メモ23 気持ち悪い方が役に立つ
入口の光が近づくにつれて、ギルドの声はまた大きくなった。
朝より人が増えている。依頼帰りらしい者、これから森へ入る者、受付前で紙を握っている者。ざわめきの中へ戻ると、村の中とは違う疲れが肩へ乗る。だが今は、その重さが少しだけ心地よかった。
レオンは木札を握ったまま、受付の前へ戻る。
「戻りました」 「見れば分かる」
ミアは帳面へ何か書きつけながら答えた。顔も上げない。
「ドガンが珍しく機嫌よくなってたから、たぶん当たりだったんでしょ」 「当たりって」 「役に立ったってこと」
言いながら、ミアは机の端へ小さな銅貨を二枚置いた。
「午前分」 「もうですか」 「うちは働いた分だけ早いの。払うのが遅いと逃げるから」 「そういうものなんだ」 「そういうもの」
銅貨は軽い。
それでも、自分で見つけて、自分で受け取った最初の金だった。
レオンは思わず指で挟み直す。
村で雑用をしても、こういう形では残らなかった。
仕事が、ちゃんと線になって返ってきた気がした。
「……そんなに見るほどの額じゃないわよ」 「初めてなので」 「何が」 「自分で見つけた仕事で、お金をもらうの」
ミアの羽根ペンが一瞬だけ止まる。
「そう」
その返事は短かったが、さっきまでより少しだけ柔らかかった。
その時、受付の横から、鼻で笑う声がした。
「へえ。雑務で感動してる」
振り向くと、胸当てをつけた若い男が二人、壁へ寄りかかってこちらを見ていた。片方は短い槍を背負い、もう片方は弓を持っている。どちらもレオンよりずっと背が高く、日焼けしていて、いかにも辺境で動いている顔だった。
「仮登録だろ」 槍の男が言う。 「雑用で銅貨二枚。大出世じゃん」 「やめなよ」 ミアが言う。 「暇なら森へ行ってきなさい」 「森は今日は飽きた」
弓の男が肩をすくめる。
「で、その子が荷札見つけた外れスキル?」 「外れって言うな」 エドが先に返した。
槍の男がエドを見る。
「何だよ、お前」 「別に」 「別にじゃないだろ」 「うるさいな」 「喧嘩は減点!」
ミアの声が飛ぶ。
それで一応は止まったが、槍の男はまだレオンを見る目を変えなかった。
「《記録》だっけ?」 「そうです」 「戦えんの?」 「戦えません」 「じゃあ、やっぱ雑用じゃん」
その言い方は、村で聞いたものと少し似ていた。
けれど今は、胸の奥の刺さり方が違う。
黙っている前に、ミアが机を叩いた。
「雑用で朝から助けられたのはどこの誰よ」 「俺じゃねえし」 「でも明日には同じ顔して頼るかもしれないでしょ、あんたら」
槍の男は何か言い返そうとして、そこで別の怒鳴り声が奥から飛んだ。
「ミア! 採取品の控え、誰か見ろ! また数が変だ!」
ミアが深く息を吸う。
「……ほんと、今日は何なの」
それから、まっすぐレオンを見た。
「二件目」 「もう?」 「暇そうな顔してる人間から」 「またその理屈」 「便利だから使うの」
言い返せなかった。
今度は受付の横ではなく、広場側の長机だった。採取帰りの人間が、薬草や木の実、魔物素材らしいものを籠や袋ごと持ち込んでいる。並んでいるのは五人。控えを取る若い女がひとり、完全に手が回っていなかった。
「何が変なんですか」 レオンが聞くと、控えの女が半泣きみたいな顔で籠を指した。
「夕露草の束、帳面じゃ十二。実物も十二持ち込まれたはずなのに、乾き方が変なのが混じってるの」 「乾き方?」 「今日採ったならもっと水気があるはずなのよ。なのに三束だけ、昨日の残りみたいに乾いてる」 「昨日の残りなら何が困るんですか」 「買い取り額が違うの。傷みやすいから」
なるほど、とレオンは思う。
数が合うだけでは駄目なのだ。
