偽りの巫女
龍の巫女の殿舎は、皇宮内にある神殿の東側に建てられていた。
内廷の一角ではあるものの、妃嬪達が暮らす後宮とは壁で隔てられている。天曜が訪問を告げると、来客を迎える前殿へ通された。
香蘭は長椅子に腰掛けたまま、天曜を迎えた。
香蘭は雲水の第二夫人の娘である。第一夫人の息子である天曜とは、異母兄妹にあたる。
だが、二人に兄妹らしい親しみはなかった。母親同士の仲が悪く、香蘭も幼い頃から天曜を敵視していた。天曜も、身分の低い者を見下す香蘭を好んでいない。必要がなければ、関わることもなかった。
「凱旋したばかりの兄上が、何の御用ですの?」
香蘭は群青の衣をまとい、艶やかな黒髪には龍の巫女であることを示す金の髪飾りをつけていた。
ここは、半月前まで蓮瑛が暮らしていた殿舎だ。香蘭は既に、自分こそがこの場所の主人であるかのように振る舞っている。
「蓮瑛殿のことで話がある」
香蘭は女官達を下がらせた。
扉が閉じられるのを待って、天曜は告げた。
「花嫁行列の馬車に、蓮瑛殿はいなかった」
「いない……?」
「父上の手の者が確かめた。乗っていたのは、蓮瑛殿とは似ても似つかぬ娘だ」
「では、蓮瑛はどこにいるのです」
先ほどまでの余裕は消えていた。
「それをお前に聞いている」
「私が知るはずはありません。花嫁行列にいなかったのなら、父上が既に連れ戻したのではありませんか」
「父上の手にはない」
「では、皇后陛下は本当に――」
香蘭はそこで言葉を止めた。
「皇后陛下が、何だ」
「何でもございません」
「何を知っている」
「存じません。兄上こそ、どうして私を疑うのですか」
任命の儀の夜以降、蓮瑛の姿を見た者はいない。
その数日後、正式な花嫁行列が帝都を出発した。ところが、馬車に乗っていたのは別人だった。
誰かが、雲水の計画を知っていたのだ。
雲水は、碧砂国へ向かう途中で蓮瑛を取り戻すつもりだった。そのため、皇后は蓮瑛だけを先に皇宮から出し、後から出発する花嫁行列を囮にした。
雲水の裏をかくには、事前に計画を知っていなければならない。
「父上の計画を皇后陛下に漏らしたのは、お前か」
「何を根拠に、そのようなことをおっしゃるのです」
「先ほど、お前は皇后陛下が蓮瑛殿に何かしたと知っているようなことを言った」
「言い間違えただけです」
「ならば、何を言い間違えたのか説明しろ」
香蘭は答えなかった。
「皇后陛下から、蓮瑛を先に出立させると聞いていたのだな」
「……任命の儀を終えた夜、皇后陛下にお呼びいただきました。そのとき、蓮瑛は正式な行列より先に皇宮を出ると伺っただけです」
「なぜ、皇后陛下がお前にそれを教えた」
「私は新たな龍の巫女です。先代の巫女がいつ皇宮を離れるのか、知っていてもおかしくはないでしょう」
「では、なぜ蓮瑛殿だけが先に出立することになった」
「存じません」
「お前が、父上の計画を教えたからではないのか」
「父上が勅命に背けば、立家まで罪に問われます。私はそれを案じただけです」
香蘭は、もう否定しなかった。
「立家を案じたのなら、父上を止めればよかった。なぜ皇后陛下に告げた」
「父上が、私の言葉を聞くと思いますか」
「聞かせようともせず、蓮瑛殿を皇后陛下に委ねたのか」
「皇后陛下は、蓮瑛を勅命どおり碧砂国へ送り届けると約束してくださいました。父上に連れ戻されないよう、出立を早めるだけだと」
「それを信じたのか」
「皇帝陛下の勅命です。皇后陛下とて、蓮瑛を勝手に害することはできません」
「勅命どおりに送り届けるつもりなら、正式な行列に別人を乗せる必要はない」
「ですが、蓮瑛が碧砂国へ着かなければ、いずれ分かります」
「旅の途中で病に倒れたことにすれば済む。とても衰弱していたと聞いている。旅の途中で蓮瑛殿が死んでも、不審に思う者は少ない」
香蘭は黙り込んだ。
「蓮瑛殿が死ねば、困るのはお前だ」
「何のことでしょう」
「俺の前でまで、巫女のふりをする必要はない。お前は本物の龍の巫女ではない」
「だからこそ、皇后陛下も蓮瑛を殺すような真似はなさらないはずです」
「皇后陛下は、お前が偽物だと知らない」
香蘭の顔から血の気が引いた。
「皇后陛下にとって、蓮瑛殿は力を失った先代の巫女にすぎない。お前のために生かしておかなければならない理由など、知るはずもない」
