表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハズレスキル《記録》で追放された僕は、消された真実を暴いて成り上がる  作者: ビッグサム


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/32

メモ18 夜を出る

 荷物は、思ったより少なかった。


 祝福の日にもらった証明書。

 村長から渡された小さな布袋。

 トオルが置いていった乾パンと干し肉。

 エドが持ってきた靴紐、包み布、油布。


 それから、母の針箱だけは迷って持つことにした。


 レオンは箱を布へ包み、背負い袋の底へそっと入れた。針も糸も多くはない。旅の役に立つかと言われれば、たぶん立たない。


 それでも、置いていく気にはなれなかった。


「準備できたか」


 戸口でエドが小声で言う。


 外はもう、村の灯がまばらだった。遅い時間まで明るい家もあるが、多くはもう静かで、犬の鳴き声と、風に鳴る戸板の音だけが残っている。


「うん」 「戸、どうする」 「閉める」 「……戻る気、あるのか」 「今は、分からない」


 そう答えると、エドは何も言わなかった。


 レオンは家の中をもう一度だけ見回した。


 炉。

 棚。

 母の布。

 父の工具箱。

 空いた針箱の場所。


 変わっていないものと、変えられたものが、同じ部屋に並んでいる。


 戻りたい、と思わないわけじゃない。

 でも今は、この家に残る方が危ない。


 戸を閉め、閂を落とす。

 自分で閉めたはずなのに、まるで誰かの家を外から閉めるみたいだった。


「行こう」


 村道へ出ると、空気がひやりと肌へ触れた。


 表の道は通らない。神殿の前も避ける。エドが先に立って、家と家のあいだの細い裏道を選んで歩く。暗いが、村で育った足取りに迷いはない。


「そんな道、よく知ってるね」 「ガキのころ、抜け出すのに使った」 「何してたの」 「川で魚取ったり、森で怒られたり」 「怒られてばっかりだね」 「お前よりは人間らしいだろ」 「それはそうかも」


 こんな時なのに、少しだけ笑いそうになった。

 エドは振り向きもしないまま、「気持ち悪いから笑うな」と言った。


 村の外れへ近づくにつれ、息が詰まるような感覚が少しずつ薄れていく。


 誰も追ってきていない。

 少なくとも、まだ。


 だが、村外れの井戸の脇で、人影がひとつ動いた。


 レオンもエドも同時に足を止める。


「そんな怖い顔しなさんな」


 老婆だった。


 昼の集会所にいた、あの杖の老婆だ。足元に小さな籠を置いている。いつからそこにいたのか分からない顔で、皺の多い目を細めた。


「……驚かせないでください」 「驚くようなことしてるんだろう、お前ら」


 そう言って、籠を持ち上げる。中には小さな丸パンが三つと、塩の包みが入っていた。


「これ、持っていきな」 「でも」 「余ったんだよ。嘘だけどね」


 老婆は杖を鳴らした。


「明日の朝までいたら、もっと面倒になる。若いくせに、そこは分かる顔してる」 「……はい」 「なら行っといで」


 レオンは籠を受け取る。まだ少し温かい。


 老婆はその手元を見てから、胸元のふくらみへ目をやった。証明書の紙だ。服の内側に入れているせいで、少しだけ角が浮いている。


「名前の紙かい」 「はい」 「なくすんじゃないよ」 「……はい」 「名前はね、呼ぶ方が忘れても、持ってる方まで手放しちゃ駄目なんだ」


 その言葉に、レオンは一瞬だけ返事ができなかった。


 母が言っていたことに、どこか似ていたからだ。


 老婆はそれ以上しんみりしなかった。すぐに鼻を鳴らす。


「ほら、行きな。年寄りに見送りなんぞさせるもんじゃないよ」 「ありがとうございました」 「礼なんかいらないさ。あとで誰かに返しな」


 エドも頭を下げる。

 老婆は「お前はもっと字を覚えな」と余計なことまで言って、エドに小さく舌打ちされていた。


 村外れの畑道まで来ると、今度は石垣の影からトオルが出てきた。


 肩で息をしながら、こっちを見る。


「やっぱり今夜出るんだな」 「うん」 「そりゃそうか」


 明るく言おうとして失敗したみたいな声だった。


 トオルは腰の短剣を外して差し出した。祝福の前から自慢していた、刃だけはよく手入れされたやつだ。


「これ、持ってけ」 「いや、いらないよ」 「いるよ」 「トオルのじゃん」 「お前が使うんじゃない。エド、お前が持て」 「何で俺だよ」 「レオンに渡したら自分刺しそうだからだよ」 「刺さねえよ」 「ちょっと迷っただろ今」


