この国で生きたい
力を確かめた翌日、蓮瑛はシンシャへの面会を申し入れた。
医師の診察では、身体に異変はないと言われていた。雨を降らせ、止めても、皇宮にいた頃のような苦しさは感じなかった。
執務室へ通されると、シンシャは人払いをした。
「身体はもうよいのか」
「はい。どこにも異変はございません」
「そうか」
シンシャが最初に確かめたのは、力ではなく蓮瑛の身体だった。
「陛下に、お尋ねしたいことがございます」
「何だ」
「私が雨を降らせれば、碧砂国の砂漠化を止めることができるのでしょうか」
シンシャはすぐには答えなかった。
「分からない」
蓮瑛が予想していた答えとは違った。
自分が龍の巫女であると証明できた今なら、この国を救えると言われるのではないかと思っていた。
「一度や二度の雨で、失われた地下水や土壌が戻るわけではない。長く雨を降らせ続ければ、変わる土地もあるかもしれない。だが、貴女の力に国の行く末を預けるつもりはない」
「私がお役に立てるのなら、力を使いたいと思っております」
「使うなとは言わない。だが、貴女一人が倒れれば立ち行かなくなる国にはできない。貴女が病むことも、いつか力を失うこともあるからな」
蓮瑛が雨を降らせられると分かっても、シンシャはその力を当然のように求めなかった。
「陛下にも、何をすればよいのか分からないことがあるのですね」
口にしてから、失礼だったかもしれないと思った。
シンシャは気を悪くした様子もなく答えた。
「分からないことの方が多い」
「少し、安心いたしました」
「安心?」
「陛下は、いつも迷わずにお決めになるので、初めから正しい答えをご存じなのだと思っておりました」
蓮瑛にとってシンシャは、何が起きても自分で判断し、進む道を決められる人だった。
「私だけが、何を選べばよいのか分からないのだと思っていたのです」
「私も迷う。選んだ後に、別の道の方がよかったのではないかと考えることもある」
「それでも、お決めになるのですか」
「決めなければ、何も守れないことがある」
シンシャが自分とは違うと蓮瑛が思っていたのは、彼に迷いがないからではなかった。迷いながらも、自分で決めているからだった。
「私も、陛下のようになれるでしょうか」
「私のようになる必要はない。だが、貴女はもう、自分で雨を望み、自分で止めただろう」
蓮瑛は、昨日自分で晴らした空を思った。
「それならば、以前より少しは近づけたでしょうか」
「何にだ」
「自分で決められる人に、です」
シンシャは、その問いには答えなかった。
「私にも、決めなければならないことがある」
「陛下も、まだ迷っておられるのですか」
「ああ。だが、もう黙っているべきではないと思っている」
何を告げられるのか分からず、蓮瑛は次の言葉を待った。
「これまで私は、妃を迎えるなら、国に最も利をもたらす相手を選ぶべきだと考えていた。国内の有力者の娘か、他国との結びつきを強められる娘か。王の婚姻に、私個人の望みを持ち込むべきではないとな」
「はい」
「貴女が龍華国から送られてきた時も、皇帝が勝手に決めた婚姻を受け入れるつもりはなかった」
それは、シンシャが蓮瑛をすぐに妃として迎えなかった理由でもあった。
「それに、私が貴女を妃に望むと言えば、貴女はそれを命令だと思うかもしれない。自分の気持ちを言わず、従おうとするかもしれないと思った」
蓮瑛には否定できなかった。
碧砂国へ着いたばかりの頃に求められていたなら、それが自分の役目なのだと考えて受け入れていただろう。
「だから、何も言わない方がよいと思っていた。だが、天曜殿は貴女に自分の望みを伝えた。私は貴女に選んでほしいと言いながら、自分が何を望んでいるのかを伝えずにいた」
そこで初めて、シンシャが何を告げようとしているのか分かった。
「私は、貴女にこの国へ残ってほしい」
それは王命ではなく、シンシャ自身の望みだった。
「雨を降らせられるからではない。龍の巫女だからでもない。貴女が二度と力を使えなくても、私の望みは変わらない」
蓮瑛がずっと知りたかったことを、シンシャは迷いなく告げた。
「私の妻として、この国で生きてほしい」
蓮瑛が答えるより先に、シンシャは続けた。
「立将軍ではなく、私を選んでほしい」
蓮瑛には、答える前に伝えなければならないことがあった。
「天曜様には、昨日、お断りいたしました」
シンシャが言葉を失った。
「……断ったのか?」
「はい」
雨を止めることができた日の夕刻、蓮瑛は天曜に面会を申し入れていた。
「お返事をするために参りました」
天曜は、蓮瑛の言葉を待った。
「天曜様の妻になる未来を、嫌だとは思いませんでした。天曜様ならば、どこにいても私を守ってくださると思います」
「はい」
「ですが、私は龍華国へ帰りたいとは思いません」
すぐに返事はなかった。
それでも蓮瑛は、言葉を続けなければならなかった。
「私は、碧砂国に残りたいのです」
「碧砂国王とともに生きるためですか」
「そう望んでいただけるかは、まだ分かりません」
シンシャに妃として望まれている確信はなかった。それでも、天曜の求婚を受けることはできなかった。
「それでも、この国に残るのですね」
「はい」
「なぜです」
その問いには、曖昧な言葉で答えてはならないと思った。
「好きな方に望んでいただけないからといって、天曜様の妻になることはできません」
天曜の優しさに甘えて、寂しさを埋めてもらうことはできなかった。
「申し訳ございません」
「謝らないでください」
天曜の声は穏やかだったが、笑ってはいなかった。
「答えを求めたのは私です。貴女が望まないなら連れ帰らないと、初めから申し上げていた」
「天曜様……」
「傷つかないとは申しません。それも、既にお伝えしたとおりです」
蓮瑛は、もう一度謝ることができなかった。
「貴女が御自身で選んだことならば、私はその答えを受け入れます」
天曜に答えを伝えた時、シンシャの気持ちは知らなかった。
「では、もし私が何も言わなければ……」
「それでも、天曜様と龍華国へ帰ることは選びませんでした」
一人でも、碧砂国に残るつもりだった。
それでもシンシャに同じ未来を望んでもらえたら、うれしいと思っていた。
「陛下にも、私と同じ気持ちでいていただけたらと、思っておりました」
今はもう、一人で残る覚悟をしなくてよい。
「私も、陛下の妻として、この国で生きたいです」
シンシャが差し出した手に、蓮瑛は自分から手を重ねた。
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本日12時に、「幕間 雨が降るまで」を更新します。




