第六章 勝利、敗北(2)
エレナに声をかけられて、いつの間にか、バイクに乗せられて走っていた。
まだ、何が起こったのか、理解が出来ない。
息が苦しくて――血の匂いが気持ち悪くて、早くここから逃げ出したかった。
だから、ただ言われるがまま、後ろに乗り、アリオスティ家の荘園から出るに任せていた。
ある程度走ったところで、エレナはバイクを止めた。
「――ここまでくれば、もう大丈夫」
エレナはそう言って、バイクからディーンを下ろす。
見ると、タクシーストップらしきものがすぐ近くに見える。
「ちょっと私は服を変えなきゃ、街中を走れないから。ディーンは先に帰ってて」
そのエレナは、体中に返り血を浴びていた。
それは、純粋に彼を怯えさせた。
続けてバイクを降りて近づく彼女に対し、彼は、一歩後ずさり、それ以上後ずさることを抑えるのに非常な努力を要した。
そして、ふと気が付き頬を拭うと、手のひらが真っ赤に染まる。
こみあげる嘔吐感を、必死で飲み込んだ。
「君はいったい――」
何者だ、という言葉が出てこない。
それを聞いたとき、自らの命も失われるのではないかという恐怖に口をつぐむ。
「……どうしたの」
そのエレナの言葉は、あまりに無邪気だった。
たった今、恐るべき殺戮劇を繰り広げた人間の口調とはとても思えなかった。
「……君は、人を殺した」
震える声でディーンが指摘する。
「――あっ。ごめんなさい、説明するべきだった。殺してはいない。ちゃんと急所は外してるから――」
「急所? どういうことだ? 意味が分からない。君はあの古い銃であいつらを撃ち射抜いて、ナイフで切り裂いて――殺すのと何が違うんだ」
ディーンは混乱で自分が何を言っているのかさえ分からない。
分かるのは、もしエレナの言葉が事実であれば、相手の血しぶきを浴びながらも、殺す相手と殺さない相手を選べる悪魔のような人間に自分が対峙しているということだ。
「なるべく殺したくないから。ずっとずっと昔私は――」
「やめてくれ、聞きたくない。『なるべく』だって? じゃあ君は殺せるのか? 少しの勇気だかなんだかを振り絞れば君は人を殺せるのか? 僕はそんな――」
「ディーン、お願い、聞いて」
「嫌だ!」
叫ぶように拒否の言葉を吐きだし、ディーンは二歩、後ずさった。
エレナは足を止め、上げかけた腕を、力なく落とした。
エレナは、このような人を、何度も見てきた。
彼女が彼女自身と――――を守るために、時には敵対するものを手にかけたとき。
感情を押し殺しクレジットを得るための仕事として働いたときにはそのような目を向けられることは無いのに、彼女が、その本当の目的のためやむにやまれずそれを行ったとき、それを見ていた『守るべきもの』の反応は、いつも同じだった。
――そうなると分かっていた。
彼女の知性が知り得ないその反応は、しかし、彼女の経験が理解していた。数少ない、彼女自身の理解による『知』だった。
過去のある日。
彼女は、彼女自身の理解外の力で、ディーンを守るためにこの星に来なければならなかったことを知った。
だから、こうして彼を守るべき行動をとることを知っていたし、その結果、彼がどのような感情を彼女自身に向けるのかを知っていた。
ただ薄ぼんやりとした予見があり、直感の命じるままに行動し、そして、やはり、こういう結果にたどり着くのだ。
いずれは消える。交わした約束を守ることなく。それをとがめられることも無く。
今度もそうなるだろう。
ディーンとの約束は、やはり守られない。
あきらめに似た感情が湧き起こり、エレナは踵を返した。
「……あなたは守る。でも、あなたに迷惑はかけないよう努力する。……さようなら」
その言葉だけを吐き残し、エレナは、道路わきの暗がりに向かって、消えていった。
***
ディーンが放心していると、近づくものがあった。
一台の、自動車。
そこから降りてきたのは、長いダークブラウンヘアをなびかせた、リーザ――王女、リーザ・ベルナンディーナ・グッリェルミネッティだった。
彼女は後ろについてきていた侍従だか衛兵だかに素早く何かを命じ、命じられた者は、すぐにディーンの周辺やバイクや、身体のあちこちを調べ、血の跡を拭ってケガがないことを確認し、報告している。
気が付くと、リーザは一人でディーンの目の前に歩み寄っていた。
「……ごめんなさい。アリオスティの長男がろくでもないことをしそうなのは知ってて……途中から見ていたの。むしろ、あの男は、私に見せるためにわざわざ映像をつないでくれたわ。馬鹿なことを。慌てて護衛を連れて来たんだけど……。正直、こんなことになるなんて思わなかったの。怖い思いをさせて、ごめんなさい、ディーン」
彼女は低い声でディーンに告げる。
王女自身が、彼を守るために動いていたこと。
