第四十八章 ミッドウェー前夜
第四十八章 ミッドウェー前夜
一九四二年五月、広島湾、柱島錨地。
長門の暦は五月にめくられ、気候はすでに暖かくなっていた。
山本五十六は一枚の海図に向かっていた。図上にはミッドウェーの位置が記されている――ハワイの西およそ一八〇〇海里、ほとんど見えない環礁であり、米軍はそこに航空基地と補給拠点を有していた。攻撃経路は過去二か月、彼の参謀たちによって何度も修正され、最新の案では赤いペンでいくつもの弧が西北から東南へと伸び、その小さな礁に収束していた。
山本五十六。
五十八歳。
真珠湾以降の六か月間、彼はずっと起こらなかったある出来事を待ち続けていた。
---
彼は一九四一年十二月二十一日、妻の礼子に手紙を書いた。その手紙は今も礼子の手元にあり、全文が公開されたことはないが、ある一文が後に記者とのインタビューで引用された。
「私が心配していたことは、今起きている形と、私が心配していた形とでは少し違う。私は、我々があまりにも順調に勝ちすぎることを心配している。」
この言葉を、当時の礼子は理解できなかった。
後になって、ようやく意味が分かった。
山本が恐れていたのは、太平洋戦争の最初の六か月があまりにも順調に進み、東京の人々が戦争は勝てるものだと信じてしまうことだった。
彼の当初の判断はこうだった。真珠湾攻撃によって得られるのは、六か月から一年の戦場主導権である。この間に外交ルートを通じて何らかの交渉が成立すれば、日本がまだ切れるカードを持っているうちに戦争を終結させることも可能かもしれない。そのためには、外交が常に軍事と並行して進められなければならず、東京の指導層が軍事行動と同時に政治的妥協の姿勢を示す必要があった。
だが十二月八日以降、誰も交渉を口にしなかった。
マレー半島では日本軍が南進し、クアラルンプールが陥落。フィリピンではマッカーサーが撤退。シンガポールでは七万人の英軍が降伏し、これは大英帝国史上最大の降伏となった。蘭印ではオランダ守備隊が撤退し、石油施設が接収された。ビルマではラングーンが陥落。
そのたびに東京の空気は高揚した。
軍部の者たちは言い始めた。「山本は当初慎重すぎた。アメリカは思ったほど手強くない。イギリスも同様だ。実際、我々はすでに勝っており、残るは時間の問題だ」と。
山本は長門の艦上でそれを聞き、反論もせず、うなずきもしなかった。
彼の黒革の手帳には、変わらぬ数字が記されていた。アメリカの工業生産力は日本の七十四倍以上。その数字は、マレー半島の勝報が届いても変わらなかった。
---
ミッドウェー作戦計画の発端は、思いもよらぬ方向からの一撃だった。
一九四二年四月十八日、東京。
その日正午、米軍のB-25爆撃機が日本本土上空を飛び、東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸を爆撃した。
「ドーリットル空襲」である。
爆撃による実際の被害は大きくなく、投下量も限られ、精度も平凡で、戦略目標は一つも破壊されなかった。その価値は象徴的なものだった――アメリカ本土が攻撃された後、太平洋のアメリカ人全体に「反撃できる」という事実を示し、日本の官僚たちには「絶対堅固」と信じていた本土防衛に穴があることを知らしめた。
天皇はその日、皇居にいた。
爆撃音は皇居まで届いた。皇居自体は被害を受けなかったが、遠くから音が聞こえた。
東京の内部では様々な判断が生まれ、その一つは空襲をミッドウェー方面と結びつけ、防衛圏を外へ押し広げ、この種の脅威を排除すべきだとするものだった。
山本の反応はまったく異なっていた。
彼はその空襲がミッドウェーから来たものとは考えなかった――ミッドウェーの滑走路ではB-25の離着陸は不可能であり、あの爆撃機は空母から発進したと見ていた。しかし、その空襲は、彼が長く求めていた一つの理由を与えた。
