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月京妖し語り~風説百魔草紙~  作者: 筑前助広
第一回 黒毛山の犬
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その五

 何かが近付いてくる。

 それは、〔あの世の世情〕に疎い自分でも判る。

 闇が濃くなった逢魔がとき。結界の中には、篝火かがりびが焚かれている。

 月京が押し黙ったまま、山の一点に目を注いでいた。その先には闇の黒しか見えない。だが、この男には、その中に潜む者が見えるのだろう。

 吉蔵は、その傍らで息を呑む事しか出来ない。


「来るぞ」


 月京がそう言った刹那。甲高い女の悲鳴が聞こえた。


「おりく」


 思わず飛び出そうとした吉蔵を押し止めたのは、藤九郎だった。


「あれは、おりくの移し身だ」

「しかし」

「心配無用。今頃屋敷で夕餉でも食べておろう」


 そう言った月京の視線の先に、何かが蠢いていた。


「山犬」


 に、見えた。

 尖った耳。光る眼。鋭い牙。浮かび上がってきたかおは、まさにそれだ。


「違う」


 吉蔵は瞬きを繰り返し、首を振った。

 山犬ではない。闇から現れたそれは、二本の足で立っているのだ。

 まるで、人のように立っている。全身は毛で覆われ、手足の爪は鋭い。山犬であるが、人でもある。


(これが妖鬼というものか)


 吉蔵は恐慌した。歯の根が合わなくなり、肌が粟立っている自分に気付いた。腰を抜かすまいとするだけで必死である。


「出たな」


 月京の顔がわらっていた。それは今までに見せていた風来坊の笑みではない。凶悪で残酷、そして冷徹なものだ。


「我をたばかったのはお前か」


 山犬が言った。腹に響く声色だが、はっきりとした人語である。


「そうだ、犬童丸」

「我を知っているのか」

「ああ。私は陰陽師だからな」

「なるほど、お前は陰陽師か。あの娘、揚野村の女の臭いがした。だから犯し喰らおうとしたが、首に噛みついた途端、紙となった。合点がいった」

「お前は私の術に騙されたわけよ」

「何故、斯様な真似をする」

「お前は人を喰らった。人を喰らう妖鬼は決して許さぬ」

「我が人を喰らうには理由があるのだが、おぬしがそのつもりなら受けて立とう。尋常に勝負してやるから、その結界から出て参れ」

「今度は、お前が私を誘い出すというのか」

「我では結界に手を出せぬのでな」

「だが、私は此処を出てお前と戦う度胸は無い」

「では、勝負にならぬのう。では無理にでも出してやろうぞ」


 犬童丸が、一つ遠吠えをした。すると、その背後から無数の光る目が浮かび上がった。


「これはまずい」


 月京が吉蔵に顔を向けた。苦笑いを浮かべている。


「あれは、山犬だ」

「え」

「妖鬼ではない、普通の」

「つまり結界に入って来ると?」

「……」


 無言で頷かれた時、犬童丸は山犬に合図を出した。

 八匹。猛然と駆けてきた。

 鋭い牙。血走った目。もう駄目だ。堪えていた腰が抜けた時、太刀を抜き払った藤九郎が前に出ていた。

 一匹の胴を両断し、二匹目の脳天に太刀を振り下ろす。鮮やかな手並みに仏の存在を感じたが、三匹目に足を噛まれると、引き倒され残った六匹の餌食になった。

 悲鳴などはない。ただ肉をみ、骨を砕く嫌な音が、闇に響いた。


「人であったか」


 犬童丸が笑いながら言うと、月京は鼻を鳴らした。


「所詮は畜生よ。目の前の肉を喰らい終わらぬ限りは、我らには目を向けん」


 と、月京は五芒星を記した人形ひとがたを一枚投げ放つと、何やら呪文のような言葉を呟いた。


「いでよ、太兵衛たひょうえ

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