その結果、予想だにしない結果を目の当たりにしたこと。
「あの男を、好きにさせたのは私。ただ私は怖くて縮こまってただけ……笑って。これが、貴族の頂点にいる、王女という人間なの」
「いえ、その……王女ともあろう方が、僕のようなものを気にかけてくれただけで……」
「……いろいろな偶然が無ければ、あなたは今日か明日、死んでた。あの庭園に平民のあなたがいたことは……そういうこと」
「まさか……」
ディーンの言葉に、リーザはそれ以上の答えを返さなかった。
それから、それよりも、と、話題を改める。
「――エレナ。確かにあれが、あそこまでのことが出来ていなければあなたは危うかった」
ディーンは、リーザの言う『あそこまでのこと』が一瞬フラッシュバックして、身震いする。
「正体がつかめないところから、おかしいと思っていたのよ。言って。あの女は、何者?」
そして、リーザも、ディーンと同じく、その興味と恐怖の矛先は、ルカという小物ではなく、エレナに向いていた。
リーザの厳しい詰問に、精神を疲弊させたディーンは、気づかぬうちに口を開いていた。
「――家出娘なんだ。いや、そう思っていたんです。ある日沖合に不時着した宇宙船から出てきて――いなかったことにして匿ってくれと言われて――それから、一緒に過ごしていたんです」
「――それで?」
それは、結局、正体はなんなんだ、という質問なのだが。
「僕にも正体は分からない、分からないんです、リーザ。助けてください。僕はいったい何に巻き込まれているんです」
「あなたが分からないんなら、誰にも分からないのよ。……そう、あなたにも正体を隠しているわけね。その割には、あなたは随分とあの娘に肩入れしていたようだけど?」
「――正直に言って、若い家出娘、それに大富豪――最初は、役得だな、と思わないでもなかったんです」
「大富豪?」
「……こんなものを、ことあるごとに懐から出すんです」
エレナにもらってポケットに入れたままだった匿名クレジットクーポンを出して見せる。
「……ふん、庶民には過ぎた大金ね。あなたも随分な俗物なのね」
「すみませんリーザ……だけど、彼女の知性に惹かれていたのも事実で、そんな関係を壊したくなくて有耶無耶にしてきて……こんなことになるなんて思わなかったんです」
「……こんな時にあれだけど、半端な敬語はやめない? これから私とあなたは――もっと力を合わせる必要があるの。いい? あれは、悪魔よ。今の戦闘を見せて、私の衛兵の中で一番の腕利きに、勝てるか、って訊いたら、一対一なら五秒以上立っていられる自信が無いって言うのよ? あんな華奢な体で、いかつい男たちを十二人、瞬く間になぎ倒す悪魔……いい? あれはこれからあなたの――エミリア王国の敵になるのよ?」
「まっ、まだそうと決まったわけじゃ――」
「エミリア臣民を害したものはエミリア王国の敵です!」
リーザは、鼻息荒く宣言する。
たしかに、ディーンを手荒に扱おうとしていたとはいえ、その男たちはエミリア人であり、それを傷つけたのは外国人のエレナなのだ。
「……それに、あの冷酷さ。あなたは、これまでそういうところをちっとも感じたことは無かったの?」
「いや――ただちょっと、無愛想な娘だと思ってた」
何とか敬語をやめ、応える。彼がリーザの指示に素直に従ったのは、彼女への共感とエレナへの恐怖が半々くらい寄与していただろう。
「じゃあ今すぐあの女から離れて。何をたくらんでるか――もちろん、これから徹底的に調べなきゃならない。でも、あの女の用事がすんだら、あなたはきっと――殺されるわ」
「殺される……僕が?」
「分からないの? あれだけの男たちを表情一つ変えずに殺せる女よ? 目的を果たしたら……たとえば、あなたから鉱石サンプルを奪ってしまったら、もうあなたには用が無い。結果は火を見るより明らかよ」
「待ってくれリーザ、だったら、彼女はただ僕を殺して鉱石を奪って逃げればいいじゃないか。だが、彼女は随分と回りくどいことをしてる」
「その通りよ。だから、あの女の目的がつかめないの。でも必ず突き止める。目的さえ分かれば、あなたを守ることもできる。いい? これはもう駆け引きなし。確かに私はあの鉱石サンプルを渡して欲しいと思ってる。私自身の目的のために。でも、あなたを害してまでなんて思ってない。貴族連中の目が光ってるってこともあるし――私は人を傷つけたりするのは苦手だから」
ためらいがちにリーザがそう言ったとき、彼女を後ろから呼ぶものがある。衛兵の一人だった。誰か近づいている、という声だった。
「――続きは、別の場所にしましょう。あの女がまだ近くにいるかもしれないと思うと、落ち着かないわ」
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