EP 2
「ギアンの糸、国境の凶行」
ルーベンスから譲り受けた漆黒の通行証は、絶大な威力を発揮した。
ルナミス帝国とアバロン魔皇国を隔てる巨大な国境ゲート。
最新鋭の魔導戦車が並び、上空には飛竜騎士が旋回する厳戒態勢の中、俺たちのような得体の知れないパーティーが近づけば、通常なら即座に蜂の巣にされてもおかしくない。
「止まれ! 貴様ら、何者――」
銃を構えかけたルナミスの国境警備兵だったが、俺が無言で漆黒のフリーパスを提示すると、その顔色が一瞬で青ざめた。
「こ、これは魔皇国・特級官僚の……! し、失礼いたしました! どうぞお通りください!」
兵士は直立不動で敬礼し、巨大な魔導ゲートが重々しい音を立てて開いた。
ルーベンスのオッサン、一体どれだけ偉いんだ。
「ヒエン君、すごい顔パスだね! これで魔族の国でも美味しいもの食べ放題だよ!」
「魔王様のお城に突撃して、ルチアナ先輩に『私、外交任務完了しました!』って報告しちゃいましょう!」
「ワイは魔皇国のパチンコ屋がどうなっとるか視察せなあかんなァ」
のんきにはしゃぐ三人(と一匹)を連れて、俺は緩衝地帯である巨大な橋へと足を踏み入れた。
橋の中央を境に、ルナミス側の近代魔導兵器と、魔皇国側の重厚なゴーレムや魔獣部隊が、ピリピリとした空気の中で睨み合っている。
ルーベンスが言っていた『不穏な空気』というのが肌で感じられた。
どちらか一方が石でも投げれば、即座に全面戦争に発展しそうな極限の緊張状態だ。
「……なぁ、ヒエン」
不意に、ロードが低い声で俺を呼んだ。
「どうした?」
「なんか、嫌な匂いがするで。血ィと、錆びた鉄と……ドス黒い『執念』みたいなもんが混じった匂いや」
ロードの視線の先――魔皇国側の検問所に立つ数人のオーク兵と、ルナミス側の魔導ライフルを構えた兵士たち。
彼らの様子が、明らかにおかしかった。
「……おい、なんだあいつらの目」
俺は鍛冶師の視力を凝らし、兵士たちの顔を観察した。
彼らの瞳孔は限界まで見開き、白目が充血して真っ赤に染まっている。
そして、口からは「アァ……」「殺ス……」といった、意思を感じないうめき声が漏れていた。
「ヒエン君、あれ! 兵士たちの首の後ろ!」
視力の良いビアラが鋭く指摘する。
俺の目にも、ハッキリとそれが見えた。
狂乱している兵士たちの首筋に、極細の……うっすらと紫がかった『不可視の糸』が深く突き刺さり、それが上空へと伸びているのだ。
ポポロ村の死蟲機のコアに刻まれていた魔法陣と、全く同じ魔力の波長。
「魔人ギアンの『糸』……! 国境の警備兵を直接操ってるのか!」
俺が叫んだ直後だった。
「アァァァァァァッ!!」
ルナミス側の兵士の一人が突如として奇声を上げ、味方の部隊長に向けて魔導ライフルの引き金を引いた。
ズガンッ! と至近距離で放たれた魔力弾が、部隊長の防弾チョッキを吹き飛ばす。
「なっ!? 貴様、狂ったか!」
「敵襲ゥ! 魔皇国の精神魔法だ! 撃て、撃ち殺せェッ!」
その一発の銃声を皮切りに、国境の均衡は完全に崩壊した。
操られたルナミス兵が魔皇国側へ無差別に発砲し、それに応じるように、糸に繋がれたオーク兵たちが巨大な斧を振り回して味方やルナミス陣営に突撃を開始する。
「ギャハハハハハハッ!! 殺セェ! ゼンブ壊セェ!!」
狂乱した兵士たちは、常軌を逸した動きを見せていた。
人間の筋肉の限界を超えた速度で走り、自らの筋繊維が千切れて血が噴き出しても、全く痛みを感じていないかのように暴れ回っている。
「最悪の盤面だ。あいつら、自分の体が壊れるのもお構いなしにリミッターを外されてる」
「ヒエン君、どうする!? 私が蹴り飛ばして止めよっか!?」
ビアラが『真・雷光トンファー』を構える。
「ダメだ! 今のお前の全力の蹴りをくらったら、操られてる普通の兵士は木端微塵になるぞ! かといって手加減して止められる動きじゃない!」
実際、狂乱したルナミス兵の放つ銃弾や、オークの膂力から繰り出される斬撃は、恐ろしいほどの殺傷能力を持っていた。
糸で操ることで、対象の『防衛本能』を完全に遮断し、純粋な殺戮兵器として運用しているのだ。
「フフフフフ……アハハハハハハハッ!!」
突如、上空からスピーカーを通したような、耳障りな甲高い笑い声が響き渡った。
『素晴らしい! なんて美しい喜劇なんだ! 人間も魔族も、少し背中を押してやるだけで、こうも簡単に殺し合う!』
見上げると、上空の雲の隙間に、一匹の巨大な『死蝿型』が浮かんでいた。
その背中には、禍々しい巨大な鎌を持ち、顔に『涙を流す道化師の仮面』を被った男が立っている。
「あいつが……魔人ギアン!」
『さぁ、もっと踊れ! もっと絶望しろ! お前たちの魂が恐怖と怒りで真っ黒に染まった瞬間、我が魔糸が綺麗に刈り取ってやる! 最高のステージだ! アハハハハハハッ!!』
道化師が両手を振るうと、空から見えない糸がさらに何十本も降り注ぎ、まだ正気を保っていた兵士たちの首筋に次々と突き刺さっていく。
「うわぁぁっ!? 体が、勝手にィィッ!」
「助けてくれ! 誰か!」
「このままじゃ全滅ですぅ! ヒエンさん、なんとかしてください!」
リリスがスマホを握りしめて悲鳴を上げる。
「あぁ、任せろ。あの糸を切ればいいんだろ」
俺は地面を蹴り、同士討ちを繰り広げている兵士たちの中心へと飛び込んだ。
ギアンの魔糸。
魔力と呪いで編み込まれたその糸の構造を、俺の『鍛冶師の目』で捉える。
(見えた。糸の構成物質は極細の魔力繊維。なら、不純物を焼き尽くし、ただの空気へと『打ち直す』だけだ!)
俺は狂乱して襲いかかってきたオーク兵の斧を紙一重でかわし、その首筋に繋がっている紫色の魔糸を素手でガシッと掴んだ。
「【創星の神鍛冶】!」
ボワッ!!
俺の右手に、不死鳥の紅蓮の炎が猛烈に立ち上る。
空間の金床を展開し、俺はギアンの魔糸そのものを打ち砕こうと、炎の拳を振り下ろした。
「――打ち直すッ!!」
カァァァンッ!!
だが。
響いたのは、いつものような澄んだ打撃音ではなかった。
鈍く、重く、そして俺の腕の骨が軋むほどの『反発力』。
「……なっ!?」
炎は魔糸を熔かすことができず、俺の打撃は完全に弾かれた。
それどころか、魔糸からドス黒い呪いが逆流し、俺の右手から【神鍛冶】の炎を強制的にかき消してしまったのだ。
「弾かれた……!? 俺の鍛冶が、通じない……!?」
俺が驚愕に目を見開いたその隙を突き、操られたルナミス兵の魔導ライフルが、至近距離から俺の心臓に狙いを定めていた。




