけたところで、玖郎は最後に一言だけ、妙に真剣な顔で言った。


「……これもまた、“後悔”だな」


 そしてすぐに続ける。


「ただし、悪くない方のやつだ」


 玖郎は、少しだけ空を見上げたまま言った。


「まさに『浦崎の後悔』だな」


「いや、『風の後悔』じゃろ!?」


 しおりの即答に、玖郎は一拍置いてから肩をすくめる。


「どちらでもいいさ。名前なんて後からついてくる」


「そういうこと言うからややこしゅうなるんよ!」


 しおりのツッコミが、静かな港町に軽やかに落ちる。


 山口はそのやり取りを見ながら、少しだけ笑っていた。


 常夜灯の光は相変わらず規則正しく、三人を優しく照らしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