その三
牛車など初めてだった。
砂や石を噛む振動が、何とも新鮮だ。
しかし、これは式鬼。そう思うと尻がむず痒く、そして落ち着かない。
「そう緊張せずとも大丈夫さ」
そうした吉蔵の内心を見透かしてか、月京が笑い、
「酒はどうかね?」
と、瓢箪を差し出した。
「いえ、大事の前に酔えません」
「固いな」
月京が袖からスッと盃を取り出し、瓢箪を傾けた。まるで手妻のようだが、この盃が式鬼かもしれない。
「ただの盃だ」
「もう何が何やら……」
「黒毛山まで、まだ距離がある。少し物語りなどしようか」
それから月京は、吉蔵の緊張を解くように、色々と語ってくれた。特に、櫛橋家の身分については、大変興味深いものがある。
「一応武家だが、元は公家だったよ」
月京が言うには、櫛橋家はかの安倍清明を祖とする安倍氏で、京都の土御門家から派生した支流らしい。応仁・文明の乱で京都を離れ、一時零落していたが、神君家康公に保護され復権。その中の一派が幕府に召し抱えられ、武家化したそうだ。
「すると、あの安倍清明の末裔なのですか」
「血の繋がりがあるかどうか、本当の所は判らんがねぇ。吉蔵殿はどうなんだ?」
「私ですか?」
「そうだ。おぬしにも物語りがあろう」
「いや、ただの百姓の私に大した話はございませぬ」
「ほほう。ただの百姓が、儒学者に学び、塾頭になって庄屋へ婿入りなどせんと思うがな」
と、月京は盃を傾けながら言うと、吉蔵は微かな腹立ちを覚えた。
「櫛橋様、まさか私の素性まで式鬼に調べさせたのですか」
「おいおい、怒っているのかい?」
「素性を調べられて気持ちいい思いをする人間などいませんよ。しかも式鬼に」
すると、月京は吉蔵を尻目に一笑した。
「代官所で聞いたんだ。何もかも式鬼で出来るわけではないよ」
そう言われた吉蔵は慌てて謝罪し、素直に自らの出自を話した。
先祖は、伊達家に仕えた武士だった。しかし御家騒動に巻き込まれ致仕。その後、関東に下って帰農し、百姓になった。とはいえ、武士としての気骨は受け継がれ、学問と剣術も父や祖父に仕込まれた。武士を捨てられない事を他の百姓に笑われたが、そのお蔭で宇賀抄庵の私塾で塾頭に登り、庄屋へ婿入りする事が出来た。
「ほほう。実に面白い物語りだ」
「このようなお話がですか?」
「私はね、様々な場所で聞いた物語りを書き留めているんだ。それが趣味でね。君の話も記していいかい?」
「ええ、まぁ……」
「ふふ。それはありがたい。武士や公家の話より、百姓の話の方が聞き応えがある」
そうこうしているうちに、牛車は黒毛山の山裾に到着した。




