灰色の森
灰色の森を前にして、イリスとセレスはしばらくその場を動かなかった。
境界のこちら側には、青々と葉を茂らせた木々が並んでいる。風が吹けば枝葉が揺れ、足元では背の低い草が波打つようになびいていた。遠くからは鳥の鳴き声も聞こえ、木漏れ日が地面へまだら模様を描いている。
だというのに、ほんの一歩先。
そこから先だけが、まるで別の世界だった。
木もある。草もある。小さな花も咲いている。形だけならば何も変わらないはずなのに、そのすべてから色が失われていた。
白とも黒ともつかない灰色に染まり、風を受けても葉一枚動かない。枝は折れているわけでもなく、草花も枯れ落ちてはいない。ただ、生きていた頃の姿をそのまま残して、そこに存在している。
生命だけではなく、時間すら奪われてしまったような光景だった。
「……セレス」
「ああ」
いつもの軽い調子はない。セレスは灰色の森から視線を外すと、数歩後ろへ下がった。
「マザーに繋ぐぞ」
「はい」
通信魔法。
遠く離れた場所にいる者同士で声を届ける魔法自体は、それほど珍しいものではない。大きな街であれば魔術師ギルドが通信設備を保有していることもあるし、国家間の緊急連絡に利用されることもある。
ただし、距離が伸びれば話は変わる。
術者と通信相手の位置を正確に定め、二点を魔力で繋ぎ、距離による魔力の拡散を抑えながら通信経路を維持しなければならない。ここからシスターたちの本拠地までとなれば、並の魔術師が一人で行使できる距離ではなかった。
「えっと……まず座標を固定して、それから通信経路を――」
イリスが地面へ手を伸ばしたところで、その横からセレスの腕が伸びた。
「貸せ」
「え?」
「お前がやったら日が暮れる」
「そこまで遅くありません!」
「いいから見てろ」
セレスは人差し指を立てると、何もない空間へ指先を滑らせた。
その軌跡を追うように赤みを帯びた光が生まれ、一本の線が円を描く。そこへ次々と複雑な紋様が書き加えられ、完成した魔法陣の内側に新たな術式が形成されていった。
一つ目は通信先の指定。二つ目は距離による魔力の拡散を防ぐ補正術式。そして三つ目は外部からの干渉を遮断するための防御術式。
三重に重なった魔法陣は、それぞれ異なる速度で回転しながらも、互いの魔力経路を正確に接続している。
イリスにも、一つ一つが何を意味しているのかまでは理解できた。
だからこそ、それらを僅かな時間で組み上げていくセレスの異常さも理解できた。
「…………」
「何してんだ?」
「……セレス」
「あ?」
「魔法、使えたんですね」
セレスの眉がぴくりと動いた。
「お前、俺のことなんだと思ってんだ?」
「殴る人」
「ぶっ飛ばすぞ」
「ほら! やっぱり殴る人じゃないですか!」
「うるせぇ」
セレスが完成した術式へ魔力を流し込む。
三重の魔法陣が淡く発光し、やがて中心部分に水面のような揺らぎが生まれた。
数秒後。
『――聞こえていますよ』
穏やかな声が響く。
その瞬間、二人の表情からふざけた空気が消えた。
「マザー」
イリスが姿勢を正す。
「イリス・アルヴェイです」
「セレスティア・ローレンだ」
『二人とも。何か分かりましたか?』
「はい」
イリスは一度、灰色の森を見る。
「国境付近で確認されていた魔物についてですが、複数種が同じ場所から逃げている可能性が高いです」
『逃げている?』
「はい。森へ向かう途中でグレイウルフの群れと遭遇しましたが、私たちを襲うことなく逃走しました。それと、逃げてきたと思われる別の魔物の身体に……灰色の変色がありました」
そこからはセレスも交え、二人が確認したものを順番に報告していった。
森から鳥や虫、小動物の姿が消えていること。複数種の魔物が同じ方向から逃げ出していること。そして、その先で発見した異常。
植物は枯れているわけではない。焼けてもいない。腐敗している様子もない。それにもかかわらず、一切の生命反応が失われている。