同じ数に見えても、中身が違えば金も変わる。
長机の上の夕露草は、束ね方は似ている。だが、三束だけ茎の曲がりが深く、葉の端が少し縮れていた。色も、ほんのわずかに鈍い。
槍の男が後ろから覗き込む。
「そんなの分かるか?」 「分かります」 「またそれか」 「見れば」 「気持ち悪い」 「四回目です」 エドが言った。 「数えるなって言ってるだろ」 「お前が言われすぎなんだよ」
周囲に小さな笑いが起きる。
レオンは三束をそっと持ち上げた。軽い。
今日の朝露を吸った重さが足りない。
「これ、昨日の分です」 採取してきた若い女がすぐに顔色を変えた。 「ち、違うよ」 「昨日の残りを混ぜたなら、買い取りは下がりますよね」 「だから違うって」 「束ね紐も違う」
レオンは一番端の紐を見せた。
「今日のは青い草紐だけど、この三つは麻紐です」 「え」 控えの女が近づく。 「ほんとだ」
若い女の隣にいた弓の男が舌打ちした。
「おい、マリナ」 「だって、もったいなかったんだよ……」 「だからって混ぜるな」 「少しくらい分かんないと思ったのに」
その言葉で、周りの空気が変わった。
「少しくらい、ねえ」 ミアが腕を組む。 「こっちは少しくらいで帳面全部狂うんだけど」 「ご、ごめんなさい」 「謝る相手が違うでしょ。まず控え係。それから後ろで待ってる人たち」
列の後ろから不満そうな声が上がる。
大きな揉め事ではない。
けれど、ちゃんと小さなざまあだった。
槍の男がレオンを見る。
「……本当に分かるんだな」 「見れば」 「腹立つ言い方だな」 「よく言われます」
すると弓の男が、少しだけ笑った。
「外れっていうか、面倒くさいな」 「面倒くさいです」 「認めるのかよ」 「でも役には立ちます」 「それも認める」
その言い方には、もう最初の見下しはあまりなかった。
控えの女が、夕露草を分け直しながらレオンへ言う。
「助かった。これ、私ひとりじゃ見分けきれなかった」 「どういたしまして」 「名前、何だっけ」 「レオンです」 「……レオン、ね。覚えた」
その一言が、妙に胸へ残った。
名前を覚えられる。
それだけで少し救われる自分に、レオンはまだ慣れていない。
ミアが帳面へ書き込みながら言う。
「よし。買い取り額修正。混ぜた三束は減額。残りは通常」 「厳しいな」 槍の男が言う。 「当たり前。数字は優しくないの」 「それ、こいつに言ってやれよ」 「言わなくても分かってる顔してる」
レオンは少しだけ苦笑した。
確かに分かっている。
数字も並びも、誰にも都合よくは曲がってくれない。
「おい、記録係」
槍の男が、今度はからかい半分ではなく呼んだ。
「はい」 「俺はボイル。こっちはネス」 「さっき言えばよかったのに」 ネスが言う。 「お前が笑ってたからだろ」 「最初はな」
二人のやり取りに、エドが小さく鼻を鳴らす。
「何だよ」 ボイルが睨む。 「別に。やっと人間らしくなったなって」 「喧嘩売ってんのか」 「売ってない。減点なんだろ」 「覚えてやがる」
ミアがそこで、また銅貨を二枚置いた。
「二件目」 「もう出るんですか」 「働いたんだから出るわよ」 「早い」 「だからうちはそういうとこだけ早いの」
レオンは銅貨を受け取る。
四枚になった。
たったそれだけなのに、重さが違う。
村を出た夜には、自分の先が見えなかった。
今はまだ仮登録で、正式でもなく、笑われもする。
それでも、今日の分だけは、自分の力で前へ進んでいる。
その時だった。
広場の掲示板の前で、ざわめきが起きる。
「何だ?」 ミアが顔を上げる。 「新しい依頼か」 ネスが振り向く。
人垣の向こうで、誰かが言った。
「神殿からの照会だって」
その一言だけで、レオンの指先が銅貨ごと冷えた。




