第16話 近衛総長はもう手を離さない
公邸へ戻ったあと、私はルーファスの肩の傷を自分で処置した。
軍医を呼ぶと言ったのに、本人が「君で十分だ」と動かないのだから仕方ない。血を拭き、薬草軟膏を塗りながら、私はじわじわ腹を立てていた。
「近衛総長ともあろう人が、梁の落ちる場所に飛び込まないでください」
「君こそ火事場へ走るな」
「仕事です」
「私にとっても仕事だ」
言い返され、私は黙った。けれど次の言葉は、仕事の枠に収まらなかった。
「……違うな」
ルーファスは私の手首をそっと取った。
「最初は仕事だった。だが今は、それだけではない」
まっすぐ見つめられる。逃げ場のない灰色の瞳だ。
「君を契約で縛ったのは、王宮から守る最短の手段だった。だが私は、最初に系譜院で君の報告書を読んだ時から、君のような人間を失いたくないと思っていた」
喉が詰まる。
「そんなこと……今、言うんですか」
「今だから言う」
私は笑うしかなかった。エドガーの甘い言葉より、よほど不器用で、よほど誠実だ。
「王族会議が終わるまでは、契約通りです」
「ああ」
「でも、そのあとも手を離さないかどうかは」
言いかけると、ルーファスがわずかに身を乗り出した。
「私が決めることではない、か」
「今のところは」
包帯を結び終えると、彼は小さく息を吐いて笑った。
「厳しい監査官だ」
「ええ。書類にも、男にも」
王族会議は明日。もう逃げない。もう黙らない。
そして私は、明日の先にある未来を少しだけ想像してしまっていた。




