第六章 勝利、敗北(3)
王女殿下の用意した車に乗せられ、ディーンは全く知らない場所に連れられていた。
もちろん、目隠しなどをされたわけではない。
だが、車の窓から見える光景が、港町の雑然とした雰囲気から、やがて古びて趣のある穏やかな街並みに変わったことはすぐに気が付いた。
彼の住むマリーナロメアから車で一時間ほどのところ、第二王都とも呼ばれる都市、モデナ。
サン・リディオ派の境界の拠点があるのと同じ街。
そこは、王都グランデカポルオーゴを真似て中世風の街並みが再現されており、教会だけでなく、王侯貴族の第二邸宅や別荘が数多く構えられている街でもある。
教会の大派閥の拠点があるのは、むしろそれが理由だったといってよい。
ディーンを乗せ町に入ってからさらに二十分ほど走った車は、やがて小さな丘の斜面に建つ豪邸の地下駐車場に入る。
停車した車から降りるように促される。一緒に来ていると思っていたリーザは、全く姿を見せない。ともかく今は、彼女の侍従のその男に従うよりほかない。
長い傾斜エレベーターを降りると、突然にまぶしい光が彼の目を射した。
そこは目もくらむような絢爛な内装と明るいシャンデリアで飾られたホールだった。
エレベータの降り口にも、ホールから続いている玄関と見られる出入り口にも、屈強な衛兵が立っている。エレベーター付きの衛兵は、ディーンの姿を見て、ぴしっ、と敬礼をして見せた。少なくとも、ここでは彼は敬意を払われる対象であることに、彼はほっとした。
侍従に連れられて、ホールの先の大階段の脇に続く廊下を進む。両側には真っ白いドアがいくつもあるが、それぞれの中がどうなっているのか想像もつかない。ドアとドアの間隔は広いところで十メートルを超えており、その内側の部屋がいかに広いかを思わせた。
やがて一番奥から二番目の部屋が恭しく開帳され、ディーンに対し、この部屋でくつろぐように、とのメッセージが伝えられた。ここにきてようやく、彼は、リーザの用意した邸宅に一室をあてがわれ、当面そこで過ごせるよう手当されたのだと気が付いた。
気が付くと、彼がホテルの部屋に放り出してきた身の回り品も運び込まれている。本格的に彼がここで暮らすことをリーザは指向しているものと見える。
最後に、侍従が去る直前、ディーンはようやくここがどこなのかを彼に聞くことができた。
「王女殿下の別荘でございます」
侍従の回答はこのただ一言だけだったが、それで十分な情報だった。殿下は、自らの別荘でディーンを匿うと決めたのだった。
そして一人になり、部屋を見回す。
ウォールナットを基調とした家具と、白い壁紙、というシンプルなインテリア。清潔そうなベッドがあり、来客用も含めたソファーセットがある。部屋の左奥には洗面室に続くと思われるドア。キッチンが無いことを除けば、ディーンが元住んでいたマンションの部屋よりもよほど上等だ。
大きな食器棚のようなものが見え、興味をそそられて開けてみると、大量の本が納められている。半分くらいは文学作品のようで、いくつかはタイトルを聞いたことがある。古代の名著と呼ばれるものもある。その中でも飛び切りに装丁が擦り切れて古びている『シェイクスピア全集』と銘打たれた十数冊のシリーズ本のひとつを手にとってページをめくってみたが、ほんの数行読んだだけで理解できない表現に当たってしまい、読み進めるのをあきらめた。
残る半分は、実用書、特に、エミリア地質学会の雑誌六年分七十二冊をはじめとする地質学に関する教本が大半を占めている。まさしく、これはリーザがディーンのために用意させたものだろう。彼女はいつから、ここにディーンを匿う可能性を考えに入れていたのだろう?
