神龍は見捨てていない
翌日の昼、食事を終えた蓮瑛のもとへ、メイホアが客人の訪れを告げに来た。
「明慧様が、蓮瑛様との面会を希望されております。いかがなさいますか?」
明慧とは昨日、天曜とともに王宮を訪れた際に顔を合わせている。
天曜ではなく、明慧が一人で何を話しに来たのだろう。
「お通ししてください」
間もなく部屋へ入ってきた明慧は、蓮瑛と向かい合うと深く頭を下げた。
「昨日は、ゆっくりご挨拶することもできませんでした」
「私も、お話ししたいと思っておりました。北方での戦に勝利されたと伺いました。天曜様も明慧様も、ご無事で戻られたのですね」
「はい。天曜様が兵を率い、奪われた地を取り戻されました」
明慧の口から語られる天曜は、蓮瑛が知っていた文官ではなく、既に兵を率いる将軍だった。
「お二人が無事に帰ってこられたことを、嬉しく思います」
「ありがとうございます。天曜様も、蓮瑛様のご無事を知って安堵しておられます」
挨拶を終えると、明慧は訪問の用件を切り出した。
「本日は、天曜様の願いをお伝えするために参りました。天曜様は、蓮瑛様と改めてお話しする機会をいただきたいと申しております」
「私と、ですか?」
「はい。ただし、蓮瑛様がお望みでなければ、お断りくださって構いません。理由をお聞かせいただく必要もございません」
明慧の言葉に、断ることを咎めるような響きはなかった。
「また、お会いになる場合も、二人きりである必要はございません。どなたに立ち会っていただいても、天曜様に異存はないとのことです」
呼ばれたから会うのではない。会うかどうかを、蓮瑛に選ばせようとしている。
「天曜様は、何をお話しになるおつもりなのでしょうか」
「蓮瑛様にお伝えしたいことがあるとだけ伺っております。内容については、ご本人の口から申し上げたいとのことです」
天曜と話せば、皇宮での出来事にも触れることになるだろう。
「龍華国は、今、どうなっているのでしょうか」
「申し訳ございません。私どもも帝都へ戻ったばかりで、国の様子を詳しく把握しているわけではございません」
明慧は曖昧なことを言わなかった。
「ですが、天曜様は、蓮瑛様が皇宮を離れることになった経緯について、お伝えしたいことがあると申しております」
龍華国へ戻りたいとは思わない。皇宮での日々を懐かしいとも思わなかった。
それでも、自分が去った後のことも、なぜあのような形で追われることになったのかも、知らないままでいたいわけではなかった。
「お会いします」
「ご無理をなさってはいませんか」
「はい。私が、天曜様のお話を伺いたいのです」
■■■
天曜との面会は、その日のうちに整えられた。
蓮瑛は立会人にメイホアを選んだ。天曜には明慧が付き、四人で話すことになった。
「会ってくれて感謝する」
「私も、天曜様のお話を伺いたいと思いました。ですが、私のために遠い碧砂国までお越しいただくとは、思っておりませんでした」
「どうしても、貴女に会わなければならなかった」
天曜は、蓮瑛の身体の具合を尋ねた。
「こちらへ来てから、少しずつ良くなっております。以前よりも身体が軽く、食事も取れるようになりました」
「そうか。それを聞いて安心した」
蓮瑛も、天曜に尋ねたいことがあった。
「香蘭様が新たな龍の巫女になられたと聞きました。香蘭様は、天候を操ることができたのでしょうか」
「いや」
天曜の答えに迷いはなかった。
「偽物の巫女に、何ができるはずもない」
「え?」
聞き間違えたのかと思った。
「偽物とは、どういうことでしょうか」
天曜は、すぐには答えなかった。
「香蘭に神託が下ったというのは、偽りだ。神託そのものが仕組まれていた」
蓮瑛は、その言葉をすぐには受け止められなかった。
