砂漠へ送られた花嫁
「花嫁を送る――だと?」
龍華国から届いた国書を、碧砂国王シンシャはもう一度読み返した。
『両国の末永き友誼を願い、龍の巫女・蓮瑛を碧砂国王の妃として遣わす』
シンシャは国書を卓上に放った。
「随分と一方的な友誼があったものだ。私が断るとは考えてもいないらしい」
「龍華国にとって、碧砂国の承諾など必要ないのでしょう」
側近のランフォンの言葉に、シンシャは眉を寄せた。
「我が国は龍華国の属国ではないぞ」
「ですが、あちらは属国も同然と考えているのでしょう」
シンシャは淡々と告げるランフォンを睨んだ。
「お前は私を宥める気があるのか?」
「事実を申し上げております」
しかし、ランフォンに腹を立てたところで何も解決しない。シンシャは小さく息を吐き、もう一度国書へ目を落とした。
「この蓮瑛という娘は何者だ?」
「国書にある通り、龍の巫女でしょう」
『龍の巫女』について、シンシャが知っていることは少ない。
龍華国が崇める神龍に選ばれ、天候を操る力を与えられた存在。その程度だ。
「そんな重要な人物を国外に出すのか?」
「今代の龍の巫女は、役目を果たせない娘だと噂されています」
「役目を果たせない?」
「思うように天候を操れず、雨ばかり降らせるとか」
碧砂国では近年、砂漠化が深刻な問題となっていた。いくつものオアシスで水が減り、周辺の草地や畑も失われつつある。龍華国も、そのことを知らないはずがない。
「こちらなら役に立つと考えたのでしょうか」
「砂漠に雨を降らせれば、それだけで緑化すると思っているのか。そんな単純な問題ではない」
シンシャは卓の上で拳を握った。
「まったく、どこまでも我が国を見下しているらしいな」
龍華国が碧砂国を対等な国として扱わないのは、今に始まったことではない。
こちらが交易のために送った品を、あちらでは貢ぎ物と呼ぶ。代わりに届く品は皇帝からの恵みであるらしい。
今回の国書も、その延長なのだろう。
シンシャは国書の末尾を指で叩いた。
「既に都を発ったとあるが、到着する日も、国境を越える場所も書かれていないな」
「はい」
「国境沿いの砦に知らせろ。龍華国から蓮瑛と名乗る娘が現れたら、保護してすぐに報告するようにと」
「妃として迎え入れるのですか?」
「それ以前の問題だ。龍華国がどのようなつもりで送り出したにせよ、娘に罪はない」
ランフォンは静かに頭を下げた。
「承知しました。すぐに国境沿いすべての砦に伝令を出します」
■■■
目を覚ました時、御者の姿はなかった。
蓮瑛は荷車を降り、辺りを見回した。何度呼んでも返事はない。残されているのは、一頭の驢馬と水の入った革袋、それとわずかな食料だけだった。昨夜まで荷車に置かれていた御者の荷物も消えている。
逃げたのだ――蓮瑛を置き去りにして。
来た道を戻ろうにも、最後に町を見たのが何日前だったか、もう分からない。食料も水も、引き返すまで持つかも分からなかった。
西へ進むしかなかった。
蓮瑛は手綱を握り締めた。戻ることは許されない。たとえ戻ったとしても、彼女を迎える者などいなかった。
「……行きましょう」
驢馬に声をかけたが、動かない。
手綱を引いてみても、驢馬は長い耳を揺らすだけ。
「お願い。私も、どうしたらよいのか分からないの」
蓮瑛がその首をなでると、驢馬はようやく一歩を踏み出した。
それから何度も足を止めながら、蓮瑛と驢馬は西へ向かった。頭上から照りつける日差しは強く、革袋の水は少しずつ減っていく。建物も人も、いつまで経っても見えてこない。
太陽の沈む方向へと向かっているけれど、旅などしたことのない蓮瑛では確かめる術がなかった。
頭を布で覆っても、肌が焼けるようだった。革袋の水を口に含み、同じように驢馬にも飲ませる。
そのうちに太陽が西へ傾き始めた。
昼間は黄金に輝いていた砂が、少しずつ青みを帯びていく。初めて見る光景に、蓮瑛は足を止めた。
「綺麗……」
その声に応えるように、驢馬が長い耳を立てた。
「どうしたの?」
驢馬は鼻を鳴らすと、先ほどまでとは違う確かな足取りで歩き始めた。
青く染まり始めた砂の向こうに、黒い影が見えた。岩山だと思ったが、近づくにつれて形がはっきりしてくる。高い石壁と、その上に立つ見張り台。
建物だ。
人がいる。
「もう少しよ。頑張りましょう」
自分に言い聞かせているのか、驢馬に言っているのか、蓮瑛にも分からなかった。
砦に辿り着く頃には、空の赤みも薄れ始めていた。
「止まれ」
門の前に立っていた兵士に呼び止められ、蓮瑛は足を止めた。
見慣れない衣装をまとい、腰には剣を下げている。
兵士は驢馬と荷車、それから砂に塗れた蓮瑛を順に見た。
「どこから来た?」
「龍華国から参りました」
兵士の表情がわずかに険しくなる。
「連れは?」
「おりません」
「一人でここまで来たのか?」
「……はい」
兵士は信じられないというように、もう一度荷車へ目を向けた。
「ここへは何をしに来た?」
蓮瑛は一度、唇を引き結んだ。
「碧砂国王陛下の妃になるよう、命じられました」
兵士が目を見開く。
「では、貴女が……。名前を聞いてもよいか?」
「蓮瑛と申します」
兵士の顔色が変わった。
すぐに姿勢を正すと、蓮瑛に向かって頭を下げた。
「お待ちしておりました、蓮瑛様」
予想もしなかった言葉に、蓮瑛は目を見開いた。
「私を……?」
「陛下から、貴女様を見つけ次第、保護するように命じられております」
龍華国では、誰も彼女が無事に碧砂国へ辿り着けるかなど気にかけなかったのに。
けれど、まだ会ったこともない王は、自分を探してくれていた。
新連載始めました。
全43話、完結まで執筆済みです。毎朝7時更新、幕間のある日は12時にも更新します。