学会の雑誌など実のところ数えるほどしか手にしたことの無かったディーンは、最新の一冊を手にとってめくる。
彼がライフワークとしていたボーリング調査の結果などはほとんど見られない。ほとんどが、空想上の論説だ。エミリアという惑星の形成時期、そこから予想される地質的特徴、鉱物埋蔵量の推定や、他の惑星との比較、分類。ほとんどが、この惑星にエミリア王国という国が生じる前に行われた古い調査結果をひたすらにほじくり返すだけの空論。ここ数年行われてきた実地調査の結果はまるで影響を与えていないし、そもそも、調査局の人間が地質学会に一篇でも投稿したという話さえ聞いたことがない。隠遁生活を送る大学の学者たちと、実地調査を行う調査局の学者の間には、とてつもない高い壁がそびえ立っているのだ。
結局、ディーンもその高い壁のために学会誌への興味を失い、手持ち無沙汰にソファに腰掛ける。
ちょうどそのとき、ドアが開いた。
それは、いつもと同じ雰囲気の明るい色のワンピースに身を包んだ、リーザだった。
ディーンは慌てて立ち上がり、恭しく一礼をしようとしてから――リーザとの約束を思い出し、
「待ってた」
と一言、言うのみにした。
「お待たせ。ここの雰囲気は、どう? しばらくここに匿うことにしたから」
「正直、驚いてる。僕の趣味に合う、とまでは言えないけれど、地質学会の雑誌なんてものがあるのを見たら、僕のために設えたんだろうということは分かる」
ディーンはこの部屋のホストとしてリーザを座らせながら、続ける。
「いつから僕をこんな風に匿うと決めてたんだ?」
リーザはその問いに、少し悩んだそぶりを見せてから、顔を上げた。
「あの晩。エレナが、徒手空拳でチンピラどもをなぎ倒した時から」
「……じゃあ、君はあの時から、エレナが敵に回ると思ってたんだ」
「……敵、というの? あなたが?」
そう言われて、ディーンは自分の言葉に違和感を覚える。
確かに、エレナは、敵じゃない。
何より、命がけで僕を助けてくれた。
ただ、彼女の隠している正体が、想像を遥かに超えるものかもしれないという恐怖があるだけで。
せめて、正体だけでも。
「……いや、僕はまだ、エレナが敵だとは思えないし、その、まだ、取り戻せるなら取り戻したい」
それを聞いて、リーザは小さくため息をつきながら、目を伏せて苦笑した。
「まあ、あなたが混乱してることもわかる。だから、あなたがどんな答えを出すのかは、あなたが全部知ってからでいいわ」
そして、またしっかりとディーンの目を覗き込む。
「私も混乱してる。でも、それでもね、私は許せないの。少なくとも、エレナは、一番恩があるはずのあなたに正体を隠している。もちろん私にも。そして、アリオスティの長男の私兵というエミリア人を傷つけ、間接的にあなたも傷つけた。彼女が来なければ、あなたはきっと平穏な人生を送っている」
リーザの言葉は、どこにも否定できるところが無かった。
確かに、エレナ自身の何らかの目的のためにディーンの人生を一変させてしまったのはエレナで、たとえその生活を楽しんでいたとしても、それほどのことをやったエレナが、正体を隠したままというのは、恩知らずの誹りを免れない。
「正体を、探ろうと思うの。いったい彼女がどこの何者なのか。全くヒントは無い。どこに行けばいいのかも分からない。――でも、あなたは、何か知っているかもしれない。なんでもいい。思い出したことがあれば」
そう言われても、エレナの正体を知りたくてたまらないのはディーンも同じだった。動機は正確に同じとは言えないまでも。そして、ディーンもその手がかりさえ持っていないのだ。
「少なくとも、宇宙――外国から来たことは間違いがないのは分かるわ。けれど、広い宇宙のどこを探せばいいのか――せめてどこから来たのか、それだけでも分かれば。何か、聞いてない?」
