その四
黒毛山は、見上げるような高い山である。
麓から中腹までは森が広がり、それより上は切り立った岩礁群となっている。
「ほう、これは中々の」
と、牛車を降りた月京は言った。
言わんとする事は判る。この黒毛山の山容が異様なのだ。
まるで山水画で描かれる、漢土の山群である。それ故に、近郷の者からは信仰の対象にもなっている。
「これから登るのですか」
そう訊くと、月京は首を振った。
「陽は傾いている。それに、この山が犬童丸の縄張り。これから登るのは、死にに行くようなものだ」
「では?」
「誘き出すのさ」
それから、藤九郎が手際よく祭壇を組みだした。そうした道具は全て牛車から取り出したが、乗っている時にはそのような物は見当たらなかった。こうしたものも、月京の術なのだろう。最後に藤九郎が、月京に手渡された祓串を四方に置いた。
「決して、この中から出てはいかんぞ」
「では、この中ならば安全なのですか?」
「結界だからな。私の命がある限りは安全よ。でなければ、証人は務まらぬ」
陽が、山の峰に翳ってきた。影も色が濃いものになっている。
「夜が来る」
「いよいよですね」
「では、始めようか」
月京は懐から、呪文を記した人形を取り出した。
「そして、ここに若き処女の毛が一本」
それは、黒光りする太く縮れた毛であった。
「櫛橋様、まさか」
「ふふ。まぁ、人の精気が濃い方が良くてね。昨夜の内に、式鬼に命じていたのだ」
その毛を人形で包み込み、空に投じた。
「お前」
目の前に現れたのは、義妹のおりくだった。
「おっと、吉蔵殿。この女は、おりくであっておりくではない」
「またそれだ。一体どういう事ですか」
「おりくの姿をした人形だ。櫛橋流の秘術でね、移し身と呼んでいる」
「では、何故おりくを?」
「どうも、犬童丸はおぬしの村を酷く憎んでいるようでなぁ。それで村の娘を襲っているようなのだ。だからな、おりくを餌に使おうと思ったのだよ。まさか、本物を使うわけにはいくまい」
「当たり前です」
「気持ちよくはなかろうが、これしか誘き出す方法が無いのでね」
納得などしてはいないが、方法が無いのなら仕方がない。吉蔵は背を向けると、月京がおりくに山の方へ行くように命じた。




