第一章 二つ名を持つ少女(1)
魔法と魔人と王女様:プリンセス・リーザ;;The Seventh 第二部
■第一章 二つ名を持つ少女
ウォールナットを基調とした家具と、白い壁紙、清潔そうなベッドがあり、来客用も含めたソファーセット。奥には洗面室などもある、格調高い部屋。
海洋底地質調査局の若き科学者、ディーン・リンゼイは、場違いな場所に身を置いていた。
その場所は、彼の住むマリーナロメアから車で一時間ほどのところ、第二王都とも呼ばれる都市、モデナ。王都グランデカポルオーゴを真似て中世風の街並みが再現された、伝統の都市のひとつ。エミリア王国の第七位王位継承権者、リーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティ殿下の別荘の一つ。
ディーンは、エレナ・ユーニス・エンダーという女性と出会い、海底から見たこともない鉱石を掘り当て、そして、その鉱石をめぐる様々な争いに巻き込まれてきた。
最初は、調査局の上層部。
正式に発表したいというディーンに対し、ことを大きくしたくない上層部は、一行官報への掲載のみを許可した。
次いで、この別荘の主である、リーザ。
彼女もまた、その発見に対して様々な危惧の可能性を見出し、それをディーンに渡すように迫った。それを真っ向から阻止したのが、エレナだった。
そして、古きエミリア正教の中の、とある宗派の過激派組織。
彼らは物理と精神の暴力を以てディーンの心変わりを促した。
最後には、エレナに興味を持った、エミリア七候の一角、アリオスティ家。
圧倒的な支配の儀式が、ディーンの命の灯を吹き消そうとさえした。
一介の公務員だったディーンにとっては、まだ悪夢の中にいるような心地だ。
そして、全ての危機をたった一人で打破してきたのが、エレナだった。
時に深い洞察を含めた物おじせぬ言論で。
時にネコ科の動物のようなしなやかな護身術で。
そして、魔獣のような殺意の銃とナイフで。
リーザは、狂信者や狂気の大貴族からディーンを守るため――というよりも、より恐ろしく正体の分からない、エレナという悪魔からディーンを守るため、彼をここに匿った。
もちろん、リーザの興味は、ディーンの持つ鉱石サンプルではあったのだが、彼女はそれを無理に奪おうとは思わなかった。
ディーンが、それがエレナとのよすがと感じていることを、知っていたから。
だから、リーザは、そのエレナの正体を暴き、改めてディーンに決断を委ねるつもりであった。
――リーザ自身の目的も重要だが、一人のエミリア国民として、為政者のリーザが心を寄せ幸福を願う、最初の一人として、見守るために。
何日かのうちに、ディーンは、その部屋に用意されたいくつかの学会誌を読み終えていた。
内容は、スカスカだった。全て知っている内容だった。教科書にも劣る。
これが、今のエミリアという国の科学の実体なのだな、と思う。
つい先日まで、積極的にその堕落に加担していたことを棚に上げて。
そんなことを本棚の前で考え、ため息をついてソファに座り直したところで、軽いノックの後、すぐに入り口が開いた。
相手が王女殿下なら、無作法に本棚の前に立っていなくてよかった、とほっとしたが、入ってきたのは王女でもなく、また別の緊張に襲われることになる。
「ディーン・リンゼイ君だな。直接ははじめましてということになる。俺は殿下付衛兵、オズヴァルド・セラーティ。よろしく」
青いシャツと茶色の皮ズボンの上からでも隆々とした筋肉を主張する巨躯の男は、そう名乗って右手を差し出す。
ディーンもおずおずと立ち上がり、それから、差し出された右手を取る。
「ディーン、リンゼイです。セラーティさん、よろしくお願いします」
「オズヴァルドでいい。俺もディーンと呼ぶ。殿下のお気に入りの平民と聞いてな」
平民と呼ばれてみて考えると、伝統的なイタリア系の名前に聞こえるオズヴァルドは、貴族なのかもしれない。そう思ってディーンがファーストネームで呼ぶことをためらっていると、
「――気にするな、職位は騎士補だ。騎士でもない貴族落ちの平民、君と何も変わらんよ」
言いながら、オズヴァルドは豪快に笑う。
「分かりましたオズヴァルド――よろしく」
ディーンがようやく言うと、彼も大きくうなずく。
「殿下の命でな、君を鍛えるように、と」
「……僕を?」
「分かってるだろう。あのエレナとかいう女。その正体を探しに行く。もしかすると、乗り込んだ先で、俺たちは百人のエレナを敵に回すのかもしれん。一人であの強さ――俺でも五秒ともたんが――あれが、仲間を連れて本気で君を潰しに来たら、守りに徹しても守りきれるもんじゃない。そういうわけで、最低限の戦闘技術は身につけてもらう」
