第二章 魂の構造解析と、17歳(?)たちの饗宴
「国境の競馬場と、影の貴公子」
ルナミス帝国とアバロン魔皇国の緩衝地帯に位置する国境都市『ボーダーズ』。
親父(佐藤太郎)が敷いた近代魔導インフラと、魔族たちのゴシックな建築様式が入り混じるこの街は、独自の活気と……そして強烈な『鉄火場』の匂いに包まれていた。
「いっけェェェッ! そのまま差し切れやァ! 3番のジオ・リザード、ワイの全財産乗っとんのやぞ!!」
「……」
街の中心部にある巨大施設、『ルナミス競馬場・国境支部(競竜場)』。
そのVIP席のさらに最前列で、片手に赤鉛筆、もう片方にルナミス新聞の競馬欄を握りしめたロードが、コースに向かって絶叫していた。
「ああっ!? アホかお前、なんでそこでヨレるねん! ……しゃーない、今のナシや! 5秒『巻き戻し』て、4番の単勝に買い直すで!」
「いい加減にしろ、このインチキトカゲ」
俺はロードの首に巻かれた手ぬぐいをガシッと掴み、ズルをしようとした神話の竜を物理的に引きずり戻した。
「痛っ!? 何すんねんヒエンのにいちゃん! 今確勝の目が見えたとこやぞ!」
「さっきからお前、時間を巻き戻して三連単ばかり当てすぎだ。黒服の警備員たちが『あのトカゲ、予知能力持ちの魔獣か?』ってヒソヒソ話し始めてるぞ」
「チッ、これやから人間のギャンブル場は了見が狭いねん!」
悪態をつくロードを引きずりながら、俺たちは競馬場の外へ出た。
外のベンチでは、ビアラが屋台で買った『ピラダイの串焼き』を大量に頬張り、リリスはスマホでソシャゲのガチャを回して「また爆死ですぅ……」と涙目になっていた。相変わらず緊張感のないパーティーだ。
「とりあえず、腹ごしらえにしよう。ロードが勝ちすぎたせいで目立ってるし、少し裏路地の目立たない店がいい」
「おっ、にいちゃん。それなら競馬場の裏手にある『あの店』がええで。ギャンブラーの聖地や」
ロードの案内に従い、俺たちが足を踏み入れたのは、換気扇から強烈な油とニンニクの匂いを吐き出している、いかにも『汚いけど美味い大衆食堂』だった。
店内はレースに負けたオヤジたちで溢れていたが、俺はカウンターの隅で、周囲から完全に浮いている『異質な男』の存在に目を奪われた。
(……なんだ、あのオッサン?)
年齢は40代半ばから後半。仕立ての良い漆黒のスーツを完璧に着こなす、彫りの深いイケオジだ。
その手にはルナミス新聞の競馬欄。口には高級な『ポポロシガー』を咥え、その前に置かれているのは……店で一番油っこい『特盛り焼き飯』と『ニンニク餃子』、そして安酒の『イモッカ』の熱燗だった。
まるで、一流の貴族がわざとお忍びで下町のオヤジの真似事をしているような、奇妙なギャップ。
しかし、俺の【鍛冶師の目】は、彼から漏れ出ている魔力が、間違いなく『魔族の最上位クラス』であることを完全に見抜いていた。
「……ふむ。次の第7レースは、血統的に見て『砂漠の薔薇』だが……今日の馬場状態なら内枠の穴馬が来るか。いや、これもマキャヴェッリの言う運命か」
男はポポロシガーの煙を吐き出しながら、真剣な顔で赤鉛筆を走らせている。
「おっ、兄ちゃん。第7レースか? ワイの予想やと大穴の8番が突っ込んでくるで!」
「こらロード、勝手に絡むな」
気さくに話しかけるロードに、男は嫌な顔一つせず、薄く笑って視線を向けた。
「ほう。喋る地竜とは珍しい。……いや、ただの地竜ではないな」
男の目が、鋭くロードの本質を射抜く。
しかし次の瞬間、食堂の入り口が乱暴に蹴り開けられた。
「おいおいおい! そこのスカしたオッサン! さっきのレースで万馬券当ててたよなぁ!?」
入ってきたのは、柄の悪いゴロツキの集団だった。
どうやら、この男が競馬場で大勝ちしたのを狙って、カツアゲに来たらしい。
俺がため息をついて立ち上がろうとした、その時だ。
「……食事の邪魔をしないでいただきたい。私は今、至福の時を過ごしているのだ」
イケオジは焼き飯を食べる手を止めず、もう片方の手で『黒い水晶の付いた指輪』を軽く弾いた。
シュルルルッ!!