彼は参謀長に命じて計算させた。もし日本軍がミッドウェーを占領し、そこに防衛線を築けば、米空母部隊が日本本土に近づくには、日本軍機の行動範囲を通過せねばならない。さらに重要なのは、アメリカがミッドウェーのような近接の要地を簡単に日本軍に渡すはずがなく、必ず奪還に出てくる。つまり、米空母が出撃してくるということだ。
真珠湾攻撃には最大の心残りがあった。あの日、太平洋艦隊の三隻の航空母艦は港内にいなかった。「エンタープライズ」は洋上、「レキシントン」は特別任務、「サラトガ」はサンディエゴにいた。真珠湾作戦で八隻の戦艦を撃沈したが、米空母には一隻も手を付けられなかった。
六か月が過ぎ、その三隻の空母は今も太平洋を遊弋し、さらに数が増えていた。
もし彼が仕掛けを作り、米空母をおびき出し、日本が準備し、米国が準備していない場所で殲滅戦を挑めれば――
それこそが真珠湾の真の続編だと、彼は感じていた。
---
計画は五月中旬に定まった。
作戦名「MI作戦」。兵力は連合艦隊史上最大規模の集結である。戦艦、航空母艦、巡洋艦、駆逐艦、総計二百隻を超える艦艇が複数の部隊に分かれて協同作戦を行う。
計画立案に関わったのは、見慣れた顔ぶれだった。
源田実、第一航空艦隊の作戦参謀。かつて真珠湾作戦で浅水魚雷問題を工学的課題に変えた人物。今は赤城の参謀室でミッドウェー攻撃ルートを何度もシミュレーションしている。彼は今も先を行く発想を口にするが、今回はその発言が会議記録に残り、上層部に伝わった。もはや「狂源」と呼ぶ者はいない。
南雲忠一、第一機動部隊司令。真珠湾の日、赤城の艦橋で撤退を決断し、追加攻撃を行わなかった。そのため燃料タンクや修理施設は無傷で残った。今も機動部隊の指揮官であり、その職は変わっていない。山本はこの人事に満足していなかったが、口には出さなかった。
淵田美津雄、真珠湾で第一波攻撃隊を率い、「トラ・トラ・トラ」と叫んだ男。今も赤城で攻撃隊の中核を担い、新たな飛行隊員の訓練にあたっている。
同じ顔ぶれ、同じ論理で、第二の賭けに臨もうとしていた。
---
だが、彼らが知らないことがあった。
あるいは、誰かが一つの兆候に気づいていたが、それが何を意味するかまでは理解していなかった。
太平洋艦隊情報室、真珠湾、五月上旬。
ジョセフ・ロシュフォートという海軍中佐が、彼の暗号解読班を真珠湾の地下室に閉じ込めて数か月が経っていた。その部署のコードネームは「ステーション・ハイポ(Station HYPO)」。日本海軍の無線通信を傍受し、海軍暗号(JN-25)の解読を試みていた。
解読作業はこの一年、進展と停滞を繰り返していたが、一九四二年四月以降、傍受情報が急増し、多くの電文に繰り返し「AF」という符号が現れるようになった。
AFとは何か。
ロシュフォートの判断は「ミッドウェー」であった。
理由は、パズルの断片が一つの絵を指し示していたからだ。攻撃準備の規模、動員される兵力の種類、交通の要衝や防衛論理上の位置――いずれもハワイ近傍、真珠湾よりさらに西の目標を示していた。
彼は確証を求めた。
彼は単純な仕掛けを考案した。ミッドウェー守備隊に「基地の淡水設備が故障した」と平文で電報を打たせた。
数日後、日本側の電報に「AFは淡水不足」との記述が現れた。
AFはミッドウェーである。確定した。
---
山本の計画には一つの前提があった。彼は繰り返し参謀たちに強調していた。
「米側は受動的に応戦しなければならない。彼らが我々の目標を事前に知ってはならない。」
この前提は、五月の時点ですでに崩れていた。
だが長門の会議室では、誰もその事実を知らなかった。
山本は海図を見つめ、指の二本欠けた左手で図の端を押さえ、ミッドウェーの方向を指し示した。
黒革の手帳は新しいページを開き、そこには新たな数字が記されていた。空母四隻、艦載機約二百五十機、出撃時期は五月末。
