第6話 北塔文書庫の鍵
煙の出どころは、修道院の台所だった。不幸中の幸いで文書庫には火が回っていなかったが、院内は騒然としていた。
院長エレオノーラは五十代半ばの痩せた修道女で、ルーファスの身分証を見せるとすぐに私たちを地下文書庫へ通してくれた。
「王太子宮から使者が来ました。古い洗礼台帳を引き渡せと言われましたが、こちらには原本そのものはありません」
「ない?」
私は眉を寄せる。
「六年前、修復のために受け取った時点で、肝心の数頁だけ切り取られていました。私どもは修復不能として封じ保管に回したのです」
期待した原本は、既に傷つけられていた。それでも私は棚を見渡した。羊皮紙の匂い、鉄の金具、年代順に並ぶ記録箱。何か残っているはずだ。
文書庫の一番奥で、私は修復台帳を見つけた。担当修道女の覚え書きに、こうある。
「王族洗礼簿、該当頁欠損。欠片と副封筒を北塔旧庫へ移送」
「旧庫?」
院長が頷く。
「今は使っていない鐘楼下の保管室です。鍵は亡くなった文書修道女アーダの遺品箱に」
その箱から出てきたのは、小さな鉄鍵と、折りたたまれた紙片だった。
紙片には震えた字で書かれている。
「鐘が三度鳴る夜、姫君は北へ。殿下ではない。血を守れ」
私は息を呑んだ。
「王太子ではない……」
ルーファスが私の隣に立つ。
「姫君、か」
鐘楼下の旧庫を開けると、湿気の匂いとともに小箱が一つ現れた。中には焦げた羊皮紙の欠片、乳母の雇用台帳の写し、そして小さな銀の腕輪が入っている。内側には、古い王家の紋と「H」の刻印。
「ヘレーネ……?」
王家の系譜を覚えている者なら、その頭文字の意味は一つしかない。二十七年前、出生直後に亡くなったとされる第一王女ヘレーネ。
死んだはずの王女の名が、消えずに残っていた。