そしてその言葉に唐突にディーンの脳裏に記憶がよみがえる。彼もかつてそう考え、そして、せめて出身地を、と彼女に尋ねたのだ。その答えは――。
「――マリアナ。エレナは、出身地をマリアナと言った。どこかの地名なのか惑星の名前なのか分からない。惑星の名前だったら、その惑星上のどこなのかも分からない。でも、彼女が自分のことについて語ったのは、確かにこれだけだった、と思う」
その言葉を聞き、リーザは床を見つめて考え込む。
曲がりなりにもエミリアの指導者一族として、彼女の脳内にはいくばくかの外交地図が納められている。その中に、マリアナという星があった気がする。
ただでさえ、エミリアの近辺は騒がしい。エミリア本星こそ地球に似たレアスタースポット――つまり近隣の恒星密度が低く星間航路が疎なエリア――に当たっているが、そこを抜け出すととたんにおとめ座方向深宇宙への大通りだ。古い大帝国、大マカウ国と新興のロックウェル連合国が何度も小競り合いをしているエリアでもある。そこを抜けた奥地に、マリアナという星があったことを、ほのかに思い出す。
そしてその支配者は、誰だったか。
「……大マカウ国の領土、マリアナという星があるわ。そうだとすると、彼女は……」
ディーンは彼女が言わんとすることを理解し、息を呑む。
「エレナは、マカウの工作員、ってことか?」
「その可能性がある。マカウは過去にも口八丁でいろんな独立惑星国家を支配下に納めてきた。もちろん、血なまぐさい謀略の噂にも事欠かないわ。確かにエミリアは交易路でもないし資源も特に無いけれど……たとえば、王家や貴族が抱えている莫大な資産を狙ってる……そんなことも考えられるわね」
「あの大帝国がそんなものを狙うかな」
「何をたくらんでるのかなんてまだ分からないわよ、でもどちらにしろ、あなたは……エレナの捨石よ。あなたを使って――そう、たとえばアリオスティの長男やこの私がまんまと出張って来てしまったように、王族か貴族を釣り出して何かを――」
「だったら君が関わることこそ危険じゃないか」
ディーンは思わず口にする。
本当にリーザの身の上を心配しての言葉だったのかどうか彼自身にも自信が無いが、彼女の可憐さに保護欲をかきたてられていたことは否めない。
「いいえ。私は戦うと決めたの。私の理想のエミリアのために。第七位の私には、大した未来なんてないと思うでしょう? きっとその通り。それでも。私の力はゼロじゃない。だから決めたのよ。私は、エレナと、ルカと、戦う。あなたの――私たちの平穏を脅かす全てものと。――たとえ、手を血で汚しても」
そう言われては、ディーンとしても返す言葉が無い。これはリーザ自身が決めたことなのだ。
「……分かった。だけど、一つ確認したい。正教会もルカ・アリオスティ閣下も、うやむやにしてしまったけれど……僕を何度も襲わせたのは……君じゃ、無いんだね?」
ディーンが問うと、リーザは数瞬、表情を陰らせた。その表情の意味を、ディーンは理解できない。
彼が理解するより先に、彼女が口を開く。
「全く無関係だとは言えない立場だってことは、白状しなくちゃならないわね。彼らがあのような行動をとった原因はきっとあなたに不用意に近づいた私だし、彼らの行動を抑えられなかったのは私の責任だわ」
それもおそらく、彼女の決意が言わせた言葉なのだろう、とディーンは思う。
リーザはここで、全く無関係だ、としらを切ってもよかった。
よかったのに、そうしなかった。
彼女はきっと責任のないことまで背負って、戦うと、そう宣言したのだろう。
だから、彼は大きく首をたてに振り、
「分かった、ともかく君を信じる。僕はとにかくこの騒ぎを終わらせたいんだ。……それで、これから僕はどうすれば?」
リーザは、その質問が来ると分かっていたかのように、深くうなずいて見せた。
「……マリアナへ行ってもらうわ」




