望んだ空
力を確かめる場には、王宮の中庭が選ばれた。
立ち会うのは、シンシャと天曜、それに王宮付きの医師だけだった。
「少しでも息苦しさや身体の重さを感じたら、直ちにおやめください。力を使うことができても、祈りを長く続けてはなりません」
「分かりました」
「雨を止めることを試すのは、一度お休みになった後です。お身体に異変がないことを確かめてからにしてください」
蓮瑛は医師の条件を受け入れた。
空には雲一つなかった。乾いた風が中庭を通り抜け、陽光に照らされた白い石が眩しく輝いている。
かつて蓮瑛は雨を降らせることができた。だが、降り続く雨を止めることはできなかった。やがて新たな巫女が選ばれたと告げられ、蓮瑛は自分が神龍に見放されたのだと思った。
本当に力が残っているのかは、まだ分からない。
「天曜様」
「何でしょうか」
「天曜様にも、見届けていただきたかったのです。私が今も龍の巫女なのだと、最初に言ってくださった方ですから」
「ええ。今もそう思っております」
蓮瑛は目を閉じ、雨を願った。
皇宮では、人々が望む天候をもたらすことが龍の巫女の役目だと教えられてきた。雨を降らせよと命じられれば雨を、止めよと命じられれば晴天を願った。
けれど今は、誰にも命じられていない。
自分に何ができるのかを、自分で知りたい。そのために、蓮瑛は雨を望んだ。
頬を撫でていた風が止まった。
やがて、乾いた空気の中へ湿り気を帯びた風が流れ込んでくる。青い空の一角に生まれた雲が、ゆっくりと広がっていった。
最初の一滴が、中庭の白い石へ落ちた。
続いて二滴、三滴と落ち、間もなく雨が中庭全体を濡らし始めた。
「雨が……」
医師が空を見上げた。
蓮瑛は目を開けた。雨粒が頬に触れている。
それでも、身体は重くならなかった。息も苦しくない。皇宮で祈っていた頃のように、祈り続けるほど身体が動かなくなることもなかった。
「具合はどうだ」
シンシャが尋ねた。
「大丈夫です。何も苦しくありません」
その言葉を口にして、ようやく実感が湧いた。
自分は、雨を降らせることができた。偽りの神託によって役目を奪われ、龍華国を離れても、その力は失われていなかった。
「それでも、まずは休んでいただきます」
医師に促され、蓮瑛は軒下へ移った。
雨は次第に強くなり、乾いていた石畳を濃く染めていった。軒先から落ちる雫が連なり、中庭には水の匂いが満ちている。
しばらく休んでも、身体に異変は起きなかった。
医師の許しを得ると、蓮瑛は再び中庭へ出た。
今度は、この雨を止めなければならない。
そう思った途端、龍華国で降り続いていた雨を思い出した。
何度祈っても止まらなかった。皇后から役立たずと罵られ、それでも祈り続けた。雨音を聞くたびに、自分の無力さを突きつけられているようだった。
蓮瑛は晴天を願った。
けれど、雨脚は変わらなかった。もう一度祈っても、雲は空を覆ったままだった。
焦るほど、晴天を願う気持ちは、雨を止めなければならないという義務へ変わっていった。
雨を止められなければ、自分はやはり不完全なのではないか。先ほど雨を降らせることができたのも、偶然だったのではないか。
「蓮瑛殿」
シンシャの声が、雨音を越えて届いた。
「もうよい。雨を降らせられることは分かった」
「ですが、まだ止められておりません」
「雨はいずれ止む。貴女が倒れるまで祈り続ける必要はない」
「もう一度だけ、試させてください」
医師が蓮瑛の顔色を確かめた。
「異変を感じたら、すぐにおやめください」
許されたのは、あと一度だけだった。
雨は降り続いていた。
けれど、ここは皇宮ではなかった。
シンシャは雨ではなく、祈り続ける蓮瑛の身を案じていた。
天曜もまた、蓮瑛の力を一度も疑っていない。
蓮瑛は、止めなければならないという思いを手放した。
雨が止まらなければどうなるのかではなく、自分がどのような空を望むのかを考えた。
思い浮かべたのは、雨に覆われる前の碧砂国の空だった。
どこまでも青く、砂漠の上に広がっていた空。
もう一度、あの空を見たい。
風向きが変わった。
雨脚が少しずつ弱まり、空を覆っていた雲の切れ間から光が差し込んだ。
雨粒の間を抜けた陽光が、濡れた石畳の上で輝く。
やがて、雨音が消えた。
雲は風に運ばれ、中庭の上には再び青い空が広がっていた。
シンシャは、蓮瑛が呼び戻した空を見上げた。
「美しい空だ」
蓮瑛も空を見上げた。
それは、誰かに命じられた晴天ではなく、自分が望んだ空だった。