「それと……風が吹いても動かないんです」
イリスが付け加える。
「葉も、草も。まるでそこだけ時間が止まっているみたいに」
報告を終えると、通信魔法の向こう側から声が消えた。
僅かな沈黙。それだけで、イリスの胸に不安が広がっていく。
「……マザー?」
やがて。
『その現象について、心当たりはありません』
「……!」
思わずイリスがセレスを見る。
セレスの表情は変わらない。だが、僅かに目が細められていた。
『セレス』
「おう」
『あなたは?』
「俺も知らねぇな」
セレスは灰色の森へ視線を戻す。
「少なくとも、俺がシスターになってからは見たことねぇ」
六百十二年。
それだけの時間、世界を巡ってきたセレスにも見覚えがない。そして、マザーにも心当たりがない。
『分かりました』
それでもマザーの声は変わらなかった。
『二人に、引き続き原因の究明をお願いします。そして可能であれば――異変そのものを解決してください』
「はい!」
「了解」
『ただし、無理をしてはいけません』
「大丈夫ですよ!」
イリスが即答した、その瞬間。
ごん。
「痛っ!」
隣から伸びてきたセレスの手が、イリスの頭を軽く叩いた。
「なんで叩くんですか!?」
「マザーが無理すんなっつってんだろ」
「しませんよ!」
「お前の大丈夫は信用ならねぇ」
「セレスにだけは言われたくありません!」
『ふふ』
通信魔法の向こう側から、小さな笑い声が聞こえた。
「マザー!?」
『では、お願いしますね』
「……はい!」
「了解」
魔法陣から光が失われる。三重に重なっていた術式が外側から順番にほどけ、光の粒となって朝の空気へ溶けていった。
あとに残ったのは、風が木々を揺らす音と、その風にすら反応しない灰色の森。
セレスは両手を腰へ当て、首を左右へ傾けた。小さく骨の鳴る音がする。
「さて」
イリスも灰色の森へ向き直る。
「行きますか」
「ああ」
二人は死んだ森へ足を踏み入れた。
◆
境界を越える直前、二人は全身を魔力で覆っていた。
肌や衣服の表面に沿わせるように薄い魔力の膜を形成し、外界との直接的な接触を遮断する。簡単に見えて、実際には繊細な魔力操作を必要とする防御術式だ。
そして、イリスの右足が灰色の地面へ触れた瞬間。
「――っ!」
全身を覆っていた淡い光が大きく揺らいだ。
濡れた布を炎へ投げ込んだような音が、耳元で微かに響く。
「これ……!」
自分を覆っている魔力が減っている。
攻撃を受けたわけではない。何かに触れたわけでもない。ただ、ここに立っている。それだけで魔力が少しずつ削り取られていた。
「やっぱりか」
隣でセレスが自分の腕を見下ろしていた。
彼女を覆う赤みを帯びた魔力も、表面から少しずつ削られている。しかし、削られた場所へ即座に新たな魔力が流れ込み、膜の厚さを一定に保っていた。
「生命力だけじゃなくて……魔力まで?」
「多分な。だから気ぃ抜くなよ」
「はい」
二人は慎重に歩き始めた。
森へ深く入るほど、魔力を削られる速度が僅かに増していく。
イリスは全身へ意識を巡らせ、膜の厚さを維持しようとする。しかし、歩行によって身体の位置が変わるたび、魔力の流れに小さな乱れが生じてしまう。
「イリス」
「はい?」
「もっと集中しろ」
「してます!」
「右肩」
「え?」
言われて見ると、右肩を覆う光だけが薄くなっていた。
「あっ」
慌てて魔力を流し込む。
「魔力が漏れてんだよ。削られた場所へ必要な分だけ流せ。全部に同じ量ぶち込んでたら無駄が多い」
「やってますって!」
「出来てねぇから言ってんだろ」
「むぅ……」
頬を膨らませながら、イリスは隣を見る。
そこで、さらに腹が立った。
「…………」
「あ?」
「セレスの全然減ってないじゃないですか」
「減ってるぞ」
「嘘です」
「よく見ろ」
言われて目を凝らす。