以前、リーザが『一番の腕利き』でさえエレナと五秒と対峙していられないだろう、と言っていたが、オズヴァルドがその『一番の腕利き』か、と得心しつつ、ディーンの中では、エレナに対する底知れぬ恐怖と、彼女に寄せた暖かい気持ちとがせめぎあい、彼女を敵と認識しきれないでいる。
「……彼女は、話せば分かってくれると思うんだ。あれもただ僕を守ろうとして――」
「――武装した男たちをことごとくなぎ倒したわけだ。間違いなくどこかで訓練を受けたものだ。なるほど、君を守ろうとした、よろしい、それは否定はせんよ。では、守るべき理由は? ――誰も分からん。すなわち、その『誰にも分からぬ理由』が反転した瞬間、君の敵になる。そして何より、すでに我がエミリア王国の敵である」
「……それは分かるよ、エミリア臣民を害した、殿下はそうおっしゃった」
「だから、殿下は、あの女の身元探索のために自ら乗り出すつもりだ。できるだけ少数の護衛をつけて――そこまでは、聞いたな?」
「ええ。……え? で、殿下自身も!?」
思わずディーンは声を裏返らせる。
「そうだ。……今回のことがあって、覚悟をお決めになられた。正直に言うと、俺は嬉しい。まさに主君と仰ぐべきお方となられた」
「僕に行ってもらうとはおっしゃっていたけど……そうか。分かった。覚悟はする」
エレナが何者であれ、彼女のルーツを探り当てる瞬間には、自分が立ち会わねばならない。
女神のような知性と悪魔のような暴力を併せ持つ彼女のルーツ。ディーンにとっては、むしろ、その知性の源泉こそ知りたいところだった。彼が狂おしいまでに彼女に惹かれたその魅力の秘密。
「そして、行動的になった殿下は、何かの思し召しで、どうやら明日の晩餐に君を招待するそうだ。ちょっとした舞踏会も催されるという。俺に与えられた使命のもうひとつは、君に殿下と踊れるくらいの舞踏を叩き込むことだ。この上ない名誉だ、心しろよ」
オズヴァルドは、そう言ってちょっとだけ羨ましさのこもったいたずらっぽい笑いをディーンに浴びせた。
***
容赦ないしごきでへとへとになったディーンは、夕方四時を回った頃にようやく休憩を取ることができた。
さすがにそんなに疲労していてはこの後の舞踏会に参加できなくなるぞ、とオズヴァルドに心配されたほどで、午後の戦闘訓練はほんの一時間で終わることになったのだ。
ダンスについては、とにかく女性の手を握ってステップを踏むだけの練習に徹し、後は手練のリーザに任せることになった。それだけでもこの日の午前全部と午後の多くを使ったが、何とかものになる最低ラインはクリアした。
そのあとの戦闘に関してが、地獄だった。ともかく体力だった。攻撃を避けるという行動は思ったよりも多くの体力を消耗する。要するに相手に正対したまま、横か後ろに動かなければならないのだから、ただ前に走るよりよほど疲れるのだ。
自らの身を守るというのがこの訓練の目的だから、ともかく敵を前にしても怖気づくことなく、相手の攻撃をしっかりと見て避けること。それだけを叩き込まれるはずだったが、オズヴァルドの猛攻にわずか一時間で音を上げることになってしまったわけである。
それから二時間、部屋でゆったりと休むだけのつもりが気がつくと居眠りをしており、晩餐会の開始時刻まで三十分を切っていた。
あわてて部屋を飛び出し、あらかじめ聞いていたスタイリストルームに飛び込む。
容赦なく素っ裸にされ全身を泡まみれにされ一瞬で乾かされ、流れ作業のように着付けの担当者に引き渡される。
そうして、見た目だけは貴族らしい、ダークグレーのシャツの上に、袖口と襟口、ズボンのサイドに白とオレンジの装飾のついた濃暗赤の上下スーツ、それから同じく濃い赤の蝶ネクタイ、そして撫で付けた頭髪の上にぼさぼさくるくるの大げさなウィッグ、という姿に変身した。さすがのディーンも、その姿を鏡で見て苦笑するしかなかった。
連れられてたどり着いたのは、広いホールだった。
名目こそ『晩餐会』だが、広いテーブルを囲んだ食事会というよりは、食事については二の次のダンスパーティに近いもののようで、ホールの中央は広いダンスステージ、その周囲に小さなテーブルを備えたボックス席が二十ほど囲むように並んでいて、招かれた貴族はそれぞれにボックス席を割り当てられているようだった。