 その言い合いが、妙にいつも通りで、レオンは今度こそ少しだけ笑った。


 トオルは短剣をエドへ押しつけると、今度はレオンの背中の袋を見た。


「軽すぎないか」 「まあ」 「お前、そういうとこあるよな。すぐ自分だけ我慢すればいいと思う」 「そんなことないよ」 「ある」


 言い切られて、返す言葉が出ない。


 トオルはしばらく黙って、それから低く言った。


「戻ってこいとは言わない」 「うん」 「でも、生きてろよ」 「……うん」


 それだけで、十分だった。


 長い別れの言葉なんて、この村の人間には似合わない。

 言えないことが多すぎる夜だったし、言わない方が残るものもある。


 トオルが石垣へ背を預ける。


「明日の朝、俺はたぶん知らない顔してる」 「分かってる」 「でも、知らないわけじゃないからな」 「分かってるって」


 トオルはそこで、ようやく少しだけ笑った。いつもの明るさより、だいぶ薄い笑いだった。


「行けよ。これ以上いると、引き留めるみたいで格好悪い」 「格好はもう十分悪いよ」 「うるさい」


 最後に、エドが「短剣、ちゃんと返すからな」と言うと、トオルは「返せるとこまで来い」とだけ答えた。


 村の外へ出る小道は、夜露で少し滑った。


 畑を抜け、細い林道へ入る。月が雲の間に隠れると、道はほとんど見えなくなる。エドが前を歩き、時々立ち止まって枝を避けるよう合図した。


 村の音は、もうほとんど聞こえない。


 レオンは一度だけ振り返る。


 遠くに灯がいくつか見えた。神殿の明かりは、村の家より少し高い場所で白く残っている。あそこに戻れば、明日の朝にはまた綺麗な言葉で切り分けられるのだろう。


 思ったより、未練はなかった。


 未練より先に、息苦しさの方が消えていく。


「……楽だ」 「何が」 「息が」 「そりゃ追い出されるくらいだしな」 「慰めになってないよ」 「慰めてない」


 エドらしい答えだった。


 しばらく歩いて、村が完全に見えなくなったころ、道の脇に低い岩場があった。そこへひとまず腰を下ろす。


 老婆の丸パンを割る。

 塩を少しつけて食べる。

 干し肉を噛む。


 空腹だったことに、食べて初めて気づいた。


「明日、っていうか今日か」


 エドが夜空を見上げる。


「町まで半日ちょい。朝になる前に少し寝るか」 「うん」 「俺、先に見張る」 「交代するよ」 「お前、寝た方がいい。顔ひどい」 「エドに言われたくない」 「俺は元からだ」


 それもその通りだった。


 レオンは油布を肩へかけ、背中を岩に預ける。

 胸元の紙をもう一度確かめた。


 祝福の日にもらった証明書。

 名前とスキルが書かれた、自分の紙。


 まだある。

 なくしていない。


 それだけで、今夜は十分だった。


「レオン」


 エドが小さく呼ぶ。


「何」 「町、着いたらどうする」 「冒険者ギルド」 「やっぱりか」 「笑われるかな」 「たぶん」 「ひどい」 「でも、仕事にはなるかもしれない」


 少しだけ間があく。


「お前、役に立つから」 「……ありがと」 「今のは一回だけだからな」 「二回目も聞きたい」 「寝ろ」


 目を閉じる。


 土は冷たい。

 夜は長い。

 でも、集会所の中よりずっと静かだった。


 村を追い出された夜なのに、ようやく、自分の呼吸の音だけがちゃんと聞こえる気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