確かに、セレスの魔力も削られている。ただし、削られた次の瞬間には元へ戻っていた。
しかも、魔力膜の厚さはイリスの半分ほどしかない。
必要最低限の魔力を、必要な場所へ、必要な量だけ。
無駄がない。
まるで全身を流れる魔力そのものが、意思を持っているようだった。
「……セレスって、魔力操作上手いんですね」
「ああ」
「セレスなのに」
「さっきから喧嘩売ってんのか?」
「だって」
イリスは本気で不思議だった。
セレスといえば、殴る、蹴る、投げる、飲む。
イリスの中では、大体その四つで構成されている。
「お前なぁ……」
セレスが呆れたように息を吐く。
「俺だって六百年以上シスターやってんだぞ。魔法くらい使える」
「そうでした」
「忘れんな」
「普段の行動が悪いんですよ」
「殴るぞ」
「五つ目増えましたね」
「何の話だ」
そんなやり取りをしながらも、二人の歩みは止まらない。
足元に生えている灰色の草は、踏んでも折れなかった。靴底に押し潰され、地面へ伏せる。だが、足を退ければ何事もなかったかのように元の形へ戻る。
弾力があるわけではない。生きているわけでもない。
ただ、そこにあるべき形だけが保存されている。
イリスは試しに、足元の草へ直接触れない程度まで指先を近づけてみた。
途端、指先を覆う魔力が他の場所よりも早く削られる。
「……気持ち悪いですね」
「ああ」
セレスも否定しなかった。
六百年以上を生きる彼女が知らない現象。それだけで、この森が普通ではないことは十分すぎるほど分かる。
「こんなん、リディアなら速攻魔法で解決だろうな」
不意にセレスが言った。
イリスも想像する。
眼鏡の奥で紫色の瞳を輝かせながら、この灰色の植物を調べる黒髪のシスター。
「リディアなら有り得ますね。むしろこの現象に興味示して夢中になるかも」
二人は同時に黙った。
想像の中のリディアは、すでに地面へ大量の魔法陣を描き始めている。
「帰ってこねぇな」
「帰ってきませんね」
「三日くらい寝なさそうだな」
「三日で済みます?」
「……リディアじゃなくてよかったかもな」
「それ本人の前で絶対言わないでくださいね」
「言ったらどうなる?」
「どうしてこの現象が研究対象として優れているのか三時間くらい説明されます」
「地獄だな」
「途中で質問されますよ」
「絶対言わねぇ」
イリスが小さく笑う。
ほんの少しだけ、森の不気味さが薄れた気がした。
だが、それも長くは続かなかった。
森の奥へ進むにつれ、魔力を削られる速度が明らかに増している。イリスの額には薄く汗が浮かび始めていた。
肉体的な疲労ではない。常に全身へ意識を巡らせ、削られ続ける魔力を補充する。その繰り返しが、少しずつ精神を削っている。
「大丈夫か?」
セレスが横目で見る。
「大丈夫です」
「ならいい」
「……今回は信用してくれるんですね」
「顔見りゃ分かる」
「なんか悔しいです」
その時だった。
セレスが足を止めた。
「――待て」
イリスも即座に止まる。
「何か?」
「音」
「え?」
耳を澄ませる。
風はない。鳥もいない。虫もいない。
自分たちの呼吸音以外、何も聞こえない。
そう思った直後。
ドクン。
「……?」
今度は確かに聞こえた。
音というより、振動。
足元から、地面の奥深くから、何か巨大なものが脈打っている。
一定の間隔。
まるで心臓のような。
「これ……」
「あっちだ」
セレスが森の奥を見る。
二人は顔を見合わせると、音のする方向へ歩き始めた。
進むたびに振動が強くなる。やがて木々の間隔が広がり、視界が開けた。
そして。
「…………何ですか、あれ」
イリスの口から、自然と声が漏れた。
巨大な何かがいた。
高さは五メートルを優に超えている。基本的な形だけを見れば、四本の脚で立つ獣に近い。
だが、それを生物と呼んでいいのか。
イリスには分からなかった。
