幕間 香蘭の密告
天曜が殿舎を訪れてから数日が過ぎた。
その間に、皇宮では奇妙な噂が広がっていた。
碧砂国へ向かった花嫁行列に蓮瑛は乗っておらず、皇帝がその美しさを惜しんで、密かに手元へ残したのではないかという。
皇后は表立って噂を否定しなかった。代わりに皇帝付きの宦官を呼びつけ、皇帝の周囲を探らせていた。香蘭が面会を求めても取り次がれず、雲水のもとへ寄越した使いにも返事は与えられなかった。
その雲水が参内すると、香蘭は自ら政務を執る部屋を訪ねてきた。
「お忙しいところ、申し訳ございません」
「用件は何だ」
雲水は書簡から目を上げなかった。
「兄上は、その後どうなさったのですか」
「戻っていない。蓮瑛を捜しに帝都を発った」
天曜が帝都を離れたことも、香蘭には知らせていなかった。
「蓮瑛の居場所が分かったのですか」
「分からぬから捜しに行ったのだろう」
「では、今も見つかっていないのですか」
「お前は蓮瑛の身を案じているのか。それとも、自分が龍の巫女でいられなくなることを恐れているのか」
「私はただ、何も知らされないままでは困ると――」
「これ以上、こちらの手の内を漏らされてはかなわんからな」
雲水が天曜について香蘭へ与える情報は、それだけだった。
「父上が皇帝陛下の勅命に背こうとなさったからでしょう!」
雲水には、責任をこちらへ押し返そうとしているようにしか聞こえなかった。
「父上が蓮瑛を奪えば、立家まで罪に問われます。私はそれを止めただけです」
「その結果、蓮瑛は行方不明になった」
「先に送り出したのは皇后陛下です。私が決めたことではありません」
香蘭は、皇后が蓮瑛を碧砂国へ届けると約束したのだと訴えた。自分は立家を守ろうとしただけだという弁明も、天曜にした時と変わらない。
自ら皇后へ情報を渡しておきながら、その後の責任だけを切り離そうとする。その考え自体が、雲水には愚かに思えた。
「ならば、皇后陛下に尋ねればよい。蓮瑛をどこへ送ったのかとな」
「そのようなことをお尋ねできるはずがありません」
「私の計画は差し出せても、皇后陛下から情報を得ることはできぬか。何のためにお前を皇宮へ入れたと思っている」
「私は間者ではありません。龍の巫女です」
「本物を失えば、その肩書も長くはもたぬ」
同じことは、天曜からも告げられたはずだった。それでも香蘭は、蓮瑛の行方さえ確かめれば、まだ巫女の座を守れると思っているらしい。
「それでも、父上が蓮瑛を立家に迎えようとなさらなければ、このようなことにはなりませんでした」
「私が蓮瑛を迎えることが、それほど許せなかったのか」
「違います。私は立家を守ろうと――」
「蓮瑛が碧砂国へ送られることは止めず、私が迎えることだけを妨げた。立家のためという言葉では説明がつかぬ」
「蓮瑛は碧砂国王の妃として下賜されたのです。衰弱していようと、あの国で暮らすことが決まっていました。それなのに、父上が連れ戻して療養させれば……」
「健康を取り戻し、容姿も元に戻る。それが気に入らなかったか」
香蘭は否定したが、別の理由を答えることはできなかった。
衰弱したまま碧砂国へ送られ、異国の王に疎まれることは構わない。だが、立家で手厚く扱われ、元の美しさを取り戻すことだけは許せなかったのだろう。
「くだらぬ嫉妬で、私の計画を皇后陛下に売ったのか」
「皇后陛下も、父上が蓮瑛を利用するつもりだと考えておられました。皇帝陛下が美しいと褒めた娘を立家で元の姿に戻せば、警戒なさるのは当然です」
「それを皇后陛下に吹き込んだのも、お前か」
「事実を申し上げただけです」
どうやら香蘭は、皇后も同じ判断をしたことを、自らの正しさの証にするつもりらしい。
だが、香蘭から話を聞いた皇后が、雲水の目的を純粋な保護だと受け取るはずがない。立家で蓮瑛の身体を治し、美しさを取り戻させた後、皇帝へ差し出すつもりだと考えただろう。
皇宮には既に、神託を受けた龍の巫女として香蘭がいる。皇后から見れば、香蘭も蓮瑛も、皇帝の妃になり得る娘だった。
「皇后陛下には、私が二人の娘を使って皇帝陛下の寵愛を得ようとしているように見えただろう。どちらが選ばれても、力を増すのは立家だからな」
「私は皇后陛下に忠誠を誓いました」
「父親の計画を密告した娘の忠誠を、皇后陛下が信じると思うか」
香蘭は答えられなかった。
「兄上は、蓮瑛を見つければ戻ってくるのでしょう?」
「さてな」
「兄上は立家の人間です。戻らないはずがありません」
雲水は答えなかった。
天曜がなぜ文官の道を捨て、武官になったのか。雲水は知っていた。
軍功を立てれば、望むものを皇帝へ願い出ることができる。天曜が求めていたのは、官位でも領地でもない。
蓮瑛さえ立家の手にあれば、本物の龍の巫女と、軍部に強い影響力を持つ息子の双方をつなぎ留められた。
だが、蓮瑛を失えば、天曜がこれまで得たものまで捨てる可能性がある。彼女を見捨てた立家のために、この先も働き続けるとは限らない。
香蘭は、蓮瑛一人を立家から遠ざけたつもりなのだろう。
実際には、立家が手にするはずだった二つの力を、同時に失う危険を招いていた。
「お前は、自分が何を壊したのかも分かっておらぬ」
「父上?」
雲水は、説明する気にもなれなかった。
「役立たずめ」
香蘭は、なぜそう言われたのか分からないとでもいうように雲水を見ていた。その顔が、ひどく愚鈍に見えた。




