丞相の計画
褒賞の下賜が終わり、天曜は御前を退いた。
蒼天殿を出ると、先を歩く雲水の背中を追う。
「父上」
呼び止められた雲水は足を止めた。
「何故、知らせてくださらなかったのですか」
「知らせれば、お前はどうした?」
振り返った雲水の表情は、少しも揺らいでいなかった。
「すぐに帝都へ戻りました」
「軍を離れてでも、か?」
天曜は答えなかった。
「凱旋を目前にして持ち場を離れれば、お前は今日の任官を失っていた。下手をすれば、軍律に背いた罪まで問われていただろう」
「だから、蓮瑛殿が異国へ送られることを黙っていたのですか」
「お前を将軍にすることを優先したまでだ。地位も権限もない者に、誰かを守ることはできぬ。それは、お前自身が一番よく分かっているはずだ」
雲水の言葉は正しかった。
一年前、天曜がどれほど蓮瑛の待遇を改善するよう訴えても、後宮を動かすことはできなかった。だからこそ、皇帝に願いを聞き届けさせるだけの功績を求めたのだ。
だが、その間に蓮瑛がいなくなってしまっては意味がない。
「既に碧砂国王の妃となった者を、将軍の地位でどう守れというのです」
「案ずる必要はない。蓮瑛殿を碧砂国へ渡すつもりは、初めからなかった」
天曜は眉を寄せた。
「どういう意味です」
「花嫁一行が人里を離れたところで、私の手の者が蓮瑛殿を保護する手筈になっている」
雲水は声を落として続けた。
「代わりの娘を碧砂国へ向かわせ、蓮瑛殿はこちらへ連れ戻す。お前が帰還した後、改めて妻として迎えればよい」
「替え玉を碧砂国へ送るおつもりですか」
「顔を覆った花嫁を、かの国の者が見分けられるはずもない。国境へ到着する前に逃げ出したことにすれば、こちらの責も問われまい」
龍華国は花嫁を送り出した。その後に何が起きたとしても関知しない――その体裁だけを残すつもりなのだ。
「蓮瑛殿の意思は、聞いたのですか」
「皇宮に残って皇后から虐げられるより、立家の庇護を受ける方がよいに決まっている」
「父上にとっては、そうなのでしょう」
雲水の目が細くなる。
「何が言いたい」
「蓮瑛殿を皇后の手から救い出すことと、本人の意思を無視して立家に囲うことは、同じではありません」
「お前は蓮瑛殿を妻に迎えたいのではなかったのか」
「望んでおります。だからといって、蓮瑛殿も同じものを望んでいるとは限らない」
雲水には理解できないようだった。皇后に虐げられる生活と、将軍の妻として守られる生活。どちらが幸福であるかは、考えるまでもないと思っているのだろう。
だが、それでは蓮瑛を一つの檻から別の檻へ移すだけだ。
「ともかく、既に手筈は整えてある」
雲水は話を打ち切るように告げた。
「皇后が出立を早めたことも把握していた。それに合わせて人を動かしてある。今頃は――」
その時、雲水付きの官吏が足早に近づいてきた。蒼天殿の前であることを憚り、声を潜めて告げる。
「丞相閣下。西街道へ遣わしていた者が戻りました。至急、お耳に入れたいことがあると」
雲水の表情が引き締まった。
「どこにいる」
「外朝の詰所で待たせております」
雲水は天曜を伴い、その場を離れた。詰所へ入ると、旅装の男が床に膝をついて待っていた。衣には砂埃がこびりつき、馬を替えながら急ぎ戻ってきたことが窺える。
「報告いたします」
「申せ」
「予定の場所で花嫁一行を止め、馬車を改めました。しかし、中にいたのは蓮瑛様ではございませんでした」
「何だと?」
「花嫁衣装を着せられていたのは、皇宮の奴婢です。何も知らされず、命じられるまま馬車へ乗ったと申しております」
「出立まで見張らせていたはずだ」
「蓮瑛様の居室には、当日の朝まで食事が運ばれておりました。出立の際も、顔を布で覆った花嫁が女官に支えられて馬車へ乗るところを確認しております」
監視されていることを承知の上で、蓮瑛がまだ皇宮にいるよう装っていたのだ。
「蓮瑛殿を最後に直接見たのは、いつだ」
雲水の問いに、男は顔を伏せた。
「新たな龍の巫女の任命の儀が行われた日でございます。それ以降は、誰もお姿を確認できておりません」
任命の儀から、既に十二日が過ぎている。
その日のうちに蓮瑛を連れ出していたのなら、正式な花嫁行列をどれほど急いで追っても追いつけない。
「皇后か……」
雲水が低く呟いた。天曜は別の人物を思い浮かべていた。
「この計画を知っていた者は?」
「私と手の者、それから――」
雲水が言葉を止める。
「香蘭も知っていたのですね」
雲水は否定しなかった。香蘭は新たな龍の巫女として、任命の儀の後も皇宮にいる。皇后付きの女官と接する機会も、父の間者よりはるかに多かったはずだ。
天曜は踵を返した。
「どこへ行く」
「香蘭に話を聞きます」
「天曜」
「父上は、花嫁一行の者達から詳しい話をお聞きください。私は一刻も早く蓮瑛を追います」
そのために必要な手掛かりを、香蘭が握っているかもしれなかった。