男の足元の『影』が突如として実体を持ち、漆黒の鞭となってゴロツキたちに向かって飛んだ。
「なっ!? 魔法――ぎゃあっ!」
闇の鞭はゴロツキの足首に巻き付き、彼らを一瞬にして天井へと吊るし上げた。
鮮やかな手口だ。魔族特有の『闇魔法』と『重力魔法』の複合。
だが、俺の目は、その魔法の『無駄』を見逃さなかった。
「……おい、アンタ」
俺は思わず、男に声をかけていた。
「ん? なんだ、君たちは」
「アンタの魔法の腕は一流だ。だが、その触媒にしてる『指輪』……最低の三流品だな」
「……なんだと?」
男の鋭い視線が俺に突き刺さる。
俺は構わず、男の指輪を指差した。
「闇魔法を鞭状に形成する時、指輪の魔力結晶の純度が低いせいで、先端の影が少しだけ『ほつれて』る。威力は十分だが、魔力伝導率が悪すぎて、アンタの出力の30%は空中に漏れて無駄になってるぞ」
俺の言葉に、男はポカンと口を開けた。
そして、自分の指輪と、天井に吊るされたゴロツキたちを拘束している影の鞭を交互に見比べる。
「……バカな。これはアバロンの国宝級の宮廷魔導師に作らせた、特注の触媒だぞ? 君は、たった一目見ただけで私の魔法のロスを見抜いたというのか?」
「宮廷魔導師か何か知らないが、俺から言わせりゃただの欠陥品だ。少し貸してみろ」
俺は半ば強引に、男の指から黒水晶の指輪を抜き取った。
「なっ、君!」
男が制止する前に、俺は右手に【神鍛冶】の紅蓮の炎を灯す。
「ヒエン君の職人スイッチ入っちゃったねー。あーあ、あのオジサン、驚きすぎてシガー落としそうになってる」
後ろでビアラがケラケラと笑いながら餃子を頬張っている。
俺は指輪を炎に包み、空間の金床に乗せた。
(素材は最高級だが、マナを流す回路が直線的すぎる。闇魔法の特性である『うねり』と『拡張』に合わせるなら、回路は螺旋状に彫り込むべきだ。……親父の遺した、フラクタル構造の概念を流し込む!)
カンッ! カンッ!!
指輪の概念を叩き直す。
たった二回の打撃で炎が消え、俺は生まれ変わった指輪を男のテーブルにポンと置いた。
「……これで試してみな」
「……君は、一体何をしたんだ? その炎は、ただの魔法では――」
訝しげに指輪をはめ直した男が、再び影の鞭に魔力を流し込んだ瞬間。
バチンッ!!
音速を超える破裂音が響いた。
先ほどまで少しぼやけていた影の鞭は、まるで研ぎ澄まされた刃のように極限まで圧縮され、ゴロツキを吊るしていたロープ(影)を一瞬で、しかも全くの『無音・無抵抗』で切断したのだ。
ドスッ!と床に落ちたゴロツキたちは、泡を吹いて気絶している。
「な、なんだこれは……! 魔法の発動速度が以前の倍……いや、三倍近い。魔力のロスが全くない。まるで自分の手足のように影が伸びる……!」
常に冷静だったはずのイケオジが、目をひん剥いて驚愕に震えていた。
「良い魔力だ。指輪の『器』が、ようやくアンタの出力に追いついただけだよ」
俺がそう言って自分の席に戻ろうとすると、男はガタッと立ち上がり、俺に向かって深々と頭を下げた。
「……失礼した。私の名前はルーベンス。アバロン魔皇国で、少々政治の真似事をしている者だ。君のような本物の『職人』を疑った非礼を詫びよう」
「俺はヒエン。しがない鍛冶師だ。こっちは相棒のビアラ、リリス、それとロード」
俺が名乗ると、ルーベンスは柔らかく、しかし底知れぬ凄みを含んだ笑みを浮かべた。
「ヒエン君、か。素晴らしい技術だ。……お近づきの印と言ってはなんだが、今日の食事代と、この国境を越えるための『フリーパス』を君たちに贈らせてくれないか?」
「フリーパス?」
「あぁ。実は最近、国境付近の魔獣が暴走したり、警備兵が突如錯乱したりと、不穏な空気が流れていてね。君たちのような実力者がいれば、無用なトラブルを避けられるだろう」
ルーベンスが差し出したのは、魔皇国の高級官僚だけが持つ漆黒の通行証だった。
(……不穏な空気。警備兵の錯乱。間違いない、ギアンの『糸』の影響だ)
「ありがたく受け取っておくよ。ルーベンスのオッサンも、美味い飯食ってる時に背後には気をつけな」
俺がそう忠告すると、ルーベンスは「忠告感謝するよ」とコートを羽織り、店を出ていった。
「なんや、えらい気前のええオッサンやったな! 餃子追加や!」
ロードが嬉しそうに店員を呼んでいる。
魔族の最上位クラスであろう貴公子、ルーベンス。
俺の鍛冶技術が、図らずも魔皇国の中枢との太いパイプを繋いだ瞬間だった。
だが、そのパイプの先で待ち受けているのが、極度の『アイドルオタク』と化した永遠の17歳(魔王)だということを、俺はこの時まだ知る由もなかった。