彼が最後に手帳に空母の数字を書いたのは一九四一年秋、その時は「我が方六隻」と記していた。今回は「我が方四隻」。足りない二隻――「翔鶴」と「瑞鶴」――翔鶴は珊瑚海海戦で損傷し未修復、瑞鶴は艦体こそ無事だが飛行隊の損耗が激しい。彼は以前から軍令部に「二隻の修復を待ってから作戦を」と打診していた。
軍令部の答えは「時は待たず。月を外せば天候が変わる。今こそ攻撃すべし」。
彼はうなずいた。
だが手帳を閉じるとき、彼は賭場で時折感じるあの感覚を覚えた。手元の札は、決して最良の手ではない、と。
---
一九四二年五月下旬、日本海軍各部隊は次々と各港を出撃した。
二百隻を超える艦艇が太平洋に散開――北方はアリューシャンのアッツ島を陽動し、主力はミッドウェーへ向かった。作戦規模は日本海軍史上かつてないものだった。
だが、あの「米国は目標を知らない」という前提は、密かに失われていた。
真珠湾の情報室では、ニミッツ大将が三隻の空母をミッドウェー北方に展開させていた。
それは六月三日以前のことである。山本も、源田も、南雲も、淵田も知らなかった。
彼らはあの礁に向かって進み、六か月前と同じ自信、同じ経験、同じ戦術書、同じ飛行隊員を携えていた。
その多くは真珠湾を生き延びた者たちだった。彼らの腕は極めて優れ、かつてなく熟練していた。それは事実だった。だが今、ミッドウェー北方で彼らを待つ米軍戦闘機乗りたちは、彼らの想像も及ばぬ切り札――暗号書を手にしていた。
---
山本五十六は出撃前、礼子に家書を送ったという。
手紙は短く、家族の安否を尋ね、桜や梅の季節はもう過ぎただろうかと記し、若い頃鎌倉で見た花見を思い出し、帰ったらまた見に行きたいと書いていた。
ミッドウェーにも、作戦にも、懸念にも触れていなかった。
手紙の結びには、こう記されていた。
「リンカーン伝を大切に保管しておいてくれ。」
彼はそのリンカーン伝を長年愛蔵していた。英語版で、訳文も優れていた。時折、長い報告書を読み終えた後、引き出しからその本を取り出し、数ページ読むことがあった。何か教訓を求めてではなく、ただ頭を切り替えるためだった。
礼子に保管を頼んだのは、その手紙が家に届く頃、自分はすでに洋上にあり、その本は自分のいない場所で静かに待っているだろうと思ったからだ。
彼は自分が帰ると信じていた。
彼は常に、賭場で自分が勝つと信じる男だった。
---
六月四日、ミッドウェー。
事態がどう動くか、山本はその未明にはまだ知らなかった。
彼は大和にいた――すでに旗艦を移していた。大和は就役したばかりの世界最大の戦艦で、長門の二倍以上の排水量を持ち、主砲口径は他のどの艦よりも大きかった――前線からの攻撃報告を待っていた。
赤城、加賀、蒼龍、飛龍、四隻の空母がミッドウェーに向けて攻撃を開始していた。それは彼の計画における「第一段階」であり、真珠湾と同じ論理だった。艦載機で敵の陸上基地を破壊し、敵空母を誘い出し、海戦でこれを殲滅する。
だが、その日届いた報告は、彼が待ち望んだものではなかった。
彼が受け取った知らせは、次章で明らかになる――それは彼の生涯で最も受け取りたくなかった報せであった。しかし今、六月三日深夜、ミッドウェーへ向かうその夜、彼は黒革の手帳を取り出し、何ページにもわたって書き込まれたあの数字の列を、灯りの下で見つめていた。
航空母艦六隻、第一波攻撃艦載機百八十三機、出撃錨地、単冠湾、時期、十一月下旬。
彼は鉛筆で、その横にさらに小さな字を添えた。
ミッドウェー、四隻、六月。
手帳を閉じ、艦室の椅子にもたれ、目を閉じた。
大和は漆黒の太平洋を切り裂き、艦首の音は低く安定し、彼の知る巨大な機械が、定められたリズムで動いているようだった。
彼はこの機械の力も、限界も知っていた。
だが、彼の知らぬものもあった――たとえば今、真珠湾情報室で広げられている暗号書、ミッドウェー北方で待ち受ける三隻の米空母。
彼の知らぬそれらが、明日、この賭けの結末を決めることになる。