全身を覆っているのは毛皮ではなく、黒く変色した樹皮のような外殻。表面には無数のひび割れが走り、その隙間から鈍い灰色の光が漏れている。
頭部らしきものはある。しかし、目がない。鼻もない。口すらない。
顔の中央にあるのは、頭頂部から顎まで縦に走った白い亀裂だけだった。
そして、何より異様なのは、その腹部だった。
「根……?」
数十本。いや、それ以上。
腹の下から伸びた黒い根が、地面へ深く突き刺さっている。
ドクン。
怪物が脈打った。
その瞬間、周囲に残っていた僅かな草木から、淡い緑色の光が浮かび上がる。
光は空中を漂い、黒い根へ吸い込まれた。
直後、草から色が消えた。
緑色だった葉が、灰色へ変わる。
「……!」
イリスは息を呑む。
再び怪物が脈打つ。
今度は一本の木から光が抜け落ちた。幹、枝、葉。瞬く間に色が失われていく。
だというのに枯れ落ちることはない。
その姿を保ったまま、灰色へ変わっていった。
「こいつが……森の生命を吸ってる?」
「みたいだな」
セレスは怪物を観察していた。
根が脈打つ。生命が吸われる。灰色の領域が、ほんの僅かに広がった。
「なるほどな」
セレスが両手を持ち上げる。
黒いグローブの手首部分を掴み、ぎゅっと締め直した。
「こいつが原因っぽいな」
一歩、前へ出る。
口元に僅かな笑みを浮かべて。
「断罪だな」
「待ってください!」
「あ?」
イリスが慌ててセレスの服を掴んだ。
「肉片!」
「……肉?」
「違います! 食べませんよ!」
「分かってるよ」
「正体不明なんですよ!? 倒したあと肉片を回収して、リディアたちに調べてもらいます!」
「はいはい」
「程々でお願いしますよ!」
「分かった分かった」
「絶対分かってない!」
その瞬間だった。
ドクン――!
今までとは比較にならないほど強く、怪物の全身が脈打った。
「セレス!」
「ああ!」
地面が爆ぜる。
黒い根が土を突き破り、無数の触手となって二人へ襲いかかった。
◆
最初に動いたのはイリスだった。
「――我が祈りを、力へ!」
胸元で組んだ両手から淡い光が溢れ出し、全身を包み込む。
祈りに応じて肉体へ流れ込む力。
それは単なる身体強化魔法とは異なり、イリス自身の祈りを力へと変換する、彼女だけの能力だった。
正面から迫る黒い根は、成人男性の胴ほどもある太さだった。先端は槍のように尖り、地面を抉りながら凄まじい速度で伸びてくる。
イリスは半歩だけ身体をずらして一本目を躱すと、続く二本目を真正面から殴りつけた。
鈍い破砕音が響く。
樹木の幹ほどもある根が半ばから弾け飛び、黒い破片が周囲へ散乱した。
だが、攻撃は止まらない。
左右から二本。
さらに背後から一本。
イリスは地面を蹴って跳躍すると、空中で身体を捻り、右脚を振り抜いた。
最初の一本がへし折れる。
その反動を利用して身体を回転させ、二本目を蹴り飛ばす。着地と同時に背後へ振り返ると、迫っていた最後の根を両手で掴んだ。
「このっ……!」
力任せに引き寄せ、そのまま地面へ叩きつける。
灰色の土が舞い上がった。
その横を、赤みを帯びた魔力を纏う影が駆け抜ける。
セレスだった。
彼女はイリスが根を引きつけている間に、怪物の本体へ向かって一直線に駆け出していた。
一歩目で加速し、二歩目でさらに速度を上げる。三歩目を踏み込んだ瞬間には、もはやイリスの目で追える速度ではなくなっていた。
だが、怪物も無防備ではなかった。
背中の黒い樹皮が大きく膨れ上がる。
次の瞬間、表面を突き破って無数の枝が飛び出した。
枝と呼ぶにはあまりにも鋭い。
先端は磨き上げられた槍のように尖り、その一本一本がセレスの急所を正確に狙っていた。
最初の一撃が顔面へ迫る。
セレスは首を僅かに傾けただけで躱した。
続く二撃目は上体を沈め、三撃目は足を軸に身体を回転させて回避する。
四本。
五本。
六本。
無数の黒い槍が雨のように降り注ぐ。