「けれど、蓮瑛が死ねば、いずれ私が雨を呼べないことも露見します」
「そのとき初めて、お前が偽物だったと知るのだ。その後も皇后陛下がお前を守ると思うのか」
香蘭はようやく、皇后に利用されたのが自分の方だったと気づいたらしい。
「私は、蓮瑛に死んでほしかったわけではありません」
「だが、皇后陛下が蓮瑛殿をどう扱うかも確かめず、父上の計画を漏らした」
「私はただ、蓮瑛を立家に迎えれば――」
「迎えれば、何だ」
「……何でもございません」
天曜はそれ以上追及しなかった。
香蘭が蓮瑛を疎んだ理由より、今は蓮瑛の行方を知る方が先だった。
「蓮瑛殿がどこへ送られたのか、本当に知らないのだな」
「知りません。皇后陛下は、先に出立させるとしかおっしゃいませんでした」
「誰が運び出した」
「それも伺っておりません」
少なくとも、そこは嘘ではないようだった。
天曜は殿舎を出ようとした。
「兄上、どちらへ」
「蓮瑛殿を捜す」
「もし蓮瑛が見つからなければ、私はどうなるのです」
天曜は振り返った。
最後まで、香蘭が案じているのは自分の身だけだった。
「自分だけは、蓮瑛殿と同じ目に遭わずに済むと思うな」
天曜は香蘭を残し、殿舎を後にした。
■■■
立家の屋敷へ戻ると、天曜の部屋には北方から持ち帰った荷物が並べられていた。
その中で、明慧が荷を解いていた。
明慧は幼い頃から天曜に仕えてきた従者である。正式な武人ではないものの、天曜が文官の道を捨てて北方へ向かった時にも付き従い、一年間にわたって陣中で主人を支えてきた。
「明慧。旅支度をしろ。今夜、都を出る」
「どちらへ?」
「西だ。蓮瑛殿を捜しに行く」
凱旋の儀に参加していない明慧は、蓮瑛が龍の巫女を退き、碧砂国王へ下賜されたことさえ知らない。
天曜は今日、皇宮で知ったことをかいつまんで話した。
蓮瑛が碧砂国王へ下賜されたこと。そして、正式な花嫁行列に乗っていたのは別の娘であり、蓮瑛自身は十二日前から行方が分からなくなっていること。
「蓮瑛様は、ご無事なのですか?」
「分からない」
蓮瑛は皇后の手の者によって皇宮から連れ出された。その後の足取りはつかめていない。
「ようやく蓮瑛殿に相応しい地位を得たと帰還したのに、結果はこのザマだ」
自嘲が口をついて出た。
もう少し蓮瑛の処遇が決まるのが遅ければ、皇帝は天曜の願いを聞き入れていた。少なくとも、彼女が人知れず皇宮から運び出されることはなかったはずだ。だが、いくら悔やんでも、天曜の帰還は間に合わなかった。
明慧は慰めの言葉を口にしなかった。ただ、解いたばかりの荷物から旅に必要なものを選び、再び包み始めた。
「何日分の食料を用意しますか」
「まずは七日分だ。途中の商館や宿場で補給する」
明慧は頷くと、必要以上に荷が重くならないよう食料と水の量を手早く見積もっていく。
「馬は?」
「二頭だ」
そこで明慧は、天曜の荷から自分の荷へと視線を移した。
「最初から、私も頭数に入っているのですね」
「残るつもりだったのか?」
「いいえ。置いていかれるようなら、勝手についていくつもりでした」
そう答えながら、明慧は当然のように自分の旅装まで取り出している。
「ならば問題ない」
「できれば、本人の承諾を得てから数に入れていただきたいものです」
咎めるというより、また主人が勝手に話を決めていると呆れているらしい。幼い頃から仕えてきた明慧にとって、今に始まったことではなかった。
「支度が済んだら、先に西門へ向かえ」
皇后が初めから別の場所へ運ばせた可能性もあった。だが、碧砂国王の妃として送り出すことは、皇帝の勅命によって決められ、既に国書も出されている。蓮瑛を亡き者にするつもりだったとしても、勅命に従った形を残すため、少なくとも途中までは碧砂国への道を進ませたはずだ。
その推測が外れていたとしても、ほかに手がかりはない。天曜は西へ向かうことを決めた。
「天曜様は?」
「寄るところがある。噂好きの文官と、内侍に顔の広い者だ」
「何をお話しになるのですか」
「花嫁行列の娘は蓮瑛ではなかった。陛下は、蓮瑛を手元に残しておけばよかったと仰せになった。その二つを、別々にな」
明慧は問い返さなかった。
「皇后陛下の耳に入れば、それでいい」
この日の夕刻、天曜と明慧は帝都の西門を発った。
本日お昼の12時に、皇后視点の幕間を追加更新します。