神官長が香蘭を新たな龍の巫女と認めた。だから自分は役目を解かれ、皇宮を追われたのだと思っていた。
「誰が、そのようなことを?」
「私の父だ。そして、私も知っていた」
北方での勝利がほぼ決まった頃、雲水は天曜に計画を明かした。
天曜の凱旋に合わせて香蘭へ偽りの神託を下し、蓮瑛を龍の巫女の役目から解く。その後、戦の報奨として、蓮瑛を天曜の妻に下賜するよう皇帝へ願い出るつもりだった。
「私を、天曜様の妻に……?」
「龍の巫女である限り、貴女を皇宮から連れ出すことはできない。だから先に、貴女をその役目から解こうとした」
神官長は当初、偽りの神託を認めることを拒んだという。
雲水は、役目を解かれた蓮瑛を天曜の妻として迎え、立家が必ず守ると約束した。それを条件に、神官長も計画を受け入れた。
「私は、貴女を助けたかった」
天曜は、言い訳をするような口調ではなかった。
「貴女は皇宮へ入ってから、目に見えて弱っていった。それ以前には天候を操ることができたと聞いていたから、皇宮にいることが、貴女の本来の力を妨げているのではないかと考えた」
天曜は言葉を切った。
「何より、辛そうな貴女の姿を、これ以上見ていられなかった」
天曜が本当に自分を助けようとしていたことは、蓮瑛にも分かった。
けれど、彼の語った計画と、自分が辿った道はあまりにも違っていた。
「では、あの荷車は……」
「私達の手配ではない」
香蘭が任じられた翌朝、皇后は雲水達に何も知らせないまま、蓮瑛を皇宮から追い出した。
その数日後、正式な花嫁行列が帝都を発った。雲水は、そこに蓮瑛が乗せられているものと考え、連れ戻すために部下を向かわせた。
「だが、輿に乗せられていたのは貴女ではなかった。身代わりにされた女は、父の部下が帝都へ連れ帰り、今は立家で保護している」
天曜が凱旋した時には、蓮瑛が皇宮を出てから十日以上が過ぎていた。
「西へ向かったことしか分からなかった。どこで降ろされたのかも、無事でいるのかも分からなかった」
その時のことを語る天曜の声が、初めて揺らいだ。
「だから、こうしてもう一度、貴女に会えて本当によかった」
蓮瑛は、何と返せばよいのか分からなかった。
善意から始まった計画であっても、そこに蓮瑛の意思はなかった。
「貴女を助けるつもりだった。だが私は、貴女が何を望んでいるのか、一度も尋ねなかった。自分の考えた方法が正しいと、勝手に信じていた」
天曜は蓮瑛に頭を下げた。
「私達の計画がなければ、皇后もあの時に貴女を追い出さなかったかもしれない。私の独りよがりが、貴女を苦しませた。申し訳ない」
天曜だけの責任ではない。
そう答えることはできた。だが、それで何もなかったことにしてよいとも思えなかった。
「顔を上げてください。私はまだ、すべてを受け止められておりません」
「ああ」
「ですが、話してくださったことには感謝いたします」
天曜は、それ以上の赦しを求めなかった。
「もう一つ、貴女に伝えなければならないことがある」
「何でしょうか」
「父は、貴女が皇宮で弱っていった理由についても、以前から調べさせていた。まだ確かな証拠を得たわけではない。だが、長い間、少量ずつ毒を与えられていた可能性がある」
「毒……?」
「皇宮を離れてから身体が軽くなったのなら、その疑いはさらに強くなる」
自分の身体が重かったのは、神龍の加護に耐えられなかったからではないのか。
役目を失い、加護が離れたから回復したのだと思っていた。
「では、私が天候を操れなくなったのは……」
「貴女の力が失われたからではない。力を使えないほど、身体を弱らされていたのだ」
天曜は、はっきりと告げた。
「香蘭ではない。貴女こそが、今も龍の巫女だ」
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