それでもセレスの歩みは止まらなかった。
攻撃の軌道を見切り、最小限の動作で躱しながら、確実に距離を詰めていく。
「……避けてる?」
イリスが思わず呟いた。
昨日、巨大な熊型魔物を相手にした時、セレスは避けようとすらしなかった。
真正面から受け止め、ただ一撃で吹き飛ばした。
そのセレスが、今は一度も攻撃を受けようとしない。
理由はすぐに分かった。
セレスが避けた枝の一本が地面へ突き刺さる。
瞬間、枝に触れた草から色が消えた。
草を覆っていた僅かな魔力が吸い上げられ、生命力そのものが黒い枝へ流れ込んでいく。
「セレス! それ、直接魔力を吸います!」
「見りゃ分かる!」
「じゃあ絶対触らないでください!」
「分かってる!」
枝の隙間に生まれた、ほんの僅かな空間。
セレスはそこへ身体を滑り込ませた。
一瞬で懐へ潜り込み、腰を落とす。
右拳を引き絞る。
「おらぁ!」
轟音。
拳が怪物の胴体へ突き刺さった。
衝撃によって黒い樹皮が砕け散り、五メートルを超える巨体が大きく傾く。
しかし、倒れない。
四本の脚が地面を深く抉りながら踏ん張り、衝撃を受け止めていた。
怪物の外殻には大きな亀裂が走っている。
それでも、セレスの拳を受けた場所から灰色の光が漏れ始めると、砕けた樹皮がゆっくりと元の形へ戻っていった。
「……硬ぇな」
セレスが楽しそうに笑う。
その直後、怪物の腹部が大きく蠢いた。
「っ!」
セレスが後方へ跳躍する。
一瞬遅れて、先ほどまで彼女が立っていた場所を黒い根が貫いた。
一方、イリスも異変に気づいていた。
「……え?」
先ほど自分が砕いた根。
その断片が、動いている。
地面へ転がった黒い破片の断面から、髪の毛ほどに細い根が何本も伸び始めた。
それらは周囲の草へ突き刺さり、淡い緑色の光を吸い上げていく。
生命力を奪われた草が灰色へ変わる。
吸収された光は細い根を逆流し、砕けた断面へ集まっていった。
そして。
新しい根が生え始めた。
「再生した……!?」
ほんの数秒。
破壊したはずの根が、何事もなかったかのように元の姿を取り戻していた。
「セレス!」
「あ?」
「こいつ再生します!」
「見えてる!」
「壊しても周りから生命力を吸って治ってます!」
「みてぇだな!」
セレスが目の前へ迫った根を蹴り砕く。
しかし、地面へ落ちた破片から再び細い根が伸び始めた。
「面倒くせぇ奴だな」
「セレスが一番嫌いなタイプですね!」
「よく分かってんじゃねぇか!」
軽口を叩いてはいる。
だが、二人とも一度も敵から視線を外していなかった。
特にセレス。
イリスには分かった。
彼女は、ただ無闇に殴っているわけではない。
一本の根を破壊する。
再生までの時間を測る。
次は二本まとめて砕き、吸収する生命力の量と再生速度の関係を確かめる。
枝と根。
本体と外殻。
それぞれを流れる魔力の動きを観察し、どの部分が独立して機能しているのかを見極めようとしていた。
戦いながら。
攻撃を避けながら。
相手の能力を解析している。
普段の彼女だけを知る者が見れば、到底そうは思わないだろう。
酒を飲み、後輩をからかい、何かあれば拳で解決しようとする女。
けれど、彼女は《断罪のシスター・セレス》。
六百十二年。
イリスには想像することすらできないほど長い時間、世界の異変と向き合い続けてきたシスターなのだ。
そして今、セレスの表情から笑みが消えた。
黒い根の動き、外殻を流れる魔力、砕けた組織が再生するまでの時間。そのすべてを見極めた彼女は、ゆっくりと右拳を握り直す。
「……なるほどな」
小さな呟きとともに、赤みを帯びた魔力がセレスの足元を這った。
それまでとは明らかに違う、濃密な魔力。
イリスは思わず息を呑んだ。
セレスが何をしようとしているのか、まだ分からない。
ただ一つだけ、確信できることがあった。
ここから先が、本当の戦いなのだと。