ディーンは、そんな中で唯一の平民として、ひとつのボックス席を割り当てられていたが、周りの貴族の注目を集めている風でもなかった。結局貴族たちの興味は貴族同士の出世レースであり、いかに他の貴族を出し抜いて主催者である第七位王位継承権者リーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティ殿下に覚えめでたくあるか、に過ぎないのだった。
ディーンが一人ボックス席に取り残されておろおろしている間に、いつの間にか、ホールの音楽が響き始めている。
間もなく、一画からリーザが姿を現す。真っ白のワンピースドレス、短いスリーブの縁と深いV字の襟は淡いオレンジのフリルであしらわれている。そこに、いくつかの宝石が埋め込まれたティアラと光沢のあるストール、エナメルの輝きのパンプスをまとう。
ホールの中央でまばゆい光を浴び、一礼する彼女は、ディーンがこれまでに見たどんな姿よりも美しく輝いていた。
何かしゃべっていたようだが、ディーンはそれを完全に聞き逃した。あまりに美しいリーザの姿と、場違いな自分の身分のその差におののき、周りで起こっていることを認識するのを一時忘れてしまったのだ。
震える手で目の前の飲み物を手にし、乾杯をしたことだけは覚えている。とにかく、喉だけは潤っている。
やがて音楽は明るい調子に変わり、王女が軽やかに手のひらを向けたボックスから貴族が立ち、王女とのデュエットを踊り始める。それを合図に、あちこちのボックスから、(おそらく王女に当面呼ばれる当てのない)貴族たちがダンスホールに躍り出て、好き好きにダンスを楽しみ始める。
一曲の半ばにも差し掛からぬうちに、王女が膝を曲げて一礼し最初の貴族を送り出す。にこにこ顔の貴族はこれまた恭しく礼をしてボックスに引き下がる。
続いて、二人目の貴族。
そういった流れを見ていて、ディーンは、自分が五番目に呼ばれることに気が付いた。
呼ばれる貴族は、真ん中、次いでその右、その次がおそらく真ん中を挟んで左側、という順になっていて、自分は真ん中からわずか三番目の位置に座っていたからだ。別荘地に集まる貴族がさほど多くないとはいえ、平民がこれだけのポジションに座らされていることは相当な異例に違い無いのだが、かといって、彼に対する妬みのようなものは、やはり感じられない。そもそも、平民とは置物のようなものであり、あるいは、王女殿下の新しい玩具、そのようにしか受け取られない存在なのだろう。
それにしても、やはり、平民が王女殿下と踊る、それだけのことで相当な注目を浴びるであろう。やっかみは無くとも、大恥をかきはしないか。笑いものになって惨めな思いをしはしないか。
そういったあれやこれやを考えているうちに、あっという間にディーンの順番が回ってくる。
リーザがひとつ前の貴族の次男を送り出し、そして、ゆったりとディーンに視線を送って、微笑んだ。
ディーンはあわてて立ち上がり、右足のつま先をテーブルの脚にぶつけ、やや顔をしかめる。リーザがくすりと笑った気がした。
何とか両手両足が揃わないようにリーザのもとに歩み寄り、みっちりと仕込まれたダンスの構えをとる。リーザはごく自然にディーンの構えた手に自分の手を任せ、身をぴたりと寄せる。
音楽に合わせてステップを踏もうとすると、その前に、リーザがすっと身を引いてディーンをリードした。
「私に任せておきなさい。あなたは何も考えず、オズヴァルドの教えたステップを」
リーザが耳元でささやく。
ふっと華やかな香水の匂いが鼻孔を満たす。
思わず幸せな気分になっている自分を、ディーンは発見する。
視界がくるくると回る。
そのたびに、楽団や待ち行列の貴族、豪華なホールの装飾がミラーボールを内側から見ているように目の中をきらきらと照らす。
ほんの三日前、あるいは一日前でさえも、思いもしなかったようなところに、自分が立っていることに、ディーンは酔っていた。
なぜこんなところにいるのかさえ、すっかり忘れ、その華やかな景色と視界の半分を占める王女の美貌を楽しんでいた。
そして気が付くと、その時間は終わりを告げていた。
どのように送り出されたのかも分からぬまま、いつの間にか自分のテーブルに戻っていて、次の貴族が彼女と踊っているのをぼうっと眺めているのに気が付いた。
テーブルに置いてあったスパークリングワインが、なぜこんなにひどく辛口なのか、その時彼は知った。王女との夢のようなひと時から現実に引き戻すためなのだった。
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