自分のための祈り
天曜の妻になる。
求婚されてから、蓮瑛はその言葉を何度も考えていた。
皇宮にいた頃、天曜と言葉を交わしたことは多くない。それでも顔を合わせれば身体を案じ、無理に祈る必要はないと言ってくれた。
蓮瑛は、それを誰に対しても変わらない天曜の優しさだと思っていた。だが、天曜が見ていたのは、あの頃から蓮瑛だった。遠い北方にいても、戦に勝って帰った後には、蓮瑛を皇宮から連れ出すつもりでいた。
もし、あの頃にその気持ちを知っていたなら。
天曜が帰ってくるのを待っていただろうか。いつかここから連れ出してもらえると信じて、皇宮での日々に耐えることができただろうか。
天曜とともに龍華国へ帰り、彼の妻として暮らす。その未来は、決して嫌なものではなかった。
天曜は、これからも自分を守ってくれるだろう。龍の巫女であろうとなかろうと、蓮瑛を妻に望むという言葉にも偽りはない。
だからこそ、曖昧な気持ちのまま答えたくなかった。
香蘭ではなく、今も自分が龍の巫女なのだと天曜は言った。皇宮で天候を操れなくなったのも、力を失ったからではなく、毒によって身体を弱らされていたためかもしれない。
それが真実なら、自分がこれまで信じていたことのすべてが変わる。
何を選ぶにしても、その前に確かめなければならなかった――自分が何者なのかを。
その夜、答えは出なかった。
翌朝、蓮瑛はシンシャへの面会を申し入れた。
執務室へ通されると、シンシャは人払いをして蓮瑛と向かい合った。
「お話ししたいことがございます」
「話、とは……?」
「昨日、天曜様から伺ったことです。陛下にもお伝えしておかなければならないと思い、参りました」
蓮瑛は、香蘭に下ったとされた神託が偽りだったことを話した。
天曜が北方で勝利した後、その功績への褒賞として蓮瑛を妻に望む。そのために雲水は香蘭を偽の龍の巫女として立て、蓮瑛を役目から解こうとした。
「その話を聞いて、貴女は……」
シンシャはそこで言葉を止めた。
「いや、続けてくれ」
蓮瑛には、シンシャが何を尋ねようとしたのか分からなかった。
「ですが、皇后は雲水様達に何も知らせないまま、私を皇宮から追い出したそうです」
シンシャが調査員から受け取った報告とも、話は一致していた。
「では、雲水殿は花嫁行列から貴女を連れ戻すつもりだったのか」
「はい。ですが、あの行列に私は乗っておりませんでした。天曜様も雲水様も、そのことをご存じなかったそうです」
「それで、行列は途中から帝都へ引き返したのか」
シンシャは、調査報告では掴めなかった花嫁行列の顛末を、そこで初めて知った。
「天曜様は、香蘭様ではなく、私が今も龍の巫女なのだとおっしゃいました」
「偽りの神託で選ばれたのなら、香蘭殿が龍の巫女でないことは確かだろう」
「ですが、私は天候を操れなくなりました。だから、神龍の加護を失ったのだと思っておりました」
蓮瑛は、天曜から告げられたもう一つの疑いについて話した。
皇宮にいた間、長いあいだ少量ずつ毒を与えられていた可能性がある。天候を操れなくなったのは、力を失ったからではなく、力を使えないほど身体を弱らされていたためかもしれない。
「そのことについては、こちらの医師からも同じ報告を受けている」
「陛下も、ご存じだったのですか」
「ああ。だが、何を与えられていたのかも、誰が与えたのかも分かっていない。確証のないうちに伝えれば、貴女を怯えさせるだけだと考えた」
蓮瑛が何を口にしてきたのか、誰が毒を与えたのか。知らされたところで、今の自分には確かめようがない。
それでも、何も知らされないままでよかったとは思えなかった。
「私にも、話していただきたかったです」
「そうだな。貴女自身のことを、私が勝手に決めるべきではなかった。すまない」
シンシャは言い訳を重ねなかった。
けれどシンシャは、蓮瑛が望まなかったと知れば、自分の判断を改めてくれる。
「これからは、確かなことではなくても、私に関わることなら教えていただけますか」
「約束する」
その答えに、蓮瑛は安堵した。
「それで、貴女はどうしたい?」
問われた意味が分からず、蓮瑛はシンシャを見た。
「自分が今も龍の巫女だと聞いて、貴女はどうしたいと思った」
龍華国へ戻るべきなのか。
再び龍の巫女を名乗るべきなのか。
天曜は、龍華国へ戻る義務はないと言っていた。シンシャもまた、何をすべきかではなく、蓮瑛が何を望むのかを尋ねている。
「自分の力を、確かめたいです」
「力を?」
「天曜様は、私が力を失ったわけではないとおっしゃいました。雨を呼び、今度は自分の意思で止めてみたいのです
雨を望んで祈り、降らせることはできた。
だが、龍華国でひと月以上も続いた雨を、蓮瑛はどれほど祈っても止められなかった。
それこそが、自分には龍の巫女としての力がないと思った理由だった。
「あの長雨を止められなかったのが、私に力がなかったからなのか。それとも、身体を弱らされていたからなのか。私は、自分で確かめたいのです」
「力を使えば、また身体に負担がかかるかもしれない」
「無理はいたしません。医師にも相談します。それでも、知らないままでは、これからのことを決められません」
「それは、天曜殿への返事も含めてか」
蓮瑛は、すぐには答えられなかった。
天曜の妻になる未来を、嫌だとは思っていない。だからこそ、何も確かめないまま答えを出したくなかった。
「……はい」
「そうか」
それ以上、シンシャは尋ねなかった。
「分かった。どうすれば安全に確かめられるか、医師とも相談しよう。だが、少しでも身体に異変があれば、その時点でやめてもらう」
「はい」
「力があっても、なくても、それによって貴女の扱いを変えるつもりはない。そのことだけは覚えておいてくれ」
蓮瑛は、その言葉を胸に留めた。
今度は、誰かに命じられた役目ではない。
自分のこれからを選ぶために、力を確かめるのだ。
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本日12時に、『幕間 雨を降らせよ』を更新します。




